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インタビューはジーコの質問から始まった。
「サウジに行ったんだって? どうだった?日本のNHKを観てたんだけど、ほら、放映権の問題とかで映像は観られないだろう?」
メンバー表を渡すと、「駒野が左サイド?システムは4-4-2?」と質問が続く。控えメンバーまでひとりずつ声を出して読み上げる。しばらく彼はA4の紙を見つめていた。
トルコの名門フェネルバフチェを率いる前日本代表監督は、ボスフォラス海峡を見下ろす高層ホテルを仮の住まいとしている。9月4日のイスタンブールは好天に恵まれ、17階の部屋には午後の陽光が差し込んでいた。
──どうですか、トルコのサッカーは?
「あまり守備に気を配らない。身体能力を生かして、とにかく点を取りに行く感じだ。私もこちらのサッカーに合わせながら、少しずつ戦術的な部分を取り入れようとしているが、選手の頭が慣れていないから」
──代表とは仕事の進め方が違うでしょう?
「毎日練習できるし、ミスの矯正もできる。代表では何か課題があっても、再集合をかけられるのは1カ月後だったりするからね。そういう意味でクラブはやりやすい。矯正が早くできれば、チームはどんどん伸びる」
──日本代表を率いた当時は時間が少なかった、と改めて感じますか?
「それはどこの国の監督も同じだが、あれだけ技術を持った選手がいたから、もっと一緒に練習ができていたらという思いはある。クロスの練習ひとつでも、クラブならできるまで繰り返しやらせることができるし、今日がダメならまた明日という継続性が持てる。代表はそうもいかない。選手が自分なりの意識を持って、クラブで課題に取り組んでくれるかどうかに頼らざるを得ないんだ」
──ワールドカップが終わったあと、「できることはやった。すべてを出し切った」と話していました。それでもやはり、計算違いや後悔はあったのではないですか?
「自分の見解は変わらない。あの記者会見のときと同じ気持ちだよ。まず時間帯の問題があった。午後3時開始を2試合続けたチームは、すべてグループリーグで敗退している。この事実は無視できない。オーストラリア戦は80分までは悪くなかった。相手の監督がどんどん長身の選手を出してきて、ハイボールやロングボールを多用してきた。そこで逆に追加点を決めていれば、まったく違う結果になっていたと思う」
──失点については?
「1点目のことを言えば、中田浩二にロングスローを投げさせて、事前に30本ほどああいう場面を想定した練習をしていた。練習では川口は一度も飛び出さなかった。あの日の彼は本当に調子が良かったし、あれぐらいノッていれば自分で処理しようという気持ちになるのは分かる。彼を責めるつもりはまったくないけれど、練習どおりでないプレーがネガティブな結果をもたらすことは、サッカーではしばしば起こりうる。あと8分だった。あの8分のために、我々はグループリーグで負けてしまったようなものだ」
──なるほど。
「初戦に勝てば当然勢いがつく。次のステージへ行ける確率も高くなる。それに、ブラジルがクロアチアに勝っていた。日本がオーストラリアに勝っていたら、第2戦は非常に余裕を持って戦うことができたはずだ」
一方的にやられたのなら、
まだ納得できるが……。
──日本国内では、オーストラリアを1-0とリードした後の采配が批判されましたが。
「もし1-0のまま逃げきっていれば、ジーコはすごい、となり、ヒディンクは何だ、となっただろう。同じ選手交代でも、プラスにもマイナスにも作用する可能性がある。それほど間違った采配はしていないと、自分では思っている。あの時間帯はボールポゼッションを上げたかった。少なくともセカンドボールを支配して、中田英、小野、福西、中村でボールが回れば、と。小野が入ったあとも何回もチャンスがあったわけだし。とにかくセカンドボールを支配して、駒野かアレックスを前のスペースへ出て行かせたかった」
──選手自身がもっと考えてプレーすべきだった、と私は思いますが。
