【音楽】 日本のジャズ・フュージョン界、ポップス界で大活躍していたベーシストの青木智仁氏が12日夕方に急性心不全で亡くなりました。奇しくもこの日は彼の誕生日。享年49歳、この世に生まれて49年と数時間で逝ってしまいました。ショックを隠しきれない私です。
彼を知ったのは角松敏生のアルバム。角松のほとんどのアルバムやステージでベースを担い、角松サウンドの核ともいえる重要なグループを聞かせてくれていました。類稀なる彼のスラップは他のミュージシャンからも重用され、数多くのセッションやツアーに参加していました。角松のデビュー25周年記念コンサートが24日に予定されている中で、当然、青木氏の参加が予定されていたことでしょう。5時間にも及ぶとされているそのコンサートのリハーサルも、いよいよ佳境に・・・という時の突然の死は、あまりにも痛恨です。この公演は角松の25年のお祝いというよりも、青木氏の追悼ライブになってしまうかもしれません(大泣)。
青木氏の人柄の良さは評判で、コンサートなどでは後方に控えることの多いベーシストですが、控え目ながらも兄貴のような暖かさでバンド全体をまとめているような印象を受けました。立ち位置は控えめでも、サウンドは最前列で呻りをあげてましたけどね^^;;;。
そんな彼のプレーはもう聞くことができません。早すぎる死が悔やまれる・・・そんな通り一遍の言葉では、彼の死は表現したくありません。彼は私たちに何を残してくれたのでしょうか。そして何を探しにこの世を去ったのでしょうか。そんなことを考えながら、今日は彼の参加していたアルバムを聞きたいと思うのは、私だけではないはずです。合掌!。
----------------------------------------------
青木智仁氏死去 ジャズベーシスト
青木智仁氏(ジャズベーシスト)12日午後、急性心不全のため東京都品川区の病院で死去、49歳。神奈川県出身。葬儀・告別式は15日午前9時から神奈川県鎌倉市腰越2の4の8、満福寺で。喪主は妻文江さん。
渡辺貞夫グループなどに参加、さまざまなセッションで活躍した。
西日本新聞 2006年06月13日23時32分
----------------------------------------------
彼を知ったのは角松敏生のアルバム。角松のほとんどのアルバムやステージでベースを担い、角松サウンドの核ともいえる重要なグループを聞かせてくれていました。類稀なる彼のスラップは他のミュージシャンからも重用され、数多くのセッションやツアーに参加していました。角松のデビュー25周年記念コンサートが24日に予定されている中で、当然、青木氏の参加が予定されていたことでしょう。5時間にも及ぶとされているそのコンサートのリハーサルも、いよいよ佳境に・・・という時の突然の死は、あまりにも痛恨です。この公演は角松の25年のお祝いというよりも、青木氏の追悼ライブになってしまうかもしれません(大泣)。
青木氏の人柄の良さは評判で、コンサートなどでは後方に控えることの多いベーシストですが、控え目ながらも兄貴のような暖かさでバンド全体をまとめているような印象を受けました。立ち位置は控えめでも、サウンドは最前列で呻りをあげてましたけどね^^;;;。
そんな彼のプレーはもう聞くことができません。早すぎる死が悔やまれる・・・そんな通り一遍の言葉では、彼の死は表現したくありません。彼は私たちに何を残してくれたのでしょうか。そして何を探しにこの世を去ったのでしょうか。そんなことを考えながら、今日は彼の参加していたアルバムを聞きたいと思うのは、私だけではないはずです。合掌!。
----------------------------------------------
青木智仁氏死去 ジャズベーシスト
青木智仁氏(ジャズベーシスト)12日午後、急性心不全のため東京都品川区の病院で死去、49歳。神奈川県出身。葬儀・告別式は15日午前9時から神奈川県鎌倉市腰越2の4の8、満福寺で。喪主は妻文江さん。
渡辺貞夫グループなどに参加、さまざまなセッションで活躍した。
西日本新聞 2006年06月13日23時32分
----------------------------------------------
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます