撮り散らかし鉄の記憶

撮り散らかした鉄道写真の中から記憶に残るシーンを

JR西日本 大阪(2012.2.24) 583系 B05編成 急行 きたぐに 新潟行き

2022年02月15日 22時21分46秒 | JR各社
10年前にJR西日本 大阪駅で、583系の急行「きたぐに」を撮りました。
1枚目は、大阪駅に停車するクハネ581-28の急行「きたぐに」新潟行きです。
元々のB05編成ではクハネ583-28が先頭車でしたが、2010年に引退したB02編成のクハ581-28に車両組み換えが行われています。



2枚目は後追いですが、同じく大阪駅に停車中のクハネ581-33です。



3枚目は、モハネ582-89の2号車の号車札、「急行 きたぐに 新潟」の側面表示幕、自由席の「急行 禁煙車」のサボです。



4枚目は、サロ581-16の6号車の号車札、「急行 きたぐに 新潟」の側面表示幕、グリーン車の表示、「急行 禁煙車」のサボです。



5枚目は、サロネ581-5の7号車の号車札、「急行 きたぐに 新潟」の側面表示幕、「きたぐに A寝台」のサボです。



6枚目は、モハネ582-45の8号車の号車札、「急行 きたぐに 新潟」の側面表示幕、「急行 B寝台」のサボです。



この年の3/16のダイヤ改正で583系の急行「きたぐに」の定期列車の運用が終了するので、大阪駅に撮りに行きました。
同業者が多かったのですが、何とか編成を撮ることができました。
急行「きたぐに」は、1968年の通称ヨンサントオと呼ばれたダイヤ改正に伴い、それまで大阪~青森駅間を運転されていた急行「日本海」が名称変更されて登場しています。
1972年には北陸トンネル内で食堂車を火元とする列車火災事故が発生する惨事もありました。
1973年には普通座席車が12系客車化されていましたが、1982年には運転区間が大阪~新潟駅間に短縮され、使用車両が14系の座席車と寝台車の混結に変更されています。
1983年には583系の12両編成に使用車両が変更されて電車化しましたが、1986年の国鉄として最後のダイヤ改正で10両編成に短縮されました。
1987年にJRに分割民営化された後も京阪神と北陸、新潟県を結ぶA寝台車、B寝台車、グリーン車、自由席車が混結された夜行列車として運転されましたが、2012年に定期運転を終了しました。

世界初の寝台電車として、1967年に直流・交流60Hzに対応する581系、1968年以降の増備は電動車を直流・交流50/60Hzの3電源対応とした583系が登場しました。
最初に投入された列車愛称にちなんで月光形電車とも呼ばれており、1968年には鉄道友の会の第11回ブルーリボン賞も受賞しています。
昼夜兼行形車両として夜行列車だけでなく、昼行列車としても運用されていましたが、居住性、メンテナンスなどに課題があったようです。
夜行列車の削減、新幹線の延長に伴う昼行特急の削減などの影響で、1982年のダイヤ改正以降は特急運用を外れた余剰休車が発生しました。
1983年以降は余剰車を中心に、一部が419系、715系近郊形通勤電車に改造され、優等列車の運用は僅かとなりました。

1987年のJR分割民営化の際にJR東日本に引き継がれた車両は夜行では「はくつる」「ゆうづる」、昼行では「はつかり」に運用されましたが、1994年には定期列車の運用が終了しています。
その後も一部の車両は更新工事を受け、波動用車両として臨時列車や団体列車に運用されましたが、2017年には営業運転を終了しています。
一方、JR西日本に引き継がれた車両は、急行「きたぐに」定期運用の他、波動臨時列車として運用されました。
急行「きたぐに」の定期列車としての運転終了後も臨時急行列車「きたぐに」にも運用されましたが、2013年に臨時急行列車も営業運転を終了しています。