ジェットのサッカ-blog 

浦和レッズとサッカ-情報を中心にニュ-スや日記など書いてます。コメントもお願いします。 We are reds !

ブッフバルト監督有終の舞い

2006-12-03 23:06:33 | 浦和レッズ
ブッフバルト監督有終の舞い/J1(日刊スポーツ) - goo ニュース

ニッカンスポ-ツ

ブッフバルト監督有終の舞い/J1
2006年12月3日(日)10:00

 ゲルマン魂の宿る巨体が3度、宙に舞った。188センチ、88キロ(現役時)のブッフバルト監督の体が、選手全員の頭上で大きく波打った。「騒ぎすぎて試合を振り返ることができない。浦和レッズはイチバンでーす!」。競技を問わず、もはや外国人監督が日本一に輝いた時には定番となったフレーズを、あかね色に染まる空に響かせた。現役当時に「浦和最高の闘将」と呼ばれた指揮官に、厳しい表情はない。笑顔で日本一の達成感に浸った。

 「新米監督」が浦和を屈強な集団に変えた。今夏、宴会で岡野がパンツ姿になった写真が、週刊誌に掲載された。落ち込んで謝罪するベテランを、笑って許した。途中交代に不満の態度をみせた選手には、戦術的理由を細かく説明して納得させた。クラブから、試合前夜の宿泊を2人部屋から1人部屋に変えるよう打診された時は「ドイツも2人部屋制」と、一時は拒否した。それも、日本を熟知するエンゲルスコーチの説明で納得した。中村GMは「監督経験があったら頑固で衝突したかも。初めての監督業だから柔軟だった」と振り返った。

 今季限りで浦和の監督を退く。「将来のことは2~3日、時間をください」と口にしたが、既に11月上旬の家族会議で決断し、選手にも伝えており4日、退任会見を開く。浦和は来年以降、再びテクニカル・アドバイザーとして再契約する方針。以前から「レッズは私の一部」というブッフバルト監督も受諾する意向だ。

 好きなドイツのことわざがある。「一生懸命にやる者だけに幸運はやってくる」。運だけで大成功は得られない。コンスタントに良い仕事ができる準備をする者だけが成功できる-。リーグ制覇は運だけでは達成できない。ブッフバルト監督は3年がかりで浦和に幸運をもたらした。


ギドは今期で退団濃厚するみたいですね。
違う新聞ではオジェックとかゲルト
とか言われてます。
時期監督は今月中にわかるかも知れませんので動向を注目します。
でもオジェックだったら永井が移籍するかもしれないな・・・

ワシントン2発で得点王/J1

2006-12-03 21:16:50 | 浦和レッズ
ワシントン2発で得点王/J1(日刊スポーツ) - goo ニュース

日刊スポ-ツ

2006年12月3日(日)10:00

 優勝しか頭になかった。勝つためだけに、ワシントンがゴールに迫った。1-1の前半44分、ポンテの素早いクロスを右足で合わせる勝ち越し弾。後半14分には闘莉王のヘッドパスをヘッドで押し込み、優勝を決定づけた。「得点王よりも優勝したい」と無欲に戦ったエースには、リーグVと得点王の2冠が待っていた。同じカトリックの闘莉王と天に向かって感謝の祈りをささげた。

 シャンパンを片手に、はしゃぎ続けたワシントンの視線の先には、来日中の父アントニオ氏(64)がいた。ブラジル代表で活躍していた02年に突然、心臓病発症、動脈血栓で倒れた。所属先からの解雇通告。心臓に3つの医療機器を埋め込む2度の大手術を乗り越え、1年2カ月の闘病生活を支えたのは実父だった。ワシントンは「いつも『サッカーをやるなら闘病もベストを尽くせ。納得いくまで努力しなさい。サポートするから』と支えてくれた」と感謝した。

 練習熱心な助っ人。練習後に自主的に坂道ダッシュを繰り返し、パワーを養った。26試合26得点のハイペースなゴールが浦和を優勝に導いた。「来年、もっとタイトルを取る。アジアCLを制して世界クラブW杯も出る」。浦和のエースは、まだ満足していない。


21分にG大阪 マグノ・アウベスが得点したときはワシの得点王とレッズ勝利は一瞬ないと思ったけど、失点してから選手達の動きが良くなりました。

皆が頑張ったのでワシが得点出来るようになり、得点王に慣れたと思います。
ワシにとってW受賞ですね。

ワシントン選手得点王おめでとうございます。

来年も得点王とリ-グ制覇しましょう。

浦和初V!サポーターに感謝

2006-12-03 21:09:30 | 浦和レッズ
浦和初V!サポーターに感謝(スポーツニッポン) - goo ニュース

スポニチ

2006年12月3日(日)06:13

 【浦和3―2G大阪】赤い悪魔がついに頂点に立った。浦和は2日、Jリーグ史上最多の6万2241人の観客で埋まった埼玉スタジアムでG大阪と対戦し、FWワシントン(31)の2発などで3―2で勝った。今季の通算勝ち点を72に伸ばし、リーグ戦初制覇。ホーム連続不敗は22試合、観客動員も空前の75万人を突破。かつてのお荷物クラブが、名実ともに日本を代表するビッグクラブとなった。

