目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

10-02-13#2

2010-02-17 12:53:57 | Chapter 16
もしポールが今彼自身の平和の中に居なければ、私を聞いていられると思いますか? 彼は日常生活の中で「怒ったり、心配したり、嫉妬したり、断罪したり、尊大に感じたり、プライドを感じてしまう事」がないと思いますか?

彼も({精霊や神と}「繋がっている体験」から来ていない)これら全ての事を体験し、それを正当化してしまっています。

これらの体験は、彼が自分の人生や行動や「他者との関わり合い」などを見て、それらに対する「自分の感情は全てもっともだ(正当化できる)」と考える事から来ています。 瞬間的怒りや嫉妬や自尊心や喜び(良い感情にしろ悪い感情にしろ)それらが正当化されていると彼は感じているのです。

彼が自分の平和の中に居て(神/精霊と)繋がって居れば、これらの感情は体験出来ません。 反対に、彼が自分の平和の中に居ないなら、彼は私/父/精霊を聞く事が出来ません。  
これは貴方も全く同じです。

だからコースの「教え」(そして真理)の基本は、「貴方は自分の平和を選ばなければいけない」なのです。 貴方が毎日拾ってくる平和以外の事を(それを選ぶ事が貴方の感情などによってどれだけ正当化されていても)選ばない、と言う事です。 それら(平和以外)の事を使って神の愛に逆らった解釈をしない、と言う事です。

貴方が「自分の直面している事態」に感情的/個人的に反応し(何故ならば貴方には反発する事への正当性が感じられるから)、(自分の平和を選ばず、繋がる事をせず)神の愛に逆らった解釈を続けたなら、貴方には天国が見られません。

そうしている時、貴方は目の前にある天国の中に物質的な世界を見てしまい、貴方が見ている全ての驚異的な素晴らしい特質が貴方には感じられません。 しかし貴方はその素晴らしさを感じているべきです。 そして貴方はメクラでもツンボでもないので、今これを体験する事が出来るのです。

もう一度言いましょう。 貴方がこれを体験していない唯一の理由は、貴方が他の事(天国以外の事)を選んでいるからです。

貴方は自分のマインドを使って、他者の行動などに対して憤慨し、神の愛に逆らった解釈をしています。
あるいは「誰かが貴方に腹を立てている事」に対して貴方が立腹することで、貴方は自分のマインドを使って、神の愛に逆らった解釈をしています。

貴方は毎日どれ位頻繁に「神の愛に逆らって物事(体験)を解釈している」でしょうか?
貴方は一日に何回、誰かが貴方に立腹している事(それが正当化出来る様に貴方に思えても思えなくても)が原因で立腹していますか?

貴方は一日に何回、誰かの行動に憤慨していますか。 その時貴方は自分のマインドを使って「貴方の存在が父と繋がる事」を完全にブロックしています。 と同時に(現時点ではこちらの方が重要なのですが)その時貴方は「貴方の存在」が精霊と繋がる事を完全にブロックしています。 

何故でしょうか? 何故なら「精霊は貴方の正しいマインドでしかない」からです。
これがACIMのその後全て(?)のバージョンから削除されてしまった、とても重要な文章です。

この文が重要なのは、もし精霊が貴方の正しいマインド(正気)でしかないなら、貴方がそれを自分自身から遮断しており(貴方は自分のマインドを狂気じみたやり方で使って、自分自身を精霊/正気から隔てており)だから貴方は「貴方自身」を本当に体験する事が出来ていないのです。

『貴方が「貴方自身」を本当に体験出来ていない様子』を言い表す唯一の言葉は「狂気」です。

しかし狂気は事実ではありません。 それは精神の逸脱です。 それは、なにか「完璧なもの」が歪められる事ですが、それによって完璧なものが不完全に成る訳ではなく、ただ単にそれは歪められているのです。 

そこにある(歪みを生んでいる)ストレスが無くなった瞬間「完璧なもの」がもう一度(否定されえない、認識可能な)完璧な状態に戻るのです。

その「完璧なもの」とは「貴方」と呼ばれているものです。 貴方の正しいマインドに戻った「貴方」の事です。 貴方の正気が貴方に戻り、貴方が精霊と繋がるのです。

もちろん精霊は、「貴方の存在」の中心にある聖壇に住まう神の声のなのです。 だから、貴方が真理の声(つまり精霊)を聞き入れた時、実質的に貴方は神を自分の中に招き入れたのです。

