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アメリカか?中ごくか?

2022-05-18 11:58:03 | 日記
👩河添恵子さんという人がどういう考え、どういう経歴の人かということは、及川幸久さんのYouTubeに行けばすぐわかります。ウクライナ・ロシア(ロシア・ウクライナ)のお話も聴けます。
推測じゃなく、『事実』を必ず携帯されている馬渕睦夫さんと河添恵子さん。だから説得力がある。
👨河添恵子さん、いまいちばん輝いているなあーっ❗
👩ぎゅーっ(^_^)-c<^_^;)
👨痛いなあ🩹
👩なぜ私は世界と日本の明日を心配して暗澹となり、
👧おかあさんなんてほとんど推測だものね。
かたや河添恵子さんと馬渕睦夫さんは落ち着いておられるのか❔
👴動いて行く歴史の方向がわかるからだと思うよ。
👧すごいなあ。あれほど理路整然と話せるかたがたを見たのは久しぶり。
👴いでたちもスーツとワンピース。聡明さ。笑顔。清潔感。
👨ママもいい線いってると思うよ。ママはいつも『見つける人』だ。
👩おかあさんのいちばん好きな仕事は好きなライブハウスを巡って『これだ🎵』と思うバンドを探してくる仕事。
👧私の夢はそのバンドをプロデュースすること。東京ドームなんてでっかい場所には出ない。
👩郷美、そのお話はまた別よ。
👨河添恵子さんが急に中ごくについて教え語ってくれだして、その理由はなんだろう❔と思った。欧米がすでに『脱中ごく』に舵を切っているからだ。『日本こそ脱中ごく』しなければならない
👩馬渕睦夫さんは、DS(ディープステートまたはネオコン、アメリカの闇の支配者)の存在を教えてくれた。しかし、DSが実際に存在して世界を支配していることが今の状態であると。私たちは日々、魂(良心・性根)を磨き、学んで、何が真実で何がウソだという物事の判断力を培(つちか)わねばならないと教えてくれた。
そうだ、私は歌が好きだから『風に吹かれて』『イマジン』『サウンド・オブ・サイレンス』などの歌詞を読んで「その通りだ❗」とは思うけれど、思っただけでは歌詞の本当の意味はわからない。そのまま半世紀(約50年)も経ってしまった。ボブ・ディランさんも、ジョン・レノンも世の中の深層を知っている(いた)からこのような歌を書いたのだろう。けれど、関係者(やはりDSとDS関係者❔)は皆、それを表沙汰にしたくなかったろうし、歌の歌詞など理論的に説明できないと思ったのだろう。「ポール・サイモンさん、『サウンド・オブ・サイレンス』の歌詞の意味をもっと分かりやすく教えてください」と聞きに行った人は今までに居たと思う。しかし、彼は最初から『分かりにくく、どのようにも受け止められる』ように歌詞を書いているのだから真相を語るはずがない。彼自身、音楽業界というメディアのなかで暮らしていて業界からお給料をもらっている。『サウンド・オブ・サイレンス』は、ネオ(👧コ)ンの神が誰かわかってしまっては困るけれど、世界の人々の動向(未来)を心配する僕の気持ちはわかってほしいと思ってリリースしたのだと思う。

以下は、🎵『サウンド・オブ・サイレンス』の歌詞の3番の途中からです。

And in the naked light I saw (僕は見てしまった。裸電球の下で、)
Ten thousand people, maybe more (一万か、いやもっと多くの人が、)
People talking without speaking(口を動かすこともなく語っている姿や )
People hearing without listening (耳をそばだてることもなく聞いている姿や)
People writing songs that voices never share (歌われることもない歌を書いている姿を)
And no one dare Disturb the sound of silence. (だけど、誰も沈黙の音というものを遮ろうとするものはいない・・・。


文明によって、蒔かされた種子は、
いつしか夜という絶対の価値すらも危うくするほどに成長してしまったのだ。
その中で、無批判に人々は無価値・無意味・不条理な人生を送っている。
その状態をポールは沈黙の音(ザ・サウンド・オブ・サイレンス)と規定しているのだ。
すなわち沈黙の音とは、文明の中の「あるもの」(物質)を指すのではなく、
文明の変化過程における「ある状態」(時間)を指していることになる。
その状態とは、コミュニケーションというものを喪失した社会における人間の有り様と言えるだろう。
ここにおいて作者が「ザ・サウンド・オブ・サイレンス」(沈黙の音)というタイトルに込めた意図が明らかになる。
つまりこのタイトルは、現代の文明が、
日常はき出している騒音か雑音つまり「ノイズ」ということに単純化することも可能となる。
その現代文明が、日々はき出すノイズに対し、作者は怒りすら覚え初めている。
(👩ノイズっていうのは情報過多。要らない情報をたくさん出して、
絶対に知っておかねばならない、命に関わるような重大な情報を見えにくくする。読みにくくしてしまう。せっかく見つけても忙しい現代人は保存ボタンを押し忘れたり、機械に慣れていないと、もう一度見つけようとしても、えらく時間がかかってなかなか見つけられない。)

4
"Fools" said I, "You do not know (「馬鹿」って言うよ。君たちは何も分かっちゃいないのだ。)
Silence like a cancer grows (沈黙の奴が癌のように大きくむしばんでいるのを。)
Hear my words that I might teach you (僕が諭す言葉をよく聞くのだ)
Take my arms that I might reach you (僕が差し伸べる腕をしっかり取るのだ )
But my words like silent raindrops fell (しかし、僕の言葉は沈黙のままで滴り落ちる雨粒のようなもの。)
And echoed In the wells of silence (沈黙の井戸に、落ちて、ポチャリと、こだまするだけだ。))

(👧この状態って、現在ではスマホやパソコンのことでもあるのではないかしら❔
DSが何か大きな仕事の目隠しをするために、
世界市民がこちらの様子を注視しないように、
スマホやパソコンのなかの心地よい『仮想空間』で遊ばせてるのね。きっと。
浦島太郎のお話じゃないけれど、
楽しい竜宮城で長い間遊び続け、
さて帰国したときに(正気に戻ったときに)、
もらった玉手箱を開けたとたん爆発した(突然戦争になった)みたいな。
恐ろしすぎる。

👨昨今の戦争では、スマホの位置検索で、スマホを持つ兵士が標的になっているものね。)
👧それとこれとは別だけれどね。どうせ位置を知られるなら国産のスマホにしようっと。
スマホ店で聞くとはなしに聞いていると、スマホを購入した高齢者のほとんどはスマホについて詳しくない。スマホ管理ができない人にスマホの自己管理をさせるからきっとさまざまなリスク管理の鍵は空きっぱなしで、結果は惨憺たるものだ。良いの❔日本政府はそれでも。学んだ人しか生き残れないじゃない❗おかしいよ、そんなの。いろんなことについての弱者がいるのは当然なのよ。会社でも「早く🚄💨速く🚄💨」ってみんな『速い(早い)病』にかかっちゃって、右向くところ、0.1秒でも左を向いたら即、「そっちじゃない💢」と言われる。こちらの脳の思考回路(「えっと、どっちだったっけ❔」というところまで入り込んでくる❗少し考えて思い出すくらい、いいじゃん❗みんなが賢くなり、物凄いスピード社会だよ。ゆっくり生きないと身体に悪いよ。

👩郷美、ゴメン、話は変わり、当時私には世界の真相などわかる術(すべ)もなかった。昔はSNSなどなかったからだ。だが、今はある。政府が中ごく共産党のように言論統制しなければ、思うよりずっと早く世界の真相は知りたい人々に届くだろう。そしてその世界の真相、この悪の世界の成り立ちを私に教えてくれたのが、馬渕睦夫さんと河添恵子さんだった。お二人はご自身のご意見の出どころをきちんと持ち、とても理論的である。私のようなお花畑(=世界中の人々が幸せになってほしい。なるべきだという考えの人)は、勘(かん)と感情だけで物を言っていると言われてしまいそうだ。

👨ただ、100年前から2022年いま現在までは、ある特定のユダヤ系の人々(=DS=ディープステートまたはネオコン)がアメリカを、そして全世界を支配している。それは今のところ揺るぎない。
ロシアにさまざまなことを教えたり、中ごくを共産化したのもDSに支配されたアメリカだ。DSは『戦争プロパガンダ』やさまざまなプロパガンダ(洗脳)を使う。戦争で儲ける。

👩『アメリカと中ごくと、どちらを選ぶ❔』という文字を見たとき、
「たとえアメリカと世界をDSが統治していようとも、まずは『脱中ごく』なのだな」と思った。
アメリカは、いつの日か、魂(人間の良心・性根)を持った人物がアメリカ大統領になればよいのだから。まずは中ごく。14億という人口が1つの意見しか持っていない、というところが怖い。そんな人々が世界中に飛び散っている。

👨もし、世界がシフトチェンジできるなら、そのために突破するのはあとどこの難関門であろう❔シフトチェンジは、たとえば馬渕さんと河添さんがどんなに重要なことを教えてくださろうとしても、お二人が話すこと自体に興味がないとか、怖いページは開かないとか、関心がないなどの人たちの魂の改善・入れ替えにかかっていると思う。
昔は誰も真実を教えてくれなかったのだから国民は知らなくて当然。
でもいまは違う。情報統制などしなければSNSがある。

👩『サウンド・オブ・サイレンス』の歌詞に登場する、
口を動かすこともなく語っている人や、
耳をそばだてることもなく聞いている人や、
歌われることもない歌を書いている人というのは、
かつての私だけでなく、DSとその取り巻き自身ではないのか❔
自分のしていることの重大性(結果、戦争や飢餓、災害で大勢の死者が出るということ・地球環境破壊)に気付いて身震いや懺悔(ざんげ)をしたりして涙を流すことはないのか❔
👧なさそう。
👨このまま日本が中ごくとズブズブの(抜けられない)関係を続けていると、いったん何かあったとき、大変なことが起こりますよ、ということでしょう❔
どちらかといったら私はアメリカを選ぶしかないけれど、
アメリカのDSがしてきたことは許せません。
それとも日本は自立すべきなのか❔アメリカの属国である日本の自立をアメリカが許すのか❔
👧何にも協力してくれなくなるだけじゃないの❔

👨本題です。)

アメリカと中ごくどちらかを選ぶ時が来ました。
【河添恵子】日本はこれからはアメリカと関係を持つか今まで通り中ごく共産党とズブズブの付き合いを続けるかどちから選ぶ時が来ました。(YouTube)
河添恵子【未来ネット】

