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ユーカリスティア記念協会のブログ

できるところまで、できることから始めちゃうのだ。
歩みは遅いけど、自由です。

「豊島教会新聞」に載りました

2013年04月12日 19時40分00秒 | 他の非営利団体との関わり
カトリック豊島教会(St. Patrick’s Church)の教会新聞4月号で、3月10日東京慰霊堂での平和の祈り活動報告に、「女性のプロテスタントの牧師さんも参加」と紹介されています。それ、私のことです。ご紹介に感謝します。

そもそも、どのように私がその新聞を手に入れたかですが、昨日、その時のメンバーが改めて集まって、お食事会があったのでした。もちろん、祈りの会の中心であったI神父も同席です。実は、カトリック教会の神父、信徒の方々とのお食事はもちろん、お話しする機会さえこれまで私にはあまりなかったのです。(それでもちなみに、『黎明』6号〈未刊〉では、カトリック神学者〈聖書学〉の方との対談が掲載予定でした。その対談記録のテープは保存されてあるはずです。破損がなければよいのですが未確認です。)

というわけですので、私もその集まりを楽しみにしていたのですが、私が待ち合わせ場所に本当に現れたことが先方様方には驚きだったご様子です。それにはさらに私も驚いてしまいました。

もっとも学生時代を含め、林や、そして野呂芳男がどれだけそのような集まり(要するに飲み会のような集まり)に消極的であったかはおそらく、知る人ぞ知るだと思います。実は今なお、私はその手の会合が苦手だったりします。そのようなところがやはり「メソジスト」のように見えるのでしょう(実際そうですが)。それはとにかく、立場の違いを越えて(※)いろいろ「腹を割った」お話しがたくさんできて、とても有意義でした。

(※)さてここでちょっとクイズ。その会では「単細胞」/「屁理屈ヤロー」とお互いの立場を揶揄した表現が出現しました。さてどちらがどちらだったでしょう?(答えは、想像にお任せします。)

私はお酒が入ってもあまり普段と変わらない方だと思います。ですから、殊更昨日に限って本音を吐いてしまったということはないのでした。先方様、とくに神父様などは、これこそエキュメニズムだとご満悦の様子、私もその通りだと思います。そして次の2点について、個人的には今後の課題について再認識ができたと喜んでいます。

まず、私たちのこの活動が冠する名「ユーカリスティア」に大きく関わる、というかそのものなのですが、聖餐式、礼典に対する理解や神学上の問題点を、今までよりもさらに突き詰めて考えてゆく必要があると思っています。このことも、いつか研究会で取り挙げられればいいなと思います。

次に、これは私たちEMAの将来の事業のうちでも大切なひとつですが、「異種」が交流する「場」の提供が必要とされている、それに応えてゆくことを可能にする団体でありたい、という課題です。たとえばエキュメニズムに関して、ローマンカトリック教会の司祭たちの間で、その理念に反対する者はまずいないだろう、とのお話しがありました。ではプロテスタントはどうかといえば、カトリック司祭の方々ほどには統一されていないとは思いますが、やはりその理念に共感する方々が多いのではないかと思います。少なくとも、すでにEMAの活動に賛同して下さっている方々は皆、エキュメニカルな対話について共感しているはずです。(いや、陳腐な臭いを発するようにさえなってきた「エキュメニズム」にではなくて、違う立場の者たちがお互いに腹を割って話合うという本来の意味でのそれに、ですが。)

しかしその「場」が今、不足している、実は、同じ方向に向かう思いはあっても交流ができていないという局面がたくさんあるのだと思います。それはカトリックの方々と、だけの問題ではありません。平和、教育、貧困、福祉、祈り……縦割りになりがちなそれらに関する活動のさまざまな局面で、横のつながりを作れるような存在になれればいいなあと思います。もっとも本当に小さな存在として、で構わないし、むしろそうありたいとさえ願います。(林昌子)

何ができるのかを自問しつつ歩く

2013年04月02日 11時47分56秒 | 他の非営利団体との関わり
2月初め、「新しいアウトリーチの活動を始めます」というお知らせが、貧困問題に取り組む活動家の稲葉剛さんから届きました。つまり夜回り訪問活動をするよ、という呼びかけです。

「いわゆる『ホームレス』と呼ばれる状態の人たちは全国で約1万人、東京都内で約2500人いらっしゃると言われています。
 しかし、ネットカフェやファストフード店に寝泊まりしていたり、安い宿や友人宅を転々としていたりと、実際にはそれ以上に、住まいが不安定で生活にお困りの方はたくさんいらっしゃると言われています。その方達の実数はどの統計資料を見ても分かっていません。
 東京都内を見ても、新宿、渋谷、池袋、山谷地域など、各地で炊き出しや夜回りの活動が継続して行われています。
 しかし一方で、そういった活動が行われていない空白地域の存在や、様々な事情で参加できない人たち、そもそも情報がなくさまよっていらっしゃる方も多くみられます。…… 今、私たちに求められているのは、既存の枠組みの後方支援(相談の部分でのバックアップ)と、既存の枠組みで包摂できていない部分に光を当てること、新たなつながりを届けて行くことです。」


