「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

航空機の中で『お客様の中でお医者様はいらっしゃいませんか』というドクターコールを聞いたときに手を挙げるか?

2019-04-11 | 雑記
「お客様の中でお医者様はいらっしゃいませんか?」というアナウンスが世の中にはあるそうです。医者になってから◯年が経ちますが、幸運にも、私自身はこのようなアナウンスに遭遇したことはありません。
しかし、自分自身がこのドクターコールを聞いた時にどうするかについては、もちろん、考えたことがあります。そして、今日、たまたまラボの方と、このことについて話す機会があったのでした。

例えば、wikipediaによると、日本ではこのようなドクターコールを聞いた時に手を挙げる医師は半数以下というアンケート結果があるそうです。
とはいえ、日本の医師法19条には「応召義務」があります。これは「医師の職にある者が診療行為を求められたときに、正当な理由が無い限りこれを拒んではならない」という法令で定められた義務になります。つまり、医師はドクターコールによって急病人への診療行為を求められたら、正当な理由がなければ拒否することができないといえなくもありません。しかし、実際には、半数以上の医師が「名乗り出ない」と言っているわけです。
その理由として、過半数が「善きサマリア人の法」を新規立法することが必要だと答えたといいます。

「善きサマリア人」と言われても、クリスチャンならばすぐにピンと来ると思いますが、そうでない方はすこし戸惑うかもしれませんね。新約聖書に書かれているサマリア人の故事にその由来があります。

ある人がエルサレムからエリコへ下る道でおいはぎに襲われた。おいはぎ達は服をはぎ取り金品を奪い、その上その人に大怪我をさせて置き去りにしてしまった。たまたま通りかかった祭司は、反対側を通り過ぎていった。同じように通りがかったレビ人も見て見ぬふりをした。しかしあるサマリア人は彼を見て憐れに思い、傷の手当をして自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き介抱してやった。翌日、そのサマリア人は銀貨2枚を宿屋の主人に渡して言った。
『介抱してあげてください。もし足りなければ帰りに私が払います。』


この話に基づいて、現在、アメリカ合衆国などでは「善きサマリア人の法(good Samaritan law)」という法律が導入されています。その趣旨は「窮地の人を救うために善意の行動をとった場合、救助の結果につき重過失がなければ責任を問われない」というものです。ある意味で、当たり前のような気もします。善意で助けてくれた人に対して、たとえ過失があったとしても恨むのは筋違いではないでしょうか。
しかし、日本ではこの種の法律がなく、医師がせっかく善意の行動をとったものの、残念ながら不幸な結果になった時(たとえば救命できなかったり、あるいは医師に過失があったりした時)に、医師に罪が問われる可能性があるのですね。実際、国外の航空会社がいわゆるドクターコール時に応じた場合、傷病者が亡くなっても航空会社がその行為を保障すると述べていたのに対し、国内の航空会社では「医師や看護師など名乗り出た者の責任」としていました。
そんな状況では「名乗り出るだけ損でしょう?」というのが多くの日本の医療従事者の意見なのですね。

う~む、とはいえ、自分ならばどうするべきか。

実は、私の伯父がかつて欧州行の機内で怪我をした時、たまたま同乗していた長崎大学医学部の放射線科の先生方に診療して頂いたことがあります。私はその時はまだ医学部の学生で、話を聞いたときに「それは実に素晴らしいな」とつくづく思ったものです。その時点ですでに善きサマリア人の法をめぐる議論があることを知ってはいましたが、それでも果敢に診察して下さった先生方がいたことにすこし感動したのでした。
だから、やっぱり私自身の答えとしては「自分如きでも診察できそうだったら診察します」というものです。やっぱり診てあげられそうならば診てあげたいと思っています。もちろん、医療従事者として、たとえ勤務時間外、病院外であったとしても、出来ることはしてあげたいです。
しかし、例えば飛行機内という非常に診察に向いていない場所で、ちょっと診断と治療法を間違ってしまったとしても、その時はどうか許してほしいという気持ちもあります。医者とはいえ、私たちは万能からはほど遠く、時と場所によっては無力でもありますから。


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