目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-09-28#1Holy Instant and Real Relationships

2009-10-03 03:51:18 | Chapter 15
原文
http://www.nwffacim.org/default.aspx

September 28, 2009 ©NWFFACIM


ページ位置の確認。

Sparkly Book, page 369, the last paragraph.
Second Edition, page 322, paragraph two.
First Edition, page 300, the first full paragraph.
JCIM, page 155, the second full paragraph.
CIMS edition, page 311, paragraph 86.



少し瞑想しましょう。


今晩は、ようこそ。  

沢山話すべき事があります。 しかし, まずは小話から。 教会の前の看板に「もし故郷に帰りたいと思ったならGPSを使いなさい。God’s Plan for Salvation」と書いてあったそうです。(God’s Plan for Salvation=神の救済のプラン=略してGPS)

我々もGPSについて話してきました。 「聖なる瞬間と特別な関係」、「聖なる瞬間と神の法」、「聖なる瞬間とコミュニケーション」、「聖なる瞬間とリアルな関係」などについて話してきました。 これらは全て、聖なる瞬間を行なう事で明確になります。

聖なる瞬間が「神の救済プラン」なのです。


貴方が憂鬱なとき、貴方が病気のとき、貴方が挫けてしまっているとき、貴方が痛みを感じているとき、貴方が何らかのネガティブなものを体験しているとき、貴方は次の二つの中のどれかをしているのです。

その時貴方は、「神の救済のプランは上手く働いていない。」と言っているか、そう言っている他者のエネルギーに影響されているのです。

もう一つの可能性は、貴方(か貴方に影響を与えている人)が「私は、神の救済のプランに働いて欲しくない。」と言っている事です。 つまり「自分の救済のプランを働かせたい」と言っているのです。 

これらの行為は、良い気持ちを引き起こしません。 これらのことは平和をもたらしません。 従って、平和から愛と喜びが湧き出て、その環境の中で「知覚の瞬間的シフト」が起こることもありません。  これらの行為から、「知覚の瞬間的シフト」を得ることは不可能です。

しかし神の救済のプランは上手く働きます。 神の救済のプランは保障されているのです。


こんな風刺画があったと思ってください。 地獄が描かれており、炎や岩があって、幾千もの魂が、自分達の境遇の不正さを嘆いて、泣いて、叫んで、話して、呻いているのです。 終わりの無い不平を言い立てているのです。 そして頂に、イエスがいて、吹き出しにこう書かれています、 「地獄から出たいなら、まず黙りなさい。」  これが「二つのステップ」の第一ステップですね。

地獄から出たいなら、不運を繰り返す事から出たいなら、自分の人生の中にある不正といわれ無き醜さを繰り返したくないなら、貴方が一番初めにするべき事は、喋るのを止めることです。 「二つのステップ」が「聖なる瞬間」のもう一つの呼び名です。

貴方は、自分で喋っているときには神の声を聞くことが出来ません。 喋っている時、文句をいっている時には、自分以外の声は聞こえません。 貴方が喋るのは、貴方が文句を言うのは、誰かに貴方の主張(定義)を聞いてもらいたいからです。

その時貴方は、聞くことには関心がありません。 その時貴方は誰かに聞いて貰う事にしか関心がないのです。

その時貴方は、自分のストーリで他者の意識を満たす事にしか興味がないのです。

その時貴方は、自分の不幸や、地獄での苦しみや、「神の救済のプランが失敗して自分が永遠に地獄に閉じ込められている事」などを他者に言って聞かせたがっているのです。


しかし解決法があります。 人間的環境と言う地獄から逃れる方法があります。  真理を知らない事から来る「常に無知と苦しみに囚われた地獄の体験」から脱出する方法があります。

それは貴方が聖なる瞬間を使う事です。 これをするには、「自分が言いたいと思っている事」を心の中から追い出す必要があります。 貴方は(状況などに対する)権威者/定義者である事を止めなければいけないのです。

貴方は静かになって受け止める(認識する)のです。 貴方は自分を静寂の中に引き込みます。 すると必ず、貴方は自分がいる瞬間に注意を払うことになります。 そこでは、過去や未来から自由でいる事ができます。  それが聖なる瞬間です。

貴方は意識(注意)そのものなので、貴方が「いま」の静けさに自分を入れると、貴方は自然と好奇心の現れになります。 貴方は(自分が未だ知らない)何かを知ろうとするようになります。

