G線上に ひとり

by remico

詩と写真と生活もざいく
 

シャツの背中

2008-07-23 22:29:37 | 母子草
 綾でも天草でも外国でも何処でもひとりで遊びに出かけよ。
人生の折り返し地点に入ったのだから、好きに動いたら、よか。
自分が家にはおるけん、心配ない。

 もうすぐ23歳になる息子が、そう言ってくれました。

涙が出そうになりました。

ずうっと彼は、私の後姿を見てくれてたんだな、と今日初めて感じました。
私は何故かとても彼のシャツの背中の写真を撮りたくなりました。





トマトの水鏡

2008-07-22 19:44:07 | 生活もざいく
庭で育てているミニトマトが毎朝、数個ずつ紅く染まっていて、それをお弁当に入れてます。
こういうのは、冷蔵庫で冷やすより、水で冷やしたほうが似合うなあと気づきました。

 
余談
 酒は毎晩飲みますが、それより重大事項は毎朝のお弁当づくりです。
なにしろ、冷凍インスタントはいっさい、ご法度です。
米は鍋で直火です。
決してグルメを追及してるわけではなく、身体が喜ぶ美味しさを日々の暮らしのなかで実践すると、地場の旬の野菜を中心に近海の魚およびたまに肉、これだけで充分ではないかということに辿り着きました。
よってごくシンプルです。

伊佐美

2008-07-21 06:16:38 | 生活もざいく
とりあえず、開封記念撮影!!

 砂ずりのしょうが煮は、料理を主役にしない、あくまで主人公伊佐美の引き立て役。
 陶悦窯のひときわでかい酒器がよく似合う。
このうつわで飲むと焼酎がいちばん美味しい状態を引き出す。
不思議な陶器であります。

僕らの25年に乾杯。なのだ。(自分を赦す章に、気持ちリンク)

紫蘇ジュース

2008-07-20 07:23:38 | 生活もざいく
紫蘇の葉300グラム(2束ほど)を1600CCの水で30分ほど鍋で煮出し、濾してさらに砂糖800グラムほどと、クエン酸大さじ1を加え、さらに30分。
さましてレモン汁大さじ1を加えます。

赤紫蘇でもできますが、青紫蘇で作ります。
緑色が赤色に一変する瞬間が楽しいです。

雪見障子

2008-07-19 08:57:04 | 生活もざいく
障子はカーテンに比べ、光のワークがさらに微妙(微なる妙たえ)です。
日本の人心(ひとごころ)のきめ細かさが映し出されているとおもう。
直裁的な光も和らぎます。
そういえば障子で影絵遊びって、こどものころ、よくやったっけ。

空間遊び

2008-07-16 09:05:55 | 生活もざいく
ものの配置を変えてみたり、部屋の光の行方を追ってみたり、家の中でひとりでごそごそするのが好きです。
夏です。
朝のはじめの仕事は、風の抜け道を作ること。

ソーメン味噌汁

2008-07-15 10:54:21 | 生活もざいく
 嗚呼、旧友と電話で話すとそうでもないのに、ネットの文字列で会話するとなぜか昔バージョンに戻るのだった。昔話で、しばしは浦島太郎と化する。面白いものでデティールはやけに鮮明なのだなあ。そしてそのときの空気までも。もしこうして思い返すことがあるとわかっていたら、空気の瓶詰めをこしらえとけばよかった。

さて。
 平日の休み、ひとりで昼のさなかに、ソーメン味噌汁をすすっている。
ソーメン味噌汁には、ほの暗い若さの記憶が詰まっている。

 若い頃、西洋乞食という飲み屋に勤めていた。
それは私の自立のはじまりなんだけど、12時過ぎに仕事が終わっても、一人暮らしをはじめた部屋へまっすぐに帰れずにいた。そこから夜の友と称した飲み屋で勤めている仲間と屋台へ繰り出す。けれどもそのうちに朝まで飲むのも飽きてしまい、とうとう屋台の皿洗いを手伝うようになっていた。皿洗いというのは、スタンドの水道栓からバケツにもらい水し、そのなかで皿を洗うのだ。今なら、ぎょっとするような話だが、当時はそれがごく普通だった。(そしてたぶんいまも)
 
 屋台を閉めると朝方の4時である。
にわか仕立てのビールケースのテーブルや丸椅子をたたみ、コンパクトに仕舞い戻し、親父と奥さんと屋台をひき終えた後は、もううっすらと空が白んでいた。
 そこからほど近い長浜市場という魚河岸の魚市場に行き、せりで朝からせわしげに働く長靴姿の勇ましい漁師たちに混じって味噌汁をすすっていた。
それがこのソーメン味噌汁なのである。
料理屋のように薬味でそれなりの格好をつけたりしていない、あくまで無骨なこの味噌汁の湯気のむこうの中空を見つめながら、この先何がしたいのか見つけることができないでいた。
 詩の本を書いて店で売ったり、当時は天神一でかいビルの紀伊国屋の前の路上で古本を恐ろしくいい値段で売ったりして路上で遊ぶ以外は。
 

 今の屋台ブームの天神のように、サラリーマンやOLが立ち寄るようになる以前のころの話である。その屋台には天皇はじめ有名人が随分以前から多く訪れるそうだ。