 誰かれ構わず、そばにいる人間と抱き合った。長いシーズンを締めくくるホイッスルが鳴る。ピッチでスタンドで赤と赤が重なった。主将の山田がシルバーに輝くJリーグ杯を天に突き上げた。「04年のステージ優勝の時とは重みが違う」。短い言葉に万感の思いがこもる。ゴール裏からは「We are Reds!」の大合唱。99年、J2降格の時にできたおなじみのコールは12回も繰り返された。

 G大阪の前半21分の先制ゴールは、序章にすぎなかった。ブッフバルト監督は「1発殴られて目が覚めた」と言う。赤い悪魔の逆襲が始まる。前半27分にポンテが右サイドを独走し同点弾。44分には鈴木からポンテ、ワシントンとつなぎ勝ち越し弾が決まった。試合後、指揮官は日本語で叫んだ。「浦和レッズは1番で~す。サポーターの皆さんありがとうございました」。

 どん底を知る男のこん身のパスが優勝をたぐり寄せた。鈴木が入団したのはJ2時代の00年。「自分の力で強くしたかった」。だが待っていたのは挫折。翌年春の練習中だった。持ち味の激しいプレーで味方選手にケガを負わせ、当時のチッタ監督によって練習場から追放された。ただ一生懸命プレーしただけなのに――。それが低迷期の浦和だった。

 今年の浦和は鈴木の望んだ「闘うオーラ」に満ちていた。10月、指揮官に不満を漏らした主力がベンチを外されたG大阪の話を聞いて、闘莉王は笑った。「そんなんじゃ、ウチは誰も試合に出られなくなるよ。外国人の方が優等生なんだから」。試合中は元ブラジル代表のワシントンも関係なかった。怒鳴り合い、つかみ合い寸前になったことも数知れない。

 日本代表が7人、元代表が6人。だが、圧倒的な個性を摘むのではなく、融合したのが浦和だった。ブッフバルト監督は「試合に出ない選手の力こそが浦和の真実」と胸を張る。レッドダイヤモンドのごとく、結束は石よりも固かった。

 真のビッグクラブの誕生だ。ホームでは連続22戦不敗。スタジアムを埋め尽くしたのはリーグ戦最多の6万2241人。その時、藤口社長は94年の最終戦を思い出していた。富山で開催された横浜M戦に3―6と惨敗し、2年連続最下位が決定。泣き崩れるファンに囲まれた。「強くなりたい気持ちでサポーターに負けた」。世界一のサポーターに負けないクラブをつくろうと決めた。その信念は今も変わらない。

 06年12月2日。選手もスタッフもサポーターも誰もが真っ赤な幸せにひたった。アジア・チャンピオンズ・リーグに参戦する来季からはステージを世界へ移す。世界一のサポーターと、もっともっと大きな幸せをつかみとるために。


昨日は優勝の瞬間を立ち会えて良かったです。
勝った瞬間はとても嬉しい反面こんな感じとも受けられました。
犬飼さんが記念品授与したときが感動しました。
と言うのは犬飼さんはレッズの前社長だったからです。

昨日の夜は居酒屋をはしごしてました。
おいしい酒でしたが、今日起きたのは12時頃です。

来年もまたおいしい酒が飲みたいです。

V置き土産に世界へ!三都主にプレミア3チームからオファー

2006-12-03 20:59:27 | 浦和レッズ
V置き土産に世界へ!三都主にプレミア3チームからオファー(サンケイスポーツ) - goo ニュース

サンスポ

2006年12月3日(日)04:52

 J1最終節(2日、浦和3-2G大阪、埼玉スタジアム)イングランドプレミアリーグの3クラブが、来年1月の移籍市場再開に向け、浦和の日本代表MF三都主アレサンドロ(29)の獲得準備を進めていることが2日、明らかになった。三都主に近い関係者が認めたものでボルトン、ウィガン、ウエストハムが有力。日本が誇る左サイドのスペシャリストが、J制覇を手土産に夢舞台に挑戦する。

 母国ブラジルの打楽器を打ち鳴らし続けた。「神様がホームで決めさせてくれたんだと思う。どうしても日本一になりたくて、ずっと頑張ってきた」。三都主はV字型に剃った髪をなで、陽気な笑顔を見せた。


 その裏で次なる夢への動きは始まっていた。


 「話はきています。以前のものに加えて新たなものもあります」。三都主に近い関係者が、水面下で欧州クラブからの獲得の打診が来ていることを明かした。それがボルトン、ウィガン、ウエストハムのプレミア3クラブ。完全移籍のオプションが付く半年間の期限付き移籍が有力という。


