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ユーカリスティア記念協会のブログ

できるところまで、できることから始めちゃうのだ。
歩みは遅いけど、自由です。

ラジオ放送原稿「宗教的回心について」

2015年05月06日 12時56分39秒 | アーカイブス
発掘しました。

「昭和59年(1984年)8月12日(日)朝6:30-7:00(NHK第二〈ラジオ放送〉「宗教的回心について」私の放送原稿)」

とあります。
 

手書き、400字原稿用紙25枚。

NHKアーカイブス、ラジオ放送の保存はどうなっているのでしょうか。今後音声の方も見つかるとよいですね。
うーむ、テレビの方も出演があったのではないかと思うのですが…。

NYタイムズのカール・バルト訃報記事

2014年03月09日 21時54分06秒 | アーカイブス
菅円吉『カール・バルト研究』(昭和43年)に挟んであった、ニューヨーク・タイムズ紙によるバルトの訃報・追悼記事です。

菅先生のご著書発行‐バルトの死去年‐野呂芳男がニューヨーク・タイムズ紙の当記事をこの本に挟んでおいた、という出来事の年代的整合性が、資料整理作業中は頭の中でうまくつながりませんでした。




要するに、野呂は帰国後もニューヨーク・タイムズを購読していたということなのでしょう。学者にとって情報収集は大切な仕事ですが、当時は今とは違ってメディアが限られていた時代です。ツイッターなどで、誰かの訃報が瞬く間に国際的に広まるということがない代わりに、その分、当時は情報のひとつひとつがもっと貴重だったように思います。

このように、野呂が保存していたスクラップなどで、保管スペースの問題上、廃棄せざるを得なかったファイルもあります。美術ポストカードなどのスクラップなどがそれにあたります。それにしてもマメな人だなあと関心もしますが、野呂にとってそういった作業自体、当時ささやかな楽しみのひとつだったのかもしれません。



本書は1968年発行で、バルトの死去年も1968年ですので、この記事もその年に書かれたものと思われます。紙面半ページほどに書かれた記事は、バルトについて簡潔にしかも分かりやすく丁寧に紹介されており、記者の力量がうかがわれます。記事の内容が濃いです。(林昌子)

小田切文庫目録と巻頭言

2014年03月07日 00時18分17秒 | アーカイブス
立教大学新座キャンパスの図書館に、「小田切文庫」という個人寄贈による保存文庫があります。医師であり、キリスト教の良き理解者でもあった小田切信男氏が所蔵していたキリスト教関連の本を、氏の死後、奥方である小田切道子氏から野呂芳男を経由して、立教大学に寄贈されたのです。

この経緯の記述はもちろんありますし、目録の巻頭では野呂芳男が当文庫の意義について述べています。

小田切文庫の存在は、今ではネット上の検索によっても分かります。小田切文庫の本にお世話になっている人々も少なからずいることでしょう。立教大学の図書館では、写真の目録は閲覧可能なようですが(ただし、調べてみたら禁帯出扱い)、特に私立大学図書館は外部からのアクセスが難しいので、これらは手元にあっていい資料です。昭和時代のキリスト教関連の和書7212冊その他が、とにかく一瞥して確認できるという資料の価値は高いといえるでしょう。

さらにたとえば、「野呂芳男は小田切信男氏の本を、『古本屋に売っても二束三文にしかならない』と言いながら全てそれらを古本屋に売った」と事実と違うことを言う人に対しては、それは違いますよと説明申し上げるのにこのような資料があると面倒でなくてよいです。(林昌子)

サイン本&贈り物の本

2014年03月05日 01時16分42秒 | アーカイブス
まずはこちら、ラングドン・ギルキーからのサイン本。ギルキーは基本的にシカゴ大学系の神学者といえますが、京都大学でも教えたことがあります。



表紙カバーがかなり傷んでしまっているけれど挿絵のすばらしいチャーミングな本だなあ、ルターのクリスマスブックが出ていたなんて。かわいい本、と思ったら……この本、野呂の恩師エドウィン・ルイスからのクリスマス・プレゼントでした。なんて素敵なクリスマス・プレゼントでしょう。



なお、本をおさえている画面下方の黒くて丸っこいのは私の膝です(林昌子)

あぶない、あぶない

2014年02月25日 19時27分30秒 | アーカイブス
いよいよ建物解体作業開始まであと2週間という今、資料の保存作業は最終段階に入っています。

ところが、「もうここはチェックした、救える本はないはず」と思っていた物置から、ヘルムート・ゴルヴィツァーの編集したカール・バルト著『教会教義学』が出現して冷や汗。

以前から述べているように、残念ながら遺されたすべての本を救出できるというわけではありません。本の状態や保存できるスペースの限界を兼ね合わせて考慮し、瞬時に優先順位をつけながらこれまで運び出しをしてきたわけです。(当然ミスジャッジもあると思われます。これも実にコワい。)



