昨年の年末あたりから、哲学系の学会やワークショップに参加する機会をもつことができました。そこで出会った方々は、皆いい人たちばかりだったし、内容的にも色々と刺激をいただいたことはまず申し上げなければなりません。ありがとうございました。
今アカデミズムとは無関係な、一般社会の中で自らの知識や技を切り売りするような数々の仕事の現場に身を置いている私が出会うのは、「お勉強がキライ」な方々がほとんどだったりします。勉強はキライだ、あるいはキライだったけれども、今の○○ができないところを、何とかできるところまでもっていきたいというニーズに応えるお仕事は、刺激的でもありいろいろと学ばせていただいています。ちなみにこのようなニーズに応えるお仕事を、世間では講師職と呼んでいますが。
一方、学会に出てこられる方々のほとんどは、それらの方々とは対照的です。彼らは大概「お勉強が好き」な方々です。一般社会の人たちからすれば、変人の集団かもしれません。何しろ普通は嫌われているお勉強を、好きだという人たちですからね。
そのような愛すべき変人の方々との交わりの中で――といっても、せいぜい狭い分野の哲学系の世界を垣間見たに過ぎませんが――最近切に思ったこと。それは、ますますの、神学と哲学との、嘆かわしい乖離です。
神学、とくに組織神学や神学思想系の分野は、哲学はじめ他の学域との対話なしには成り立たないはずです。自分が神学専攻だからそう思うのですが、おそらく哲学側の方々にしても事情は似ていて、神学研究の現状を知ることなしに、ある分野の哲学上の議論は成立しにくいのではないでしょうか。それなのに、両者がお互いのことを知ろうとしていない。この両者のますますの乖離という現状は、お互いの怠慢の結果と言わざるを得ません。
もっと端的にいえば、哲学系の人々は意図的に、あるいはそれさえなしに、神学上の問題意識を無視しているし、神学側の人々は、多様性にみちた現代社会に追いつくことができなくて、せいぜい身の回りの人々にしか説得力をもたないような世界に籠ってしまっている……厳しい物言いではありますが、私の正直な実感です。
確かに、とくに人文科学研究を取り巻く環境は今、最悪です。いちいち言及はしませんが、そうなった理由は様々だと考えられます。上に挙げた、私たちの側の怠慢も原因のひとつでしょう。いずれにせよ人文系アカデミズムに対する社会の無関心さには、絶望的な気分にもなります。
しかしだからこそ、私たちは自由に研究ができるとも考えられないでしょうか。日本の社会が、これほどまでに人文系研究に冷淡であるのならば、いっそのこと、その筋の専門家たちは自由に好きなことをすればよいのです!
もうとっくにそうしている、そんなことは昔からそうであって今に始まったことではないとおっしゃる方々もいらっしゃると思います。実際、ここ1ヶ月間で私が実感したのは、アカデミックに勤勉な方々もまだまだ日本には健在だということでした。
今年は、このような思いに共感してくださる方々と仕事をすることによって、個人的には神様へのご奉仕により多くの時間が割けるようになればよいなと願っています。(林 昌子)
今アカデミズムとは無関係な、一般社会の中で自らの知識や技を切り売りするような数々の仕事の現場に身を置いている私が出会うのは、「お勉強がキライ」な方々がほとんどだったりします。勉強はキライだ、あるいはキライだったけれども、今の○○ができないところを、何とかできるところまでもっていきたいというニーズに応えるお仕事は、刺激的でもありいろいろと学ばせていただいています。ちなみにこのようなニーズに応えるお仕事を、世間では講師職と呼んでいますが。
一方、学会に出てこられる方々のほとんどは、それらの方々とは対照的です。彼らは大概「お勉強が好き」な方々です。一般社会の人たちからすれば、変人の集団かもしれません。何しろ普通は嫌われているお勉強を、好きだという人たちですからね。
そのような愛すべき変人の方々との交わりの中で――といっても、せいぜい狭い分野の哲学系の世界を垣間見たに過ぎませんが――最近切に思ったこと。それは、ますますの、神学と哲学との、嘆かわしい乖離です。
神学、とくに組織神学や神学思想系の分野は、哲学はじめ他の学域との対話なしには成り立たないはずです。自分が神学専攻だからそう思うのですが、おそらく哲学側の方々にしても事情は似ていて、神学研究の現状を知ることなしに、ある分野の哲学上の議論は成立しにくいのではないでしょうか。それなのに、両者がお互いのことを知ろうとしていない。この両者のますますの乖離という現状は、お互いの怠慢の結果と言わざるを得ません。
もっと端的にいえば、哲学系の人々は意図的に、あるいはそれさえなしに、神学上の問題意識を無視しているし、神学側の人々は、多様性にみちた現代社会に追いつくことができなくて、せいぜい身の回りの人々にしか説得力をもたないような世界に籠ってしまっている……厳しい物言いではありますが、私の正直な実感です。
確かに、とくに人文科学研究を取り巻く環境は今、最悪です。いちいち言及はしませんが、そうなった理由は様々だと考えられます。上に挙げた、私たちの側の怠慢も原因のひとつでしょう。いずれにせよ人文系アカデミズムに対する社会の無関心さには、絶望的な気分にもなります。
しかしだからこそ、私たちは自由に研究ができるとも考えられないでしょうか。日本の社会が、これほどまでに人文系研究に冷淡であるのならば、いっそのこと、その筋の専門家たちは自由に好きなことをすればよいのです!
もうとっくにそうしている、そんなことは昔からそうであって今に始まったことではないとおっしゃる方々もいらっしゃると思います。実際、ここ1ヶ月間で私が実感したのは、アカデミックに勤勉な方々もまだまだ日本には健在だということでした。
今年は、このような思いに共感してくださる方々と仕事をすることによって、個人的には神様へのご奉仕により多くの時間が割けるようになればよいなと願っています。(林 昌子)