野呂芳男がユニオン神学校で博士課程在学中、神学校の図書館でアルバイトをしていた話は割合多くの方々の知るところだと思います。それで1956年の春に日本に帰国するのですが、その際に、ユニオン神学校の図書館からお祝いと餞別を兼ねて大量の本を贈られたという話は、話としては幾度となく私は聞いていました。
好きな本を好きなだけ日本に持っていっていいよ、と図書館から言われたそうです。図書館としても蔵書を持て余していた面もあるのかもしません。蔵書の管理は、どの図書館にとっても宿命的に抱えざるを得ない難題ではありますからね。しかしそうだとしても、この話は当時のアメリカの豊かさを垣間見ることのできるエピソードです。
とにかくそれで、ダンボール何箱か正確には分かりませんが、野呂はかなりの数の本、おそらくはダンボール箱数十箱とともに日本に帰国したのです。もちろん、中身はほとんど神学書が中心で、あとは哲学やディケンズといったところでしょうか。ちなみに帰国の“足”は、当時はまだ船です。
数にすると、少なく見積もってもおそらく1500冊位ではないでしょうか。この数の本を、海を渡って日本に持ち帰ることだけでもかなりの苦労だったろうと思います。そして、その後にそれらを保存することはもっと大変だったようです。しかしそのことが、どれだけ日本の神学に貢献したかを思うと、勝手に感慨深くなります。
そしてこの度、やっとそれら本等との対面が叶いました。まだ全てに目を通したわけではありませんが、半分ぐらいはすでに確認できたかな。
心してそれらを読みこなそうとすれば、ゆうに残りの人生の時間を使い切れそうです。いや、残りの時間では足りなさそうです。
大学の専任になれば研究費も支給されますから本は増えてゆきます。ひと様からいただく本などもあります。今、それら野呂芳男から受け継いだ本等の整理に入っているところですが、今更ながら嘆息するのは、それらの本は大体すべて読み通されている形跡が伺えるところです。線が引いてあったり、コメントが付してあったり。ふぁ~。
あるのは貴重な本ばかりなのに、残念ながら、廃棄せざるを得ないほどに傷んでしまっている本も多々あります。本当に心底残念でなりません。それでも救える本たちもいます。それだけでも勇気が湧いてきます。
20世紀前半、これはという本を世に上梓しようと考えた人いる。それらがユニオン神学校の図書館に収まり、その後その本たちは野呂芳男に受け継がれて日本にやってきた。それらは野呂の神学研究に大いに貢献し、野呂もまた、できるだけの力を尽くしてそれらを管理してきた。けれど個人の力ではそれにも限界があって、それらのうち多くがその命をながらえることはできなかった、しかしまだまだ頑張れる本たちもある……これが、その本たちの100年史です。
さて、これからは私たちにそれらが託されました。つくづく、大変なものを贈られたものだと、今更ながら身の引き締まる思いがします。(林 昌子)
好きな本を好きなだけ日本に持っていっていいよ、と図書館から言われたそうです。図書館としても蔵書を持て余していた面もあるのかもしません。蔵書の管理は、どの図書館にとっても宿命的に抱えざるを得ない難題ではありますからね。しかしそうだとしても、この話は当時のアメリカの豊かさを垣間見ることのできるエピソードです。
とにかくそれで、ダンボール何箱か正確には分かりませんが、野呂はかなりの数の本、おそらくはダンボール箱数十箱とともに日本に帰国したのです。もちろん、中身はほとんど神学書が中心で、あとは哲学やディケンズといったところでしょうか。ちなみに帰国の“足”は、当時はまだ船です。
数にすると、少なく見積もってもおそらく1500冊位ではないでしょうか。この数の本を、海を渡って日本に持ち帰ることだけでもかなりの苦労だったろうと思います。そして、その後にそれらを保存することはもっと大変だったようです。しかしそのことが、どれだけ日本の神学に貢献したかを思うと、勝手に感慨深くなります。
そしてこの度、やっとそれら本等との対面が叶いました。まだ全てに目を通したわけではありませんが、半分ぐらいはすでに確認できたかな。
心してそれらを読みこなそうとすれば、ゆうに残りの人生の時間を使い切れそうです。いや、残りの時間では足りなさそうです。
大学の専任になれば研究費も支給されますから本は増えてゆきます。ひと様からいただく本などもあります。今、それら野呂芳男から受け継いだ本等の整理に入っているところですが、今更ながら嘆息するのは、それらの本は大体すべて読み通されている形跡が伺えるところです。線が引いてあったり、コメントが付してあったり。ふぁ~。
あるのは貴重な本ばかりなのに、残念ながら、廃棄せざるを得ないほどに傷んでしまっている本も多々あります。本当に心底残念でなりません。それでも救える本たちもいます。それだけでも勇気が湧いてきます。
20世紀前半、これはという本を世に上梓しようと考えた人いる。それらがユニオン神学校の図書館に収まり、その後その本たちは野呂芳男に受け継がれて日本にやってきた。それらは野呂の神学研究に大いに貢献し、野呂もまた、できるだけの力を尽くしてそれらを管理してきた。けれど個人の力ではそれにも限界があって、それらのうち多くがその命をながらえることはできなかった、しかしまだまだ頑張れる本たちもある……これが、その本たちの100年史です。
さて、これからは私たちにそれらが託されました。つくづく、大変なものを贈られたものだと、今更ながら身の引き締まる思いがします。(林 昌子)