その時貴方は、自分が知るべき事を自分では決めておらず、純粋な意識を注いでいるのです。 その時貴方は、純粋な好奇心と成っているのです。 これが祈りなのです。

「私は知りたい。」 貴方がそう言った時、それに答えるべく存在しているのは父だけです。 父が、真理の声を、精霊を、貴方の正気でしかないものを通して貴方に答えます。


これに関しては数週間にわたって話してきました。 今夜は少し時間を取って、これに関して話してきた理由が「父の救済のプランが必ず上手く行く。 それが保障されている。」と強調するだけではなく次の事も含んでいる事を話しましょう。

救済のプランの真の目的は、貴方の特定の祈りに対して特定の答えを与える事ではなく、貴方を正気に戻すことです。 貴方を、貴方の中の「精霊に尋ねている場所」まで導くことです。  

貴方が「貴方の正気でしかないもの」に尋ねている場所まで貴方を連れ戻すのが、救済プランの目的です。 

そして何を知るべきか自分で決めないで、「私は知りたい」と言えるところまで貴方を連れていく事です。 その時、貴方に答えているのは精霊(貴方の正しいマインド)だけです。

精霊が貴方に答えているとき、貴方の正気が貴方(貴方の小さなプライベートなマインド)と繋がり、二つの(精霊と貴方のプライベートなマインドの)間の壁を消滅させるのです。 すると父の視点が、貴方のマインド(「貴方が自分で小さく切り分けたと考えている」マインドの部分)にも入ってこれる様になるのです。

そして、この状態が貴方にとって一番大切に成ったとき、「正しいマインドと正しくないマインド」と言う区別は無くなります。


貴方の正しいマインドが精霊で、そのマインドの分離した部分(貴方が「これが自分の全てだ」と決めた部分)がエゴ(として任命されている)、と言うような分離はなくなります。 これらのものは、二つの分離したものではなく、一つのものになるのです。 何故なら、それら(精霊とエゴ)を区別していた人工的な仕切りが消滅するからです。 そして全体性、統一性、一つで全てであるものが(代わって)そこにあるのを貴方は見ます。

その時、「神のマインド」と全く異なるところのない、貴方の全体/本質が、貴方の存在の意識的体験として再度現れているのです。 その時貴方は正気に返ったのです。


これをする理由は、人間的状況を改善する為ではありません。 状況の改善も確かに起こるのですが。

(貴方が自分で作った)狂気から逃れるのが、これをする理由です。 歪みを体験する事を止め、貴方が今体験している事が現実だと、それが人生だと考えるのを止めるのが、一番重要な事なのです。

貴方は、「神がこの自分が体験してる人生や状況や環境を作ったのだ」と想像して、だから「自分はストレスや罪や死や病や苦しみの体験に耐えることが出来るのだ」と考える続けてきました。


「知覚の瞬間的シフト」(奇跡)が聖なる瞬間に起こります。  この「知覚の瞬間的シフト」が貴方が狂気から癒されている体験なのです。 こうして貴方は、自分の正気に返るのです。 これが聖なる瞬間の目的、精霊の目的です。

その時、貴方と神が(分割不能な)「 一つのもの」に成っているのです。  その時、「父よ、神よ、貴方の意識がなされます。」という意図を貴方の全てが反映しています。

貴方はこれをする為、こう成る為に作られたのです。 貴方は、この状態に対して、少し歪みを導入して実験を行なったのです。 その歪みを(精霊が)正して、貴方はこの状態に帰ってくるのです。 先週も言ったとおり、貴方は「歪んだ知覚を永遠に保つこと」は出来ないのです。


さて、一文節後ろに戻って読み進みましょう。

“As the ego would limit Your perception of Your Brothers to the body”

〔『エゴが「兄弟に対する」貴方の知覚認識を、体に限定する様に』、〕

「彼は体、彼女も体、あの人も体、私も体。 私は私(の体)で彼女は彼女(の体)。 我々のそれぞれの体を使って素晴らしいことが出来る。」という訳です。


“As the ego would limit your perception of your Brothers to the body, so would the Holy Spirit release Your Vision and let You see the Great Rays shining from Them,”

〔『エゴが「兄弟に対する」貴方の知覚認識を、体に限定する様に』、精霊は貴方の視覚を開放し、「兄弟から出ている(無限に広がり神にまで届いている)輝く光線」が見えるようにします。〕

兄弟のなにから光線が出ているのでしょう? 彼らの体から? それとも貴方の兄弟から? 

