「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

相馬から仙台へ

2016-03-31 | 雑記
今日、公立相馬総合病院を辞職して、相馬から仙台へと居を移すことになりました。

出来れば被災地に留まりたいと思っていましたし、研究重視の専門科研修をしたいという考えもありましたし、幸いにも医局で留学を後押ししてくれる環境がありましたので、東北大学を選びました。そのまま相馬に留まるよりも、新しい環境に身を置いて、新しい方々と出会い、様々な刺激を受けることで「自分を変えたい」と願ったのでした。
退職に際して、色々な方々から、綺麗な花束を頂戴しました。抱えきれないほどの量になりました。かつて、ある女性にバラを贈ったら「実は花の匂いなんて嫌いです」とメールで書かれて、とてもショックを受けたことを懐かしく思い出しながら、美しい花々を自宅のリビングの片隅に飾りました。

夜に入局先の医局有志による懇親会が開かれて招いて頂きました。
医局長から「やりたいと思うことをやって下さい」と言われました。もともと医局内の自由度が高いのは魅力だと思っていましたから、医局長のお墨付きですし、あとはやれるところまでやってみようと考えています。
刀折れ矢尽きるまで足掻いてみて。それでも駄目だったら仕方ないと諦められるまで。
せめて、必死になってやってやろうと、覚悟を決めているのです。

広島、長崎、そして福島……。

日本は世界一の被ばく国と容易に言えるのかもしれませんが、残念ながら、放射線生命科学・放射線医学の領域で世界をリードしているとは言い難いものがあります。わが国で放射線を研究している方々は悔しくないのだろうか。少なくとも私は悔しいと感じます。
2011年の福島原発事故があれだけ騒がれた原因は、大衆の無知と、扇動する者の存在があったのかもしれませんが、なにより放射線医学者・生物学者の努力が足りなかったと思います。低線量被ばく影響に関する研究がもっと進んでいれば、また、すこし違った展開になったのではないでしょうか。
「よく分からない」ものに対する恐怖は本能的なものです。原発事故の影響に無関係の一般の方々でさえ動揺しましたし、実際に避難された方々はとても辛い思いをされました。放射線研究とくに低線量放射線生物学が進んでいなかったために、「今後どうなるか判らない」と答えるしかなかったのは、医師として、医学者として、とても無念であり、なにより悔しかったものです。

新しい環境に適応するまで、またすこし時間はかかるのかもしれませんが、頑張ります。