ユーカリスティア記念協会のブログ

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Prof. John Krummel referred to Yoshio Noro

2016年04月29日 22時29分28秒 | 野呂芳男研究
"None of the important critical biographies of Wesley, nor any of the important theological studies of his thought, which have appeared in English and other European languages during the revival of interest in Wesley as a theologian of the past thirty-five years or so have been translated into Japanese. Until the appearance of Yoshio Noro's Wesley there was no systematic critical work in Japanese. Noro, currently [*1969] chairman of the department of theology at Aoyama Gakuin University in Tokyo, continues the tradition in Wesleyan scholarship which has been gradually built through the years by such men at Aoyama Gakuin as Takuo Matsumoto, Shigemi Kega (president 1956-1958), Kamenosuke Tanaka, Mizutaro Takagi (chancellor 1913-1921), and Motozoh Akazawa. However, it is not excessive to say that he has surpassed those who preceded him both in terms of sustained Wesleyan study and critical scholarship. His first published work on Wesley was "Justification and Sanctification in Wesley" in Fukuin to Jidai (Gospel and Times) in 1948. He has continued publishing the results of the studies and of his translation efforts, most of which have been mentioned above. A recent essay was " The Existentialistic Tendency of Wesley's Christology" published in the Aoyama Gakuin Ronshu (Journal) in 1967. His book Wesley was brought out by the Publishing Department of the United Church of Christ in Japan in 1963 as one volume in its series on the history of Christian thought. The work is a balanced survey of Wesley's life and thought, illustrated by ample quotations from the basic sources, and illuminated by an abundance of references to the history of Christian thought giving due attention to the work of other Wesley scholars. Noro brings a unique point of view as Christian existentialist to the interpretation of Wesley's thought as an experiential theology with an existentialist tendency. The eight chapters of the book deal in order with Wesley's life, epistemology, anthropology, Christology, his treatment of the work of Christ, justification and sanctification, Christian perfection, and assurance."

--Quoted from John W. Krummel: Wesley Studies in Japan. The Northeast Asia Journal of Theology, March 1969.

書評・キリスト新聞

2016年02月02日 17時16分42秒 | 野呂芳男研究
2016年1月30日号ブックレビューに
野呂芳男『民衆の神 キリスト--実存論的神学完全版』(ぷねうま舎、本体5,600円)が載りました。

『ジョン・ウェスレー』の書評が寄せらました

2016年01月11日 20時17分06秒 | 野呂芳男研究
藤本満先生から、貴重な原稿をいただきました。
日本基督教学会から書評の依頼があった際に、お書きになったものだそうです。
評者ご本人からのお知らせで、今頃になってこの書評の存在を知った次第です。
掲載の許可を藤本先生からいただきました。

***

野呂芳男『ジョン・ウェスレー』(松鶴亭、二〇〇五年)、三四二頁
藤本満(インマヌエル高津教会牧師)

 これまでウェスレー研究には二つの大きな波があった。かつて一九五〇~七〇年代に、聖書論、義認論、キリスト論、聖霊論、聖化論、教会論、聖餐論、またウェスレーとカルヴァン、ルター、英国国教会、モラビア派、ピューリタン、神秘主義との関係、と主要題目は博士論文や研究書で扱われてきた。野呂が七五年に出版した『ウェスレーの生涯と神学』は、それらの研究成果を踏まえ、かつ独自の実存的視点や教理史の知識を縦横無尽に用いてウェスレー像を集大成したものであり、もし英訳されていたら、世界におけるウェスレー研究のスタンダードとなっていた。大著の発行から三〇年経過して、ウェスレーに対する熱い思いを再び著されたことは、日本のウェスレー研究を鼓舞することとなった。
 第二の波は、一九八〇年代後半から始まった。『二百年記念ウェスレー全集』(刊行中)の膨大な資料に後押しされ、コンピュータによるデータベースが可能になり、新しい展望が開けてきた。また、この時期に、神学的アイデンティティーを失った合同メソジスト教会が、ウェスレー回帰を打ち出したことも、第二波の一因となった。もっとも回帰の流れに乗って、神学者たちが自分の主義主張の「拠り所」をウェスレーに求める傾向もあり、ウェスレーが面白くもなり、また歪みもした。本書九~十章で、著者は最近の動向との対話を試みている。
 本書は、三つの部門に別れる。一章でウェスレーの生涯をわかりやすく要約し、二~八章でウェスレー神学を各論的に分析し、九~十章で最近のウェスレー研究の動向と問題点を指摘する。

