目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

10-01-30#3

2010-02-04 07:36:32 | Chapter 16
“Wholly natural perception would show You instantly that order of difficulty in miracles is quite impossible, for it involves a contradiction of what miracles mean. And if You could understand their meaning, their attributes could hardly cause You perplexity.”

〔全体を包括する自然な知覚は、『奇跡に「難しさの程度がある事」は不可能だと』すぐさま貴方に示します。 何故なら、それ(難しさの程度)は奇跡の意味に反するからです。 もし貴方がそれら(奇跡)の意味を理解できたなら、その奇跡の属性(奇跡にまつわる様々なもの)が貴方を迷わせる事はありません。〕

前回話したとき、ハイチにいる人達への援助の表明(という連帯行動)に参加するよう私は貴方達全員に呼びかけました。 援助を与える行為を通して、状況に意識を向ける事に参加するよう貴方達に呼びかけました。 私が言わなければ、貴方はもしかしたら「自分は効果的な貢献が出来ない」と感じていたかも知れないから。

「これは余りに酷すぎる。 私に何が出来るだろう? 何十万人もの人達がホームレスに成っている。 何十万人もの人達が苦しみ、苦悩し、喪失し、平和を失い、食物が得られないと恐れ、揺る戻しを恐れている。 恐れ、恐れ、恐れ。」

貴方に何が出来るでしょう? (神から離れた)孤児としては何も出来ません。 自分自身を孤児として見ている限り、貴方は自分が何も出来ないと考えるだけでなく、自分に実際に出来る事さえも放棄しようとします。 それは完全に間違っています。

神聖の巨大さ - 創造全体の力- は愛が表現された(愛が差し伸ばされた)時だけ照らし出されます。 必要とされているのは、貴方達全員がこの様に考えることです。 自分がどれだけ不能だと感じていても、拡張する(愛を差し伸べる)正しさを感じる事です。

状況はとても酷く、ハイチの人達だけでなく、心配している全ての人達が無力に感じています。

そして無力感のフィーリングこそが奇跡の狭間(一歩手前)なのです。

何故なら貴方が「私には何も出来ない。卑小な孤児としての私にはどの様にしても助けられない」と言って、そう信じて、それに関して焦れたりフラストレーションを溜めたり怒ったりするのではなく、その無能感と共に留まった時、貴方がこの酷い屈辱的な無力感の中にある時、貴方は実際には謙遜の(自分の分を知る)状態にあるのです。

この謙遜状態内で(やっと)父が行動する事が出来ます。 奇跡が起こります。 瞬間的知覚のシフトが起こります。 何故なら、貴方が無能を受け入れたとき、貴方は自分の個人的意志の力を全くもちいていないからです。

これはとても大切な事です。 これは神聖の巨大さと関係があります。 貴方は、自分の卑小さを放棄するまで神聖の巨大さを体験する事が出来ません。 貴方の卑小さはとてもエキサイティングで、貴方に色々やる気を起こさせるのですが。


“You have done miracles, but it is quite apparent that You have not done them alone. You have succeeded whenever You have reached another mind and joined with it.”

〔貴方は奇跡を行なったのです。しかし貴方がそれを一人でしなかった事は明白です。 貴方は、伸び出して他のマインドと繋がった時にだけ成功したのです。〕

貴方が(何らかの理由で)自分の意志を使わずに、心に留めて(心を配って)繋がった時にそれが起こったのです。 これは大抵偶発的に(貴方の意志に反して)起こっています。 (今のところは)それで構いません。


“When two minds join as One and share one idea equally, the first link in the awareness of the Sonship as One has been made.”

〔二つのマインドが一つに繋がり、一つのアイディアを平等に分け合ったとき、「神の子供は一つである」という気付きが始まるのです。〕

ここで注意してほしいのは、二つのマインドが一つに繋がって貴方の(あるいは他方が独自に考えた)アイディアを共有しているのではないのです。 上記の文は「二つのステップ」を行って「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊ねた結果得られた洞察を共有すると言う事です。


“When two minds join as one and share one idea” – of that sort – “equally, the first link in the awareness of the Sonship as One has been made.”