(👨ロシアとアメリカをよく知る馬渕さんと、中ごくに詳しい河添さんがタッグを組んで強い。外国語が理解できるということが真相に直結。
お二人の意見の相違はどこだろう❔
👩人間100%完璧なんて無理。魂の分量が多い人の話に魅力を感じる自分です。
「悪玉」の「玉」は「魂」のことか❔それならDSや中ごく共産党の人間にも『悪い魂』があるんだな。)


金融の制裁は非常に難しい。中ごくには四大商業銀行があるが、中ごくの「こうしょう銀行」を潰すことになれば、経団連も無傷ではいられない。もちろんドルも銀行を制裁したことでどのくらい消えることか。
社会主義と資本主義の二つの制度という『一国二制度』を持っていた香港が『一国一制度になった』ということで、これから香港国家安全維持法によって、アメリカ側が香港自治法案を出すことによって、これから制裁をしていく準備として法案通過となった。これから1、2年で銀行が潰されるかもしれないし、中ごく共産党と近い企業が名指しされて資産の凍結、個人の政治家のファミリーの資産の凍結に持っていくのが今の流れです。

私(河添恵子さん)の話をアシストしてくれているスティーブン・バノンさんが、7/20のフォックス・ニュースのインタビューでこたえているのですが、バノンさんは、
「トランプ陣営は中ごく共産党の脅威に対抗するため、
①ロバート・オブライエン(国家安全保障担当大統領補佐官)
②クリストファー・レイ(FBI長官)
③マイク・ポンペオ(かつてのCIAトップ。現国務長官
④ウィリア・バー(司法長官)
の4騎士を配置している。」
と言う。さらにバノンさんは、
「私は財務長官の参戦も望んでいる。」と言っている。
これから本格的に、中ごく共産党が不正な方法で隠しているようなお金に対して、自由と民主を失くしていくような方法で動く中ごく共産党政府を制裁するための預貯金・お金の流れを押えていくことは財務長官に関わっていくからです。ですからそこに財務長官の参戦を!」という言葉をバノンさんが言った。4騎士に財務長官まで加われば、100%近い力で中ごく共産党を崩壊させていく方向に全部の車輪で(アメリカは)動いて行くと。

(👨中ごくを共産党にしたアメリカが、また、中ごくの共産党を壊すのだな。
👩『ワン・ワールド』のためにアメリカもロシアも中ごくも仲間だったなんていうナンセンスだけはよしてよ。)

日本も今、アメリカと中ごくのどちらに付くか❔『踏み絵』(「私は中ごく側ではありません」or「私はアメリカ側ではありません」。「証拠を見せろ、相手と手を切って見せろ」。)が始まっています。
日本の銀行にも中ごくのお金が入っている可能性がたくさんある。それは中ごく共産党員の子どもや孫のお金かも知れない。日本がそこまでの凍結をするかどうかはわかりませんが、日本がその人たちとのお付き合いをずっと今後も続けていくというなら日本の銀行・日本の企業に関しても
「アメリカは(日本の銀行と企業に)制裁を加えますよ。」というのが今のアメリカの姿勢です。
2年くらい前から、
「『自由と民主・法のもとの平和と人権という価値観を持つアメリカを代表とする世界軸
を選ぶか❔』
『今まで通り中ごく共産党とズブズブとお付き合いを続けるか❔』どっちか❔という踏み絵が始まっている。その状況(『踏み絵』)に日本はますますなっている。
(👨以上です。

👧DSは100年前から居るんだから、第二次世界大戦の時も居た。
まあた、DSにやられてしまうのか。しかし、あの中ごくの傘下になるよりましか❔
👴しかし、アメリカは本当に日本を助けてくれるのか❔……ということは❔
👩日本政府と日本人自身がしっかりしなければならない。
👧『日本がしっかりする』とは❔
👨世界情勢と日本の立ち位置を知る。
他国に頼りすぎず自立する。
日本国民も自己防衛する。
お花畑な考え方をやめていく。
👩パパ、世界の国々は、日本は、いまそんなに何が起こるかわからない状況なの❔
👨きっとそうだよ。
👩泣いてもいい❔
👨いいよ。
👩昔の人が子どもたちに一生懸命教えてきた平和の大切さは❔
戦争の悲惨さは❔偉人伝は❔世界史は❔日本史は❔第二次世界大戦で亡くなった兵隊や市民は❔『夜と霧』を読む意義は❔『アルプスの少女ハイジ』は❔『小公女』は❔『ナイチンゲール』は❔『マザー・テレサ』は❔『ガンジー』は❔『シンドラーのリスト』は❔『杉浦千畝』は❔『ひまわり』は❔『リンカーン』は❔『トムじいやの小屋』は❔
現在は、そういう素晴らしいものの存在の効果が全くなかったってこと❔
👨そうとも言える。経済力と学力、権力の勝利だ。
👩嫌だわ❗勝利なんて言い方。
👨僕らの時代には君が思い描くような平和の世界がやって来るのはまだ無理かも知れない。きっと訪れるけど、まだ今じゃないようだ。やって来るという言い方は間違いで、努力しないと平和は創れない。
👩まだ、当分の間、見れないのね。
👧意外と速いかも。SNSが発達しているから。SNSをどれだけの人が読むかにかかっている。全く無関心の人もいるからね。
👩情報を選ぶのは難しいわね。
👨ぐーぐるやふぇいすぶっくで発言した人たちを、アフガニスタンではあいえすが読んで、外国と関わっていた人を皆、反政府者として捕まえた。
👧書けないことが嫌。「書いてもいいけど、なんかあったとき、刑に処すよ。」というスタンスがムカツク。あたしが戦争やいさかいに反対な心がもっともえさかるだけ。
👩むかついてはダメよ。SNSの所有者を何とかしないと。
👴書いた人の身元と内容を外国のSNS内に残すことが問題だ。
👧gooブログの社長さん、仮に中ごくが日本を支配したとき、私たちを守れますか❔
👨同じレベルで考えても決して解決しないんだ。(アインシュタイン)
👧相手と同じレベルって❔
👨あ、今はこいつとくっついておけば得だからと利害関係だけで考える。
👧もっと上って❔
👩高次元な魂(良心・性根)のレベルで考えること。
👨これはしてよいことか悪いことか❔
こんなことをしたら自分的には相手に誉められ利益となり、存続できるが、そのためにどれだけの犠牲が出るかを考えてみる魂を自分は培ってきたか❔)
高次元な魂のレベルを培い、その階段を上がることこそ、自分が生まれながらに受け継いでしまった、『頭脳明晰だけれど、心(良心)を持たない』という性根をまっすぐに直してくれる。
👧今、自分の中で1つの答えが出ました。『人間は生まれながらに善』というのは違うのではないかと。ダイヤモンドの原石と同じで、魂は磨かなければ善にならないのよ。それも『魂が磨かれた大人』が育成しなくては。比喩でいうからわかりにくいの。説明が私にはまだできないけれどもね。

魂が磨かれる状態とは❔
①家庭環境。親の善い性魂。
②誰に学ぶか❔
③何を学ぶか❔
④どの学校(大学)で学ぶか❔
(特に超世界的に有名なハーバード大学とか、ケンブリッジ大学内に
DSになるための指導をする教授は存在するのか❔
もし居るならばDS教授に習うことを避けて学ぶことはできるのか❔
できないならばその大学には行かない方がいい。)
⑤昇進した際は取り巻き(秘書官・参謀)の出身をよく確かめる。
⑥自分なりに学び、確かな自分の考え方を持つ。
⑦目の前に大金の小切手を見せられても靡(なび)かない。
⑧👩『松下幸之助さんの哲学』書をぜひ読んで欲しいな。
なぜだめなのか理由が書いてあります。
👧👦最後は、パパとママのぼくらへの『明日への希望』になっちゃった❗🌈🌈
👩⑨あと、河添恵子さんが、島国日本になくて必要なものは『他国からの侵略への日々の警戒』だって。
👨⑩2022年世界長者番付第1位のイーロン・マスク氏が共和党に転向、
ツイッターを買収、
トランプ氏と共にDSと戦う(頭脳戦)。
👩諦めかけていました私は。よかったですが、
イーロン・マスク氏を信じていいですか❔
👨イーロン氏は中ごくで自社の自動車を大量生産し販売していましたが、
彼はとても賢いから中ごくの性格を理解したのでしょう。

~💊~💊~💊~
👧世界の製薬会社は、DS(ディープステート)の仲間です。
👨日本政府としてはコ●ナで倒産してしまった日本の優秀な(『下町ロケット』のような特別な
製品を作れる)町工場を再開させることが責務である。
今のこういう状況事態が既に戦争なんだって。
全ては日本政府の管理の無さの問題だって。
もうすでにだいぶ間に合わないらしい。
馬渕さんはどっしりとされて、少し悲しいほとけさまのようなお顔をされたが、
慌てたのは僕だ。
ちなみに、「ネオ・コンサバティブ」の略が『ネオコン』です。

①世界の支配者はDS・ネオコンと言われる人々である。
②ロシア・ウクライナ戦争は2022年よりもっと前から
始まっている戦争である。
③イーロン・マスク氏が共和党に転向。ツイッターを買収。
トランプ氏と共にディープステートと頭脳で戦う。
など僕にもわかったので、世界の人にもわかったと思う。
さまざまなフェイクニュースを出してしまって、
世界のメディアはどうするのだろう❔
引っ込みがつかなくたって事実は事実だ。

👧きのう、電車の中で座席に座っていた。
前の男性が背負っていたリュックを強く引っ張って外して自分の前に持ってきたため、リュックの背負いヒモの余った部分が長過ぎて、その黒いヒモが4本、いっぺんに私の目と頬をを打った。
「痛い❗あなたのリュックのひもが長過ぎて、いま私の顔を打ちましたよ❗危ないですから気を付けてください❗」と、すぐに本人に言ったら、その答えは驚くものだった。
低いが誰にも聞こえる強い早口で、 
「お前が言うか⁉️お前が言うな‼️」と言った。
そして彼はひどい言葉のダイオキシンを車内に残して小走りで下車。
他の乗客は聴こえているが表情すら変えない。
どういう意味❔
確かにその黒いヒモは、私の目と頬を打ったのに。
ごくフツーの通勤男性。
「自分が言われた」、ということに腹を立て、
言われた内容よりそっちが気に入らない。
「あやまる」という言葉を知らない人間。
こんなひどい世の中になっているのかと思った。
👴痛かったろう、郷美ちゃん。
人間は言われたことが的を得ていると意味不明な早口で怒るときがある。
言われたことに反論できないと逃げるときがある。
👩いま、文科省なんか、馬渕睦夫さんに、「貴方が言うか❗貴方が言うな❗(それは正しいけれど)」
と感じて自分の面目ばかりが大切ですぐに訂正できない。歴史の教科書が大々的に変わるからさぞかし困っていると思う。自分たちが嘘を書いたから顔が立たない。でも、真実は真実で仕方ない。文科省は日本国民に謝れるのだろうか⁉️)
📖『アンドレイ・グロムイコ回顧録』(確か新聞社刊)より『東西冷戦は八百長だった❗』
【朝鮮戦争・後半】朝鮮戦争に見る近代史の真実 東西冷戦 他[ひとりがたり/馬渕睦夫]未来ネット/切り抜き2022.05.25(YouTube)