Ⅰ. 実存主義的解釈
 各論において、著者は前作よりも明確に、ウェスレー神学を実存的視点から描くことに努めている。義認の章は、ことさら興味深かった。野呂は、ウェスレーによる「この点(義認)に関して私は、彼(カルヴァン)から髪の毛ひと筋ほども違っていない」との言葉を評して、「おそらくウェスレーは、自分がどれほどカルヴァンから遠くに立っていたかを認識していなかったのではないだろうか」(一五一頁)と解説を始める。
 野呂は、宗教改革者たちが義認を「言わばその信者の全生涯を無差別に内に複妙に永遠の面から考える」、客観主義に立っていたのに対して、ウェスレーが義認を「聖化という過程の中の出発点として、その中に含ませ」ることで、「信者が絶えず罪と闘いつつあり、その信者の生活の支配的原則が神の意志に服従しようとの意欲」「主体的な決断」を強調していると説明する。つまり、ウェスレーは、神と信者との関係を「動的な、緊張をもったとらえ方」で考えている。予定論者ならば、「自分の決断とは無関係に設定された必然性の中に、信仰者の安心を見いだそうとするであろう」。しかし、「ここにウェスレー神学の実存的な厳しさがあると言っても良い。これを捨てたならば、ウェスレー神学の持ち味は薄められてしまう」(以上、一五四~六五頁)。また野呂は「ほんとうのキリスト教的な慰めは、神とのきびしい対面そのもののなかからわき出てくるのではないだろうか」(二一六頁)と実存主義的色合いをあざやかに描く。
 聖化についても、ウェスレー自身は、それが漸次的に上昇する一つの直線であるかのように教えていた。ウェスレーと聖化の研究で著名なリントシュトレームも、ウェスレーの言葉をそのまま受けて直線的に聖化を説く。だが、野呂は、ウェスレーにとって「上昇する聖化の直線は、手際よくきちんと引かれうるようなものではなく、破れを内包し」、ウェスレーにとって人生の初段階の理解は、「キルケゴールと同じような、きわめて実存的なもの」(一七〇頁)であると指摘している。
時に単純すぎるウェスレーの言葉を鵜呑みにしないで、その全体像からウェスレー神学の「持ち味」を描き、ウェスレー神学の至らなかった点を配慮して解説するところは、研究者の「応用編」らしく、多くを学ばされる。評者は、実存主義のカテゴリーを使わないし、また使えない。このカテゴリーを使うとき、ウェスレー神学の「持ち味」が生かされることは確かである。――著者にとっての実存主義は、「自分を、自分の根底としてすでに与えられてしまっている神の秩序から理解し、そこに生きようとすること」であり、「自分の生形成さえも自分から根拠づけようとする意味での自由な決断ではない」(二〇四頁)。――だが、このカテゴリーを理解しない人には、それはかえって難解な解釈になり得るし、本書に出てくる「前理解」「非神話化」という用語でさえ、次の世代の神学にどの程度通用するのかも考えさせられる。
 「キリスト者の完全」の教理においては、もしユングの深層心理学的分析やマルクスの階級分析が当時存在したなら、十八世紀の「ウェスレーが気づいていないような、魂の事情が明るみに出されてくるであろう」と著者は述べる。だが、この教理の核心において、ウェスレーが教えたことは神学的に妥当性があると野呂は記す。ウェスレーは「動機における純粋」「意思の統合性」を語ったが、野呂は、それを「決断という人間の実存的次元の視角」に置き換え、その視角から人間の罪を理解するとき、すなわち、もし「私たちがこの地上の生において、ある瞬間以降、決断をし続けるその方向が、いつも絶えず神に向けられているなら……私たちの決断のすべてが、過ちを除いて汚れのないものになる状態」(一八八頁)が生じてくる。
 教理の重要性・正当性をこのように養護しておいて、野呂は反面、ウェスレーの完全論の欠点をも指摘する。それは、上述のような深層心理の角度からの追求ではなく、ウェスレーの完全論が「平盤」であり、「個人差を顧慮していない」という点である。キリスト者の体験を、神の恵みの大海に飛び込み、できる限り潜っていくことにたとえれば(ウェスレー自身もこのたとえを使う)、これ以上深くは潜れないというところに行き着く。その時点で、上を見れば、そこには聖化の始まりであり、下を見れば、それ以上潜れないという完全がある、と野呂は説明する。だが、この距離は、水面から測ってみれば、人によって異なっていて当然であり、また同一個人においてさえ、その深みは徐々に増し加わるはずが、ウェスレーの説明にはそうしたことへの配慮が欠けているという。評者にとっては、これはウェスレーの完全論批判として実に新鮮であった。