〔二つのマインドが一つに繋がり、(啓示として示された)一つのアイディアを平等に分け合ったとき、「神の子供は一つである」という気付きが始まるのです。〕

二人の孤児がお互いと繋がっても、神の子の一体感への気付きはもたらされません。 それでは孤独な二人の孤児がパートナーに成っているだけです。

“When You have made this joining, as the Holy Spirit bids You”
〔貴方が(精霊の命令に従って)この繋がりを持ち、〕

つまり貴方は立ち止まって、躊躇して「二つのステップ」を行って、「ここでの真理は何ですか?」と聞いたのです。


“and have offered it to Him to use as He knows how, His natural perception of Your gift enables Him to understand it,”

〔それを彼(精霊)に捧げて彼が使えるようにすれば、貴方のギフトに対する彼(精霊)の自然な知覚によって、彼はそれを理解出来る様になります。〕

「貴方が理解出来る様になります。」ではありません。 こうする事により、精霊がそれを理解するようになるのです。 何故なら貴方が条件を付けずにそれをギフトとして与えたから。 貴方は全くなにも妨害しなくなったのです。


“His natural perception of Your gift enables Him to understand it, and You to use His understanding on Your behalf.”

〔貴方のギフトに対する彼(精霊)の自然な知覚によって、彼はそれを理解出来る様になります。 そして貴方は彼の理解を自分の為に使う事が出来ます。〕

これをしている時、貴方は少しの理解も得はしないのです。 貴方は、未来に対して有利に使えるものを何も得ないのです。 この時点まで貴方は理解からは離れています。


“His natural perception of Your gift enables Him to understand it, and You to use His understanding on Your behalf.”


〔貴方のギフトに対する彼(精霊)の自然な知覚が、それを彼に理解可能にします。 そして貴方は彼の理解を自分の為に使う事が出来ます。〕

貴方は二番手に成る訳です。 貴方は彼の命令を遂行する事が出来ます。 貴方は彼の明確な理解を執行する事が出来ます。 これが良き知らせです。 これが要点です。 要点は(このようにして)真理を知ることです。

要点は、葉の揺れや芝のそよぎに注意を逸らすのではなく、愛の動き(風)を体験して、それが神の動き(神の現われ)だと知る事です。 これが要点です。


“It is impossible to convince You of the reality of what has clearly been accomplished through Your willingness “

〔(自分の理解を放棄する)貴方の意欲によって明確に達成されたもののリアリティを、貴方に教える事は不可能です。〕

貴方の技や力によって達成されたリアリティではありません。 貴方が使った個人的力ではなく、(自分の理解を放棄する)貴方の意欲によって明確に達成されたものです。


“It is impossible to convince You of the reality of what has clearly been accomplished through Your willingness as long as You believe that You must understand it, or else it is not real.”

〔貴方の意欲によって明確に達成されたリアリティを、貴方に教える事は不可能です。 貴方が「それを自分で理解しなければならない。 そうでなければ、それはリアルではない。」と考えている限り。〕

解りますか? これはエゴにとっては大変屈辱的なのです。 何かがリアルである為に貴方が理解しなければならない事は何も無いのです。 貴方が理解してもしなくても、リアルなものはリアルです。


“You think Your lack of understanding is a loss to You, and so You are unwilling to believe that what has happened is true.”

〔理解できなければ、それは自分にとって損失だと、貴方は考えています。 だから貴方は実際に起こった事が真実だと信じたくないのです。〕

貴方は起こった奇跡が真実だとは信じたくないのです。 何故でしょう?
何故ならば、貴方はリアルなものから少しだけかすめ取って、それを「貴方の不安定で微小な自己(自分の世界)の中で、(貴方のプライベートな感覚故に)貴方が見ている闘争のある世界の中で、未来にコントロール/力/安定の要素として使える僅かな理解」として蓄積して置ける、と考えているからです。  しかし貴方が(闘争に満ちていると)見ている世界は(闘争/矛盾のない)天の大国(天国)なのです。


" You think Your lack of understanding is a loss to You, and so You are unwilling to believe that what had ( has?) happened is true.”

〔理解できなければ、それは自分にとって損失だと、貴方は考えています。 だから貴方は実際に起こった事が真実だと信じたくないのです。〕

あるいは貴方はこれをリアルだと考えているかもしれません。 しかしそれはまぐれで、まぐれや偶然を期待して自分の人生を行き続けるわけには行かない、学習を通して(状況を)上手くコントロール出来る様に成らなければならない、と考えています。

貴方がその様に言って、奇跡を偶然として片付けたなら、その時貴方は理解を取り逃がしたのです。 その時貴方が取り逃がした理解は「奇跡は理解とは何も関係ない。」です。

素晴らしい栄光の奇跡、体験するべき喜びが貴方に与えられています。 そして貴方の(それに関する)理解はそれと全く関係がないだけでなく、貴方は自分で理解しようとする意図を(状況の中に)持ち込む事を止める必要があるのです。


もう一度読みましょう。

“You think Your lack of understanding is a loss to You, and so You are unwilling to believe what had happened is True, but can You really believe all that has happened, even though You do not understand it, has not happened.”

