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野球のみかた

浅野祥之 逝去

2007年04月22日 | ■音楽
【音楽】角松敏生の活動に欠かせないギタリストとして活動してきたギタリストの浅野祥之が逝去した。享年48歳。"ブッチャー"の愛称で親しまれてきた彼のプレーも、もう二度と聞くことができなくなった。昨年の青木智仁に続く訃報は余りに悲しい。青木氏は自分の誕生日に逝き、浅野氏は念願かなった永井氏とのコラボレーション・アルバムの発売日に逝くなんて・・・。

 ファンページに併設されたブログに仏茶のハンドルネームで投稿されていたコメントは4月8日以降は更新されていない。死因は肺炎による呼吸不全とのことだが、余りに急といえる。
 彼のことを知ったのは角松のステージのサポートメンバーとして参加してからのこと。元々、杏里のツアーメンバーだった彼が、角松のツアーメンバーのオーデションに自ら応募してきたという。角松が「浅野さん、何しに来たんですか?」。浅野「いや、オーディション受けに来たのですが・・」。角松「そんな、浅野さんならオーディションは不要です」と、その場で参加が決まったという。そんな話を聞いて、改めて杏里のツアービデオを見直せば、そこには若かりし日の浅野氏の雄姿が見られた。
 あれは、もう4~5年も前になるだろうか。新宿の某ライブハウスに浅野氏と、ともに角松のツアーメンバーでは欠かせない友成氏の二人がサポートする某女性シンガーのライブを見に行った時のこと。やや早目に会場に着いた私は、とりあえずとお店のある2階へと階段を登ると、お店の前で浅野氏が淡々とチューニングしていた。余りに普通に?居たもので、思わず「受付ですか?」なんて声をかけてしまった私。「いや、どうぞお入りください」と普通に答えてくれましたっけ。その時のMCで、「土曜日なのに子供を自転車で幼稚園?に送りに行ったので、曜日の感覚が分からなくなり、今日のステージのリハーサルに遅刻した・・・」なんて事を話していましたっけ(ちなみに、そのリハに友成氏は現れなかったとか・・・)。
 いずれも彼の温かい人柄が偲ばれるエピソードとして心に残っている。CDやステージでは、派手さは無いものの的確で計算されたフレーズを聞かせる職人は、案外普通の人だったと想像する。音楽的に、また心の支えとして信頼できるパートナーを二人も続けて失ってしまった角松の心情は察するに余りある。人は一人では生きてはいけない。それでも人は一人でしか生きていけない。心優しい職人ギタリストの冥福を祈りたい。

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ギタリストの浅野祥之氏死去
 ギタリストの浅野祥之氏(あさの・よしゆき)が20日午後8時49分、肺炎のため横浜市青葉区の病院で死去、48歳。北海道出身。葬儀・告別式は23日正午から川崎市のさくら会堂で。喪主は妻佳三恵(かみえ)さん。
 ミュージシャンの角松敏生さんらのレコーディングに参加。自身もライブ活動などをしていた。

デイリースポーツ online



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