このように稲葉さんはおっしゃいます。この知らせを受けたとき、私がここ3年くらいの間に目にしてきた数々の「ダンボールの家」に住んでいる方々のいる地域は、もしかしたらここに言われている「空白地域」になっているのではないかと感じました。それで、この稲葉さんの活動に加わらせていただくことにしました。

この2ヵ月で夜回りをして分かったのは、やはり「そこ」は空白地帯だった、ということです。それは、竹橋から日本橋にかけての首都高高架下、八重洲付近のJR高架下、さらには茅場町から隅田川にかけての首都高高架下、そして川をさかのぼる方向で浜町を経由して浅草橋までです。その地域は私にとって、シゴト関連で歩き回ったり(あるいは迷うとも言う)、たまにランニングに向かう途中にさまようところであったりします。

この地域には東京証券取引場や経団連ビルなども含まれています。つまり東京の、いや日本の経済・金融の中心地のお膝元で、このような方々と1晩あたり数十人(夜間)に出会ったというのが現実で、それは衝撃的でした。このような方々の様子は私の目にさえ入っていたのですから、ましてや通勤などでその近辺を定期的に通る方々には日常の風景としてこのような街の様子が見えているのではないでしょうか。

とくにキリスト者に限ってみますと、このような問題に対して私たちがどのように向き合っているかといえば、それは十分にというには程遠いと思います。確かにカトリック教会や聖公会の一部ではかなり真剣にそういった問題に取り組む姿も見受けられます。救世軍の社会活動にしてもしかりです。しかし私の知る日本のプロテスタントキリスト教団の世界では、教団としてこのような問題に真剣に取り組んでいるという話は寡聞にして知りません。そもそも私の知る諸キリスト教団の世界がかなり狭いという前提があるにせよ、です。

キリスト教を信仰する者として、またジョン・ウェスレーの信仰と活動、つまりメソジスト運動に倣いたいと願う者として、これは恥ずべき現実というべきです。

4月からの新しいシゴト体制のせいで、私は当面この活動に加われなくなってしまうのが残念です。ですがこの活動自体は続いてゆくのですから、非力ながらも見守っていきたいと思っています。いつかまたできるときが来たら、活動本体に戻りたいです。
だからさ~この活動に名前、そろそろつけておくれよ、稲葉さぁん。(林昌子)

カトリック信者の方々との出会いと交流

2013年03月12日 20時23分25秒 | 他の非営利団体との関わり
3月10日、東京大空襲から68年目の東京都慰霊堂(両国)にて。

日中の初夏のような陽気から一変、冷たい北風が強く吹く中、お堂が閉じられる前にどうにか到着が間に合いました。そこで偶然に、カトリック信者「平和祈願有志の会」の方々と出会うことになったのです。

都の職員らしき人が、がちゃがちゃと片付けを始めている中、10人くらいの集団で祈りを唱えました。極寒の慰霊堂の中でのロザリオの祈りは、まるで修行。といっても、グループで最年少らしき私が、このようなぬるいことを言ってはいけませんね。その日はたまたま十字架のネックレスをつけていたので、それを外してロザリオがわりに(ならないか)。

祈念終了後の喫茶店での懇親会に誘われ、図々しくもそこにも参加させていただきました。それぞれ違った教会に通う方々が、有志としてこのように集まって犠牲者に対して祈り、そして平和を願うということができるのが素晴らしいです。しかもそれが、今回で58回目だそうです。

集まっていたのは、私よりかなり年上の方々がほとんどとお見受けしましたが、その方たちでさえ、大空襲の日を知っているとはいえそれはきっと、子供時代の出来事だったに違いありません。私はその地域にかつて住んでいたことがあること、などから、そのあたりには土地勘があります。ですので、自分が歩いているところにどのような姿で死体が折り重なっていたか、隅田川の様子がどのようであったかを想像することができます。これも、自分が「東京大空襲・戦災資料センター」のサポーターでもあることで、当時の様子を知る機会があるからと、改めてセンターの意義が感じられました。

普段、カトリック信徒とプロテスタント信徒の交流という機会があまりないので、私にとっても新鮮な出会いとなりました。そしてお互いに「隣の芝は青い」と思う部分もあったようです。たとえばプロテスタントの私からすれば、やはりカトリック教会の財政面での安定は羨ましいです。一方、カトリックの方々からすると、それはそうだけれども、プロテスタントは活気があるようにみえて羨ましい、だそうです。

旬の話題といえば、やはりコンクラーベです。この話題でも盛り上がりました。今度は、欧州以外出身の法王が選出されるでしょうか。私にとっても、やはり気になるところです。(林昌子)