〔理解できなければ、それは自分にとって損失だと、貴方は考えています。 だから、貴方は実際に起こった事が真実だと信じたくないのです。 しかし、『「貴方が理解していなかった」起こった全ての事』は起こらなかったと本当に信じる事が出来ますか?〕

これは興味深い質問です。

“Yet, this is Your position.”
〔しかし、これが貴方の取っている立場です。〕

貴方はそういう主張をいつもしています。 貴方は奇跡が起こらなかったと言うのです。  あるいは「ラジが言っている様な素晴らしい奇跡」は起こらなかった、と言うのです。

「オー、それは素晴らしかった。 変容の癒しは凄かった。 しかしそれは私が確実に依存出来る事ではありません。 神がいるかもしれないと理解する事が今なら可能でしょう。 しかしあれは偶然、あるいはただ単にあのように成っただけなのかもしれません。 この瞬間こうなる様に運命付けられていただけなのかもしれません。」と言って貴方は奇跡を放棄してしまいます。 そうして貴方は奇跡を無にしてしまいます。

そして貴方はより多くの理解を求め続けるのです。 未来にそれを使用できる様、理解を溜め続けるのです。


“You would have perfect faith in the Holy Spirit, and in the effects of His Teaching if You were not afraid to acknowledge what He taught You.”

〔精霊が貴方に教えた事を、貴方が認める事を恐れなければ、貴方は精霊とその教えの効果/結果に対して完全な信心(信頼)を持てるはずです。〕

そうですね。 貴方は精霊が貴方に教える事を認めるつもりがあるでしょう。 しかし貴方は精霊が教える事を完全に尊重出来ないでいます。 何故なら精霊の教える事を受け入れたなら、貴方は自分が学んできた事、自分で自分に教えてきた事を放棄しなければならず、そうすると貴方は(自分自身の能力を使えない)二番手に成ってしまうからです。 「それは酷い、これは受け入れられない。」と貴方は考えています。


“You would have perfect faith in the Holy Spirit and in the effects of His Teaching if You were not afraid to acknowledge what He taught You, for this acknowledge means that what has happened, You do not understand but that You are willing to accept it because it has happened.”

〔精霊が貴方に教えた事を、貴方が認める事を恐れなければ、貴方は精霊とその教えの効果/結果に対して完全な信心(信頼)を持てるはずです。 その理由は、貴方が精霊の教えを認められるなら『貴方は「起こった事を」理解しいないけれども、しかしそれが起こった故に貴方はそれを受け入れる事が出来る』という事だからです。〕

貴方は枝の揺れや芝のそよぎを受け入れる事が出来ます。 それ自体を答えとして受け入れるのではなく、それ自体を究極の「もの/こと」として受け入れるのではなく。 そうではなく、それを「風」の動きを示すものとして、「愛の動き」の証拠として受け入れる事が出来のです。 何故なら証拠がそこにあるから。 つまり神がそこにいるから。

貴方がコース(やその他の宗教体系の学習)を学び理解するのは、(貯蔵しておける)永遠の答えの知識を得る為ではなく、(尊敬される孤児に成ろうとして)知識を拾い集め続ける性癖を貴方が放棄出来る様に成る為にです。

その代わりに「お父さん、ここの真理は何ですか?  父よ、このように見えている愛の動きを私が感じられるように助けて下さい。 何故なら、『愛の動きが意味で、それが(創造に成っている)貴方の現われだ』と私はわかっているから。」と言えるように。

「私は卑小な孤児としての能力は放棄する事にしました。 (その神聖が「全創造の全てを抱擁している」偉大な巨大さとしての)神の子としての自分自身に対する認識を明確に出来る様に。 私は、既に自分がそうである「本当の自分」を体験したいのです。 私はそれが体験したいのです。 私が(神の子に成っていない、全く神聖に成っていないところで)「自分の為のアイデェンティティ」として自分で作れると考えたものよりも。 (卑小さに対する私の溺愛故に)巨大さが体験できない/存在しないマインドの枠組みよりも。」

次に貴方と一緒にいられる事を楽しみにしています。

そして、これが愛と喜びの宇宙的共有だったと貴方も気付いたでしょう。
(神聖の巨大さ故に)宇宙内の全てのものが愛の表現により抱擁され、それが感じられました(宇宙の一部分が、それを認識し受け入れたかどうかにかかわらず)。

そして貴方の現れ、貴方の存在、今のこの瞬間に貴方が存在している、この瞬間が宇宙的出来事です。 私の存在(ありかた)がそうであるように。


「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行動は全て無料で提供されています。 これは無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとはその様なものだからです。 貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。 


A Course in Miracles Study Group with Raj, Jan 2nd 2010
The Northwest Foundation for "A Course in Miracles"
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org