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眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

「コーヒーが冷めないうちに」過去と向き合い未来を生きる

2025-03-24 19:01:10 | 日々の料理
3月23日(日)母の誕生日のあさ空。
夜来の雨は上がり、おだやかな朝。
今日も朝焼ける竹林。


本当の母の誕生日は3月23日ではないのだそうです。昔は誕生と同時に出生届を出さなかったことがあり。3月23日は祖父の誕生日だったとか。なので、母はいつも誕生日の占いなんていうものが「自分には当てはまらなくてつまらない」と愚痴。たしかに、自分の生まれた日がわからないというのは、どこか居心地が悪かったのではないかと想像します。生きていたら90代を生きていた母。認知症にならなければ、どんな90代だったのかしら。元気で生きていた姿を想像して、笑顔になるひととき。


映画「コーヒーが冷めないうちに」を見ました。
2018年の映画で、監督は塚原あゆ子さん。 2019年に第42回日本アカデミー賞話題賞・新人俳優賞を伊藤健太郎さんが受賞しています。

2018年に公開されたとき、評判がよくて見たいと思っていたのですが、仕事が忙しいのと、パニック障害の症状がひどくて、映画館のハードルが高かったために、見過ごしてしまっていたのです。

簡単に言えば、タイムリープものです。戻りたい過去に飛べる。こういうありえない現実を映画で見るのは楽しい。だれもが、あのときに、あの瞬間に戻りたいと思うことはあるはず。そんな願いをを叶えてくれるのが喫茶店「フニクリフニクラ」。両親を亡くしているウエイトレス の数(かず)(有村架純)は、従弟でマスターの流(深水元基)と喫茶店で働いていますが、彼女はタイムリープができるコーヒーを淹れることができます。※これから、あらすじを書きますので、まだ、見ていない方はご注意くださいね。

この喫茶店のタイムリープができる話は有名で、客はみんな半信半疑。やってみたいものの、制約も多くて、なかなかチャレンジはできない様子です。タイムリープができるのは、数が淹れたコーヒーが冷めない時間だけ。もしも、冷めないうちにコーヒーを飲み干さないと、元の時間には戻れません。しかも、過去に戻って会えるのはこの喫茶店に来たことのある人間としか会えず、すでに、起きてしまった現実は変えることはできないのです。さらに、タイムリープができる席は決まっていて、そこには常に幽霊が座っていて、その幽霊がトイレに立たない限り、座ることができません。まあ、このあたりは結構、設定には笑ってしまう点ですが、タイムリープしたい客には、クリアが難しい条件でもあるわけです。

春夏秋冬に分けて、タイムリープする4人の物語が描かれます。
まずはパリキャリの女性客・清川二美子 (波瑠)。彼女は気が強く、好きな相手である幼馴染の賀田多五郎(林遣都)がアメリカに行くのを引き止められず、けんか別れのようになってしまったことを後悔しています。アメリカに行ってしまった現実は変えることはできないものの、タイムリープして、再度の五郎との会話でヒントを得た二美子は、未来を変えるべく行動します。

「フニクリフニクラ」の常連客には、若年性アルツハイマーの高竹佳代(薬師丸ひろ子)がいます。そんな高竹を優しく見守る夫の房木康徳(松重豊)。妻のことを旧姓の「高竹さん」と呼ぶ房木。妻がすでに自分のことを忘れているために、自分は看護師として患者さんと接しているというスタンスを取っています。高竹が「夫に渡し忘れたものがあるの」と言っていたことを知る数が、房木を後押しして、房木は病気の進行前の妻に会いに行きます。そして、妻の思いを知って、自分が本心では認知症の妻のことを受け入れ切れていなかったことを自覚して、新たに看護師ではなく、夫として妻と向き合うことを決意します。

故郷にいる妹(松本若菜)が姉を探して喫茶店に会いに来る度に、拒絶して逃げ回る常連客の平井八絵子(吉田羊)。実家は旅館で、戻って来ることを懇願していることを知りながらも、一人でスナックを営んでいます。妹はいつも姉宛てに手紙を置いて行きますが、数が姉に渡しても「捨てといてよ」と知らん顔。数はなんとしてでも受け取るように強く渡すのですが、どしても受け取らない。意地を張り続ける八絵子。そんな日々の中で、交通事故で妹は亡くなってしまう。後悔する八絵子はタイムリープして、妹に会いに行き、はじめて妹と向き合って話をします。妹が自分と一緒に旅館をしたかったことを知り、八絵子は故郷の旅館に戻り、女将として新たな人生に向き合います。