Ⅱ. 他のウェスレー研究者との対話
 評者にとって最も読み応えがあったのは、第九章に見る、野呂と他のウェスレー研究者たちとの対話であった。氏が対話の相手として選んだのは、
①初代教会史を専門にしながら、六〇年代にウェスレーと東方教父との関連に着目し、その後、ウェスレー研究「第一人者」の立場を譲ることはなかった教会史家アウトラー
②ウェスレーと解放の神学の関連づけからウェスレー研究に着手し、一九九八年に『新創造――今日におけるウェスレー神学』を著したランヨン(米国ドルー神学校で野呂の三年後輩、その後ゲッチンゲンでゴーガルテンとティリッヒの研究で博士号を取得)
③そして、世界的に著名なプロセス神学者カブによる『恵みと責任――今日のためのウェスレー神学』(一九九五年)である。
 この二書は、ランヨンが「新創造」、カブが「神の恵みに応答する人間」という、共にウェスレー神学に特徴的なテーマを軸に、その全体像をとりまとめ、なおかつ人権・貧困・女性・環境問題といった現代の諸問題からウェスレー神学の意義を浮き彫りにする、意欲的な取り組みである。アウトラーは別としても、野呂は、ランヨンやカブよりもウェスレー研究・教理史全体に深い造詣を誇る。その彼が二者をどう評価するか。評者は多大な関心をもって読んだ。
 カブは、ウェスレーの「先行の恵み」の教理に注目する。堕罪以来、生まれながらの人間には善を選ぶ自由意思も良心もなくなってしまったのであるが、神は先行の恵みとしてそれらを部分的に回復させ、恵みに応答できる存在として、人間をこの世に生かしている。「先行の恵み」こそ、ルターやカルヴァンのように、救いを与える神とそれを信じる人間の関係を排他的に・予定論的には考えなかったウェスレー神学の特徴であり、それが故にカブは自著に『恵みと責任』という題名をつけたことを、野呂は的確に指摘する(二四一頁)。だが、カブは神が聖霊によってすべての人に理性や良心を与えているというウェスレー考えの中に、プロセス思想から来る「神の内在」を巧みに織り交ぜてくる。野呂は、カブの背後にあるホワイトヘッド哲学にまで遡り、カブの解釈が歪んでいく過程を説明する。「カブによると、ウェスレーはちょうどホワイトヘッドと同じように、人間の自由意思を損なわずに完全の聖化まで人間を導いていく、時間の中に内在する神を強く主張した神学者になる」(二四四頁)。
 ランヨンは、ウェスレーの救済論が個人だけでなく、社会的視野、さらには宇宙的な次元までも含んでいることを強調した。そもそも、救いは罪の赦しの宣言だけではなく、破壊された人間の中の「神の像」の回復過程であることは、ウェスレーの聖化論に顕著である。そして、これに東方教会との関連づけを与えたのはアウトラーであった。だが、アウトラーが「新創造」を主に個人の聖化に集中させて理解したのに対して、ランヨンは社会的次元に重きを置いているという印象を野呂は抱く(二三四頁)。評者も同感である。当然、ここで聖化論は終末論と結びついている。すなわち、人間の歴史の流れの中で、将来から現在に攻めって来る神の国こそが、聖化を実現していく神の力である。ここで野呂のランヨン評は、評者もまたランヨンを読んで漠然と疑念を抱いていた印象を明確に論理化してくれた。すなわち、ランヨンが終末と結びつけて聖化を語るとき、あたかも「人間の持つ宿命成就的主体性がまるで存在しないかのように、それとは無縁であるかのように、神学において向こう側から人間を捕らえてくる神の働き」(二五七頁)として描いている感が強い。そういう主体的な生き方の選択なしに、信仰義認、そして個人と社会との次元における聖化を語ることは、カルヴァン主義者たちの路線であり、「現代神学の分野で言えば、バルトを延長したモルトマンの路線によるウェスレー解釈と言っても良いかも知れない」(二五九頁)。ランヨンは解放の神学を通してモルトマンとの親交があり、後者は前者を通してウェスレーの聖化を高く評価するようになった(参・『いのちの御霊-総体的聖霊論』)。
 野呂のランヨン批判に、実存的思考が反映されていることも事実である。だが、ウェスレーの場合には、終末から社会を変革する神の働き以上に、「個人の信仰体験が深まり、ひとりひとりの完全の追求によって、その人びとのいる社会全体が大きく変化し、そこにこれまでにない宗教的な雰囲気が作り出されることを認め、かつ喜んでいるふしがある」(二七一頁)との野呂の観察は妥当であり、こちらが正統なウェスレー論であると評者は考える。