自分の中に神を入れたなら、貴方のアイデェンティティが完全にクリアに成ります。 その時貴方は「貴方が誰か」混乱なく判っています。 こうして貴方は、貴方の神聖を誤解しなくなるのです。

これ以外に、貴方が今週「神の愛に逆らって解釈している事」を示した事項にはどの様なものがあったでしょう。

もしかしたら、貴方は自分のプランには無かった事をするように求められたかもしれません。

貴方は自分の良き仕事(良き仕事に対する貴方の定義)に合致しない事をする様に求められていたかもしれません。

貴方はそれらの仕事に注意を与えなければなりませんでしたが、それが「貴方自身の良きプラン」には合致していなかったので、貴方は抵抗して、余り快くは参加しなかったかも知れません。 貴方のしなければならなかった仕事は、例えば余りに人間的/物質的過ぎたかもしれません。

例えば玄関の前に砂利を引いたり、雑草を抜いたり、あるいは洗濯したり。 貴方は本当は、例えばなにかコミュニティー・ワークをしたかったのに、コミュニティー内で助け合う事をしたかったのに、貴方がしなければ成らなかった仕事は、余りに普通で平凡だったかもしれません。

さて何故、普通の事/平凡な事が貴方には物足りないのでしょう? 何故、それらが貴方をイライラさせるのでしょう?  貴方が日々の中で「目覚めと関係のない行動」を行なう事が可能でしょうか? 貴方が「自分がしなければならない仕事や物件」に対して「何らかの定義」を与えていない限り、その様な事が可能でしょうか?

それは簡単な事です。貴方がここを物質的世界と考えているなら「ある種の仕事はより物質的で、その他の仕事はよりスピリチュアルだ」と考える事が出来る様に成るのです。 そしてよりスピリチュアルな人は、物質や物と余り係わらない、と考えるように成ります。

「神よ! 誰かの洗濯を手伝わなければならないなんて。 あるいは猫の糞の始末とか、犬が吐いた後の始末とか。」

しかし、「貴方の直面しているものは全て天国」これを忘れてはいけません。 つまり、貴方が直面しているのは「神の現れ」だけなのです。

全ての形(Form)の実体(substance )は物質ではありません。 それはスピリット(霊)です。 そして「形を体験する事」は、全てマインドの体験(マインド内の体験)なのです。

貴方は「そんな事はない。 私は自分の指でテーブルを触っているのだ。」と言うかもしれません。

「私の指がテーブルを触って知覚している。 私の指はテーブルの物質とは違う形の物質で出来ていて、それがテーブルに接触し、それで私は「私がテーブルと呼んでいるもの」を(自分の外側で三次元的に)体験する事が出来るのだ。 そしてこの指は私の一部と呼ぶ事が出来るものなのだ。」

いいえ。 指やテーブルやその他諸々のものは「マインド」内で起こっている精神的体験なのです。

形(Form)とは、「神(無限の聖なるマインド)が懐いているアイディア」を見える様/触れる様にしたものです{形は、神が懐いているアイディアを見える様/触れる様に現しているのです}。  アイディアの実体はスピリット(霊)なのです。

次に貴方が汚れたおしめを触っている時、「何故私はこの様に下品で退屈で精神的でない事をしなければならないのか?」と言いそうになったら注意しなさい。

オオ・マイ・ゴッド! 貴方は神を手にしているのです。 貴方の手にしているものの実体はスピリットなのです。

これはどういう意味でしょう? これは、それが神だという意味です。 これは、それが物理的法則には縛られていないという事です。

つまり、これには神の意図を永遠に示し続けるだけの柔軟性があると言う事です。
これは、それが「神が望んでいるものに成る」完全な自由度を現しています。
そしてスピリットの実体は愛です。 愛は光り続けるものです。 愛は世界の光です。
そして愛が創造の動機です。 動いている愛が、そよ風の中で「揺れている枝」や「芝のそよぎ」として認識されています。

これらは素晴らしいものです。 これらは(例え、これらがどの様に見えていたとしても、貴方がこれらをどの様に定義していたとしても)神の動きです。

しかし貴方は神の愛に逆らって解釈しています。
貴方はそよ風に逆らって解釈します、「貴方」のマインドを怒り、妬み、嫉み、傲慢、自尊心、善行、その他で埋め尽くす権利を主張する事によって。 その様にして貴方は神の愛に逆らって(解釈して)いるのです。

貴方はこれらの行動を放棄する事によって、「神の愛に逆らって解釈する事」を止めるのです。

貴方の中の何かが、真理を知りたいと願うポイントまで到達したので、貴方はこれら(妬み/傲慢/その他)の行動の価値を放棄して、神の愛に逆らう事を止めるのです。

「貴方の中で真理を知りたいと願っている何か」は、騙されていたくなく(貴方を罪/病/死に縛り付けている)「真理を解らなくする行動」をとり続けたくはないのです。


“Do not interpret against God’s Love for You for You have many witnesses which speak of it so clearly that only the blind and deaf could fail to see and hear them. This year determine not to deny what has been given You by God, for that is the only reason He has called to You.”

