Four Season Colors

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〇〇生まれ、〇〇育ち。

2022-02-07 | 雑文
「米国生まれのフィギュア選手、中国代表と
して五輪デビュー 転倒で激しい非難の的に」
(CNN)

日々の生活の状況もあり、いつの間にか始ま
っていた感のある冬季オリンピック。

開催国である中国での、オリンピックなど国
際大会ではよくある「国籍」をめぐるなんや
かんや。

競技におけるルールや、一つ一つの状況にも
よるので、これということではないけれど。

「〇〇産、〇〇育ち」みたいなものでいえば、
ちょうど今、「アサリ」が話題となったばか
りだったりもする。

人間とアサリを一緒にはできないが、地域と
国の「代表」は何を基準として判断するか。

もちろん、出場する権利としては明確なのだ
けれども、言葉のとおり「代表」するとなる
と、「代表」される側の認識が問題となる。

「代表」されている人たちが、「代表」する
ことを是とするかどうか。

記事では、米国で生まれた選手が米国籍を放
棄し、名前も改名したが、中国語が流ちょう
ではないことで転倒後に批判とある。

生まれであったり、育ちであったり、外見で
あったり、「族」といった繋がりであったり、
言語であったり。

しかし、日本もそうであるが、これらは国籍
を持つ人たちに高い共通性のある国、地域の
認識材料にもみえる。

外見も、繋がりも、言語も多様に混ざり合う
のであれば。

それをグローバルというのかどうかは分から
ないが、国籍は応援するチームのような、記
号程度になっていくのかもしれない。

単に年齢を重ねただけかもしれないが、自分
も、昔ほど「日本」であることが応援する理
由にならなくなってきている。

日本、というかアジアはまだ、身体能力的な
意味でも共通性が高く残っている。

だとしても、それこそチームカラーくらいの
感覚の方が、スポーツらしくていい。


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