此の靖国に代わる施設に対する否定的な戯言は昨日の会食(露木茂・津川雅彦氏等)に於いて、出て来た首相サイドからではなく露木氏談ですが、お参りしないだろうの他に首相は自己の靖国参拝にふれて「靖国で会おうという一言で死んでいった戦没者の魂は靖国神社にあるんじゃないか」とも話したと伝えられております。まあ、其々戦没者に対する捉え方は様々な訳で否定はしませんが、其れは個人的にであっての話となっております。しかし、此の「靖国で会おうという一言で死んでいった戦没者の魂は靖国神社にあるんじゃないか」ですが、靖国で会おうという云々は其の様な解釈が成り立つやも知れませんが、他方では亡くなられた方々は全てが靖国で会おうの云々ではなくの筈で、大東亜戦争時前後は殊更に国家神道で思想を統制して戦争遂行となっておりも有りのと他にも様々となっておりますが、だからと言って遺族は新施設ではお参りしないだろうと結論になる根拠が凄まじく乏しくと捉えておくのが相当だろうです。一宗教法人である靖国神社に捉われて全て其処に結を持って行くのは全く持ってあれで、全ての人々が戦没者の追悼を出来る施設となるのが此れ又相当で、変な偏った思い込みや歴史認識で靖国に拘るのはあれと言うものです。大東亜戦争にしても、白黒で判断出来る訳がなく、日帝は悪くなく米帝等が悪いと短絡的では話にならずで、問題はハルノートに起因してしかけられた被害国とだけ捉えるのも愚かな其れで、他にも様々な要因が有りでとなっております。何事もそうですが、これじゃなく等は粗なくで、多々となっておりますが、靖国問題ではと言うより、先の大戦で310万人に及ぶ尊い命が亡くなった事が最大の問題で、何事が有ろうとも命に関わる戦争を将来的にもしない事が大切で、恐怖心の裏返しの勇ましく?力には力での対応では、命が幾らあって足りずりとなります。抑々が靖国に拘り続ける意味合いも、憲法の何たるかを知らんと改悪も無駄な努力と言うもので、頓珍漢な狭い思い付きで私達の安全や安心等命を軽んじられては論外かなとしときますです。
仲井真知事が年頭の訓示で端折りますが、辺野古埋め立て申請の承認理由を普天間飛行場の5年以内運用停止には安倍首相と知事が認識を共有すると意味不明な事を言い続けて、埋め立て進捗も言及せずに県外移設公約を正当化させております。然も、自身の発言を批判する県民やマスコミが悪いととれる言い回しに終始しております。猿芝居の上に此の開き直りともの其れは、真面な層がどれだけ解釈しても知事の言っている事に納得等する事は未来永劫あれですとしときますです。
今日は此処迄
次回を待て
P.S.
私の好きな、なごやん等からカルキ臭で敷島が自主回収をする模様となっております。買いたくても中々店舗に並んでなくて買えない私に更に追い打ちを掛けて貰っては踏んだり蹴ったりとなっております。そんな訳で迅速に処理をして私が買える状態にして貰わんとあれです。