(👩現代で宮澤賢治さんのように正直に生きろと言っても周囲が許さないのが悪い。
だから宮澤賢治のお話は、心がまだ真っ白い、少し時間に余裕のある、子どもが幼いときに
絶対に読み聞かせてあげなければならないのです。ここが、子どもたちに物事の善悪の判断を付ける分かれ道(岐路)なのです。
たとえばハーバードやケンブリッジなどのような、DSが存在しそうな学校ではなく、
たとえば童話作家の西本鶏介さんが名誉教授で存在する(した)昭和女子大学などが制作した教科書で、
自分の子どもには学んで欲しいのです。)

~生前の賢治は無名の人であり、わずか37歳でこの世を去りました。妻をめとらず、人に認められることもなく終わった一生でしたが、自分の理想に向かって力いっぱい努力したその生き方は、彼の文学とともに、私たちに、人間らしさの本質をいきいきと語りかけてくれます。
「世界ぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない。自我の意識は個人から集団社会、宇宙としだいに進化する」という考えに立って農村の改良をはかり、生命あるものすべての幸福を願って短い一生をその仕事に打ち込みました。賢治の思いは時代や環境が変わろうとも、決して変わることのない真理です。その真理をいかに生かし得るか、そこに人間らしい生活があります。
賢治はこの真理を実行するために、みずから農民となって、死の寸前まで努力をつづけました。そしてその真理のかがやく世界として童話を書いたのです。だから、賢治の童画は楽しく面白いだけのお話では終わっていません。この宇宙にあるすべてのものが力をあわせ、幸福になることへの努力と願いがたっぷりとこめられています。いいかえれば賢治の童話は宇宙的な生命の真相を語るにふさわしい場所であり、その(宇宙的な生命の)真相が見事に生きている世界です。
❇️人間らしい生活とは偉人になることでも、有名人になることでもありません。自分のやりたいと思うことを、どんな困難にも屈せず、とことんやり抜くことです。賢治の作品を読むと自然と人間が1つになって暮らすことのすばらしさを、しみじみと感じさせてくれます。理想を持って生きるということが、どんなにすばらしいことかを考えさせてくれます。賢治は偉人でも社会的な功労者でもありません。しかし、すべてのものがわけへだてなく助けあって生きる。このあたりまえのことに全力をかけてがんばる。そこに賢治ならではの非凡さがあるなのです。
この絵本は賢治の一生を描いた、いわゆる伝記ではなく、そんな賢治の人間性を物語化したものです。すてきな童話を書いた人がどんな人であったのか、幼児にもわかってもらえるように書きました。そんな賢治の願いはいまも人々の心のなかに生きていましす。これからだって生きつづけるでしょう。それを知った上で、もう一度彼の童話を読む時、子どもたちはきっとすばらしいものを発見するはずです。
昭和女子大学名誉教授・児童文学者
西本鶏介
📖『絵本版物 こどもの伝記ものがたり2-12 
みやざわけんじ』 
文 西本鶏介 絵 柿本幸造 
チャイルド社 定価 税込600円

(👩ジョージ・ソロスの伝記マンガを読んで驚いた。自分が理数科じゃないからまず面白くない。内容に一生懸命感動しようと努力したが無理だった。みやざわけんじの童話と比べるとそれは私には対極の位置にあった。これはどういう意味なのだろう❔
宮澤賢治だって化学と数学が解る人だった。賢治は自分の身体で『1万時間の法則』を体現した努力の人だ。賢治は毎日「できない、できない」と、泣きながら勉強を続けた。ある朝起きてみると難しい問題がうそのように解けるようになっていたという。
人間には予め「必ず覚える」という機能が内臓されていて、できないと泣く必要はないのである。人間には「続ける」という行動(=継続)が重要である…という文章が、たまたま買ったどこかの出版社の文庫本の栞(しおり)にかいてあった。それを見つけて読んだとき、「なぜもっと早く教えてくれなかったの⁉️」と思った。人間はおよそ1万時間(約3、4年)の勉強の繰り返しで難しい仕事や勉強を覚えることができる。楽器の習得、歌がうまくなるなどもそれに入る。

👧DSよ、幼いとき「みやざわけんじ」を読みましたか❔
👦お姉ちゃん、彼らはAlなんだよ、会話が通じない、心がない人たちなんだ。
~~~~
👨しかし日本が、たとえばさまざまな民族の移民を受け入れ『多文化共生』をすると、さまざまな亀裂が生じ『多文化共生』はとても難しいという。日本が島国で移民に慣れていないせいもあるし、移民した民族はどうしても国家内国家をつくってまとまるしかない。(👧たとえばチャイナタウン❔))
~~~~
🌕️米政府と、ロスチャイルド通貨発行券の戦い。
🌕️真実を言い始めた知識人がイキイキと輝いている。
みんな話して100年以上の胸のつかえ(固いコルクの栓)がとれた。
🌕️話して良い、どんどん語ってくださいと
アメリカのトランプサさんらからきっと許可が出たのだろう。
🌕️ウクライナ侵攻の理由を語るうちに日本人は進化した。
🌕️陰謀論は真実。アメリカ、イギリス、フランス、
🌕️脱中ごく。👈️メイドインチャイナをやめる(やめていく)から100均の価格が上がる。(東京新聞を読んで感じた。)
🌕️ロシア。👇️

【覚書】
ウィキペディア
「ズビグネフ・カジミエシュ・ブレジンスキー」

コロンビア大学教授
カナダで成長したブレジンスキーは、マギル大学で学部と大学院修士課程を修了し、ハーバード大学大学院に進学する。ハーバード大学大学院では同じく欧州からの移住者であった政治学者カール・フリードリッヒに師事し、1953年に博士号を取得する。さらにのちに駐日大使となる日本生まれの東洋史研究者のエドウィン・O・ライシャワーにも学んだ。学位取得後はハーバード大学で教鞭をとったが、テニュア(終身雇用)を得ることができなかったことからコロンビア大学に移り、同学の教授(1960年~1989年)として共産主義圏の政治・外交の研究を行なう。

ブレジンスキーは1950年代より、ソ連の政治体制を、
1) 全体主義イデオロギーの支持、
2) 一党独裁、
3) 秘密警察組織の浸透、
4) マス・コミュニケーション手段の体制による支配、
5) 武力の体制による独占、
6) 中央集権的統制経済などの特徴を有する「全体主義体制」の一つであり、従来の独裁や権威主義体制とは異なるものと位置づけた。1940年代まで、全体主義という概念はナチス党政権下のドイツやファシスト政権下のイタリアを論じるために用いられる一方、ソ連研究には用いられていなかった概念であり、ブレジンスキーの研究は同時代に発表されたハンナ・アーレントの『全体主義の起源』などと呼応する形で、これらの体制間の比較研究に地平を開くこととなった。

また、1971年には日本に半年間在住した後に、急速な経済発展を遂げた日本が政治外交領域ではいまだに独立した行動をとる力を持っていない「ひよわな花」であると論じ、日本で大きな注目を浴びた。冷戦後に発表した『ブレジンスキーの世界はこう動く』でも、日本に対する基本的な見方は継承されている。

研究の一方、1960年の大統領選挙以降、歴代大統領選で民主党候補者陣営の外交問題顧問に加わる、日米欧三極委員会の創設に携わるなど、実務面でも力を発揮した。この面では共和党と深い関係を持っていたヘンリー・キッシンジャーと並び称されることが多い。

カーター大統領補佐官 

ホワイトハウス内でカーターやヴァンス、モンデールと語るブレジンスキー(右/1977年)
1976年の大統領選においてカーターの外交政策アドバイザーを務め、カーター政権発足後に国家安全保障問題担当大統領補佐官に就任。反共主義者ながら、一方で中華人民共和国との米中国交正常化に取り組み、後にG2論者にもなってることから親中派であったとされる。

ハト派の多い民主党の中では異色のタカ派(リベラルホーク)でもあり、ソ連のアフガニスタン侵攻に対するムジャヒディンの支援やペルシャ湾をアメリカの権益と見做して中東への軍事介入も掲げたカーター・ドクトリン(英語版)を策定した。政権内ではサイラス・ヴァンス国務長官と外交政策を巡って対立することが多く、ヴァンスは中華人民共和国との会談の場でも疎外されるようになり、1979年のイランアメリカ大使館人質事件の対応をめぐって対立は決定的になった。結局、カーターの信任を勝ち取ったのはブレジンスキーで、ヴァンスは政権から追い出されるかたちで1980年に辞任することになった。

後任の国務長官には、故郷ポーランドからの移民の子であるエドマンド・マスキー上院議員を支持する。後にはマスキーを民主党大統領候補に推している。

さらに、レフ・ヴァウェンサをリーダーに、ソ連による支配に対抗したポーランドの独立自主管理労働組合「連帯」を積極的に支持し、ポーランド出身だった当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世とも密に連絡を取り合っていたため、事実上1989年の東欧革命の最大の黒幕ともいわれている。

辞任後
オバマらと語るブレジンスキー(前列左から2番目/2010年)
カーター政権退陣後も現実政治との密接なかかわりを持ち、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)の教授を務める傍ら、戦略国際問題研究所顧問として「チェチェンに平和をアメリカ委員会」の共同代表を務めた。いわゆるネオコンとは連絡を取り合いながらも一線を画していた。

👀⚠️著書『The Choice』(2004年)の中で「アメリカのWASPの優位は既に完全に崩れ、WASP勢力に代わって、アメリカで支配的な勢力になったのはユダヤ人勢力である」と述べている。

(👧あ、あった❗馬渕大使の言われた通りだ。
「私は文書になっていることしか言わない」。
👨ウィキペディアもいま、大々的な書き加えかな❔
いつも読んではいないから急に書き足されても消されても僕にはわからない。
ただ日本の教科書(世界史)よりはずっといい。ウィキペディアの貢献は凄い⤴️⤴️
👴中ごくのような『一党独裁政権』は本当に救われない。知識人は国を出なければ処分されてしまう。中ごくの真の知識人は中ごく国外にしかいないだろう。残る14億は❔
👧お金の亡者❔大変な国だなあ。)

