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日本の新聞の見方

時事問題の視点ー今の新聞テレビの情報には満足できない人のために

星野WBC監督辞退他

2008-10-23 05:52:48 | スポーツ

 昨夜、星野が正式にWBC監督辞退を表明し、監督人選は振り出しにもどった。まだ完結していないが、一連の動きはある種の政治ドラマを見るようで中々おもしろかった。

 王がコミッショナー諮問会議で星野を推したことが野村の口から洩れて、星野で流れが決まったかに思われ、出来レースと早とちりしたマスコミもあった。

 ところが海の向こうからイチローが暗に星野に反対したことから、再び監督人選は混沌としてきたが、それも昨夜決着がついた。
 私はかねがね選手のほうが経営サイドよりえらく、球団社長と言ったってタレントのマネージャー程度だと思っていたので、選手が監督を選ぶかのような今回の成行きは欣快の至りである。
 イチローのいない日本チームは考えられないので彼の発言は重い。
大分前、選手の立場の改善を求めた当時の選手会長の古田のことを「たかが選手」と言った巨人軍の実質的オーナーはさぞ苦々しく思っていることだろう。
 ダルビッシュもオリンピックで日本のエースとしてのプライドをずたずたに引き裂くような使われ方をして星野には頭にきていたらしい。
 大体「長嶋ジャパン」とか「星野ジャパン」とか監督の名を冠することがおかしい。主役は選手なのだから。

  今回の王の動きに興味をそそられた。おそらく彼は星野の辞退を見越して、星野と彼を推す巨人の渡邉の顔を立てただけではないのか。オリンピックで日本チームを率いた星野の名前が誰からも出ないのではメンツまるつぶれとなる。王はプレーヤーとしてだけでなく政治性においても非凡なものがあるかに見える。
 もしかしたら星野がその場で辞退しなかったのは王にとって意外だったかもしれない。星野には多少その気があって世間の様子を見ていたところ、イチロー発言等風向きが思わしくないので昨夜の辞退表明となったのかもしれない。

 星野にとっては阪神が優勝を逃したのも彼の評価を下げることになり痛かったであろう。
 阪神と言えば岡田監督が辞任したのは、星野が来年も引き続きシニアディレクターと称して大した仕事もしてないのに自分より高給を食み続けることがわかって嫌気がさしたからという週刊誌の記事があった。
 星野が阪神監督を辞任した後、球団側がシニアディレクターなるポストを新設しておまけに高給で引きとめたのも公言できない事情があったのだろう。その後一時巨人監督に意欲を見せたので少なくとも健康問題ではなさそうだ。

 アメリカ発の金融危機はハリウッド映画にも大きな影響があり、資金難のためこれまでのような大作の制作は難しくなるらしい。
 だがこれは映画にとどまらない。アメリカのスポーツビジネスのマーケットはざっと日本の十数倍あるがこれは日米の経済規模からしても過大であり一種のバブルではないか。だとすれば大リーグもこれまでのような法外な高給を出せなくなるかもしれない。

今のプロ野球のリーグ優勝決定制度について。
 今年は三位の日本ハム、中日ともに勝率は五割を超えているが、理論的には三位チームが五割を切ることもあり得る。
そうすると、レギュラーシーズンの勝率五割以下の三位チームがクライマックスシリーズを勝ち上がりそのまま日本シリーズで勝ち日本チャンピオンとなることもあり得ないことではない。
 一位チームが独走した場合、二位チームも勝率が五割を切ることだって理論的にはあり得ないわけではない。そうなった時この制度への批判はいっそう高まるだろう。
 だからもしこの制度を残すとすれば勝率五割を切ったチームはクライマックスシリーズ出場権がないとするしばりを設けるべきだろう(あるいはすでにこうした規定があるかもしれない)。
アメリカ大リーグは日本と多少制度が違うが勝率も問題となるみたい。

 話は違うが今月20日マイクロソフトのワード2007のIMEが改善され変換精度が高まっているのでまだの人は無償でダウンロードできるので試みられたらいい。ソフト名称 office KB957698
 以前は単語の区切りがめちゃくちゃで頓珍漢な変換をすることが多かったが大分よくなった。一時一太郎に変えようかと思ったけどしばらくワードを使ってみることにする。
 このソフトは中国で作られているので日本語に関してはあまり使い勝手がよくないと誰かが書いていた。