〔神の愛に逆らって解釈するのは止めなさい。 何故なら、神の愛を話して聞かせている沢山の証人達が貴方には与えられているのだから。 彼らはそれをとても明確に話しており、それを見えていず聞こえていないのはメクラでツンボな者だけです。 今年は、神が貴方に与えたものを否定しない決心をしなさい。 何故なら、それが彼(精霊/父)が貴方に呼びかけている唯一の理由なのだから。〕

彼は貴方に呼びかけています。 父が貴方に呼びかけています。 精霊が貴方に呼びかけています。

「神が貴方に与えたものを否定しないように」 これはどういう意味でしょう。
つまり「貴方の世界を物質的/物理的宇宙と考えるのを止めなさい」と言う事です。

ここを天国と呼びはじめなさい(考えはじめなさい)。 そして貴方が今まで天国を見ていなかった所に、今まで天国には見えていなかった所に、天国を見れるよう好奇心を持ちはじめなさい。

何故なら、貴方が「見よう」という意志をより意識的にクリアに持つ様に成るまで、貴方は無知のメリーゴーラウンドに乗り続け、毎日毎年同じ事を繰り返し続けるからです。

貴方はその様な事は望んでいません。 そして貴方は今年その様な体験はしません。

“This year determine not to deny what has been given You by God, for that is the only reason He has called to You.”

〔今年は、神が貴方に与えたものを否定しない決心をしなさい。 何故なら、それが彼(精霊/父)が貴方に呼びかけている唯一の理由なのだから。〕

父は貴方に父自身を見て欲しいのです。 父を見るには、貴方の自己中心的な意識や行動は放棄しなければいけません。

“He has called to You”

「彼は貴方に呼びかけています。」

貴方が彼を全ての中に見るように。 彼(神)を全ての中に見て、彼を自分の中に取り戻すのです。 「自分が何か」という気付き/意識の中に彼(神)を取り戻すのです。 この様にして貴方は故郷に帰るのです。

“His Voice has spoken clearly.”

〔彼(父)の声は明確に話しました。〕

これが創造です。 貴方の目の前に常にある天国です。 これが、神がクリアに語った事です。

“His Voice has spoken clearly, and yet You have so little faith in what You heard because You have preferred to place still greater faith in the disaster You have made.”


〔彼の声は明確に話しました。 しかし、貴方は自分が聞いた事に僅かな信心しか持っていません。 何故なら、今でも貴方は「自分が作った惨事」により大きな信心を与え続けたいと考えているからです。〕

これが惨事/悲劇に見えないのは、貴方が中々それを上手く管理出来ているからです。 しかし「神の法が実際にはなされている所」で罪/病/死が行われているのです。 これが惨事です。

これは貴方が作った惨事で、これに関して罪悪感を持つことも可能でしょう。 しかし、その様な事をして時間を無駄にするのは止しなさい。 ただ単に、これが貴方の作った惨事だと理解すれば良いのです。

そして、これが貴方の作った惨事なので、貴方はこれを解除する事が出来ます。 貴方は惨事以外の事が出来るのです。 だから惨事以外の事をしなさい。 「二つのステップ」をして、聖なる瞬間を持ちなさい。

静かに成りなさい。 そして神を見る意図をもって「貴方が今まで神を見ていなかった場所」を見て、「未だに精霊を体験していない場所」で精霊を体験したいと望みなさい。  それらは貴方の中に存在しています。 それらは貴方の中に、貴方の正しいマインドとして存在しています。

“Today, let Us resolve Together, to accept the joyful tidings that disaster is not Real, and that Reality is not disaster.”