Ⅲ. 現在のウェスレー研究を二分する論争
 最終章に至って、察しの悪い評者は、野呂が近年のウェスレー研究を二分する大きな問題に積極的に関わっていることに気がついた。それは、ウェスレーの福音的回心、アルダスゲイト体験をどう解釈するかである。
 ウェスレーは、一七二五年のオックスフォード時代、ア・ケンピスやJ・テイラーなどに触れて、生涯と心を神にささげ、「第一の回心」を体験した。神聖クラブを率い、ジョージアに宣教に赴き、聖くあろうとする自分に絶望し、帰英する。その彼は、入植地でモラビア派から信仰義認を学び、アルダスゲイト街でもたれた集会で三八年に信仰義認を体験する。これが「第二の回心」である。
 だが、その後も聖化の強調が全く衰えないことから、「第一の回心」の方に重きを置く研究者(特にカトリック)も少数ながら存在した。さらに一七六〇年代にカルヴァン派との論争が激化する中で、ウェスレーは信仰義認とキリストの義の転嫁の教えに安住して、聖化や修練の追求を否定する当時の「福音派」を「信仰至上主義者」と批判するようになる。加えてこの時期、ウェスレー神学は、「後期ウェスレー」と呼ばれる独特な進展を見せる。すなわち実生活の諸問題、社会問題、英国全体の文化風習の問題など、神学の活動範囲が広がる。
 この経緯を踏まえて、アウトラーは「前期」「中期」「後期」ウェスレーという区分を設け、これが現在では定説となっている。ウェスレー神学における「後期」の独特な発展は、「前期」に回帰したものではなく、「神学者として成熟期」と捉えるのが一般的であって、野呂がこれを「第一の回心」「第二の回心」「第三の回心」という「回心」区分として批判することは(たとえそれに反対であっても)、誤解を招く。その意味で、野呂の清水に対する批判は妥当ではない(二九八頁)。
 こうした混乱はさておき、ここで野呂は重要な課題と論議を交えている。「アウトラーにしろランヨンにしろマドックスにしろ、これらのウェスレー神学の研究者たちは、ウェスレーを世界観的に考察しているように私には思えて仕方がない」(二九九頁)。野呂は、アウトラーに始まる最近の研究者たちが、ウェスレーにおけるギリシャ教父の影響を強調するあまり、アルダスゲイトに代表されるような、ウェスレー神学の持つ「主体的・実存的姿勢を見失ってしまった」と述べる。同時に、ギリシャ教父に特有な神秘主義を極力警戒していたウェスレー像も、近年の研究では影を薄くしていると言う。
 近年、ウェスレー研究の最大の論議が、アルダスゲイト解釈にあったことは述べた。日本ウェスレーメソジスト学会でも、この問題を取り上げてきた。一般的に、ウェスレーの生涯にわたってアルダスゲイト体験の意義を認めようとする学者は、東方的救済論の中で、メソジストの信仰復興運動を立ち上げた活力のようなものが見失われることを懸念する。だがそこに固執すると、ウェスレー神学の持つ「広がり」を見失う傾向もある。野呂は、「実存」というカテゴリーをもってこの論争に自らの判断を下していることは興味深い。
 本書を読み終えて、評者が尋ねてみたいことは、前期ウェスレーと中期ウェスレーに詳しい著者だが、アウトラーを中心に着目されてきた後期ウェスレーの進展(『二百周年記念全集』一巻序文)、特にそれが世界観の変遷ではなく、論争に巻き込まれ、英国の文化世相の実情の中で、「神学者として実存」をかけての変遷であるとしたら、氏が後期ウェスレーをどのように評価するか、である。

『実存論的神学』第一章より、ほんの少し引用

2014年06月08日 17時55分28秒 | 野呂芳男研究
「ボンフェッファーの言葉をもって表現すれば、近代人であるわれわれは‐‐中略‐‐「成人した世界」、「非宗教的世界」に生きている。すなわち、われわれは、世界を宗教的に理解することを止めた時代に生きている。‐‐中略‐‐人間は世界に対立するものとして立っていて、神はその世界に所属していない。人間の創作的管理に委託された世界という本来のキリスト教使信と、現代人の世界とは適合する点をもっている。だから、このような近代科学により逃避することによって、または、それを黙殺することによって、キリスト教をその現代での頽廃から救おうとするような試みは、愚の骨頂である。むしろ、われわれは近代性を突き抜けて行かなければならない。このことは、単にキリスト教の文化史との折衡に関係するばかりでなく、宣教の場での弁明にも関係してくる。」


ここの、「だから」以降における野呂の主張だが、実はここに至るまでに、われわれの時代におけるキリスト教の可能性について、言い換えると、現代における“護教論”が丁寧に論証されている。それだけに、この部分だけを引用することで余計な誤解を招くかもしれない危険があるかもしれないが、それでもなお、引用への衝動が勝る部分だ。