この本自体は、特にキリスト教系の大学図書館であればどこでも所蔵しているでしょうし、日本語訳にこだわらなければ、ドイツ語・英語版ではまだ比較的手に入りやすいと思います。実際、倉庫には既に英語版は保存されていると思いますし(自分が学生時代に購入した記憶もあり)、ドイツ語版もあったような気がします。だからこちらを見逃していたのでしょうか。

作業中、パラパラっとページをめくって、思わず「うわっ」と言ってしまいました。そこには、野呂芳男筆跡の書き込みが多数見られたからです。そこが、この資料の貴重度を高めているところであったりします。個人的に。



昨日は、その後の仕事に追われて中途半端に切り上げた分、まだこのような本が結構たくさんあるかもしれないと、余計気になってしまいます。

箸より重い物を持ったことがない御嬢さまな私としましては(大嘘)、もっとテキパキと動ける強靭な肉体の持ち主であったらよかったのにと思います。2週間あるとはいえ、時間が取れるのはあと数回でしょう。しかしたぶんこれだけの時間があれば、やり残した感なしに作業を終えられると思います。これまでご協力いただいた岩田さんのお陰様が大きいんです。感謝。(林昌子)

武内書簡など

2013年11月15日 00時05分39秒 | アーカイブス
資料・本の整理もそろそろ一区切りの終わりまでがようやく見通せてきたようです。本日の発掘分につき、取り急ぎ本以外の特筆すべき資料を以下に備忘録として挙げておきます。

・武内義範からの直筆書簡
 昭和55年の初冬頃と思われます。日付は「廿一日」のみ。手紙っていいですねえ、本当に。抜刷りや切抜き記事が同封されています。

・指導した学生たちの博士論文、修士論文等4名分。

・エドウィン・ルイスの雑誌掲載論文を、野呂芳男がタイプして写したもの。
①Edwin Lewis, “The Fatal Apostacy of the Modern Church,” Religion in Life, Autumn Number, 1933.
 検索したところ、Religion in Life(季刊誌)はAbingdon Pressが1932から1980にかけて出版していたようなので、従って現在は廃刊ということでしょうか。
②Lewis, “From Philosophy to Revelation,” The Christian Century Volume LVI Number 24, 1939.
 こちらはまだ現役の老舗雑誌です。この論文はアーカイブで見つけられるのかもしれませんが、しかしそれも容易ではないでしょう。

・個人的には目新しい資料ではないものの、『ウェスレーの聖霊論』(ウェスレーとメソジズム双書4、ウェスレー協会、1969年)掲載論文はどれも参考になります。ちなみに野呂芳男論文は「ウェスレーの聖霊理解と近代精神」です。

・①昭和32年「基督教新報」第3075号以下で連載されている土居真俊「ティーリッヒ神学の諸問題」、および②1954年ユニオン神学校におけるパウル・ティリヒの説教2つ、それと③Systematic Theology FOURTH Part のコピー、これら3つの資料が手製で糸綴じされている資料。
 土居先生の論文は読みやすく、読み応えがあります。
 ところでティリヒの『組織神学』第4巻って、やはりもうどこかで発表されているのでしょうか(毎度ながら、自分で調べようとしない怠惰な私)。このコピーには一応、”Preliminary Draft for the private use of my students only.”って書いてありますけれども。


その他発掘で、ぅをーっと思わず奇声を発してしまうような本もまた多々ありまして、これらを思う存分に活用できるよう、試行錯誤を重ねているこの頃です。(林昌子)

蔵書・資料について初報告

2013年10月10日 13時15分33秒 | アーカイブス
大きな荷物の引越しを済ませ、これでやっと、全体を見渡すことができたといえるかもしれません。全体を確認できたのではなく、全体を見渡すことができた、というところがポイントです。

つまり、どのような本や資料があるのかを全て把握したというにはまだ程遠いのですが、全体として本が何冊ぐらいあるか、神学とそれ以外の分野の比率が大体どのような感じか、そのくらいであれば8、9割方見通せたという意味です。

1箱に詰めた本の数×箱数から、活用可能な本の数が全体としてどれくらいあるかを概算してみました。たぶん、6000冊前後と思われます。ふう。

それ以外に、貴重な資料がいっぱいです。「いっぱい」などと曖昧な表現を使わざるを得ないのにはわけがあります。今年9月に入ってから始めることのできた資料へのアプローチ以来、未出の野呂芳男のエッセイ等に多く直面したり、20世紀後半の神学史に関する生の資料に直面し、個人的には興奮の連続でした。しかしこれらが果たして、社会的にどれだけのニーズがあるのかを思い、今日の神学の斜陽的状況からすると少々自信を失いかけるのです。

