私は自分の心が虐待によってとても傷ついているという事実を知ったのは2002年くらいだったと思う。
それは過去ブログに書いてあるのではしょるけれども、
心の中に、ささった刺は、抜いても抜いてもまだまだいっぱいあるよ。
それどころか、抜いた先からまた生えてくるみたいな・・・・(笑)
本来だったら、親が抜いてくれるべき刺。
でも・・・
刺したのも親。
しかも毒だらけで。
きっとあの頃の私の心は「瀕死」の状態だったんだろう。
刺の刺さった心を誰かが抱きしめてくれたとしても、その刺が自分に刺さるし、相手にも傷をつけるしで、受け入れることが難しかったんだろうなぁ・・・・。
本能的にそれがわかっていたから、人を拒絶することで、避けていた。
でも反面さみしいから、じたばた。(笑)
傷つくのが怖いから近寄らない。
人にも、音楽にも。
これ以上痛いのは嫌だ。
そう思っていたから、近寄らなかった。
リボンの詩は痛すぎて、サインを考えられなかった。
私が初めて作った曲はlove peaceから。
あの歌を聴いて、応援しているのも、応援されているのも自分だと思ったから。
自分で刺を抜くこともたくさんしてきたけれど、リボンの歌で、その痛みを緩和してもらっていたかもしれないとと、
今さらながら気がつく。
なんで一緒にステージに上がれたのか。
どうして、ピアノが弾きたかったか。
どうして歌を歌いたいと思うのか。
そうタッカとけんかした時に、言葉で詰め寄られるたびに、「わからない!」って言ってきたけれど(笑)
自分を見つけるためだったんだなぁ・・・・って、2年たってようやくわかる。
いつも、私から仕掛ける言葉のぶつかり合い。
特別ケンカがしたいわけじゃなく、「違うと思う」「嫌だと思う」と伝えると、お互いめった刺しみたいな言葉でメールしたり、電話で話たり、直接話したり。
・・・・といっても、言葉の端っこに嫌なことがあると、それにこだわる私の癖。
そして、「端っこを見るんじゃなくて全体を見て」というタッカの考え方。
でも「その言葉嫌だし」
「嫌なの多すぎ」
「みちえさんのままでいいって言ったし」
「いいよ、だけどね・・・」
エキサイトすると、とんでもないところまで、「あ~あ、喧嘩になっちゃった・・・」
今年の春以降そんな会話もめっきり減ったのは、私が、
「今すぐ目の前に、嫌なことが来るんじゃなくて、そうなるかもしれない・・・・くらいなのかなぁ?」
と、ふと考え方をシフトチェンジしたことかな。
それとも、タッカが「みちえさん頑固だから別の方法にしよう」って変えたのかな。
そのあたりはよくわからないけれど、
毒のある言葉を思わず吐いてしまったあとは、自分の中にある毒のバランスも悪くなるので、
「またやってしまった・・・・」と凹むんだわね。(タッカからも、同じくらいの毒のある言葉で返されるし)
でも、これって信頼関係がないと出来ないって、しばらく距離を置いた後、お互いに思うので、
お~ちゃんのいうとおり、「タッカとみちえさんは、基本仲良しだから、大丈夫」ってことなのかもしれない。
出会いからまる3年。
いろんな言葉に反応してばっかりだった私が変わってきたのは、この3年間の修行のおかげかも?(笑)
離れていくものは、追わない。けれど、近寄ってくるものも拒まない。
そんな風に生きてきた二人だけど、今は私はちょっとだけ違う。
タッカ、ちょっとだけthank you。(笑)
りんごの木のオーナーになりたいなぁ・・・・。ふらっとほーむでできるかな。
50も超えたし、「痛いなぁ。。。って思う人には近寄らない。」をプラスしてる。
つまりは、毒の入った言葉を発見した時は、そっこう逃げるという技で自分を守れることを身につけたので、「逃げる」って大事だなって、思ってる。