菅円吉『カール・バルト研究』(昭和43年)に挟んであった、ニューヨーク・タイムズ紙によるバルトの訃報・追悼記事です。
菅先生のご著書発行‐バルトの死去年‐野呂芳男がニューヨーク・タイムズ紙の当記事をこの本に挟んでおいた、という出来事の年代的整合性が、資料整理作業中は頭の中でうまくつながりませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/d3/d6746e0d45371422b1d9c1c651f80b9c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/99/9afa841abf0473fa2a2dbcb67636ee63.jpg)
要するに、野呂は帰国後もニューヨーク・タイムズを購読していたということなのでしょう。学者にとって情報収集は大切な仕事ですが、当時は今とは違ってメディアが限られていた時代です。ツイッターなどで、誰かの訃報が瞬く間に国際的に広まるということがない代わりに、その分、当時は情報のひとつひとつがもっと貴重だったように思います。
このように、野呂が保存していたスクラップなどで、保管スペースの問題上、廃棄せざるを得なかったファイルもあります。美術ポストカードなどのスクラップなどがそれにあたります。それにしてもマメな人だなあと関心もしますが、野呂にとってそういった作業自体、当時ささやかな楽しみのひとつだったのかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/ed/6710810b1f4ec508201a1732db4b8e13.jpg)
本書は1968年発行で、バルトの死去年も1968年ですので、この記事もその年に書かれたものと思われます。紙面半ページほどに書かれた記事は、バルトについて簡潔にしかも分かりやすく丁寧に紹介されており、記者の力量がうかがわれます。記事の内容が濃いです。(林昌子)
菅先生のご著書発行‐バルトの死去年‐野呂芳男がニューヨーク・タイムズ紙の当記事をこの本に挟んでおいた、という出来事の年代的整合性が、資料整理作業中は頭の中でうまくつながりませんでした。
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要するに、野呂は帰国後もニューヨーク・タイムズを購読していたということなのでしょう。学者にとって情報収集は大切な仕事ですが、当時は今とは違ってメディアが限られていた時代です。ツイッターなどで、誰かの訃報が瞬く間に国際的に広まるということがない代わりに、その分、当時は情報のひとつひとつがもっと貴重だったように思います。
このように、野呂が保存していたスクラップなどで、保管スペースの問題上、廃棄せざるを得なかったファイルもあります。美術ポストカードなどのスクラップなどがそれにあたります。それにしてもマメな人だなあと関心もしますが、野呂にとってそういった作業自体、当時ささやかな楽しみのひとつだったのかもしれません。
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本書は1968年発行で、バルトの死去年も1968年ですので、この記事もその年に書かれたものと思われます。紙面半ページほどに書かれた記事は、バルトについて簡潔にしかも分かりやすく丁寧に紹介されており、記者の力量がうかがわれます。記事の内容が濃いです。(林昌子)