したがって自信満々にこれはすごいぞと公言する勇気も出ず、比較的主観的な数の多さの表現である「いっぱい」を使わざるを得ない、ということ。

それでも個人的には至極満足であることには変わりはなく、それで私はもう十分です。

十分ですが、しかし同時にこうも思うのです。やはりこれらは現在そして将来にわたって、皆で共有すべきだ財産だ、とも。そしてこの思いをすでに共有して下さっている方々がいるということに喜んでいます。(林 昌子)

ティリヒからの郵便

2013年10月04日 22時06分40秒 | アーカイブス
資料の発掘を進めています。野呂芳男の未発表論文・エッセイや神学者たちとの直筆交信記録などの“最”重要資料だけは持ち帰ろうと思っていたところ、それらが予想外に多くてダンボール一杯になってしまいました。とりあえず今日手元に持ち帰ったのがこれ。パウル・ティリヒから野呂芳男宛の郵便ですが私信ではありません。投函の日付は1960年10月11日です。
肝心の封筒の中身は、“Informal Report on Lecture Trip to Japan‐Summer 1960 Paul Tillich” とあって、ざっと目を通したところ案外ボリュームがあります。冒頭には、これは個人的な日本旅行記であって客観的な研究ではないけれども、旅で抱いた印象は、本人やその哲学にも大きな影響を与えたとあります。

日本側の関係者、とくに仏教関係者の方々や京都大学方面の方々には多く配信されたエッセイだと思われますので、資料価値としては絶対無二というものではないでしょう。ひょっとしてこれ、『ティリッヒ著作集』に収録済みだったりします?(未確認です。)

でもいいですね、郵便って。何かこう、電子メールより味わいがありますね。それにしても、ブログ上では封筒の文字の部分がほとんど見えないかもです。(林 昌子)

蔵書はどこから来たか

2013年09月30日 15時00分54秒 | アーカイブス
野呂芳男がユニオン神学校で博士課程在学中、神学校の図書館でアルバイトをしていた話は割合多くの方々の知るところだと思います。それで1956年の春に日本に帰国するのですが、その際に、ユニオン神学校の図書館からお祝いと餞別を兼ねて大量の本を贈られたという話は、話としては幾度となく私は聞いていました。

好きな本を好きなだけ日本に持っていっていいよ、と図書館から言われたそうです。図書館としても蔵書を持て余していた面もあるのかもしません。蔵書の管理は、どの図書館にとっても宿命的に抱えざるを得ない難題ではありますからね。しかしそうだとしても、この話は当時のアメリカの豊かさを垣間見ることのできるエピソードです。

とにかくそれで、ダンボール何箱か正確には分かりませんが、野呂はかなりの数の本、おそらくはダンボール箱数十箱とともに日本に帰国したのです。もちろん、中身はほとんど神学書が中心で、あとは哲学やディケンズといったところでしょうか。ちなみに帰国の“足”は、当時はまだ船です。

数にすると、少なく見積もってもおそらく1500冊位ではないでしょうか。この数の本を、海を渡って日本に持ち帰ることだけでもかなりの苦労だったろうと思います。そして、その後にそれらを保存することはもっと大変だったようです。しかしそのことが、どれだけ日本の神学に貢献したかを思うと、勝手に感慨深くなります。

そしてこの度、やっとそれら本等との対面が叶いました。まだ全てに目を通したわけではありませんが、半分ぐらいはすでに確認できたかな。

心してそれらを読みこなそうとすれば、ゆうに残りの人生の時間を使い切れそうです。いや、残りの時間では足りなさそうです。

大学の専任になれば研究費も支給されますから本は増えてゆきます。ひと様からいただく本などもあります。今、それら野呂芳男から受け継いだ本等の整理に入っているところですが、今更ながら嘆息するのは、それらの本は大体すべて読み通されている形跡が伺えるところです。線が引いてあったり、コメントが付してあったり。ふぁ~。

あるのは貴重な本ばかりなのに、残念ながら、廃棄せざるを得ないほどに傷んでしまっている本も多々あります。本当に心底残念でなりません。それでも救える本たちもいます。それだけでも勇気が湧いてきます。

20世紀前半、これはという本を世に上梓しようと考えた人いる。それらがユニオン神学校の図書館に収まり、その後その本たちは野呂芳男に受け継がれて日本にやってきた。それらは野呂の神学研究に大いに貢献し、野呂もまた、できるだけの力を尽くしてそれらを管理してきた。けれど個人の力ではそれにも限界があって、それらのうち多くがその命をながらえることはできなかった、しかしまだまだ頑張れる本たちもある……これが、その本たちの100年史です。

さて、これからは私たちにそれらが託されました。つくづく、大変なものを贈られたものだと、今更ながら身の引き締まる思いがします。(林 昌子)