森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

義はついに、不義に勝てぬか

2023-11-04 15:09:51 | 森の施設

 

  義はついに、不義には勝てぬか

 

 この言葉は、藤沢周平の「密謀」の一説である。徳川家康が政権を奪取した直後とそれに至数年

間の上杉家を主題にした歴史小説で、その主人公として直江兼続、景勝の心境と戦略を描いた小説

です。 石田三成の西軍が家康の東軍に敗れ、上杉家をどうするかと切羽詰まった時の兼続と景勝

の心境である。上杉家の大将である景勝は、「兼続は天下を争え、景勝には言ったが、家康との抗

争のはじまりはそれではない。おのれの欲望をむき出しに、義を踏み滲って恥じない人物に対する

憤りが、兼続や石田三成を固くむすびつけたのである。

 だがその抗ガンの男のまわりに、ひとがむらがり集まることの不思議さよ、と兼勝は思わずには

いられない。むろん家康は、義で腹をふくらまぬと思い、家康を担いだ武将たちもそう思ったのだ、

その欲望の寄せ集めこそ、とりもなおさず政治の中身というものであれば、景勝に天下人の座をす

すめるのは筋違い加もしれなかった。

 天下人の座に坐るには、その自身欲望に首のでつかって恥じず、ひとの心に棲む欲望を自在に操

ることに長けている家康のような人物こそふさわしい。景勝が新しい天下人が現れたと言ったのは

正しいのだ。-----儀はついてに、不義に勝てぬか。」と藤沢周平に言わしめている。

 現代の世界において東ヨ--ロッパや中東地域で戦争が勃発したことも、不義を巧みに正当化しつ

つ、多くの人々を犠牲にしているのである。そういう状況に接してもリ-ダ-たちは戦争を止めよ

うとはせず、返って我が正当を謳い続けている。これは人間の一つの大きな本能であり、姿の一面

であるのだろう。

 

 

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