目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

求めるべきもの

2009-09-28 05:53:15 | その他
問:今晩はRaj

答:今晩は。

問:現在の聖書にはイエスが「何でも求めなさい。貴方は受け取ることが出来るでしょう。 次の3つの条件のどれかを満たせば」と言ったと記されています。 この3つの条件とは、私の理解では「求めるときに貴方が信じている、あるいは求めるときに貴方が信心を持っている、あるいは貴方の(キリストの)名において求める。」です。  この三つの条件を良く解るように説明してください。

答: どうしたら「私の名のもとに求めること」が出来るでしょうか? ここで言う名(名前)とは、英語で言えば「性質、本質」(Nature, Character)に当たります。

人は何を求めているのでしょう? 人は何を欲しているのでしょうか? もし人が頭から、知性から、エゴから求めたなら、彼はその時キリストの本質から求めていはいません。

貴方は求めるとき(尋ねるとき)、初めに時間をとって聞かなければいけません。貴方はまず時間をかけて、本当の自己(Self)と繋がらなければいけません。 貴方が自分と一つに成っている時、貴方は自分の「動きと」一つに成っています。 この「動き」はフィーリング(感情)を持っています。

このフィーリングは喜び(pleasure、快感)と言い表すことが出来ます。 これは全体性(Wholeness)から湧き上がってくるフィーリングです。

そして、このフィーリングには確固たる目的地、確固たる存在目的があるのです。

この動きが願望(望み)なのです。 貴方が「キリストの性質」において求めたとき、「貴方が自分のキリスト意識を体験しているところ」から求めたとき、貴方は自分の存在と一致しているところから求めているのです。  その時貴方はもはや、「開き続ける(Unfolding、開示されている)自分の存在」と調和していないものは求めていないのです。


すると、欲求は卑小なエゴの地点から来なくなります。 欲求は貴方の中にある「父の動きの波(これが貴方の真の意志です)」から来るようになります。

だから、貴方が「キリストの性質のもと」に求めているとき、貴方は貴方自身が「開かれ続けている(自分を現し続けている)存在」と調和しているところから求めているのです。
その時貴方は「貴方の存在が満たされる動き」と完全に一致しているので、貴方は欲求が満たされるのを見るでしょう。

宇宙が豊かさに満ちていて、豊かさが存在の法則だからと考えて「水泳プールが欲しい。テニスコートも、それからロールスロイス。 私の豊かさを体験するために何もしなくても良い状態でありたい。」と言って、「家やキャディラックや水泳プールや自分が欲しいと思うもの」を出現させるて歩くのは、貴方自身と調和したところに貴方を置く事にはなりません。

これは、『「貴方の存在が開かれて行く事(開示している事)」とは関係の無いかもしれない』法則をデモンストレートする事になります。 すると大概の場合、貴方は誰かより上手いデモンストレーターになる事に執着するようになります。

つまり水泳プールが焦点に成るのではなく、プールを現象化(現実化)する技術が(貴方の)焦点に成ってしまいます。

すると肝心の点が疎かになります。  プールを持つことは(豊かさを信じられるようになる条件を整えようとする事は)平和をもたらしません。

何故なら、それが「平和からもたらされたもの(平和から立ち昇ってきたもの)」では無かったからです。

それは、貴方の「真の全て」(真の全体性)から引き起こされたものではなく、いわゆるマジック(魔術)の所作から出てきたものです。

貴方の中に神のマインドがあります。 何故なら、一つのマインドしか実際には存在しないからです。

そして、その一つの無限のマインドは、無限に個性化(infinitely individualized)されており、それを我々は個人(Individualities、個々の存在)と呼んでいます。

しかし個人(個々の)のマインドは(神の)「一つのマインド」から分離してはいません。
もし貴方が意識を体験しているなら、貴方は神を体験しているのです。 しかし、貴方は、自分が自分を体験している、自分が自分の人生を体験していると考えています。

神が知性(英知)で、貴方がその知性を反映していても(その知性を直接現していても)、貴方が自分一人だけで創造できる様に成る訳ではありません。  しかし、それがエゴのしようとしている事です。

貴方に出来ることは、『神のマインドと一致するように成って、「卑小な独立したプライベートな存在」としてクリエーティブ(創造的)に成ろうとする事を放棄して』、創造の動きの流れに取り込まれる事です。 創造を無限のデモンストレーションと呼ぶ事も可能でしょう。 しかし(創造の)動きに成っているのは神なのです。
「プライベートでパーソナルな知性/マインド(これは想像上のもの、実在しないものです)の感覚」を放棄したとき、「卑小なマインド/知性が自分なのだ」と思い込む事を止めたとき、 「神の意志」を反映する「神の動き」が貴方の中で「自分が持てる唯一の意志」と成ります。 それが貴方の唯一の知性になります。

そして貴方は、創造の動きの波に飲まれて、それを「自分の存在の動き」として感じ始める事が出来ます。 その時、貴方の存在は「プライベートで分離したマインドの事を」自分だとは考えてしていません。 その時「(創造の動きと言う)神のマインドから分離した卑小なマインド」を自分だと、貴方はもはや考えません。

