神様がくれた窓際一番後ろの席

2023-04-18 02:02:09 | 回顧録

■神様がくれた窓際一番後ろの席
※文字は若干薄めのまま

中学3年生、年が明けて3学期の頃の話。

全てを知っているというわけではないが、小学校~高校までは”席替え”というものが大抵存在すると思う。当時、私は席替えの時(大抵くじ引きで決まる)、その列の一番後ろの席に座りたいと思っていた。なぜか?それは別に教壇に立つ先生から離れている位置でサボりたいとか思っていたわけじゃなく、むしろ一番後ろが好きというより、後ろに人がいるのがすごく嫌だったのだ。

 なぜ後ろに人がいる位置が嫌だったかというと、自分のスペースを確保しにくいからである。まず席に着くと基本的に椅子の背もたれと後ろの席の机の間には少しスペースが開く。しかし、このスペースがいつの間にか無くなる、あるいは少なくなる。つまり後ろの席の奴が机を前に押し出してくるのである。これに関してはほぼ例がくなく私の後ろに座った奴は全員そうだった。前に詰めないでくれと頼むこともあったが、まず聞き入れられないというかすぐに忘れられる。真剣に聞いていない。俺はこれが本当に嫌だった、これが後ろに人を置きたくない理由

 逆に自分はどうだったかというと、そういう嫌な思いをしてる自分が居るので絶対に前の席を圧迫するような事はしなかった。自分のスペースを確保するという事は、どうでもいい人にはどうでもいい事なんだろうが、私には大事であった。だからこそ席替えではその列の一番後ろの位置になりたかった。そうでない時は極端な言い方をすれば毎日の学校生活がつらかった

 たまにネットニュースで、親が学校や担任の教師に対して注文を付けると、”モンスターペアレント”なり、”クレーマー”なりという言葉で批判されている事がある。例えば、自分の息子(娘)はコレコレこういう理由があるので席替えの際には列の一番後ろになるように配慮して欲しいと言いに行くとやはり批判されるのだろうか。僕自身が、気苦労のある毎日を送った経験があるので、もし自分に子供がいて、その子が同じような感じをしているのなら少なくとも一言は必ず言いに行く。

 小学6年の時にはこんな事があった。当時も一ヶ月おきくらいにくじ引きで席替えが行なわれていたんだが、5回連続で列の一番後ろの位置を引き当てた事がある。ただし、その位置に座れたのは4回。なぜか?くじ引きで不正を働いた奴がいたから、1回やり直しにさせられてしまったのである。なんで真面目にくじを引いた俺までやり直さないといけないんだと…今の俺が乗り移っていたら間違いなく抗議してた。当時は何も言わずなるように流されてしまった。他にもいろいろあるんだけど結構言わなかったために損した事があったなぁと。

最近の学校は机が固定されていたりするんだろうか…

 ここまで書いてきた事が理由で、私が学校で一番改善して欲しいと思っていたのはこの点である。固定されていると自分のスペースを確保するという心配がなくなって(後ろから詰められることが無くなる)、どんなに快適な学校生活が送れるものかと思っていました。本当に後ろに人がいるのが嫌で嫌でしょうがなかったから。

僕は変わり者なんだろうか?
別の時に書くかもしれないが、例えば僕は修学旅行には行きたくなかった。特に中学校では。
めんどうくさいじゃん?
長崎行きだったけど何しに行くの?
修学って言葉ほど別に勉強になる事なんて何もなかった。
それなら一人旅がしたかった。

 で、ここでようやく本題となる。中学3年間それまで1度も列の一番後ろの席になれなかった僕であるが、中学生活最後の最後の席替えで列の一番後ろ、それも窓際の暖かい所になる事が出来た。世間から見ればなんでもない事かもしれないが、3学期の寒い時期にそこに座れた事もあって涙が出るくらい非常に嬉しかった。神様がくれた一番後ろの席。中学3年間、毎日気苦労が絶えなかった日々だったが、ようやく報われたかなと