そして以下もまた、その先を読まないと具体的に何がつまずきとなるのかが分からないと思う。けれどもここ、うまいことおっしゃる、という部分なのでやはり引用しておく。

「躓いて貰いたくないような、キリスト教福音の周辺的な躓きで躓いてしまう人々が多い。ところが、キリスト教の福音には、どうせ躓くのなら、あそこまで行ってほしい、あそこで躓くなら仕方がない、諦めようというような場がある。」(以上、『実存論的神学』72‐73ページ)


あ、それから、先日発掘されたルターのクリスマスブック (The Martin Luther Christmas Book)について、本書第一章、注で取り上げられているよ!実は、わざわざこの『クリスマスブック』から引用しなくても、という箇所ではあるだけに、エドウィン・ルイスから贈られたこの本、本当に嬉しかったのだろうと分かる。(発掘の甲斐があったなあ、ふう。)「職業について発言している、ルターの美しいクリスマスの説教を忘れることができない」(76ページ)ですって。この本もすぐに確認したいのに、埼玉の倉庫にあるのでなかなか閲覧できないのが残念 (;ω;) --(林昌子)

1990年度野呂芳男講義「民衆文化の世界」

2014年02月02日 20時30分37秒 | 野呂芳男研究
タイトルの記事は、本来こちらのサイトに掲載されるはずだったようですので、リンクを貼っておきます。

この音源が存在する背景はこちら「講義の品格」を参照して下さい。少し私のことも書いてあるので恥ずかしいのですが。

私自身は、野呂芳男「民衆文化の世界」なるタイトルの年間講義があったことは記憶になく、発掘されたときそれはてっきりゼミのテープかと思いました。もちろん、講義の中身は覚えています。倉庫で探せば、当時採ったノートもあるはずです。

岩田さんは、当時のシラバス等に当たってみて下さったのでしょう。ですのでやはり、講義形式の授業だったのだと思います。(さらに、自分が学部時代に何の科目を履修していたか、たまたま手元にある成績証明書から分かります。確かに私は「共通特別講義1」を履修していますので、その内容が「民衆文化の世界」と考えられます。)

さて、3月に開かれる「実存論的神学研究会」での発表の準備として、キリスト教会ユーカリスティアで行われていた「実存論的神学」の講義テープを私も聴き始めました。といっても、冒頭20分ぐらい聴いただけですが、その部分だけでも、今後検討しなければならない神学的な問題提起が凝縮されおり、改めてまだまだ自分は研究が足りないなとの思いを抱かざるを得ません。

野呂芳男の実存論的神学というと、ルドルフ・ブルトマンやパウル・ティリヒの神学の焼き直しでしょ、とか、それらの日本版、のように考えられることがあるようです。しかしそれは大きな誤解です。もちろんそれらの神学者たち(だけではありませんよ、念のため)に大きな影響を受けていることは確かですが、受けた影響と同じくらい、彼ら(だけではありませんよ、重ねますが)に対して批判的な主張も展開されており、その苦悶の結果としてユニークな野呂神学が形成されているとみるべきです。

「実存論的神学」講義テープに話を戻しますが、ノートの記録では2002年5月9日が初回です。テープの存在は同年11月7日からです。2004年1月8日まで、計19回分あります。

ノートの記録によると、初回の講義がとてもおもしろい内容なのですが、私の記憶によれば、当時はユーカリスティア教会が発足したばかりで、信者の皆さんの「学びたい」というご要望に応えることに夢中で、講義を録音しておこうという発想はその半年後になってようやく出てきたのでした。今振り返ると、うーむ、残念。

とにかく当時は、無我夢中で、前だけを見て、神学に伝道に取り組んでいたんですね。今後は、これまでの間に塩漬けにされていたり、とっ散らかっている研究や活動内容を丁寧に塩抜きし、紐解き、整理してゆきます。それが、EMAの活動内容の柱のひとつとなります。(林 昌子)

野呂芳男ゆかりの地&東京下町民衆宗教スポット散策2

2014年01月13日 16時02分53秒 | 野呂芳男研究
 さて前回の続き、マップはこちらです。いよいよこの辺りからは野呂芳男の幼児期から10代までを過ごした実家周辺となります。

7. 生家の地
 深川区(現・江東区)猿江町の実家跡は、今ではテナントビルとなっています。正確にはここが生誕の場所でないのは上述したとおりですが、生まれてまもなくこちらに引っ越してきたのです。実家の家業は「松鶴亭」という洋食屋さんです。父上は今でいう、オーナーシェフでした。上野の精養軒で修行した職人さんです。ちゃんとコック帽もかぶっていたんですよ。
 扇橋の近くには「安田の原っぱ」が広がっていて、そこでバッタやトンボを追い回していたとか。一時期はウサギも飼っていました。
 自宅の前には深川警察署がありました。今ではそれは両国駅近くに移転しています。警察署の先にはホーリネス系の猿江教会があり、そこで石川牧師より受洗しました。