2008年の大統領選で当選する民主党候補バラク・オバマ陣営の外交顧問を務めるなど、現代アメリカ政治に隠然たる力を及ぼしていた。2013年にはシリア内戦に対するアメリカの武力介入への反対を表明しており、オバマ政権は結局シリアへの攻撃を諦めた。

晩年

2016年には民間人としては最高栄誉の、アメリカ国防総省公共サービス栄誉賞を受賞した。2017年5月26日に、バージニア州の病院において89歳で死去したと報道された。米外交界の重鎮として知られ、その実績から、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官と並ぶ戦略思想家だったとされる。



【覚書】馬渕大使おすすめ本
📖『神道 見えないものの力』
葉室頼昭 著

読者レビュー

①元外交官の馬淵氏推薦。

元医師である春日大社宮司の羽室頼昭さんは旧華族で公家の家庭。大大神主だが、医者になるも、ふしぎな導きで神主の修行に入る。
日本人と日本文化について神道的なこと、医療的なことを踏まえての、質問形式のエッセー。

進化論を全く否定していないところが注意が必要だが、西洋的なキリスト教文明ではなく、日本人の固有の文化を注目するあたりは面白いと思った。

下記にちょっと気になる面白い箇所をメモ:

16:アインシュタインは大正年間に日本を訪問。世界大戦で文明が滅ぶこと、その中にあって日本が日本的なことで世界に貢献できるという、預言めいたことを語ったとの事。

20:人間はサルから進化などしていない。初めから人間。(といいつつも聖書的な創造論ではない。矢張り進化論の影響下にあっての話。)

32:春日大社の奥山原始林が世界遺産登録。アマゾンの原始林は世界遺産になっていない。春日大社は都会にあり、その都会の原始林ゆえに世界遺産へ。

55:神道のお祭りは神主体。ただ神を喜ばせるためのお祭り。踊りもそのための奉納。

66:祝詞の意味は母音にある。うたいも母音が重要。感じが輸入されて日本語が変わったが、祝詞にはそれがまだ残る。高天原は「ア」が重要。ゆえに「たぁーかぁーあーまーはぁーらぁー」と母音を強調してのばす。祝詞は全てそう。(母音が重要であるというのはヘブル語と同じ価値感か。)

126:色々な人とセックスをすると膣が変わり、弱い精子でも受精するような卵子になる。つまり、セックスの乱用は種族の弱体化へとつながる。

186:涙を流すほど感激、感謝、感動する事は体を整える。著者の結核はそれゆえに治った。

191:自然に生かされている、自然の中で生きるというのが日本人の考え、神道の根本。

193:アインシュタインのように、日本人が世界を救うという外国人は増えてきているが、日本人にその意識がない。然しいずれ目覚めると希望的観測を持つ。

209:先の戦争で負けた日本は、勝った側が日本人を改造しようと躍起になった。それをそのまま受け継いで、(まじめに洗脳され続けている)日本人。ここにも洗脳した側は驚く。


平成26年6月ごろ読む、
感想ノートを見つけたので、令和元年9月記入

1年かけて生まれてくるから死ぬ時も1年かけて死ぬ。それで一周忌をする。

本当の歴史、命というものはおじいちゃん、おばあちゃんから伝わるもの。
父母は生き方を教える。

キリスト教、仏教は人間の力でいろいろ造り変えていかなければ生きていけない状況から出ている。
神教は、自然に恵まれているから、自然に生かされているということを体で感じ、感謝してきた。

戦後、その伝統、歴史を捨ててしまった。日本人の命が伝わらなくなった。
日本人の命を子供に伝えてください。日本人の歴史、伝統・・・すべての神を祖先を祭って、それによって生かされているという感謝の生活。
③時間論のところは文句なしにおもしろい。お祭りは神様に喜んでもらうためのものであって過去から未来への時間軸のなかに組み込まれるものではなく時間を超越したものであること、飛行機の外国航路が都市間を直進ではなく山形に動いたほうが地球は球であるために実際には最短距離になることを例にあげて何かを成し遂げるのに人間からみたら遠回りだが神様の目からすると最短距離で成就していることがあること、神社の社は新しいものを継ぎ足しながらも昔の原型をとどめているという更新されながらも原初の形を伝えるという日本独自のものなど、今の自分は過去の祖先の全存在と未来の子孫の全存在に支えられているなど、実におもしろかった。
しかし、その他の章は、これほど頭にカチンとくる本も久々である。母親がしっかり子供を育てないと日本国が滅びるだとか、日本の国ありきという話になっている。そういう論を展開しても構わないが、最低限の民族とはなにか、国民国家とはなにか、そのあたりの最近の知見を押えたうえで討論してもらいたいと思った。
また、遺伝子や医学を持ち出すわりには、塩にはエネルギーがあるとエビデンスもなく書いたり、毛がある動物は寒冷地に強いという話を書いていたり(これは嘘。汗腺と皮脂腺の問題で毛のあるなしは関係ない。熱帯でも毛むくじゃらの動物はいるし、寒冷地でも毛がすくない動物はいる)、科学的な装いで補強するわりには科学的根拠に支えられていないと感じた。

③春日大社の葉室賴昭元宮司が記した、神道に関する三冊目の著書。
10年以上前に杖の師匠から紹介されたものだが、実家に帰省したおりに目にした事もあって今一度読み返してみた。
題名通り、我々は見えない力によって生を受けているのであり、決して自分一人で生きているのではないことを認識する事が必要であると説いている。
本書は日本人に、特に日本女性に向けて書かれた内容だと思う。本書を読み返してみて、現代社会は女性が強くなったというが、強くなったのは我だけではないかという印象を強くした。
戦後の米国による、日本人に対する骨抜き政策で確かに日本人は多くのものを失い、その精神さえも奪われつつある様に見える。もう、十数年も前から様々な人がその危機感を訴えて来ているが、本書を読み返してみて、日本人としてどのような生き方をするべきなのか、再び見直す機会を与えられたと思う。
本書は本来の日本語や言霊についても言及している。自分の印象では最近の言葉というのは、外国語をそのままカタカナにしただけのものや、思考が短絡的で軽薄な印象を受ける。なんというか、言葉に重みがないと感じるのは自分だけだろうか。
著者は、神職であると同時に医師であり、生死に関して非常に高い見識を持っている。日本人としてはぜひ読んで、知っておきたい内容だろう。

⑤150億年前ビッグバンから素粒子、原子、細胞そして人類の進化に至るまで科学のコンテキストと神道のコンテキストを融合させて元外科医の春日大社宮司が語ります。長い歴史そして多くの祖先に生かされている自分を思い直し初詣もいつに無く身が引き締まる思いとなりました。

⑥1999年にこれだけのことを書かれていたのか~と思う。
いま読むと、時代がほんとうにそうなっている。
みんな同じことを言ってる。

(👩馬渕大使が「人間には『魂』があることをあなたのお子さんに必ず教えてあげてください」と仰った。私は魂のことを「人間の良心・性根」のことだと理解していたが、
魂とは『先人から脈々と受け継いだ日本の歴史と日本人の心』だとも感じた。)


馬渕大使おすすめの本は、
📖『マッカーサー大戦回顧録』(中公文庫) 津島一夫 訳
📖『ライシャワー自伝』(文藝春秋) 徳岡孝夫 訳
【覚書】
ウィキペディアより
『エドウィン・O・ライシャワー』
編集
エドウィン・オールドファザー・ライシャワー(英語: Edwin Oldfather Reischauer, 1910年10月15日 - 1990年9月1日)は、アメリカ合衆国の外交官、東洋史研究者、ハーバード大学教授[1]。

エドウィン・O・ライシャワー
Edwin O. Reischauer

人物情報
生誕
1910年10月15日
日本 東京府東京市芝区白金台町
死没
1990年9月1日(79歳没)
アメリカ合衆国 カリフォルニア州ラホヤ
国籍
アメリカ合衆国
配偶者
アドリエン、松方ハル
学問
研究分野
東洋史
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1955年(昭和30年)から1963年(昭和38年)までハーバード燕京研究所所長を務める。1961年(昭和36年)から1966年(昭和41年)まで、駐日アメリカ合衆国大使を務める[1]。大使退任後はハーバード大学日本研究所所長として歴史に限らず日本研究を推し進め、後進の指導にも尽力した[1]。その功績から同研究所は1985年(昭和60年)にライシャワー日本研究所と改称されている。

生涯

生い立ち


明治学院

アメリカンスクール・イン・ジャパン(現在)
1910年(明治43年)10月15日にキリスト教長老派教会宣教師で東京女子大学創立に関わったオーガスト・カール・ライシャワーの次男として、東京府東京市芝区白金台町の明治学院内宣教師住宅で生まれる。

ライシャワー家はオーストリア系移民で、祖父は南北戦争で北軍に従軍し父は宣教師として日本に派遣[2] されている。生家は東京都東村山市の明治学院東村山高等学校敷地内へ移築されている。

少年時代

多くの在京アメリカ人子弟と同様、小学校と中学校をアメリカ人向けナショナルスクールである築地のアメリカンスクール・イン・ジャパン (ASIJ) で学び、兄弟ともに日本生まれから「ボーン・イン・ジャパン (BIJ)」と呼ばれ、後に自らを「たまたま日本に生まれたアメリカ人」と語る。

アメリカンスクール・イン・ジャパン在学時には、現在まで残る校内新聞「ランタン」の創刊にも関わったほか、スポーツにも熱心に打ち込んだ。

また父親の知人、使用人、軽井沢の別荘に滞在する日本人子弟と交流し、1923年(大正12年)の関東大震災時には軽井沢を訪れていたため被害を免れ、軽井沢に疎開で訪れる被災者を家族や知人らと軽井沢駅で支援している。後に共産主義者でスパイで知られるカナダ人外交官エドガートン・ハーバート・ノーマンは、当時軽井沢でテニスを交えた知人である。のちの自伝には「夏の軽井沢は単なる休暇ではなく、それ自体として一つの生活のようにさえ思えた。東京にはずっと長く住んだはずなのに、細部の記憶は軽井沢のほうがはるかに多い」(『ライシャワー自伝』)と記している。なお軽井沢にはライシャワー別荘が現存しており、国登録有形文化財に指定されている(非公開)。

アメリカへ

1927年(昭和2年)に家族とともにアメリカに転居しオバーリン大学に入学、「1860年以前の日米関係」という論文を残す。オバーリンを卒業後は、ハーバード大学文理学部の大学院に進学する。1981年(昭和56年)4月22日のハーバード大学での最終講義では「私がここに初めて来たとき、東アジア研究に興味を持っていた大学院生は2人しかいなかった。私と兄だ」と往時を回顧している[3]。