 ボルトン、ウィガンは今年8月にもオファー。浦和での優勝を目標にする三都主は「日本一になる目標もあったし、代表も新しくなって定着したかった」と残留を決意した。一方で左サイドMFは世界的に人材不足。両軍の調査は続いていた。


 中田英寿氏も所属したボルトンは、アジア市場を重視。ウィガンは英大型スポーツ店JJB社長のウィーラン氏が買収したことにより、500億円超の潤沢な資金を持つ。新たに名乗り出たウエストハムも今年1月にMF小笠原の入団テストを実施するなど、日本人獲得に積極的だ。


 三都主はこの日、「浦和は本当にいいクラブ。ただ海外に行くだけの選手にはなりたくない」と出場機会など現在の環境と比較検討をした上で、判断する意向を示した。ただ、プレミアは02年夏にチャールトン移籍がまとまりながら労働許可証が下りずに断念した夢舞台。年齢的にもラストチャンス。浦和も今夏のオファーを断ったいきさつから移籍を認める方針で、正式オファーが来ればまとまる可能性は高い。次なる夢へ。ブラジル、日本、欧州。“三都”で“主”になる日が、いよいよやってくる。


今年のアレは凄く良かったです。
もし移籍することになればとても寂しいですが、彼の夢を実現して欲しいので
快く送りたいですね。

6万人サポーター歓喜!浦和、14年目で初の年間王者

2006-12-03 20:53:15 | 浦和レッズ
6万人サポーター歓喜!浦和、14年目で初の年間王者(サンケイスポーツ) - goo ニュース

サンスポ

6万人サポーター歓喜!浦和、14年目で初の年間王者
2006年12月3日(日)04:51

 J1最終節(2日、浦和3-2G大阪、埼玉スタジアム)笑顔のVだ! 浦和が2位G大阪との最終決戦を3-2で勝利してリーグ初優勝。J2降格、昨季の最終戦V逸など14年の苦難を乗り越えての悲願達成。DF田中マルクス闘莉王(25)は、ホーム・埼玉スタジアムに集結したJ1リーグ戦歴代最多6万2241人のサポーターとともに歓喜の瞬間を迎えた。

 涙より笑顔。6万のスマイルが光を放った。


 「やっと皆さんの期待に応えられました!」


 主将のMF山田がスタンドに叫ぶと、地鳴りのような歓声が沸き起こる。浦和レッズ、リーグ初V。日本サッカー史にしっかりと刻んだ。J2降格経験のあるチームとしては初の快挙だ。


 負けても2点差以内なら優勝の最終戦。G大阪に先制されたが6分後に追いつき、前半44分にFWワシントンのゴールで逆転。さらに後半14分、MF三都主の右クロスをDF闘莉王がつなぎ、ワシントンが頭で決めて3点目。勝負を決めた。「浦和の強さはどんな状況でも結果を出すところ」。左足痛をおして強行出場した闘莉王も、満面の笑みを浮かべた。左足内転筋痛で前日練習も途中離脱するほどの重症。この日は痛み止めを服用して先発した。「いつものパフォーマンスとは全然違ったかもしれない」と、自らのプレーには不満げだったが、優勝の瞬間は笑顔だった。


 ダイヤのように輝きたい-。サポーターの思いとともに栄光へたどり着いた。就任したばかりのブッフバルト監督から直々に電話をもらい04年、J2水戸から移籍した“闘将”。昨季は2位と、あと一歩で優勝を逃した。今季はワシントンやMF小野らが加入。その中心に闘莉王がいた。


 黄金時代の幕開けだ。オシム・ジャパンへ闘莉王ら7人を送り込み、この日もベンチに小野ら代表経験者6人が待機する戦力。それを整えられる潤沢な資金も、サポーターあってこそ。昨季営業収入58億円、人件費23億円はリーグ最高。この日もリーグ戦歴代最多6万2241人を集め、今季ホーム入場者数はJ史上最多の77万4749人に達した。


 「本当によかった」と話す藤口光紀社長の脳裏には過去の様々な苦悩が浮かぶ。2年連続最下位だった94年最終節、富山での横浜M戦で6失点大敗。怒った観客がピッチになだれ込んだ。当時運営担当だった藤口社長は身の危険を感じつつ、彼らの瞳に光る涙を見つけた。「弱いのだから怒りも当然。強くしたい」。以降、サポーターと積極交流。藤口社長らスタッフはときにサポーター宅で酒を酌み交わしながらチーム強化策を議論した。その思いは選手も分かっている。


 これでホーム22戦負けなし。「サポーターのために」と繰り返し、スタンドの熱気と同じハートを持つ闘莉王は「ずっとこのためにやってきた。素晴らしい」。


 We are Reds! 声をそろえる選手、スタッフ、サポーター。闘莉王も最高の笑顔を見せた。


 〔写真:初優勝で、プレートを掲げる浦和イレブン。その表情に涙はない〕


昨日は勝てて良かった。
勝って優勝できたのは大きいです。

再来週は天皇杯があります。
疲れを癒し次の福岡戦に望んで欲しい。