 OSのウインドウズビスタは容量が大きすぎるのでXPのほうがいいという人も多いようで今でもXPが手に入る。

 

 



 


相撲界の現状

2008-09-03 19:26:22 | スポーツ
20世紀の終わりに、戯れに、友人たちと21世紀中になくなりそうなものをあげてみた。それをアットランダムに挙げてみると、

皇室
大相撲
プロ野球
自民党などがあった


 その中、今日は大相撲の話。
私も昔栃錦若乃花(初代)時代は相撲が大好きだったが、いつの頃からかまったく見ないようになった。後から振り返ってみると、相撲に興味がなくなったのは超重量力士がのさばるようになってからのような気がする。

 栃錦や若乃花が今の力士に混じれば間違いなく最軽量級であろう。だがそれでも多分彼らは横綱を張ることができるだろう。最近の力士はたらふく美味しいものを食べているくせに、稽古量は昔よりはるかに少なくなったと聞く。「三年先の稽古」という金言も死語になったのか。だから体重が増えることが必ずしも彼らのプラスになっていない。
 
 不思議でならないのだがどうして親方衆は栄養士或いはスポーツ医学の専門家を抱えて力士の適正体重を管理しないのだろう。体重が増えすぎて短命に終わった力士の何と多いことか。

 最近の力士の教養のなさにもゲンナリする。二代若乃花が大関だか横綱に昇進した時、使者への口上の中で「堅忍不抜」を間違えて「ケンシン不抜」なんて言っていた。意味が全くわかっていなかったのだろう。多分彼はマンガくらいしか読んでいないのだろう。
 双葉山が70連勝を阻まれた時、彼の精神的師匠格であった安岡正篤に「われ未だ木鶏たりえず(荘子)」と電報をうったのと比べなんという違いだろう。「双葉の前に双葉無く、双葉の後に双葉無し」と言われているのは単に彼の強さだけを言っているのではない。双葉が生きていたら今の相撲界をどう思うだろうか。

 相撲界の改革が論議されて久しいが、外部から理事を招聘する話も一向に進まない。理事というのは経営者であるから相撲取としての実績こだわるべきではない。彼らは既得権擁護に余念がない。だが現状維持は衰退に至る道であることを知るべきである。


 相撲はルールが非常にシンプルであり、土俵があるためスピードとスリルがあり格闘技としてとてもよくできていると思う。見るスポーツとして柔道やレスリングよりずっと面白いと思う。世界への普及の可能性は柔道に劣らないと思う。将棋と並んで日本が誇るべき文化だと思う。それだけに現状は憂慮に堪えない。

豪州コーチが売国、勝った中国が金

2008-08-19 18:06:51 | スポーツ

上は今日のMSNニュースの見出しから 

「勝った中国」は誤り正しくは「買った中国」。ひどい間違い。こんなことはしょっちゅうでこれだけだったらコメントする気にならないが、内容にいささか興味をそそられる。

  このニュースではコーチは売国的、中国は貪欲に金(かね)にあかせて勝とうとすると、双方を非難するトーンであるが果たしてそう言えるだろうか。 

 もし豪州のコーチが仮に軍需産業であるとして適性国家に重要な軍事情報を売り渡したのであれば売国という非難に値する。 だがことは平和的なスポーツの話であるから、こんどの売買の対象はむしろ単なるノウハウの売買に近いように思われる。そうであれば豪州国家を含めて第三者がとやかくいうことはないと思う。 

 そもそもこの論調の背景にある、オリンピックのメダルの数に国の威信がかかっていて、ことは国家利益に関っているという思想こそいまどきダサいのではないか。私はこの論調とは逆に、「知的財産権に金(かね)を払いたがらない中国人がよくぞ大金を払ったものだ、やっとグローバルスダンダードに近づいたね」とほめてやりたいくらい。 半分皮肉。

話変わって、柔道やレスリングを見るたびに見るスポーツとして相撲はよくできていると思う。ルールがシンプルであることと土俵があるためにスピード感とスリルがある。但し特にひいきの力士はいない。

 