だから貴方は、(創造者を反映する)小さなパーソナルな創造者に成ろうとするべきではないのです。 それは(個人的創造者とは)エゴが考える自己なのです。

貴方が本当に望んでいるのは、貴方のリアリティとして貴方に真の満足をもたらすのは、貴方が自分自身と真に繋がって、「貴方の存在の動き」(それは父の動きです)を「貴方の無限の動き」として体験する事なのです。  

『「貴方の存在の動き」が「神の動き」と分離していない』と言う体験を貴方は求めているのです。 そして貴方の体験が、神の視点からは、神が体験している事に成る様に。 それが(貴方の体験が、神が体験している事に成る事が)キリスト意識なのです。

私がここで話している事は、難しいことではありません。これはとても自然な事で、努力を必要としない事なのです。 「独立したマインドに成って、マインドを使って物事(現象)を引き起こす事が(引き起こしているように見えるようにする事が)」、不自然で努力のいる事なのです。 これは自然なことではありません。 しかし、これが貴方の「慣れ親しんでいる」あり方です。 だから、このあり方を放棄するのは、不自然{で努力が必要}に感じられるのです。

「求めよ、さらば与えられん。」 

しかし貴方は何を求めるのでしょうか?  「貴方の存在」がすでに展開している事(すでに明らかにしている事)を、貴方は求めるべきなのです。 それを求めれば、貴方は確実にそれを得ます。 貴方は、それが貴方の体験に成っているのを確実に見ます。

しかし、貴方はそれを自分の業績として誇ることは出来ません。 何故なら、貴方がそれを成し遂げたのではないから。 これはエゴには耐え難い事です。

次の様に言いましょうか。 貴方のエゴは何も成し遂げてはいません。 しかし貴方の存在は成し遂げています。

しかし、貴方のエゴは、自分が何かを達成したのだと言いたいのです。 そうやって、エゴは自分の存在を証明しようとしているのです。

貴方は、『「自分個人では(プライベートな卑小なエゴとしては)成し遂げなかった事」によって、満たされる事』に慣れなければいけません。(受け入れなければいけません。)

『「貴方が何もしていないにも関わらず、それがただ起こっている故に」、満たされる(充足する)体験をする事』を、貴方は自分に許可しなければいけません。
それは(満たされるという体験は)貴方が優れた技術を持っているからではなく、貴方が何か特別な知識を持っているからではなく、ただ自然に起こるのです。

貴方が(自分では起こさなかった、自分では行なわなかった)満たされる体験をし始めたなら、貴方は「その体験を自分で保とうとする」誤った責任感から完全に開放され、「その体験を自分でもう一度起こさなければいけない」とも思わなくなります。

貴方達の多くが時々体験しているように、成功する為の責任を負うことは、抱え切れない重荷なのです。

貴方が自分の「良さ」を(あるいは自分の豊かさを)作る創造者に成ろうとしなくなれば、それは(成功への責任は)完全になくなります。

父は無限であり、自身を無限に表現しています。 だから、神の自己表現には「不完全さ」(不足)は存在しません。 そして確かに「豊かさ」は、神の動きの本当の結果、貴方の存在の動きの結果です。 神の動きの結果が、自然に法として法則として愛として「豊かさ」を現しています。

しかし、これは個人的に達成する様なものではありません。

これはもしかしたら、目覚めのプロセスの難しい局面かもしれません。 素晴らしい事が起きているにも関わらず、それに対して自分の功績を認めることが出来ない時、それでも自分の事を認め、それを受け入れるのは難しいと感じる人もいるでしょう。

しかし、これは素晴らしい安堵と深い喜びをもたらすものです。 何故なら貴方は「存在するもの全て」の一体性を体験し知るからです。

そして貴方は、「自分の幸福と成功と豊かさに対して個人的責任を負っている」と考えていた時よりも、自分がより安全である事を知るのです。

これが、この答えの全てです。

QUESTION: Thank you.

RAJ: You are welcome.


上記はNW Foundation for “ACIM” のフォーラムに掲載されていた抜粋を訳したものです。 何時行なわれたセッションから抜粋したのかは不明です。


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Paul Tuttle 著 You are The Answer からの抜粋


「自分の思考を使って、自分の環境と自分の生活体験をコントロールしなければならない」と言う概念を手放さない限り、貴方は「自分の存在が開いていく事」(unfoldment of your Being)を苦しみとして体験してしまいます。


解りますかポール? 「ポジティブな思考のパワー」の欠点は、『「人がポジティブな思考をしていない限り、宇宙がポジティブに開かれていかない(展開していかない)」と言う考え』を前提にしている事です。


ですから、この論理と実践は、宇宙自体(すなわち存在自体)に対する基本的な不信(疑い)を作るのです。


これは、人を彼/彼女自身(の存在)と争う状況に置いてしまいます。 何故なら、宇宙の基本的性質に対するあらゆる不信は、人自身の性質と存在に対する不信に他ならないからです。


これが貴方が(物事を)手放して、ただ「ある」ことを受け入れられないでいる基本的な理由です。


.~You Are The Answer, pg 229