3月20日に開催された日本基督教学会関東支部会で研究発表しました。
以下はA4一枚にまとめた要約です。電報のような簡潔さです。発表原稿は約10枚で、←こちらでさえ、「いろいろとはしょっちゃたなあ」と冷や汗かきながら簡潔にまとめてありますから。というわけで、ほとんど「何言ってるのか分からない」でしょうが、一応アップしておきます。(林昌子)
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「メソジスト宗教箇条から提起される課題―削除された条項からみえるもの」
1. 「25箇条」の成立概略
1784年、英国国教会司祭でありメソジスト運動の創始者ジョン・ウェスレーは、すでにアメリカに渡りメソジスト運動を展開していた3人の説教師たちに、新たな「メソジスト監督教会」の設立を許可した。その際に彼は、『祈祷書』とともに、メソジストが守るべき「宗教箇条」を書き送った。その24条(後に1条追加された)からなる宗教箇条は、自らの属する英国国教会の宗教箇条39箇条の変更や削除を施したものであった。
確かに変更箇所の多くは「読みにくい部分をより分かり易くしただけ」ともいえるが、削除された条項についてはいずれも、それだけでは到底片付けることはできない。それらは「困惑を誘う」「疑問を抱かせる」とユリゴイェンが言うとおりであり、神学上重要な論点が潜んでいることを示唆する。研究者はそれを看過してはならない。
2. 第8条「3信教について」の削除
削除された条項は15ある。それぞれが神学上の論点として重要であり、さまざまな問題提起がなされ得るが、今回は第8条の削除を取り上げる。すなわち、「3信教、すなわちニケヤ信経、アタナシオ信経、およびいわゆる信徒信経は、全面的に受け入れられ、また信ぜられるべきものである。(後略)」であるが、ここを敢えて削除したウェスレーの意図はどこにあるのかについて検証する。
3. メソジスト宗教箇条の、これまでの扱いについて
200年あまりの間、「メソジスト宗教箇条25条」は、ウェスレーによる『新約聖書注解』および『標準説教』と合わせてメソジスト教義の礎とされてきた。この間、それらの教義を保持する重要性については幾度となく強調されてきた。25箇条は、アメリカの合同メソジスト教会(UMC)の教義であるだけではない。日本を含めアメリカ以外の国々・地域でもメソジストの最重要教義と定められてきた。メソジストの教義ついては、最近30年間ほどはとりわけ、上記(あるいはそれ以外の要素)のうち「どれを教義とすべきか」という、メソジストとしての正統性を定義することに議論が集中している感がある。しかし、むしろ求められているのは、神学はもちろん、広く学際的な見地から、ウェスレーが削除した条項の意味することは何かについての神学的、解釈学的議論であると私は考える。
以下はA4一枚にまとめた要約です。電報のような簡潔さです。発表原稿は約10枚で、←こちらでさえ、「いろいろとはしょっちゃたなあ」と冷や汗かきながら簡潔にまとめてありますから。というわけで、ほとんど「何言ってるのか分からない」でしょうが、一応アップしておきます。(林昌子)
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「メソジスト宗教箇条から提起される課題―削除された条項からみえるもの」
1. 「25箇条」の成立概略
1784年、英国国教会司祭でありメソジスト運動の創始者ジョン・ウェスレーは、すでにアメリカに渡りメソジスト運動を展開していた3人の説教師たちに、新たな「メソジスト監督教会」の設立を許可した。その際に彼は、『祈祷書』とともに、メソジストが守るべき「宗教箇条」を書き送った。その24条(後に1条追加された)からなる宗教箇条は、自らの属する英国国教会の宗教箇条39箇条の変更や削除を施したものであった。
確かに変更箇所の多くは「読みにくい部分をより分かり易くしただけ」ともいえるが、削除された条項についてはいずれも、それだけでは到底片付けることはできない。それらは「困惑を誘う」「疑問を抱かせる」とユリゴイェンが言うとおりであり、神学上重要な論点が潜んでいることを示唆する。研究者はそれを看過してはならない。
2. 第8条「3信教について」の削除
削除された条項は15ある。それぞれが神学上の論点として重要であり、さまざまな問題提起がなされ得るが、今回は第8条の削除を取り上げる。すなわち、「3信教、すなわちニケヤ信経、アタナシオ信経、およびいわゆる信徒信経は、全面的に受け入れられ、また信ぜられるべきものである。(後略)」であるが、ここを敢えて削除したウェスレーの意図はどこにあるのかについて検証する。
3. メソジスト宗教箇条の、これまでの扱いについて
200年あまりの間、「メソジスト宗教箇条25条」は、ウェスレーによる『新約聖書注解』および『標準説教』と合わせてメソジスト教義の礎とされてきた。この間、それらの教義を保持する重要性については幾度となく強調されてきた。25箇条は、アメリカの合同メソジスト教会(UMC)の教義であるだけではない。日本を含めアメリカ以外の国々・地域でもメソジストの最重要教義と定められてきた。メソジストの教義ついては、最近30年間ほどはとりわけ、上記(あるいはそれ以外の要素)のうち「どれを教義とすべきか」という、メソジストとしての正統性を定義することに議論が集中している感がある。しかし、むしろ求められているのは、神学はもちろん、広く学際的な見地から、ウェスレーが削除した条項の意味することは何かについての神学的、解釈学的議論であると私は考える。