8. 豊川稲荷
 実家の斜め前すぐにあります。かつてはもう少し広かったそうです。母上が、病弱だった自分のためにお百度を踏んでくれたという場所です。今では敷地が縮小され、お百度はできそうにないほど小さくなってしまいましたが、お稲荷さん自体は何とか健在です。

9. 摩利支天
 こちらの場所は実家から100メートルぐらいのところでしょうか。通っていた東川(とうせん)小学校への登下校の途中にあり、市が開かれると古本が売られていたのが楽しみだったそうです。とても親しみのある神様です。東京には、御徒町付近、アメ横の一角にも有名な摩利支天のお寺があります。

10. 出征式場
 昭和20年2月1日、摩利支天からすぐの場所にある、猿江神社の境内で出征式が行われました。「天皇陛下万歳」三唱され、お国のために戦って死んで来いと送り出された場所です。
 昭和19年12月には長男に戦場で死なれたばかりなのに、そのひと月あまり後には末っ子の次男にも赤紙(召集令状)が来たことで、母上はすっかり体調を崩してしまいました。当時19歳の野呂は麻布連隊に配属され、そして、どうか自分の代わりに生き延びて欲しいと願った深川の家族が、3月10日の大空襲の犠牲となり命を落とすことになりました。
 
11. 旧・都立第三中学校
 現・両国高校です。ここには中学4年まで在籍しました。当時中学は5年制でしたので、つまり野呂は中学を修了せずに中退したのです。そのあたりの描写はこちらを参照ください。
 中学を早期中退した理由は、「軍事教練から一刻も早く逃れたかったから」。私立大生、中でも「軟弱な」慶應生になってしまえば、あまり軍事教練も真面目にやらなくて済むだろうということで。そのもくろみはある程度、的を射たのでした。予科に入学してから2年間は、戦争中であったにもかかわらず割合落ち着いて勉強できてそれは有り難かったそうです。つかの間の、人生のうちで幸せな時期でした。しかし法学部に進学した頃からは大学生も勤労動員の対象となり、そしてその後は徴兵され、結局は慶應大も中退せざるを得なくなってしまいました。

12. ツアー終了地点
 両国高校から京葉通り沿いを西に向かい、両国駅をツアー終了地点としました。かつて総武線は、両国駅が終点でした。3月10日から3日後、軍隊から休暇をもらって実家に向かう途中に両国駅に降り立った野呂は、『民衆宗教とキリスト教――十字架と蓮華』で次のように書いています。その時、両国駅から東京湾までが見渡せられたと。下町は一面焼け尽くされ、何も残っていなかったため数キロ先の東京湾まで見渡せたということです。

野呂芳男ゆかりの地&東京下町民衆宗教スポット散策1

2014年01月09日 22時54分14秒 | 野呂芳男研究
よっちゃん会なる(勝手に命名)、たまに実現する同窓会的な会、成り行きから散歩しよう!ということになり、それならばということで、タイトルにあるような散歩をすることになりました。せっかくなので、ルートについてちょっとした解説などを付しておきます。

まずは東西線、門前仲町駅で待ち合わせです。
1. 深川不動尊
 深川不動尊は成田山新勝寺の東京深川版です。門前仲町駅近くには2大宗教スポット、深川不動尊と富岡八幡宮がありますが、5日ですとまだ初詣客で賑わっていました。人気は、より庶民的な深川不動尊の方、というのは相変わらずです。DJポリスならぬDJ僧侶というべき、「お立ち台」から参拝客を拡声器で案内している様子に思わず、庶民のお寺だねぇと感心。かしこまった感ゼロですから(笑)。
 が、ちょっと待った!その参道途中にある永代寺を見落とすわけには参りません。ここにはなんと、民衆宗教的信仰ど真ん中ともいうべき歓喜天が祀られています。しかし歓喜天につきましては、秘仏であること以外はここでは割愛させていただきます。
2. 富岡八幡宮
 最近では、ここの大きな神輿が倉庫に収められているのが、ガラス張りによって展示されています。ここから、野呂の実家のあった猿江までは結構距離があるのですが、かつては猿江町も氏子の範囲に入っていたようです。野呂が幼い頃、ここの神輿(から延長コードのようにつながった縄と思われますが)を担いだそうです。
3. ゑんま堂
 次は門前仲町から隅田川に掛かる新大橋を目指します。その途中に、この閻魔堂があります。
4. 清洲橋
 新大橋に着くはずが、もう暗かったので道を誤って、ひとつ下流側の清洲橋に着いてしまいました。まあよいでしょう。こちらから新大橋を臨みます。「自分と出会うイエスと出会い、不条理と闘う」に登場する途中の橋の様子や、隅田川のかもめはかつてと変わっていません。
5. 小名木川(おなぎがわ)―清澄周辺
 元来は野呂の生家は、小名木川の清澄庭園近くにありました。生まれてすぐに、(おそらく関東大震災の反省からと思われます・未確認)小名木川の拡張護岸工事が行われることになり、生家があったところはそれ以来、小名木川の川底になってしまいました。
6. 大空襲犠牲者のためのお地蔵様
 高橋(たかばし)の「のらくろーど」と通ろうと思ったら、こちらも道を間違えてスルーしてしまいました。「のらくろ」の作者・田河水泡の資料館があります。個人的には「蛸の八ちゃん」のグロかわゆさも好きです。のらくろーどを背後に大横川手前まで来ると、東京大空襲犠牲者のためのお地蔵様がいらっしゃいます。静かに手を合わせました。