ハーバード大学講師


ハーバード燕京研究所
1933年(昭和8年)には、ハーバード燕京研究所所長で当時数少ない日本文学者であったセルゲイ・エリセーエフより、フランスと日本・中国で研修を行った後、エリセーエフが設立を計画している極東言語学部において日本語の講師として教鞭を取ることを依頼される。同年パリにある国立現代東洋語学校へ向かい、日本語と中国語を学んだ。

ヨーロッパ留学中に、オランダやオーストリア、ドイツ、チェコスロヴァキア等を旅し、ドイツでは、レーム事件の現場に居合わせている。このヨーロッパ旅行中、オーストリアのザルツブルクを訪れた際に、丘の上の古城から見たザルツブルクの風景が、日本の城下町に似ている事に気付き、日本とヨーロッパの歴史の類似性、及び、日本の近代化における封建時代の重要性に気がついたと、後年、回想している。(NHK『日本への自叙伝』)1935年(昭和10年)には日本へと移る。

マッキューン=ライシャワー式考案

日本への帰国後は東京帝国大学文学部の初の外国人特別研究生となり、同年7月にはパリ大学の学生だったアドリエン (Adrienne Darnton) と東京で結婚した。その後京都帝国大学文学部国史学科の特別研究生となり、円仁の日記の翻訳などを手がけた。1938年(昭和13年)には京城(現在のソウル)に3か月滞在し、ジョージ・M・マッキューンとともに朝鮮語ローマ字の表記として有名になる「マッキューン=ライシャワー式」を考案した。

その後日中戦争最中の1937年(昭和12年)11月に北京へ向かい、燕京大学で研究活動を行う傍ら中国文化院で中国語を学んだ。これに先立つ8月には、研修のため日本と中国を訪れた、実兄でプリンストン大学教授のロバート・カール・ライシャワー博士 (Dr. Robert Karl Reischauer, 1907年-1937年) が、訪問先の上海で中華民国国軍機の爆撃を受け死亡した(国民党軍機による上海空爆)。1938年(昭和13年)にはハーバード大学に戻り、日本語と中国語の講師となり、1939年(昭和14年)には『入唐求法巡礼行記』の研究で博士号を授与された。

第二次世界大戦前後

1941年(昭和16年)には国務省の依頼を受けて極東課で数か月間働き、その後再びハーバード大学に戻るものの、同年12月の第二次世界大戦へのアメリカの参戦、日本との開戦後の1942年(昭和17年)にはアメリカ陸軍通信隊の依頼で日本語の翻訳と暗号解読のための学校の設立を行うことになる。

翌1943年(昭和18年)にはアメリカ陸軍の参謀部情報からの要請を受けて少佐として入隊し、ワシントンD.C.において日本軍の暗号解読や分析、心理戦などの対日情報戦に従事する。

第二次世界大戦終結後の1945年(昭和20年)11月には中佐として陸軍を除隊して、国務省の外交諮問委員会の極東小委員会の委員となり、天皇制の将来に対する政策や日本の支配から離れることになった朝鮮半島に対する政策立案などを担当する。

ハーバード大学極東学会会長

1946年(昭和21年)にはハーバード大学に戻り、極東学会の副会長、会長を歴任する。なお、ハーバード大学時代の教え子にはジミー・カーター政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキーらがいた。1948年(昭和23年)には人文科学顧問団の一員として再び連合国の占領下の日本へと戻り、ダグラス・マッカーサーと会談した。

なお、1950年代前半にアメリカを襲った「赤狩り」旋風では、ハーバード大学の同僚である上記のノーマンや都留重人らがターゲットとなったが、この2人のようにイデオロギー的に偏りがない上に、中国史研究者であったものの、国務省では日本や朝鮮の政策にのみかかわっていたこともあり難を逃れた。

松方ハルと再婚


ライシャワー夫妻
1955年(昭和30年)にアドリエンが3人の子供を残し急逝し、1956年(昭和31年)には、さらにアメリカンスクール・イン・ジャパンの後輩である松方ハル(1915年8月6日 - 1998年9月23日)と日本において再婚する。披露のパーティーは父母が創設に尽力し、そのキャンパスに住んだ東京女子大学で行われた。松方ハルの周囲の人間は外国人男性との結婚に猛反対したという。

この年にハーバード燕京研究所所長となった(1963年まで)[4]。1958年にはノーベル文学賞候補として谷崎潤一郎を推薦していたことが、2009年にノーベル財団への資料公開請求をおこなった朝日新聞の報道により明らかにされている[5]。

駐日大使

就任


ジョン・F・ケネディ大統領

吉田茂元首相
日米間に大きな亀裂を残した安保闘争直後の1960年(昭和35年)夏、ハーバード燕京研究所所長として日本を訪れたライシャワーは「損なわれた対話 (Broken Dialogue)」と題した論文を外交専門雑誌『フォーリン・アフェアーズ』1960年10月号に発表し、「アメリカをはじめとする西側諸国は、日本の政府(閣僚や与党議員)や財界の指導者層だけでなく、野党や右翼、左翼活動家、知識人とも異端視することなく対話を重ね、日本の主流から外れた人々の実態や抱える不満を把握するべきである」と主張した。

この論文が当時就任して間もないジョン・F・ケネディ政権の国務次官であるチェスター・ボールズの補佐官のジェームス・C・トムソン・ジュニアの目にとまり、駐日特命全権大使への就任要請につながったと言われる。

ジョン・F・ケネディ大統領からの大使就任要請を受諾したライシャワーは1961年(昭和36年)4月には駐日アメリカ特命全権大使として東京に赴任したが、反米感情も相まってライシャワーや日本人の妻は国民から反感を買う事になる。

日米パートナーシップ


ジョン・F・ケネディ大統領(中央)、大平正芳外相(左から3番目)らとともに写るライシャワー(左端)。1963年、ホワイトハウスにて

リチャード・ニクソンとリンドン・B・ジョンソン
出生や家族といった側面だけでなく、ライシャワーは上記の論文で主張した日本の多くの層との対話を実行に移し、全国に妻とともに積極的に出向き、市民との対話を演出したほか、昭和天皇などの皇族や、池田勇人や佐藤栄作などの現職の首相や、吉田茂や岸信介などの元首相などの与党リーダー層のみならず、社会党などの左派野党議員や石坂泰三などの経済人、池田大作などの宗教関係者や左派を含む労働組合関係者とも積極的に会談を行うなど、アメリカ本国のケネディ政権と協調して日米政府間の対等をアピールすることで、「日米パートナーシップ」、「ケネディ=ライシャワー路線」と称される日米蜜月時代を演出しようとした。

また、冷戦下においてこれまで大使館とは微妙な関係を保っていた在日アメリカ軍との関係改善にも臨み、在日アメリカ軍司令官や太平洋軍司令官、そして沖縄の琉球列島高等弁務官などとも緊密な関係を取り続けた。さらに、日本を訪問したアヴェレル・ハリマンやリチャード・ニクソン、ロバート・ケネディなどの政界関係者と日本の政財界人との間をつなぐだけでなく、彼らに対して同盟国の日本との関係の重要性を理解させるように努めた。

しかし、1963年(昭和38年)11月のケネディの暗殺後にリンドン・B・ジョンソン政権に代わった頃以降には、皮肉にも自らを抜擢したケネディ政権が始めたアメリカのベトナム戦争政策を起因とする、日本人の反米感情の高まりへの対処に苦慮することとなる。

「ライシャワー事件」

1964年(昭和39年)3月24日にアメリカ大使館ロビーで当時19歳の少年(統合失調症で入院歴があった[6][7])にナイフで大腿を刺され重傷を負った。この時に虎ノ門病院で輸血を受け「これで私の体の中に日本人の血が流れることになりました」と発言し多くの日本人から賞賛を浴びたが、この輸血が元で輸血後肝炎に罹る[8]。 3か月の入院を経て回復し(その後ハワイ州ホノルルの海軍の病院に検査のために再入院した)一時は辞任を考えたものの、「今退任し帰国すれば日本人は事件の責任を感じてしまうだろう」と考え留任することを決め、その後も駐日大使として活躍した。

この事件がきっかけになり売血問題がクローズアップされ、日本において輸血用血液事業は日本赤十字社が独占し、血液は献血により調達されることに閣議決定がなされた[9]。 また、「精神障害者を隔離収容すべき」と言う「精神障害者野放し論」が新聞や雑誌などメディアを席巻し、世論の支持を得るようになった。 厚生省も、精神科病院への隔離収容政策(社会的入院)を始め、翌年には精神衛生法(当時の名称)の改正がなされた[10]。 事件発生の責任をとり、池田勇人 首相が衛星中継でアメリカ国民に向け謝罪したほか、事件翌日の3月25日に早川崇国家公安委員会委員長が引責辞任した。また外国要人の警護強化が課題となり、警視庁警護課(のちのセキュリティポリス)創設のきっかけとなった[11]


辞任

しかし、ベトナム戦争が拡大し日本人の対米感情が悪化しつつあった上に、ベトナム情勢に対する本国の政策に違和感を覚え、1966年(昭和41年)7月にワシントンD.C.に帰国した際にジョンソン大統領に辞任の意向を伝えた。

ジョンソン大統領からは、極東問題担当の国務次官への就任を依頼されたが拒否し、同年7月25日に辞任を発表。日本人の多くから惜しまれながらも8月19日に東京国際空港から帰国した。

帰国後

大使を辞任して帰国後、ハーバード大学教授に帰任、南ベトナムへの干渉や中華人民共和国の承認、沖縄返還、対韓国政策の再考などに関し精力的に発言[3] し、さらに日本を始めとする極東問題の専門家として歴代政権やヘンリー・キッシンジャー、教え子のズビグネフ・ブレジンスキーなどのアメリカの外交関係者、さらに中曽根康弘首相や韓国の野党指導者の金大中(その後大統領)に対しても様々な助言を行った。また、佐藤栄作のノーベル平和賞受賞(1974年)に際しては、佐藤の受賞の推薦文を記述した。

なお、1973年(昭和48年)にハーバード大学日本研究所所長に就任した他、同大学の東アジア研究評議会理事、OECD理事やアジア基金理事など数多くの役職を務め、日本及びアジア研究者として日米間を緊密に往復しつつ活躍した。

脳卒中と脳内出血

1964年(昭和39年)には上記の襲撃事件により肝炎に罹患、大使退任後も度々の発症に悩まされていた上に、大使退任後の1975年(昭和50年)2月には脳卒中に見舞われたほか、1983年(昭和58年)には脳内出血にも見舞われた。