アスリートは競技団体の「下僕」ではない

2008-08-16 13:31:52 | スポーツ

   このテーマは萬晩報2005年6月23日号の成田好三さんの記事による。

 この記事で成田さんはオリンピック代表選手決定の不明朗さなどを指摘している。成田さんがこの記事を書いてから3年以上経つが実態はまったく変わっていないと思うから紹介する価値があると思う。

 総じて日本のスポーツ団体では役員がエバリ過ぎており、まるで選手を部下のごとく扱う。

 プロ野球では球団社長等フロントの連中が選手をまるで部下扱いしているが不当である。フロントの事務屋の代わりはいくらでもいるが選手はそれぞれかけがえがない。球団社長などとエバルのではなく、自分達は選手に気持ちよくプレーしてもらうためのマネージャー程度なんだとわきまえてほしい。
 そういう風土から巨人の某オーナーの「たかが選手(古田のこと、当時プロ野球選手会長)」発言が生まれた。

 部下扱いしてそれなりに遇するのであればまだしも、成績の落ちた選手の扱いは冷淡そのもの。シーズンが終わって予告もなしにいきなりクビを言い渡したりする。選手に再就職或いは他球団への移籍を模索する猶予を与えるためもっと早めに通告してやるべきだろう。選手も監督やコーチとの相性があって環境を変えてやればまた復活する可能性もあるのだからトレードには最大限努力すべきだろう。

 高校野球のこと。高校野球で不祥事を理由とする出場禁止の基準もすこぶるあいまいで恣意的。最近連帯責任を緩和する傾向にあるのはいいが、緩和ではなく当事者以外の責任は一切問わないところまで行ってほしい。それによって役員の恣意を排することができる。
 
 甲子園の高校野球を見るたびに思うが審判のレベルが低い。あれでは選手がかわいそうだ。そのくせ一切抗議を認めない。昔ワンバウンドでスタンドに入ったのをホームランとしたり、スリーアウトでなくフォーアウトチェンジにしたりしたことがあった。
 アウト・セーフ、ストライク・ボールの判定への抗議は認めるべきでないが、ルールにかかわる誤判定には抗議が許されることを徹底すべきである。

 プロ野球の審判の方がはるかに正確。甲子園でもプロ野球の審判に依頼したらどうだろう。

話変わってオリンピックの開会式。
 先日の北京の開会式は長すぎるという感想が多い。今回の開会式では選手の入場行進の時間が全体の三分の二程度を占めるのだからここに最も時間短縮の余地がある。先ず入場行進から役員を除くこと。これだけで多分30程度は短縮できる。主役は選手なのだから。次に一国の人数を制限した方がいい。たとえば200人を限度するとか。開会式が長過ぎるのは選手がかわいそうである。
 実はこの話から、以前の成田さんの記事を思い出した次第。

萬晩報では成田さんと東大ドイツ文学の中澤英雄先生の投稿がすぐれているのでバックナンバーから調べられたし。萬晩報とは昔の黒岩涙香萬朝報のもじり。念のため。

 
 
 


オリンピック開会式

2008-08-11 12:45:10 | スポーツ

 8日オリンピックの開会式を外でテレビを見ていたら、紙、活版印刷、羅針盤が中国の発明であることを誇っているかのような演出であった。先の三つに加えて確か火薬も中国の発明で一般には四大発明というはず。
 火薬は平和の祭典オリンピックにふさわしくないと考えたのかな。それとも花火でそれを暗示したのかな。 
 この演出は、「偉大なる中華文明」の自国民へのデモンストレーションであるともに日ごろ中国の知的所有権の侵害に抗議している各国へのアピールかなという考えがちらっと頭をかすめた。つまりわが中国はこれだけの発明によって世界文明に貢献してきたのだから、今の知的所有権の侵害は大目に見てくれというわけ。

 孔子論語からの引用もあった。孔子は秦の始皇帝の「焚書坑儒」以来過去何度も否定の対象となった。近年では魯迅、文革中は「批林批孔」など。儒教は孔子が創始したわけではない。論語は儒教の経典としてではなく一つの箴言(しんげん)録として読めばいいと思う。このブログでも何度か引用したが私も好きな言葉がたくさんある。

 四大発明は確かに中国からだが活版印刷について言えば、ヨーロッパの諸言語は30足らずのアルファベットですべて表記できるのに対し中国語では少なくとも数千の漢字を備えなければならないので、中国文明への貢献度はヨーロッパほどではなかった。
 
