嗚呼、旧友と電話で話すとそうでもないのに、ネットの文字列で会話するとなぜか昔バージョンに戻るのだった。昔話で、しばしは浦島太郎と化する。面白いものでデティールはやけに鮮明なのだなあ。そしてそのときの空気までも。もしこうして思い返すことがあるとわかっていたら、空気の瓶詰めをこしらえとけばよかった。
さて。
平日の休み、ひとりで昼のさなかに、ソーメン味噌汁をすすっている。
ソーメン味噌汁には、ほの暗い若さの記憶が詰まっている。
若い頃、西洋乞食という飲み屋に勤めていた。
それは私の自立のはじまりなんだけど、12時過ぎに仕事が終わっても、一人暮らしをはじめた部屋へまっすぐに帰れずにいた。そこから夜の友と称した飲み屋で勤めている仲間と屋台へ繰り出す。けれどもそのうちに朝まで飲むのも飽きてしまい、とうとう屋台の皿洗いを手伝うようになっていた。皿洗いというのは、スタンドの水道栓からバケツにもらい水し、そのなかで皿を洗うのだ。今なら、ぎょっとするような話だが、当時はそれがごく普通だった。(そしてたぶんいまも)
屋台を閉めると朝方の4時である。
にわか仕立てのビールケースのテーブルや丸椅子をたたみ、コンパクトに仕舞い戻し、親父と奥さんと屋台をひき終えた後は、もううっすらと空が白んでいた。
そこからほど近い長浜市場という魚河岸の魚市場に行き、せりで朝からせわしげに働く長靴姿の勇ましい漁師たちに混じって味噌汁をすすっていた。
それがこのソーメン味噌汁なのである。
料理屋のように薬味でそれなりの格好をつけたりしていない、あくまで無骨なこの味噌汁の湯気のむこうの中空を見つめながら、この先何がしたいのか見つけることができないでいた。
詩の本を書いて店で売ったり、当時は天神一でかいビルの紀伊国屋の前の路上で古本を恐ろしくいい値段で売ったりして路上で遊ぶ以外は。
今の屋台ブームの天神のように、サラリーマンやOLが立ち寄るようになる以前のころの話である。その屋台には天皇はじめ有名人が随分以前から多く訪れるそうだ。