マサチューセッツ州の自宅
しかしその後回復を見せるも、脳卒中や脳内出血の後遺症に特有の言語能力の低下、特に幼少から覚えたはずの日本語能力は、多数語話者の患者に多く見られるように以前のように回復しなかった。

晩年

その為にかつては会議などを日本語でこなせたものの、脳卒中や脳内出血以降はそれはかなわず、その為にいくつかの名誉職を退いたものの、1980年(昭和55年)10月に定年で退職するまでハーバード大学日本研究所などで研究活動を続けるなど活躍したほか、その後も多数の著書を出し続けた。

なお、ハーバード大学日本研究所は、ライシャワー退職後の1985年(昭和60年)にライシャワーの業績をたたえて「ハーバード大学ライシャワー日本研究所 (RIJS)」と改称された。1987年(昭和62年)冬に、公式訪米中の皇太子明仁親王•同妃美智子夫妻(いずれも当時)がライシャワー邸に滞在した。

死去

1990年(平成2年)の夏には上記の襲撃事件とその後の輸血以降に持病となった肝炎が悪化、延命治療を拒否し9月1日にライシャワーは79年の生涯に自らの意思で幕を下ろした。ライシャワーの遺灰は「日本とアメリカの架け橋になりたい」との遺言により、太平洋に散骨された。

(👩馬渕大使は、『ライシャワー自伝』をお読みになっていたのだな。
「ロシア(ウクライナ)と日本の架け橋」になるために。)


逸話

京都の爆撃回避について

ライシャワーは戦後に西ドイツで書かれた『千の太陽より明るく』という題名の本の中に、「ライシャワーが第二次世界大戦中にアメリカ陸軍で対日情報戦の専門家として働いていた頃、ある時アメリカ陸軍航空隊による日本の主要都市の爆撃リストを受け取る。そしてその中に、数々の名所、旧跡を持つ古都である(と同時に西日本の交通の要衝でもある)京都の名前があり、そのあまりの無知、無軌道さに愕然としたという。ショックのあまりに自分の上司のオフィスに駆け込み大粒の涙をこぼしながら上司に京都を爆撃リストから外す事を必死に頼み込んだという。ライシャワーの必死の説得に心を打たれた上司は、陸軍長官ヘンリー・スティムソンに事情を説明する。そのスティムソンもまた、自分のハネムーンで京都を訪れて以来日本に感銘を受け、京都をリストから除外する事に尽力。日本の文化遺産、古都である京都はアメリカ軍機による爆撃を免れ今日までその文化遺産を伝えている」という逸話がある。

しかし、ライシャワーはこの逸話の存在を自伝『ライシャワー自伝』内で完全に否定している[12] 上に、吉田守男によれば、京都が空襲を受けなかったのはそのような理由ではなく、さらに大戦末期に至るまで本格的な戦略爆撃を受けなかった京都は、「原爆による破壊効果を測定しやすい」という観点から、広島と長崎に次ぐ第3の原爆投下予定地の1つであったことが明らかにされている[13]。京都は当時、日本陸軍第16師団の衛戍地である上、東京方面から大阪や神戸などの大都市に抜ける交通の要所として、燃料や石炭、鉄鉱石、石灰石などを運ぶ非常に重要な役割を果たしており、しかも三菱や島津製作所の軍需工場などが多数存在するという「軍事都市」としての位置づけもあり、当然のごとく戦略目標であった。また京都府には日本に数少ないニッケル鉱山である大江山やタングステンの鉱山を多数を抱えていた。

ベトナム戦争報道をめぐって

1965年秋、ライシャワーは毎日新聞は西側のメディアとして初めて、ベトナム戦争下の当時の北ベトナムの取材をおこなった。その中で10月3日朝刊に当時の外信部長だった大森実が自ら取材・執筆した「米軍が北ベトナム・クインラップにあるハンセン病病院を爆撃したことは、北ベトナムの記録映画から見て事実である」という報道に対し、記者会見で「全く事実に反している」と大森を名指しする形で批判した。大森はこの報道が遠因となって毎日新聞を退社した。しかし、当時ライシャワーの特別補佐官だったジョー ジ・パッカードによると、ライシャワーはハノイの情勢を十分把握した上でこの発言をおこなったわけではなく、後年「私の外交官人生で最悪の間違いだった」と語って大森に謝罪したいと生涯考えていたという[14]。

「ライシャワー発言」

1981年(昭和56年)5月18日付毎日新聞に、古森義久記者の取材に対する「非核三原則の規定する持ち込みとは陸揚げを指し、核兵器を搭載した艦船の寄港は含まない」「日米間の了解の下で、アメリカ海軍の艦船が核兵器を積んだまま日本の基地に寄港していた」「これについては日米安保条約の規定する"事前協議"の対象とならないことを日本側も了解していた」とのライシャワーの発言が掲載された。「核兵器搭載艦船は日本寄港の際にわざわざ兵器を降ろしたりしない」の「ラロック証言」と並び有名な「ライシャワー発言」である。これにより、「非核三原則」違反を元アメリカ大使が認めたとして日本政府が野党などの追及を受けることになる。これに対して日本政府は園田直外相が当時のマイケル・マンスフィールドアメリカ大使から、ラロック証言の後にアメリカ政府が表明した「日本政府の核政策に背かない(したがって核持ち込みはない)」との旨の再確認をとりつけ、あわせて更なる対米交渉を行うつもりはないとして押し切っている[15]。

なお、後の1999年(平成11年)には、日本の大学教授がアメリカの外交文書の中に「1963年にライシャワーが当時の大平正芳外務大臣との間で、日本国内の基地への核兵器の持ち込みを了承した」という内容の国務省と大使館の間で取り交わされた通信記録を発見し、この発言を裏付けることになった。

この様に当時のアメリカ大使が日本への核持ち込みを認め、その後大学教授が当時の外相とアメリカ大使の間で核持ち込みについて了承を行ったことを証明したのにもかかわらず、当時の自由民主党政権はその事実を認めることはなかった。2009年(平成21年)8月に衆議院選挙に勝利して与党となった民主党の鳩山政権の岡田克也外務大臣は、就任後にこれを「日米核持ち込み問題」として問題視し、調査を行い同年11月末を目途に公開するよう外務省に命令した。

他にも、沖縄返還直前の1967年、「沖縄の部隊をそっくりグアムに移転させることは可能、費用は総額30億から40億ドル」と発言している。この直後、基地を撤退させない方針となったことが、2011年2月に公開された日本側外交文書で明らかになった[16]。

その他

大使を務めたころには、日本語の会話能力は高かったにもかかわらず、駐日アメリカ大使として公の場に出る際には日本語を使わず、必ず通訳の西山千を通じて話していた(なお、ライシャワーに限らず、大使や閣僚などの公人は外国語を公の場では口にせず通訳を介するのが通常である)。しかし天皇や皇后、皇太子などと話す時はこの限りではなかった。また、大学などで比較的カジュアルな講演を行う際には、通訳が英語で話し、それにライシャワーが日本語で答えるという遊びを行い喝采されることもあった。
しかし、大使辞任後の1975年と1983年に罹った脳卒中や脳内出血の後遺症で、子供のころから覚えたにもかかわらず、上記のような高い日本語の能力を相当量失うに至った。
『ライシャワー自伝』などの複数の著書の中で、第二次世界大戦後に制定された日本国憲法について「日本人自身によって制定されたものではなかった」、「アメリカを中心とした連合国によって作られ制定させられた」と書いている。
受章

勲一等旭日大綬章(1968年)
研究事績

マッキューン=ライシャワー式朝鮮語ローマ字表記を考案した。
「近代化」論を展開し、近代日本の再評価を行った。
自著(抜粋)

Ennin's Travels in T'ang China, Ronald Press Company, 1955.
『世界史上の円仁―唐代中国への旅』 実業之日本社、1963年/原書房、1984年/講談社学術文庫、1999年
Wanted: an Asian policy Knopf, 1955.
『転機にたつアジア政策』 一橋書房、1957年。
The United States and Japan, Viking Press, 1965, 3rd ed.
『ライシャワーの見た日本』 徳間書店、1967年/徳間文庫、1991年
Beyond Vietnam: the United States and Asia, Vintage Books, 1967.
『ベトナムを越えて』 新潮社〈新潮選書〉、1968年。
The Japanese, Belknap Press, 1977.
『ザ・ジャパニーズ』 文藝春秋、1979年/角川ソフィア文庫、2019年
Japan The Story of a Nation, C.E. Tuttle, 1978, 3rd ed.
『ライシャワーの日本史』 文藝春秋、1986年/講談社学術文庫、2001年
My Life Between Japan and America, Harper & Row, 1986.
『ライシャワー自伝』 文藝春秋、1987年。
The Japanese Today : Change and Continuity, C.E. Tuttle, 1988.
『ザ・ジャパニーズ・トゥデイ』 文藝春秋、1990年。
『真の国際化とは』 チャールズ・イー・タトル出版、1988年、新装版2009年
『日本近代の新しい見方』 講談社現代新書、1965年。大使在任中の著作
『日本との対話 ライシャワー博士の考え方』 時事通信社〈時事新書〉、1961年。同上
『日本への自叙伝』 NHK取材班構成・編、日本放送出版協会、1982年。
『地球社会の教育 21世紀世界の人間づくり』 サイマル出版会、改訂版1984年
翻訳

Ennin's Diary: The Record of a Pilgrimage to China in Search of the Law, Ronald Press Company, 1955.
円仁『入唐求法巡礼行記』の研究英訳
共著

『ライシャワーの直言』 聞き手ジョン・ヤング+ビョンヘイ・チャン、赤谷良雄訳、日本リクルートセンター出版部(のちメディアファクトリー)、1983年
『日本の国際化 ライシャワー博士との対話』 納谷祐二・小林ひろみ訳、文藝春秋、1989年。インタビュー形式での著作
『ライシャワーの遺言』 納谷祐二・小林ひろみ著訳、講談社、1993年。同上
『ライシャワー大使日録』 ハル夫人との共著、入江昭監修、講談社、1995年/講談社学術文庫、2003年

伝記

ジョージ・パッカード 『ライシャワーの昭和史』 森山尚美訳、講談社、2009年。著者は大使時代の特別補佐官
上坂冬子 『ハル・ライシャワー』 講談社、1994年、講談社+α文庫、1999年
高嶋幸世 『ノーマン家とライシャワー家 日本と北米の関係構築にはたした役割』シーズ・プランニング、2016年
脚注