偉大な光線の光は、貴方の兄弟姉妹から溢れ出している光です。 貴方の兄弟と姉妹、 「貴方とか貴方の兄弟姉妹」と呼ばれている、神の現れから光が出ています。


“As the ego would limit Your perception of Your Brothers to the body, so would the Holy Spirit” –

〔『エゴが「兄弟に対する」貴方の知覚認識を、体に限定する様に』、精霊は〕

つまり「貴方の正気でしかないもの」は、「貴方に正気を取り戻させようとしているもの」は、


“releasing Your Vision, and let You see the Great Rays shining from Them, so unlimited that They reach to God. It is this shift in vision which is accomplished in the Holy Instant. ”

〔精霊は貴方の視覚を開放し、「兄弟から出ている(無限に広がり神にまで届いている)輝く光線」が見えるようにします。 聖なる瞬間に達成されるのは、このビジョンのシフト(見え方の変容)です。 〕

聖なる瞬間が神の救済のプランです。

“Yet it is needful for You to learn just what this shift entails, so You will become willing to make it permanent.” To make commitment to it. “Given this willingness, it will not leave You, for it is permanent.”

〔 しかし貴方は、このシフトに何が含まれているか学習する必要があります。 貴方が、これ(ビジョンのシフト)を永遠のものにしたいと願えるように。〕

解りますか? 今現在永遠でないのは、「それに(神の視点/神のビジョンに)注意を払い続けたい」という貴方の意志だけです。

“Given this willingness, it will not leave You, for it is permanent. For once You have accepted it as the only perception You want, it is translated into Knowledge by the part which God Himself plays in the Atonement, for it is the only step in it He understands.”

〔この決意をすれば、これは(このビジョンは)貴方のもとから去ることがありません。 何故なら、これは(このビジョンは)永遠のものだからです。 貴方がこれを「自分が欲する唯一の知覚」として受け入れたなら、アトーンメント(贖罪)の中で神自身が務める役割によって、これ(変容された知覚)が知識に変換されます。 何故なら、このステップだけが、神に理解できるものだからです。 〕

実際にはこの時点で、「貴方の正気」と「貴方のエゴ、貴方の間違ったマインド」という二つの存在は消えます。 何故なら、「貴方の全て」を「小さく区切っている」人工的な壁が消滅するからです。

するとそこあるのは、「神が、貴方の全て(Sonshipとしての貴方)に成っている」マインドの現れだけです。 その時貴方は、それ以外の体験はしていません。


“Therefore, in this, there will be no delay, when You are ready for it. God is ready now, but You are not.”

〔だから、貴方の用意が出来れば、ここで何かを待つ必要はありません。 神は今準備が出来ています。 しかし、貴方にはまだ(心の)準備が出来ていません。〕


“Our task is but to continue as fast as possible the necessary process of looking straight at all the interference, and seeing it exactly as it it. For it is impossible to recognize as wholly without gratification what You think You want.”

〔我々の仕事は、出来るだけ速く、(聖なる瞬間を)「妨害している全てのもの」を正しくありのままに見ることです。 何故なら、全く見返り無しに(全く報酬無しに)「自分が求めていると思っているもの」を認識することは不可能だからです。〕 
(おかしな日本語ですが、ACIMテキストだけを見て、それを出来る限り正確に訳そうとしたら、こうなりました。 訳)

理解できますか? つまり、何かの報酬が得られると考えない限り、貴方はそれを求めません。

だから貴方に正気をもたらさないものは、(現在貴方が「それから見返りを得ている」と考えていたとしても)何らかの変容を経る必要があります。 そして、それが貴方を満足させていない(貴方に正しい報酬を与えていない)事が解るように成らなければいけません。

そこには(貴方が今追い求めているものには)「のるかそるか」のスリルと興奮があるかもしれません。 しかし、「追い求めているものを貴方が捕まえることは今まで無かった。 そしてこれからも、それは永遠に無い。」と気付けば、貴方は「上手く働かない事」(上手く行く筈の無い事)を放棄する事が出来ます。

そして、「不可能な事を成し遂げようと努力する事が、満足をもたらす」と考えるのを放棄する事が出来ます。