(近日中に2へ続く)

論文2点

2013年11月15日 20時27分29秒 | 野呂芳男研究
・「神学における歴史と自然の問題――特にその倫理との関連について――」
『紀要』第九号、青山学院大学文学部、1965年。
 青山学院大学opacで調べてみたところ、当該『紀要』は現在マイクロフィルムで保存されているようです。私立大学の図書館は大体、一般には公開されていないこともあって、これの中身を読むには極めてアクセスが悪そうです(この本が手元にあってまずはよかった…)。
 後記には「この小論は、青山学院大学キリスト教教育研究所の所員である私の、研究発表の意味をもかねたものである。〈1965年10月7日〉」とあります。
 他の方々の論文も大変読みがいがあると思いますので、さしあたり目次の画像のみアップしておきます。



・「我等は教会の時代に生きている」
『いづみ』No. 36、青山学院教会、昭和35年12月20日。
1960年のクリスマス特集号と編集後記にあります。これは「神学生会」によって編集されている機関誌で、ガリ版印刷です。実は野呂芳男の論文以外も特集号にふさわしく、内容が盛りだくさんで充実しています。
 今年、これの発行53年後のアドベントに合わせ、内容をアップできるようでしたら試みてみようと思います。
(林昌子)

『キリスト教と倫理』発掘

2013年10月24日 23時00分12秒 | 野呂芳男研究
*この記事は後に訂正箇所があります*
冒頭、「書誌に載っていない」は誤りです。ホームページ掲載の書誌にはちゃんと載っているのを確認しました。どうやら私の頭の中の「書誌」から脱落していただけのようです。(10月30日後記)

まだ、「書誌」に載っていない、私自身もその存在をこれまで知らなかった野呂芳男の著書を新たに発掘しました。


『キリスト教と倫理』(キリスト教文化講座シリーズ3)、発行は青山学院初等部、1968年で非売品とあります。

この度の蔵書整理の機会ではなく、ヤフオクで偶然の発掘でした。今日届いたばかりです。

あとがきには、「これは昭和三十八年に、六回にわたって青山学院初等部においてお母さんたちのためになされた講演の筆記である。」とあります。それだけに、『実存論的神学と倫理』よりも実践的な内容に、つまり、かなり現実に即したキリスト教倫理の内容になっています。たとえば第1講と第2講では、「結婚と性の倫理」が取り上げられているという具合です。(林 昌子)



小論を新たに発見

2013年04月16日 23時16分39秒 | 野呂芳男研究
「愛・人格の創造」という小論が新たに見つかりました。

『賀川豊彦全集15』に関して、キリスト新聞社刊の月報3、昭和37年11月10日に配本されているらしいです。(直接的には未確認です。)検索で、たまたま発見した資料です。アップしてくださったkeiyousanさん、感謝申し上げます。

こちらは私も初めて読む文章です。賀川豊彦関連の文章、必ずどこかにあるとは思っていましたが、野呂芳男がこのようなことを書いていたとは……「口伝」として聞いていたことが文字として残っていた!という、ある種考古学的発見の喜びです。(林昌子)

最終講義テープ

2013年04月12日 23時28分31秒 | 野呂芳男研究
管理のずさんさをさらけ出すようなトピックで気が引けます。が、備忘録としてアップしておきます。

普段そこまでは開けない、という机の引き出しの奥から今さっき、立教大学定年退職の際の最終講義を録音したテープが出てきました。ラベルには「1991年1月17日(木)10:40~12:10 最終講義 立教大学チャペルにて」とあります。

残念ながら、現在私の手元に動作可能なテープレコーダーがありませんので、音の再生は未確認です。一応、学科の紀要にはその大要が掲載されましたが、こちらの方は音源ですから、それはそれで臨場感とか、一字一句の話し言葉とか、それとは違いがあるでしょうね。(林昌子)