〔今日我々は一緒に解決して、「惨事がリアルではない/リアリティは惨事ではない」という喜ばしい波を受け入れましょう。〕

〔今日我々は一緒に解決しましょう。〕 一緒に独立を放棄しましょう。
完全な概念を貴方一人で持つのは止めましょう。 私と一緒に真理を知ってください。 貴方の兄弟姉妹と一緒に真理を知りたいと求めてください。

真理を知って、それを使って貴方の兄弟を誹謗するのは止めなさい。
真理を、貴方の兄弟が貴方を誹謗する為に使うものと見て、それに対して防御的に成るのは止めなさい。 それに対して文句を言い続けるのは止めなさい。


“Today let Us resolve together to accept the joyful tidings that disaster is not Real and that Reality is not disaster. Reality is safe and sure”.

〔今日我々は一緒に解決して、「惨事がリアルではない/リアリティは惨事ではない」という喜ばしい波を受け入れましょう。 リアリティは安全で確実なものです。〕

リアリティ。 ええ、今私が自分の腕を動かして全てを抱擁しながら「リアリティは安全で確実なものです。」と言っているのを貴方は見ています。(Paul/Raj 片手を大きく動かして見せる。)  しかし貴方は「それは自分が今体験している事ではない」と考えています。

しかし、これが実際に起こっている事です。 その体験をする事が貴方の持って生まれた権利です。 そして「神の現れの全ての証人に対してメクラでツンボに成る事」は貴方の持って生まれた権利ではありません。

証人とは何でしょうか? それはガラスのコーヒーテーブルです。 それは鉢植えのやしの木です。 それは窓のブラインドです。 それは床のカーペットです。 それは外の木であり、降っている雨です。  これらが神の証人です。

葉っぱや芝は何の証人なのでしょうか? それらはそよ風の動きの証人です。 それらは愛の動きの現われを証言しています。

しかし貴方は優雅な芝や震える葉を理解しません。 貴方がそれらの後ろにある動きに対して敏感になり、動きの後ろに居るそよ風を見るまで、貴方は芝や葉を理解できません。

それらをつまらない物質/物体だと決め付けていたなら、自分で触ってウィンデックス(洗剤)で洗う価値もないものと考えていたなら、貴方はそれの後ろにある愛の動きを感じる事は出来ません。

ウィンデックス(洗剤の商標)は神ではないと思いますか? ガラスは神ではないと思いますか? 貴方が手にしている雑巾やちり紙は神ではないと思いますか?

それはスピリット(霊)、愛の実体ではないのですか? それは光、神の栄光を伝える光ではないのですか?

奇跡は瞬間的知覚のシフト(変容)です。 そして私が今言った事も、知覚のシフトを必要とします。

しかし貴方が全てを今まで通りに見続ける積もりでいたなら、貴方が今まで教えられて来た通りに見続ける積もりでいるなら、貴方はシフトする事が出来ません。

貴方が最新の物理学の文献を読んだなら、科学者達も「観察されているもの全ては、観察者を現実化したものである」という可能性を考え始めている事が解るでしょう。

科学者たちが「貴方達は今まで体験して来た事を全く新しい方法で体験する事が出来ます。 我々が今まで教え続けてきた事を放棄したなら、貴方は新しい体験をする事が出来る様に成ります。」と言い始めたら、貴方はどうするでしょう?

しかし貴方はそれまで待つ必要はないのです。 貴方は、科学者達が真理に対して最新の勅令を下すまで待っている必要はないのです。

貴方は知覚の変容を体験するよう招待されています。 知覚のシフト、急激な知覚のシフトです。

全てを急には出来ないと、ゆっくりシフトしたり、他の事を参照しながら知覚するのではなく。
貴方がその様な事を言っている場合、それは「私が今言っている様なラジカルな事に対して、貴方は安全を確保する試みや自分の重要性を放棄する事が出来ない」と言う事です。

リアリティ(と言いながらラジは手をゆっくり振り回して)、私はこの動きで全てを抱擁します。

“Reality is safe and sure and wholly kind to Every One and Every Thing.”

〔リアリティは安全で確実なもので。 それは全ての人全てのものに対して完全に親切なのです。〕

「それは信じられない。」そう貴方が言っている時、貴方は神の愛に逆らって解釈しています。 貴方がそう言っている時、貴方は「私は自分の知覚をそこまでシフトさせて〔これを受け入れて喜ぶ事以上に偉大な愛は存在しません。〕と受け入れる事は出来ない」と言っているのです。

つまり「これを受け入れて瞬間的に喜びを体験する事 - リアリティの栄光が貴方に表明されているので、つま先から頭の天辺まで喜ぶ事 - それ以上に偉大な愛はありません。」と言う意味です。