 思えば小学生の時も卒業直前の最後の席替えは同じところに座れてたんだった。

…という結びである、寝つけない明け方に急に思い出したので殴り書き。
オチはありません


忘れてもいいけど忘れない内に

2023-03-04 19:06:24 | 回顧録

■忘れてもいいけど忘れない内に

※.若干薄字のままにしてあります

 いや、本当に忘れてもいいかもしれないけど、忘れたくないような、さっさと忘れた方がいいような…。小学生~中学生、そして大人になってからの話です。他人が見ても面白くもなんともないと思いますが…初恋の話です。

 僕が女の子という物(者)を始めて意識したのは、小学4年の時だったと思う。当時、僕が何組だったかは忘れましたが、朝礼かなにかで全校生徒が整列した時に一つの隣の組にかわいい子がいるな~と(仮にSさんとしましょう)思った記憶があります。しかし、これはそれで終わりです。初恋って程ではないと思っています。ちなみに、のちにこの子と中学2年の時に同じクラスになっているのですが、何も感じることは無く、むしろ性格がアレだった(失礼)のが判明したのですぐ忘れて良かったなと思った思い出があります。

 本当にこれが初恋なんだなと思った、というより後々初恋だったと判るのが同じく小学4年生で同じクラスだったMさんです。住んでいる場所も同じ町内で結構近くだった。しかし、やっぱりこの年齢ではかわいいな~って思っても恋だという事には気づきませんし、そもそもかわいいと思っていたのかすら不明だって言う。

 なぜ後々になってそうなんだなって思ったかというと、実は僕はこの子と些細な事でケンカって程でもないけどちょっと言い合いになってしまったことがあって、共に担任の先生の前に呼ばれて怒られたことがありました。小学生の頃の僕はケンカなどしてこいつ嫌いだって思ったらとことん嫌いになる単純な奴だったのですが、不思議とこの子は嫌いにはならなかった(というのを後で思った)。さらにこの子と席が隣になった時に、明らかにこの子が原因の行き違いがあったんだけど、その時はまぁいいかって軽く流せてた僕が居た。

 子供の頃の僕は今以上に心が狭く単純だったと思うから、この行動はやっぱりこの子を特別な存在と意識してたのかなと。このMさんとは小学3年から6年まで同じクラスになれて、これはという個人的に非常に嬉しかった出来事が2つあります。

 一つ目は6年の2学期だったか(もう時期は記憶にない)、クラス内で班を決める出来事がありまして、まず班長になりたい人が立候補しその後残った人が順番に入りたい班を指名するという方式です。僕は友達が少なかったし、自分から他人の班に入るなんてなかなか勇気がいるなって思ったから、むしろ班長に立候補して待つ方向にしました(今よく考えてみたら逆に誰にも指名されなかったらもっとヤバいですね…)。で、多分8班くらいに分かれた中で、Mさんが私が班長をやっている班を指名してくれたのです。ん~多分町が一緒だし4年間一緒のクラスで比較的知ってる顔だから選ばれたのだと思いますが、個人的にはす~ごく嬉しかった。

 二つ目は、小学校も卒業が迫った3学期の事です。小学校に限らず学校では席替えってありますよね。一番いい席は校庭が見える窓側の一番後ろ。冬なので温かく、先生から遠い所、しかも後ろに誰もいない。僕は卒業前最後の席替えのくじ引きでそこを当てることが出来、それだけで喜んでたのに目の前の席にはMさんが…。いや、ネタじゃなくて本当の話です。個人的にはす~ごく嬉しかった(再)。
※.席替えにまつわる話はまた今度書きます