 開会式であったように中国では紙が発明される前文字を書くのに竹簡(竹を板状にしたもの)を用いていた。中国語が簡潔を旨としているのは古代記録に竹簡を用いていたので紙と違って文字が多くなればかさばってしようがないから。これは司馬遼太郎の説。この説への賛否は留保しておく。

 世界の四大発明と言えば日本人の四大発明を読者はご存知か。正解はパチンコ、ゲートボール、テレビゲーム、カラオケ。みんな遊びに関する発明で日本人が勤勉というのは本当だろうかというジョーク。


 その後帰宅してNHKラジオで開会式を聞いた。アナウンサーが「(女子マラソンの)野口選手が心配ですね」と言ったらゲストの増田明美が何の根拠があってか「まったく心配ありません」と断言していた。そしたら翌日、野口の故障は出場も危ぶまれるほど深刻であることがわかった。 
 増田で思い出したことがある。どのオリンピックか忘れたが、確か有森裕子が30キロ過ぎにエチオピアの選手に抜かれたら、何の根拠があってか「この選手(エチオピア)はいずれ落ちますから」とのご託宣だったが、そのままトップでゴールインした。身びいきにもほどがある。わからないことをわかっているかのように断言する自己欺瞞には恐れ入る。もう増田はメディアには出さないでほしい。


北京オリンピックで見たい種目

2008-08-04 23:29:52 | スポーツ

 多分表題に関して日本人にアンケート調査すれば、メダル獲得の可能性がある柔道、サッカー、野球といったところが上位にくるであろう。

 だが柔道は見るスポーツとしてはおもしろくない。柔道は元々相手の攻勢を逆用して反撃する防御的な武術であって空手剣道のような攻撃的な武術ではないので、双方が守りに入ったのでは試合が成り立たないのである。
 それに嘉納治五郎三船久蔵の時代は子男が大男を投げ飛ばすのが柔道の醍醐味だったと思うが重量別になってそれもなくなった。さらに柔道は本来礼節を重んじる武道であったはずなのに、今や日本選手でさえガッツポーズをするものが多い。こうした面での国際化はいただけない。同じ武道でも剣道でガッツポーズをするものはいない。相撲も同じ。
 これは武道ではないが、囲碁でも将棋でも勝った方が負けた相手の前で喜びをあからさまにすることはない。表情だけ見ていてはどっちが勝ったのかわからないくらい。少しは見習ったらどうか。

 サッカーは極めて点が入りにくいスポーツであるから引き分けが多すぎる。もう少し点が入りやすくなるようにルールを変えた方がいい。例えばゴール枠を大きくするとか。ゴールキーパーの守備範囲を狭くするとか。

 野球は世界最高のアメリカがベストメンバーでのぞむわけではないからオリンピックは実質的に世界一を決める場ではない。星野もあんなにしゃかりきにならなくてもよさそうなもの。日本全体の熱い期待を感じているのかもしれない。

 私が見たい種目。陸上男子100、200メートル、400メートルリレー。男子ハイジャンプ、棒高飛び。水泳の自由形男子50、100、200メートル
 残念ながら、いずれも日本選手はだれも決勝に残れそうにない。陸上短距離は肉体的にしようがないにしても、水泳の華である自由形の選手層が薄いのは指導者に問題がある。つまり有望な若い選手がいても世界的に選手層の厚い自由形を避け、メダルに届きやすい他の種目に向かわせると聞いたことがある。

 私は世界最高のアスリートのもっともスリリングなシーンを見たいのであって、決勝にも残れない日本選手を見たってしようがない。 だが放送は相変わらず日本選手中心となることだろう。

 話変わって、開会式の旗手に福原愛ちゃんが選ばれたのは合点がいかない。あんな小さな女の子で、しかも微妙な手の感覚が要求される卓球の選手である。卓球の選手はラケットより重いものはできるだけもたない方がいいのに。自身のプレーに悪影響がないだろうか。あんなものは男性の柔道か重量挙げの選手がふさわしい。これが杞憂であることを祈っている。愛ちゃんは中国瀋陽でトレーニングをして強くなったし、中国語も話せる、もっとも有名な日本選手であるという政治的人選かもしれない。