野呂芳男の本を古本で手に入れよう

2013年04月09日 21時41分24秒 | 野呂芳男研究
 ユーカリスティア記念協会の主要事業の一つは、野呂芳男研究です。そこには、学問的な内容の検討はもちろん、先生の蔵書や遺稿や整理、出版なども含まれます。

 さて、野呂研究のためにはもちろん野呂先生の著作が最低限必要ですが、先生の著作は今とても手に入りにくい状態にあります。出版されてい雑誌論文などに関しては、野呂芳男ホームページにアップされてますが、出版された本の多くは品切れなっています。では、どうすればよいか。一つは図書館を利用することですが、地元の市立図書館などにはおそらくおいていないでしょう。そこで、考えられるのは古本を手に入れることです。幸いネットで古本が探せる時代になりました。今日は、野呂芳男の著作の古本について調査してみます。

 野呂先生には10冊の単著があります。(詳しくは野呂芳男HPを参照)。

・『ウェスレー』1963年、日本基督教団出版局
・『実存論的神学』1964年、創文社
・『実存論的神学と倫理』1970年、創文社
・『ウェスレーの生涯と神学』1975年、日本基督教団出版局
・『神と希望』1980年、日本基督教団出版局
・『ウェスレー』1991年、人と思想シリーズ95、清水書院
・『キリスト教と民衆仏教――十字架と蓮華』1991年、日本基督教団出版局
・『キリスト教の本質』1995年、松鶴亭(出版部)
・『キリスト教神学と開けゆく宇宙』1996年、松鶴亭(出版部)
・『ジョン・ウェスレー』2005年、松鶴亭(出版部)

このうち清水書院の『ウェスレー』は今も新刊で入手可能です。また、松鶴亭(出版部)の『ジョン・ウェスレー』も、松鶴亭(出版部)へ注文すれば新刊が手に入ります。松鶴亭から出版された『キリスト教神学と開けゆく宇宙』も少数の在庫があります。しかし、それ以外の本はすべて品切れです。では、古本はどうか。「Amazon」と「日本の古本屋」を調べると結構出回っています。

 一番高値をつけているのは、『ウェスレーの生涯と神学』で、33.760円です。最安値でも8,000円。日本のウェスレー研究の基礎を気づいた名著で、ウェスレーに関心のある人なら一冊は持っておくべき本です。近所の古本屋で5,000円くらいで売っていたら、それは迷わず「買い」でしょう。

 第二位は、『実存論的神学』で17,500円。最安値は8,000円です。一時代を画した神学書で、間違いなく日本の神学史に残る一冊です。私は数年前、大学図書館の廃棄図書を無料で手に入れましたが、本当にラッキーでした。ちなみに、晩年の先生がこの本に手直しされた改訂版の原稿が実は存在します。これはいつか世に出さなければならないもので、そういうことをするのが我々の務めの一つです。

 第三位は、『神と希望』の8,000円。これは「日本の古本屋」で調べると、2,200円の安値で売っているところがありました。この本は、実存論的神学が思わぬ方向に展開していった軌跡を記した実に味わい深い本です。先生は実に貪欲に様々なものを自分の神学のうちに取り入れていかれたという感があります。1冊で相当楽しめるので、これは買いです。

 第四位、『ジョン・ウェスレー』の6,905円。先にも記したように、これは松鶴亭へ注文すれば定価3,500円で変えます。最安値は1,500円というのがあります。(「日本の古本屋」)

 第五位、『キリスト教と民衆仏教』の6,000円。これはなんと850円で売っているところがあります。(「日本の古本屋」)「鉛筆、色鉛筆等罫線、書込み多数有り ページ折り多数有り 読めたらいい方向き」となっていてふつうなら敬遠してしまいがちですが、私などいったい誰がどんな書き込みをしているのだろうという興味がわいてきて、注文しようかと迷いましたが、出来るだけ多くの人に読んでいただきたいので遠慮しておきます。

 第六位『実存論的神学と倫理』の5,000円です。これは最安値で1,000円です(「Amazon」)。『実存論的神学』は、野呂先生が自分の独自の神学姿勢を確立される苦闘の中で書かれた本で、無我夢中で書かれている感がありますが、その数年後に書かれた『倫理』の方には、ご自分の立場をある程度冷静に眺める視線が入ってきているため、叙述が整理整頓されています。第1章などは実存論的神学入門としても読めるのではないでしょうか。1,000円は大いに買いです。

 こうして古本がネットで容易に見つかるようになったのはここ数年のことです。これを読んでくださった方が、今出ているものをすべて購入してしまったら、もう古本さえ手に入らなくなるかも知れません。ユーカリスティアが一番やらなければならない活動は、何らかの形でそれらを再刊することかも知れません。

(なお、価格は2013年3月26日現在のもので、別途送料がかかります)。
                                                (岩田成就)