[脚注の使い方]
^ a b c “エドウィン・O・ライシャワー”. Harvard University Asia Center. 2020年11月13日閲覧。
^ FMK EVENING JOURNAL
^ a b (英語) Chapin, Emerson. "Edwin Reischauer, Diplomat and Scholar, Dies at 79," New York Times. September 2, 1990.
^ History of The Harvard-Yenching Institute, ハーバード燕京研究所.
^ 「谷崎潤一郎、58年ノーベル賞候補 三島由紀夫が推薦状」朝日新聞2009年9月23日。他の推薦者はパール・バックやドナルド・キーン、三島由紀夫ら4人で、最終選考より一段階前の41人に含まれていた。
^ 「(前略)昭和三十七年五月七日から五月十六日まで沼津市郊外の沼津精神病院に精神分裂――精神病で入院したことがございます。」(参議院 予算委員会 早川崇国家公安委員会委員長答弁)
^ “参議院会議録情報第46回国会予算委員会第18号 発言番号303”. 参議院. 2021年2月27日閲覧。
^ 『十九歳・テロルの季節 ライシャワー米駐日大使刺傷事件』(岡村青、現代書館、1989年)を参照。
^ 1964年8月21日閣議決定「献血の推進について」
^ 村上直之, 藤田健一「ライシャワー事件と新聞報道 精神衛生法改正の社会的過程(1)」『神戸女学院大学紀要論文「論集」』第27巻第2号、1980年12月、 55-110頁、 doi:10.18878/00000809、 NAID 120005644381。
^ “女性SP きらり活躍 狭き門突破 首都の安全守る”. 東京新聞 TOKYO Web (2020年4月17日). 2020年10月17日閲覧。
^ 『ライシャワー自伝』p. 160 エドウィン・O・ライシャワー著 文藝春秋刊 1987年
^ 吉田守男 『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』ISBN 402261353X
^ 「北ベトナム 大森実氏の病院爆撃報道 45年癒えぬ傷」毎日新聞2011年2月28日6面
^ 岡留康文 非核三原則と核密約論議 〜反核と核の傘のはざま〜 参議院外交防衛委員会調査室
^ 社説「沖縄密約公開/戦略なき外交を露呈 「抑止力」の呪縛と決別を」 琉球新報2011年2月20日
関連項目
外部リンク
編集
ハーバード大学ライシャワー日本研究所
Chapin, Emerson. "Edwin Reischauer, Diplomat and Scholar, Dies at 79," New York Times. September 2, 1990

気象兵器

2022-05-18 04:52:49 | 日記
気象兵器を所持している国、使っている国
【河添恵子】実は気象●器は●●の時にも使われていました。最近起きている自然災害は本当に天災?
YouTube 河添恵子 未来ネット

👇️まず、河添恵子さんが、2冊の本を紹介してくれました。
最初の📖『毛沢東の大飢饉』は「中ごくは地獄へと堕(お)ちていった。」という書き出しから始まっています。
1958~1962年の中ごくの人口は6億人。いま、中ごくで起きていることが『毛沢東の大飢饉』と同じように『習●平の大飢饉』になる可能性がある。
(👨いちばんの問題は、他国の僕たちが知っているのに、中ごくの国民が中ごく共産党の情報統制により何も知らせられていないということです。これらの本を読むこともできない。)

1冊目。
📖『毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958~1962』
フランク・ディケーター 著 中川治子 訳 
草思社 刊(文庫本のほう。1,760円(税込み)もする。)
2019/02/05

読者レビュー

①アクセス可能となった中ごく共産党の文書に基づいている。
当時の政治情勢もよくわかる。
本書では少なくとも4500万人が本来避けられたはずの死を遂げた、少なくとも260万人が拷問死あるいはその場で処刑と推察。
(👨260万人が拷問死あるいはその場で処刑❗)
大躍進の結果、毛への批判が高まり、それを回避するため、文化大革命をは発動。
大躍進は、ソ連への対抗から、15年以内、イギリス(鉄鋼生産)を抜くと1957年11月に公言してから。

②大躍進政策に対する共産党の公式見解は文書はあまり存在しないなか、著者が地方の共産党支部などに残る文書を丹念の読み解いて分析した大作。そこで明らかになったのは近代では考えられない不合理さと凄惨さに満ちた事実であった。当時ソ連に見栄をきるために自分たちが食べるものもないなか、食料を海外に輸出するなどの愚策は、客観的な批判勢力が存在し得ない独裁主義国家の特徴であり、北朝鮮でも再現されている現実である。
数年の間に、少なくとも4500万人の死亡者が出たという事実は、日中戦争で中ごく側死亡者が1000万人以上とされているものと比較しても、あまりにも莫大な数である。また、被害者のほとんどが幼い子供、女性、高齢者であること、すべてが餓死や虐待といった悲惨な最後であることを考えると、この悲劇を単純な数字の比較で済ませることなどできないだろう。さらにこのうち250万人は拷問、処刑死であるという。
(👩250万人は拷問死、処刑死❗)
共産党政府が認めている大飢饉の被害者は最大のものでも3000万までであり、それ以上の如何なる説も誇張であると主張しているが、ここまで大きな数字だとどちらも五十歩百歩としか言いようがない。
大躍進からから60年近くたった現代中ごくにおいても、日中戦争時の日本軍の仕業なんかよりも大躍進と後の文化革命による記憶の方が鮮明に記憶されているに違いないことを考えると、今に至る、日中戦争時の日本軍への執拗とも言えるバッシングは、中ごく共産党の正当性の主張、アイデンティティの維持という目的のみならず、これらの凄惨な結果に終わった中ごく共産党の失策に対する中ごく国内の不満の目を背(そむ)けるための手段でもあるのだろう。

③やっと読了。成毛(なるけ)オススメ本から。文庫化されているのをふと書店で見つけて、オッ!と思って購入。正直、いまひとつピンとこない地名や数字の羅列が多くて、読み進めるのがしんどかった。確かに資料的価値としては、隠ぺい体質のかの国・かの時代に関して、とんでもないインパクトを持つものだとは思う。ただ、並の一般人が楽しむとすれば、最後の総括部分としての最終章と、あと訳者あとがき+解説で十分なんじゃないかと思っちった。ただまあ、それを言い出すと、本書系のノンフは大方不要、みたいな話になってしまいかねんけど。

④2010年代に読んだなかでもっとも衝撃を受けた本。
(👨僕は遅れているんだな。)
学者が書いているため統計部分が多いのだが、そこは流し読んでもよい。事実の重さに慄然とする。理不尽な状況下で生き延びるために、一体何をすればいいのだろうか?
これは文庫化のほうで文庫にしては高価だ。
(👧読むべき本を高価にするのは良くない。私のような若者が買えません❗)

⑤なかなか表面化されない毛沢東時代の悲惨な中ごく国内状況が描かれており、大変興味深く読ませてもらいました。
文化大革命が始まる前の大躍進時代の話が主で、先進国に追いつくために多くの犠牲者を出したことが中ごく共産党が開示した公文書をもとに描かれています。
(👨先進国に追いつくために自国から多くの犠牲者を出した❗)
大規模工事、滅茶苦茶な農業政策、果てはカニバリズムに至るまで、惨憺(さんたん)たる中ごくの1950年代、60年代は凄まじいものがあったようです。
多少の脚色やオーバーな表現はあるようにも思えますが、尋常じゃなかった当時の中ごくを知ることができます。



『毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災1958‐1962』
フランクディケーター 著
中川治子 訳 草思社 刊(単行本のほう。)
 

読者レビュー

①1958年から62年まで毛沢東の政策である「大躍進」によって、大量の食料が失われ、数千万の市民の命を奪った大飢饉が発生した。個人ファイルを保管していた部署の記録から、その実態を解析したのがこの本。 毛沢東が権力を拡大していくきっかけとなった政策は、中ごく人民に多大な負荷、犠牲を払わせた。 亡くなった人は4000万人以上と推定され、一人の指導者によるものとしては前代未聞のスケールだった。
(👨一人の指導者による犠牲者4000万人以上は前代未聞❗)
なぜこのような事態になったのか、その経緯と結果をいくつかのカテゴリーに分けて考察する。
毛沢東の政策推進の裏で市民を弾圧する残酷な事例が沢山出てきて、読み進むのが辛い感じがあった。指導者が自分のメンツのために多くの人たちを犠牲にする。一人の命は、単なる統計上の数字として語られる。共産主義という理念が至上命題とされ、現実を見て見ぬふりをする。数字をよく見せるために粉飾は当たり前、ウソがまかり通る社会。共産主義の実態を見ると、様々な不具合を抱えていることがわかる。毛沢東は、世界の偉人の一人とされていた時代もあったが(中ごくでは今でもそうだが)真実を知ると、ヒトラーやスターリンと同じレベルの独裁者であった。この時期の時代背景もあるけれど、それにしても酷い人権侵害で、現代の視点で見るととても耐えられない。それから60年経って、現代の中ごくに通じるところがあり、基本的に毛沢東の時代と今も変わっていないようだ。この本を読むと、日本に住めることの幸せを感じる。
追記:戦争を仕掛けたプーチンのロシアも似たようなものだろう。国民は情報統制され、既に「情報の大飢饉」に見舞われているような感じがする。

②中ごくでは、「天安門事件」でさえ検索しても情報統制されており、中ごくの一般人が知ることはできない。
人災規模では、天安門事件がかすんで見えるこの「大躍進」という毛沢東の失政については、まだ当時を知る生存者がいるはずなのだが、その実態がよくわかなかった。
著者は残された公文書を読み込み、その阿鼻叫喚の状況をつぶさにレポートしています。
ここで素朴な疑問ですが、なぜこれほどの餓死者を出した明らかな失政に途中で歯止めがかからず、さらに党内で問題視されなかったのか、それは毛沢東の個人権力が強大すぎて、反対者が弾圧されたからに他なりません。
当時の権力闘争のなかでは、反対者が粛清され、従順な側近しか生き残れなかったというのはわかるが、今でもなお毛沢東が多くの中ごく人に支持されているのは、やはり歴史教育のせいだろうか?
(👩そうでしょう。)
そして今また、長期政権の習近平国家主席もまた自己の個人崇拝への道を進んでいるかのようで、歴史に学ばない中ごくの悲惨な歴史は繰り返すのか・・
本書はもちろん中ごくでは禁書扱いなのでしょうが、大躍進の後起こった1966年から10年続いた文化大革命までを大きな権力闘争による人災(20年弱の期間であわせると1億人以上の死者なのでもはや虐殺?)としてみれば、その恐ろしさと凄まじさがよりわかります。