「後半だけでも高原、柳沢、駒野、福西とチャンスがあった。どうしてもう1点取れないのか。4回もチャンスを逃したら、絶対に勝てない。イージーなものは全部決めないと。駒野が突破したとき、中田英がフリーだった。何回も練習した形だ! 中を見てスッと流せばいい。そこでパスミスをしてしまう。一方的にやられたのなら、自分もまだ納得できる。でも、あれだけ攻めておいて、チャンスを作り出しておいて、決められないのでは……」
──クロアチア戦も決定機を逃しました。
「柳沢の場面は、目の前にGKがいたわけではない。ニアサイドから戻る途中で、ゴールは空いていた。押し込めばいいだけだ。彼には10年間言い続けてきた。ああいう場面では、左足のインサイドで確実に蹴れと。あれを外したら! 高原もシュートをフカした。ワールドカップでは、すべてを最高の形で整えておかなくてはならないんだ」
──しかし日本は、コンディションを崩した選手が少なくなかった。
「高原も、ドイツ戦で2点入れたが、マルタ戦でちょっと傷んでしまって、本大会では活躍できなかった。でも、加地は逆だった。根性以上のものを見せて、何とか間に合わせた。最終のメンバーリストを決める前は、何があってもいい。でもリストを決めてからは、一人ひとりの気合いというか根性というか、少しぐらい傷んでもとにかくやる、すべてを費やしていく、という気構えがないと勝ち抜けない。それがワールドカップなんだ」
──それを、選手は分かっていなかった?
「伝達すべきものはすべて伝えたと思っている。選手がどこまでそれを真剣に受け止めてくれたかは分からないが。これは本当に個人の問題になる。バンコクでワールドカップ出場を決めたときに、全員を集めてこう話した。『ワールドカップはこんなもんじゃない。最終予選の倍ぐらいの難関が待ち受けている。キミたちが本当にやる気があるなら、クラブでそれぞれを高めていってほしい』と」
──そこに誤算があった?
「久保は最終的に連れて行かなかったが、9カ月近くもまともにプレーできないほど腰を痛めていた。どれだけ才能があっても、メンバーには入れられなかったよ。彼だけじゃない。4年間のなかで、7人もの選手が長期の離脱を強いられた。高原のエコノミークラス症候群は特別としても、中田英、稲本、小野、久保、坪井、柳沢……中心になる選手のうち7人もだ。イタリアはなぜ優勝したか。ほとんどのメンバーは、100%とは言えないまでも、それに近い状態だった」
──フィジカルが問題だった、と。
「フィジカル的な準備という意味だけでなく、一人ひとりが持ち合わせる体質というか──資質の問題だ。ベースとなるフィジカルを、小さい頃から強くしていかないといけない」
海外組が多かったことについては?
「海外でプレーするのはいい。ただ、ほとんどが試合に出ていなかった。コンスタントに出ていたのは、中村とフェイエノールトに所属していた当時の小野ぐらいだろう。松井も出ていたけど最初は2部で、稲本も常時出場したのは2部へレンタルされているときだった。柳沢はほとんど出ていない。高原も大久保も。彼らはみな優れた選手だが、代表に呼ぶときには試合勘の問題があった」
──もっとも計算外だったのは、誰ですか?もっとできるはずなのに、と思ったのは。
「名前を出したくない」
──中村俊輔は体調を崩していた。なぜ最後まで使い続けたのですか?
「信頼は積み重ねによって生まれる。彼はヨーロッパでの経験があるし、1本のスルーパス、あるいはFKで日本を救ってきた。だから、最後の最後まである程度期待してきた。足を引きずりながらでも、微熱があって調子が悪くても、オーストラリア戦で1点目を生んだのは中村だった。そういう可能性を秘めている。名前だけで信頼していたわけじゃない。彼は実績を残してきたから」
(以下、Number662号へ)
もっとも計算外だったのは、誰ですか?もっとできるはずなのに、と思ったのは
の質問に「名前を出したくない」を答えたのはうけた。
柳○といいたいけど、いえないよね。