数に次第に惹かれていく常連客の新谷亮介(伊藤健太郎)は、数と付き合うようになりますが、妊娠してしまう数。結婚したいと願う亮介ですが、数は躊躇しています。亡くなった母親から「捨てられた」と言う数。過去に戻れるという席にいつも座っている謎の女(石田ゆり子)は、数の母親の幽霊でした。母は亡くなった父に会いに行って、「コーヒーが詰めないうちに」コーヒーを飲み干さなかったために、戻って来ることはできず、幽霊になってしまったという経緯があるようです。

なぜ、母は戻って来なかったのか。本当に母は数を捨てたのか。過去に戻ってたしかめたいと願うものの、タイムリープができるコーヒーを自分で淹れることはできません。時田家の女性しか「淹れることができない」ので、今は数しか淹れられないのだということを聞いた亮介は、それでは将来、流の子供や数と自分たちの子供が生まれたら、その子たちが淹れることができるのではないかと気がつきます。そして、未来からタイムリープして来てくれた女の子。彼女は「時間がないの」と数を急かして、コーヒーを淹れてくれます。

そして、母が亡くなってから4か月後に行くように女の子は言います。「亡くなる前ではないの?」と言いますが、焦った様子の女の子は4か月後だと言ってききません。数は言われるままに、4か月後を強く念じてタイムリープすると、亡くなった母がクリスマスに会いに来てくれていたことを知ります。父親に会いに行ったのだと思っていた母は数に会いに来てくれていたのです。そして、コーヒーが冷める前に飲み干せなかったのは、自分が母親に泣いてすがり、「帰っちゃいやだ」と、邪魔したせいだと知ります。母は自分を捨てたのではないと知り、ようやく、亮介との将来に向き合うことができたのです。

悪人がだれも出て来ない。みんなが相手をまっすぐに愛している思いがあるので、嫌な気持ちになることがない。やさしい気持ちになれる映画でした。

悪意に翻弄されて来た高齢者の私には(笑)、ちょっと恥ずかしいくらいの「まっすぐさ」加減でもありましたが、過去に飛んで、過去と向き合うことで未来を生きることができるのだということは、強いメッセージだと思います。一番最初にのせた映画の1シーンは、数にコーヒーを淹れてくれる女の子のシーンです。彼女はもちろん、亮介と数の娘。名前は未来と書いて「みく」。

私にとっては認知症の妻を抱える夫の姿にどうしても、認知症の母の姿を重ねてしまうことになりました。母も若年性と言っていいくらい、60歳ごろから、母の言動は「壊れてかけて」しまい、父ががんになって告知の場面では、担当医が来る前に母は病室から逃走。告知を私から告げられると、「私はお父さんに恨みがあるから看病なんて絶対にしないからね」と宣言。母の言動は認知症のせいで、あたりまえではなかったのだと思うものの、両親の不仲はもう、ずっと私の悩みのタネでしたから、「最後の最後までこうなのか」と暗澹たる思いがしたことを覚えています。

ただ、私は「あとで後悔しない自分を生きよう」というのが、両親の看病と介護に対するスタンスでした。病親の看取りを終わった方が必ず口にされるのが、「後悔」。もっとするべきことがあったのではないかという思い。私自身にも容易に想像できる「後悔」をしないように、やるべきこと、やっておきたいことは残さず、すべてをやり切ろうと思ったのです。

そのおかげで、私はタイムリープをしたいとは思っていません。もう一度もどったとしても、同じことを考え、同じことをやり切ったと思います。


直売所で、また、ラナンキュラスラックスを買って来ました。
風に揺らぐような風情がいい。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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わたしも~ (シャイン)
2025-03-24 13:30:02
タイムリープはしたくないです
しかも座ってる幽霊と
おしゃべりしている間に、時間が経ってしまいそうで…いひひ

見たことが無いので、見てみたいなと思いました。不思議な世界を描くというのは
監督さんの感じるものをどうやって表現するかですもんね
どんなだろう…
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こんにちは。 (reicoba)
2025-03-24 16:54:49
>シャイン さんへ
>わたしも~... への返信
座っている幽霊とは一切、会話ができない設定でした。なので、ある意味、怖いですよね(笑) お母さんだけど、会話はできないし、年を取らないし。いるだけというのも、なんだか意味がないような。タイムリープして、お母さんに会いに行ったとき、コーヒーをむりやり飲ませたので、現実世界では幽霊は消えていたという状態でした。
そうそう。シャインさんがおっしゃる通り、あり得ない世界は監督さんがどんな映像にするかという腕が試されるところですよね。なかなかよく描けていたと思いますので、よかったら見てくださいね(*^^)v
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