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箱根での出来事

2016-04-24 20:21:38 | 歴史



 今月起こったことを時系列に書こうと思う。
 まず、今月初めに恒例の箱根日帰り旅行に出かけた。
これは慰労と自分への褒美の意味を込めて毎月行こうと思っているたびだ。

 鎌倉と並んで僕は箱根にも異様に惹かれる。
理由はよくわからないが、どちらのまちもスピリチャルな世界への入り口になっているような気がするからかもしれない、なんてこんなことを書くとバカにされそうだが、そう感じるのだから仕方がない。特に箱根のほうはよりそんな感じがする。

 2月にふとしたきっかけで中学の時の見学で出かけた甘酒茶屋にまた行ってみたくなり、石畳の道を歩いて行った。
実に40年ぶりぐらいに行ったわけである。
 歩いてみると石畳の道というのは思いのほか短く、このあたりはやはり日本だなと思った。つまり、古いものを大切にしない、という事である。

 歩いてみると日本人はだれも歩いておらず、外人の親子とすれ違ったのみ。
日本人の観光客は皆バスや車での移動なのだろう。

 ただ、そうはいっても途中の山道は結構深く、情緒は味わえた。
2月に久しぶりに行ったときは、思うことがあり、その急な上り下りがまるで自分の人生の反映のように思えた。

 僕の記憶の中にうっすらとのこっている石畳の道と甘酒茶屋はもっと甘くのんびりとしていた。
ただし茶屋の近辺は記憶に近かったと思う。
 
 今月上旬に行ったときは、時間がなかったので別の場所から直接タクシーで向かった。
そこで甘酒を飲んで、お店の女性と場所柄歴史の話をした。
 その女性も歴史にかなり詳しくて、いわゆる歴女だった。

 大石内蔵助もおそらくはその茶やかどうかはわからないが、あのへんに数軒あった茶屋のどこかで休んだはずだという話や、
勝海舟のお父さん、小吉の話になった時は話がとても盛り上がった。
 小吉という人は破天荒な人生を生きた人で、現在ああいう人がいればたぶん破滅型の人生を生きた人といわれるだろう。
ただし人間的にはとても魅力的な人だったらしい。

 彼がまだ若いころだろうか、何を思ったか江戸を出て静岡のほうまであてどもない旅をしたことがある。
その際、箱根の山中で一夜を明かした話をすると、急に僕らの会話が熱を帯びたものになった。
 
 彼女の先祖が鹿児島の人だという話が出て、実は僕の父方の母の実家も鹿児島だったというと、そうですか!というリアクション。
そこから西郷隆盛の話になって、僕があの時代には強い人はたくさんいたが、人格者を思わせる人は西郷ただ一人だというと、強く同意してくれた。
 そこから西郷と日本史を大きく左右する会談をした勝海舟の話にもどっていった。

 西郷が西南の役で死んだとき、それを知った勝が歌を詠んだという話をその女性がしてくれた。
その歌は正確には覚えてないが、勝が西郷の気持ちを最も理解している内容の歌で、それを読んだときはうれしかったと話すその女性の目にはうっすらと涙が浮かんだように見えた。

 僕も勝の見方に完全に同意しているので、そういうとさらに僕らの話は熱を帯びていった。
僕はその時うれしかった、うれしかったばかりではなく、救われる思いがした。
 まぁ、そう感じるほどこの世というものの表層が無味乾燥な世界であると云う事の裏返しなのかもしれない…

 これは歴史に詳しい人以外はあまり知られていないことだと思うが、勝海舟は維新後もかつての主君である徳川慶喜を物心両面で支え続けた。
維新になれば慶喜はただの人、ただの人どころか官軍に逆らった人だから、世間的には冷遇されていただろう。
 勝は維新後は政府の高官になり、何の心配もない状況だったから、慶喜のことなど考えなくてもよかった。

 それにもかかわらず、彼はかつての主君の身の上を案じ、さまざまな形で援助をした。
それを知らない福沢諭吉は、かつての敵(官軍)に媚を売って出世した佞臣扱いして、勝を痛烈に批判したが、お門違いもいいところである。
勝が偉いのは、福沢に批判されても、一切自分がさまざまな形で慶喜を支えていることを公にせず、言いたいなら何とでも言ってくれという態度を貫いたところだ。
男だと思う。

 たまたまこの茶屋の女性との話の中で話題に上った、大石内蔵助や西郷隆盛、勝海舟の3人を思う時、やはりなにか特別な、常人にはないNobleなものがあることを思わざるを得ない。
そして、その女性とそれを感じ取り思いを共有できたということ…そのことに僕は救われたのだとおもう。

 それにしても、僕は自分よりも歴史の知識のある女性に出会ったのはこの時が初めてだった。
途中、どこかの年配のおやじさんが僕らの話に割り込んできたので、僕はさりげなく離れて一人甘酒を飲んでいたが、その親父さんとの会話がおわると彼女がまたすぐに僕のところに戻ってきて、切られた話題をまた再開してくれたのもありがたかった。

 別れ際、なんとなく歳の話になり、僕の年齢を言うと何と同じ年生まれだった。「なにかあるのかもしれませんね」と彼女が感動気味に言った。
それを聞いた時、あぁやはり同じことを感じていたんだなと思った。

 今回は時系列で今月起こったことを書こうと思ったが、思いのほか甘酒茶屋で起こったことの話が長くなったのでこの辺でやめることにします。


 
 

 
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