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原作読んでると色んな意味で楽しいとおもた~『デスノート 前編』

2006-06-20 | 映画鑑賞記
 先日,『デスノート 前編』を観に行ったんですが,とても面白かったので思わずカタカタ感想を書いてみたくなりました.多少?ネタバレありな文章になりますので,未見の方はご注意あれ.


 原作となる『DEATH NOTE』はジャンプで連載するのか! ってくらいのダークな面を持っていた漫画.面白いところとしては,主人公の月(ライト)という天才的な少年が名前を書くとその人物が死ぬというノートを手にしたことで,そのノートを使って自分が世界の神になろうとする,ジャンプ系漫画の主人公としては異例とも言える性格だったこと,その月を捕まえようとするLとの頭脳戦にあった.

 では映画版はどうだったのかと言うと,どうにも設定を貰ってきた上で適当こいて作ったんじゃないかと思わずにはいられない出来ではないかと思う.

 まず冒頭にて,デスノートに名前を書かれることにより,その人物が心臓麻痺によって死亡するという設定を映像によって流すのだが,セリフによって説明されるよりもより分かり易い方法だったと思う.また,最初はテレビなどで取り上げられた人物が死亡していったのに対し,今度は獄中の囚人が次々と死亡していくシーンにより,主人公が警察関係の情報も容易に入手できるということ,犯罪者をノートで容赦なく殺していく月の行動,犯罪者を処刑していくキラというを示す演出もうまいと思った.
 だが,それらのシーンを見ていてやたら気になったのが,書かれた名前の字のでかさと汚さ.さらに,名前しか書いてないのに1ページに1名の名前しか書かないという贅沢?なノートの消費の仕方.どうでもいい細かいところだが,これを見逃してはならない.原作ではノート1ページにこれでもか! ってくらいにびっしりと名前が書かれていて,ノートの本来の持ち主である死神・リュ―クすらも驚かせていただけに,なんだか妙なしょぼさを感じさせてた.ってか,字を見た直後に笑いを堪えるのに必死でした,すいません.

 さて,冒頭に多少ツボに入ったところがあったものの,一番の見せ場は街頭TVに映し出された立て篭もり事件のニュースを見て,周囲には人,人,人! と人がいっぱいいる中でノートをカバンから取り出し,犯人の名前を書くシーンだろうか.ここでノートに名前を書いた後,カバンに戻すのかと思ったら手に持ったまま,犯人死亡の情報を見てほくそ笑む月の姿はなんと滑稽なことか.もはやギャグでやってるんじゃないか? と思うくらい,月のあまりの軽率さにはやはり笑いを堪えるのに必死だった.ってか,周囲が真面目に観てるのに笑ったら殺されそうだ.
 なんだか月というキャラクターが天才というより,緊張感をまるで持たないただの兄ちゃんに成り下がった瞬間ではないかと思う.


 冒頭が終わった後は場面が変わり,月の通う大学のシーンに入る.ここで映画オリジナルキャラクターの月の恋人である詩織の登場である.このキャラクター,法律を勉強していて法律の限界に挫折してしまった月との対比的な考え方を持ち,キラという存在には否定的で,この2人がキラに関する話をするときは,キラに対する肯定と否定の意見が交わされるところは中々面白いのではないかと思う.また,中盤や終盤においてキーにもなる関わり方をしてきて,存在自体は重要であった.が,いない方がよかったようにも感じる.
 原作では月には親しいと呼べるような友人などはほとんどと言っていいくらい描かれず,話し相手はもっぱら家族かリュ―クくらいであった.それ故に,月という人物は人を寄せ付けないオーラを持ち,利用しようとするときだけ人と関わりあうという,どこか冷めた部分を描けていたと思うのだが,恋人という存在が出てくることで,その冷めた部分というのがどこか軽薄になったような気がするのだ.

 オリジナルキャラの存在は別にいいとして,月がノートを拾った後,ノートを使うまでのシーンにて少しやっちまった感があった.原作では新宿で起きた小さな事件を引き起こした犯人が1番始めに殺されたのに対して,映画は大々的にニュースに取り上げられた犯人であった.これが後々のある場面にて白けさせる結果になるわけである.