 それから卒業までの間にMさんとたくさん会話ができたという事は無かったのですが、なぜか、本当になぜか、二人の仲が男子の間に噂になるというある意味事件があった。当の本人たちは(少なくとも僕は)、親しいわけでもないし訳が分からんなっていう顔でしたけどね。正直僕自身は、小学6年のこの時期には彼女を好きだとはっきり意識してました。しかし、なんでそういう噂が流れたのか今でも判らない。男子の間ですらそういう話が流れるんだから、女子の間でもあったかもしれない。

 そういえば彼女が遊びに来た…というわけではないのが残念ですが、いつだったか忘れたけど何かの打ち合わせのために家に上がってもらった事があったような気がする。もう少し年齢が上の時に同じような状況になってればな~少しは勇気が出たかもしれないです。

 …という所で、基本的にはここで終わりです。

 Mさんとは中学ではクラスが同じになる事が無く、話す機会すら無かった…というのは僕の弱さだと思っています。勇気が無い、自分に自信が無い、だから告白まで繋げられなかった。高校は別々で、近所ですが顔すら見ていない…はず。以前、人生で二番目に後悔した事(一番ではないという意味)っていう記事を書きましたが、もう何が言いたいかお判りですね。

 一番はこの子に自分の気持ちを伝えられなかった事です。この後、僕はリアル女性を”恋愛的に”好きになった事は一度も無いです。かわいいと思ったことすらない。少なくとも記憶にない、もちろんそっちの趣味ではない。それだけ大きな存在だったと改めて思います。だからこそ、自分自身が前に進むためにも告白しなければならなかった。結果がどうであれ、ダメならダメで先に進めますから。

 


俺の人生で二番目の後悔

2023-01-26 20:21:47 | 回顧録

■俺の人生で二番目の後悔

※.ここで言う二番目とは一番ではないという意味で使用します

ズバリ

『ファミリーコンピュータマガジン』おそらく90年半ば~96年半ばまでのほぼ全号を廃棄した事

です。

今ヤフオクでは1冊1000円はしますよね…。
この時期のファミマガは隔週発売で毎年だいたい26~27号だと思うので通算150号以上…。

まぁそういう事ですね^^
金銭的なものもあるけど、今これを全部集めようとするとどれだけの苦労が必要か想像もできない。

 

 個人的なファミマガの思い出について語ると、読み始めた最大の理由は『FF3』の攻略記事の影響が強かった。当時は悲しい事にファミコンをやる時間を親に制限されていたから隔週発売のファミマガに載ってる攻略記事でも同じくらいのペースでゲームを進めていた。

ゲーム雑誌と言えば『ファミ通』じゃねぇんだよ『ファミマガ』なんだよ!!
なのになぜ…俺はあの時、捨ててしまったんだ。。。orz

 そこからSFC時代もファミマガのお世話になっていたが、プレステが発売されたあたりくらいにとりあえず発売されれば買うけど、あまり楽しみっていう程でも無くなっていた。そしてファミマガ64となったあたりで決別。ファミマガ自体はそこから2年後くらいに消滅したらしい。

 買っていた時は、通っていた学校の手前にあるローソンで買い、学校で読んでる事も多かったが、やはりまだゲームが市民権を得ていない時代だったのか奇異な目で見られていた。

 確か『スーパーファミコンマガジン(SUPER FAMICOM Magazine)』という毎号ゲームミュージックが入ったCD付の雑誌があった。それも毎号欠かさず買ってはいたけど、これは黎明期のヤフオクで処分してしまった記憶。ナンテコトヲシタンダ…(´・ω・`)

実店舗じゃまず売ってねぇですから。
 微妙な古本屋に捨て値で置いてある事を期待してるけど、ネットで情報が容易に得られるようになった昨今ではむしろプレミアム価格になってそうである。

 ファミコンゲームの攻略本もたくさん捨ててしまっていたし、なんでそんな事をしてしまったのかと大いに後悔している。今の俺は自分の意思を貫いて損をしても後悔しないと決めているからまだしも、子供の頃の話だから本当に後悔しかない。