 さらにリュ―クとの出会いのときなんかは,いくら誰もいないからって,道端でノートを手に持ったままでいる上に,リュ―クとその場で堂々と話してるあたり,何を考えてるんだとしか思えない.誰かに見られたら,間違いなく頭おかしい人としか思えんぞ.この辺もなんか月の行動が軽率すぎるなぁ,という気がする.それと,リュ―クの声がドス聞きすぎな感じで萎えた.なんていうか,もっと軽くてお茶目な感じを想像していただけに,とにかく萎えた.

 色々ツッコミ要素は多いがすっ飛ばしていき,中盤頃に月とLの初めての対決があるのだが,なんていうか抑揚感ゼロ.突然,全世界同時中継と称してリンド・L・テイラーと名乗る男がTVに出てキラを悪と呼んだときに,そこに怒りを感じてリンド・L・テイラーを殺すときの月の行動にどこか冷静さが残っているように感じたのがよくなかった.あれは,それまで冷静沈着だった月が始めて感情的になり,怒り任せにノートで人を殺すという失態を犯すという重要なシーンだ.そして名前を書かれたLが死んだときの独善的でどこまでも悪人としか思えない言動がよかったのに,これじゃ台無しだ.
 また,リンド・L・テイラー死亡後,本物のLが声だけでキラに呼びかけ,自分を殺してみろ! と叫んだときも,何か緊張感を感じさせない空虚なシーンになっていた.例えキラでも殺せない相手がいるということを知ったLが,全世界同時中継ではなく関東圏にだけしか放送してなかったことを明かしたとき,何故関東圏に最初に流したかの根拠がなくなっていたことにミスを感じた.原作では,ノートの最初の犠牲者が,罪がそれほど重くない上に新宿というローカルな地域での事件だったことからキラが関東圏にいるのではないか? と推理していただけに,展開があまりにご都合的になってしまっていた.


 Lとの初対決後,FBI捜査官のレイやその婚約者である南空ナオミとの対決もあるが,何かアホっぽく見えてしょうがなかった.

 レイについてのエピソードは原作にかなり忠実だったのだが,いざ映像になってみるととことんご都合的に登場人物が動いていて,不自然極まりなかった.特にレイの名前を知るために月が仕掛けた罠のところでは,月がレイの名前を知るための舞台として用意したバスに後編の重要キャラクターになるであろうミサの宣伝バスになっていて,しかもバスに張ってあるミサの写真をこれでもか! ってくらいに強調してくるため,ミサ役の人を推してるの? とうんざりしてしまった.
 また,バス内で起きるバスジャックにしても,月,詩織,レイ,バスジャック犯の言動全てが予定調和で,そこにリアリティの欠片すらなかったといわざるを得ない.正直,これはひどい出来だと思った.

 レイ殺害後,ナオミとの対決もひどいものであった.
 ナオミが月を怪しいと感じて独自に調査を始め,月との1回目の接触時,せっかくジャーナリストの偽造名刺と偽名を使って会い,月がそれを信じてノートの切れ端に名前を書いてそのまま立ち去ろうとしたのにも関わらず,立ち去ろうとした月を呼び止めたかと思ったら,偽名であること,レイの婚約者であることを自ら明かすという馬鹿丸出しとしか思えない行動を見せたときは,呆れる以外にどうしろというのか.原作では優秀な捜査官だったかもしれないが,映画版はただの考えなしの1捜査官に成り下がっている.

 終盤にしても,詩織を使って月を呼び出し,キラであることを認めないと詩織を殺すと脅すところなんかも実に滑稽.詩織に逃げられそうになったと思ったら詩織を撃ち殺してしまい,最後は自分も自殺するわけであるが,どう考えても両者の死亡が不自然.で,案の定,2人の死亡はデスノートによって操られていたわけであるが,デスノートでは他人に誰かを殺させるということができないため,ナオミに詩織を殺させるように仕向けるにもノートには曖昧なことしか書けない.しかし,結果を計算し尽くしていたと自信たっぷりに語る月の姿は,頭がいいというよりも,どこまでも行き当たりばったりとしか思えない,アホじゃないかと思えたのである.


 ここまで書いていて,どこが面白いんじゃ! って感じだが,このどこまでも滑稽としか思えない展開は,原作と比べてみるとギャグとしか思えず,笑いを堪えるしかなかった.ようは,酷さも度が過ぎれば面白くなるということである.あ,Lについては素でよかったと思う.実際に映像として出てくると随分イタイ感じではあったが….

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