③アクセス可能となった中ごく共産党の文書に基づいている。
当時の政治情勢もよくわかる。
本書では少なくとも4500万人が本来避けられたはずの死を遂げた、少なくとも260万人が拷問死あるいはその場で処刑と推察。
大躍進の結果、毛への批判が高まり、それを回避するため、文化大革命をは発動。
大躍進は、ソ連への対抗から、15年以内、イギリス(鉄鋼生産)を抜くと1957年11月に公言してから。

④大企業病と良く似てるな、と感じた。程度の酷さは、中ごくの方が遥かに上だけど…。
数値目標を掲げて、トップにノーと言えない空気で進めると、何が何でも計画遂行するコト自体が目的になってしまう…。

⑤現在大躍進を遂げている中国のたった50年前の「大躍進」政策。餓死、拷問等々で4500万人以上の死者が出たと言う。何でも中央でコントロールする計画経済の陥る最悪パターンの集積。中国市場スゲーと関心するだけでなく理解しようと努力するとき避けては通れない歴史。

⑥[ 内容 ]
総死者数4500万人!中ごく共産党最大のタブー、「大躍進」の全体像を、党の資料をもとに初めて明るみに出す。
2011年サミュエル・ジョンソン賞受賞。
[ 目次 ]
第1部 ユートピアを追い求めて
第2部 死の谷を歩む
第3部 破壊
第4部 生き残るために
第5部 弱者たち
第6部 様々な死
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]

⑦周到で綿密、地道な取材に裏付けられた、1958-62年という歴史の暗部を照らし出す試み。
なかでも、第36章『人肉を食べる(カニバリズム)』はショッキングだった。先日読んだ遠藤誉(えんどうほまれ)の『卡子』で、1948年、食糧封鎖(兵糧攻め)が行われた長春市内でカニバリズムが行われていたことを知って戦慄したが、大躍進期の大飢饉ではもっと大規模に日常的に行われていた。公文書では、読む者に恐怖感を与えないよう報告の事実のみが淡々と書かれているのだが、その記述からはディテールをいくらでも膨らませることができてしまうので、自分の妄想が走り出してしまうと止まらなくなって、恐怖でことばにできない。
同じ著者がThe Tragedy of Liberationというタイトルで「解放」前後の1945-57を扱っているので読んでみたい。でも、彼の書く文革期(1966-76)の歴史をいちばん読んでみたい。

⑧一党独裁の負の側面が如実に表れた政策的な失敗の記録。
国家でも企業でも、結局組織を動かすのは個々人であり、部下は上司の顔色を見て動くもの。たとえ大きな方向が間違っていても、組織内では上から言われればなかなかそれを正すことは難しい。
第三者的なチェック(野党、マスコミ、知識人など)が社会にとっていかに大切か、実感させられる事例。


⑨(欲しい!) 2011年BBCサミュエル・ジョンソン賞
成毛眞(今のところ)オールタイムベスト10

⑩毛沢東の行った政治について、私は詳しいわけではない。
しかし、この著作が描き出した毛沢東は、自身のプライドと見栄(主にフルシチョフに対する)の為に自国民を犠牲にする無能なリーダーでしかない。
しかし、こうした飢饉や戦争などの過酷な状況を描くルポルタージュを読んでいていつも気になるのが、強いものは弱いものを虐げ、弱いものはさらに弱いものを虐げるという構図である。
勿論『夜と霧』(ヴィクトール・E.フランクル著)に書かれているように、どんな立場にあっても、高いモラルと優しさを持って他者に接することができる者もいるだろう。
だが残念ながら毛沢東の行った「大躍進」では、地方に多くの小毛沢東を生み出し、力の弱い子供やお年寄りの多くが犠牲となった。
唯一の救いは、少し前なら決して世間に出なかった資料の公開や、著者の取材に協力した人々の存在であろうか。
それは単に「擁毛派」との政治的対立の産物にすぎないのかも知れないが、いつの日か毛沢東時代の全ての出来事が明るみに出る時がくれば良いと思う。

⑪毛沢東が推進した大躍進の陰で、4600万人の人間が犠牲になった。
しわ寄せは、老人、子供に行く。住む家も、食べ物もなくて、屋根わらから土を食べ、最後は人肉食まで行ってしまい、凄惨を極めた。
今までは天災によって起きたと言い張っていた、中国共産党も最近は大躍進のせいで多くの人が犠牲になったということを認めるようになった。
リーダーがアホで、情報操作が可能だとこのような状況になるのだろうか。

⑫妄想するは楽しい。暇さえあれば妄想して楽しんでいる。個人の範囲で楽しんでいる分にはいいが、これが一国のトップに立つ人間の誇大妄想となると途轍もない悲劇が起こる。
蒋介石の国民軍を台湾に追いやり、共産主義の道を歩み始めた毛沢東の中ごくで起きたことが正にこれだ。
スターリンに軽んじられたことが原因なのかは判然としないが、旧ソ連への
対抗意識から毛沢東の中ごくは独自路線を突っ走る。
ソ連の対抗相手がアメリカなら、中ごくは「イギリスに追い付き追い越せ」。
農業から工業まで、到底達成出来ない数字を弾き出し、産業も経済も
とことんまで落ち込む悪循環が始まる。
灌漑工事だ、ダム工事だ、と言って農民を工事に駆りたて収穫期を逸した
作物は田畑で枯れていく。それでも「ノルマ以上の収穫がありました!」
なんて報告するから、国は益々買い上げ量を増やす。
「鉄の増産だ~」と言っては、鍋・釜の調理器具はもとより農機具までも
溶鉱炉に放り込み、結果、手作業での農作業は効率が悪くなる。
国内では食うや食わずで国民が労働に駆りたてられているのに、共産圏の同盟国には輸入してまで食糧援助をする。
「これは性質の悪いブラック・コメディか」の連続なのである。すべては
毛沢東の思いつきで始まったのに、悪い報告が耳に入ると機嫌が悪くなる毛おじさん。本書を読んでいると、あのスターリンでさえ可愛らしいと錯覚させられる。
「飢饉は3年間の自然災害のせいです」。共産中国の言い訳は飛んでも
ない大噓なのである。
著者が推測するこの時期の死者数4千5百万人也。餓死はもとより、
暴力によるものや自殺者も含まれている。これだけの国民を死・に
至らしめた毛沢東を批判することは、中国最大のタブーである。
ソ連ではフルチショフがスターリン批判を行った。いずれ、中国でも毛沢東批判を行う党幹部が出て来るのだろうか。

⑬毛沢東の大躍進政策何度も何度も読んできているが、档案館の資料を基に4500万人が餓死したと推計している。
档案館の資料は30年、50年で解禁期日を迎えているそうだが、文革の資料が解禁される日が来るだろうか?天安門の肖像画、毛沢東記念堂が撤収される日が来るだろうか?
2011年1月11日、天安門広場の博物館前に設置された9.5メートルの青銅製の孔子像は100日余り経った4月21日片づけられ、博物館内の彫像園に移された。
毛沢東と孔子……。

⑭毛沢東政権時代の中ごくでなにが起こっていたかを、膨大な資料をもとに丹念に追って行った入魂の書。
書かれている内容があまりに悲惨で、本当に起こった事だとは思えない程。
しかし、史実だとすれば、
知っておいた方が良いのではないかと思う。

⑮毛沢東、そして彼が率いた中華人民共和国の人民公社建設の過程でどれだけの国民の犠牲があったかをあぶり出す著書です。
ヒトラーなど様々な政治的国民への搾取が歴史的にあるなかで、本書のタイトル通り、
この時代に中華人民共和国に生まれた人々の大半が不幸としか言いようがない。
しかし、決して時代を切り取っただけでなく、流れとして中ごくに存在するものは必ずあるはずである。
過去の中ごく、今の中ごくにも共通する政治と国民との関係を踏まえて中ごくを考えるのには最適な一冊かもしれない。

⑯読んでいる途中で何度も表紙を閉じた。ホロコーストはナチスドイツだけではない。
(👩ホロコーストはナチスドイツだけだけではない❗)
こちらは自国民の生活を破綻させた意味では、罪深い。


2冊目
📖『飢餓(ハングリーゴースト)』
中央公論新社 刊


『飢餓(上)』読者レビュー
毛沢東政権下中国で1960年前後、「大躍進」政策の結果として生じた大飢饉について書かれた本。ソ連の農業共有化によっても同様な飢饉が生じたが、その経験は活かされなかった。既存の科学や農業知識がブルジョア思想に分類されて破棄され、非科学的な知識により生産性ががた減りしたにもかかわらず、現状を伝える者は粛清されたために大飢饉を止めることができなかった。

『飢餓(下)』読者レビュー
後半は飢饉の状況とともに、西側諸国の対応などについて言及。飢饉の実情を知ることができず場合によってはプロパガンダを鵜呑みにして理想化してしまった。解説ではなぜこのような破滅的状況を経験してなお中ごくの共産党独裁が維持されている理由について説明されている。


【河添恵子】実は気象●器は●●の時にも使われていました(YouTube)の
5分10秒のところからお聞きになりますと、

河添:これは本当に天災なのか❔それとも『救済がきちんとされていなければ人災』ということにもなってくるんです。
そもそもこれだけ大気が不安定になってしまっているのはもしかして、気象兵器などをいろいろ使いすぎてしまっている結果、大気が不安定になるのではないか❔
中ごくが使ったのか❔他の国に中ごくが気象兵器で遣られたのか❔それはわからないですけれども。

2018年、中ごくの航●科●技●公●が、『天河(スカイツリー)プロジェクト』を始動。チベット高原に数千台もの人工降雨マシーンを設置して、
(👨チベットやモンゴル、ウイグルの地をこういうふうに使うのだな。中ごく共産党は。
👧中ごくは、中ごく政府の上に中ごく共産党があるんだよ。
👨わかってる。)
チベットの高原に数千台もの人工降雨マシーンを設置して、『どういうふうに雨を降らせるか』とか、やったわけです。この事はフォーブスで英語でも、日本語での文章でも出ている記事です。とすると、『人工的ないろんな実験』をすることによって天然界がおかしくなって、気象がおかしくなって、なんらかのひずみが起きているのか❔さらにはもしかしたら、(世界と中ごくの人口を減らすため、)何の目的かわからないんですけれども、気象兵器をなんらかのかたちで、どこかで使っていることによるのか❔その可能性はゼロではないと思います。

1997年5月にジュネーブで、軍縮系のNGOによる『環境制御会議』において『気象兵器を制限する』、『環境改変域禁止条約』が採択されました。この時、中ごくは署名サインをしていません。今は署名しています。
気象兵器を平和目的でしようすることはよいが、それ以外はダメ。
わかりやすい例として、ペキン五輪は2008年8月4日から始まったわけですが、
その時に『雨を開期中に降らせない』というかたちで使ったものが、この『環境改変域』のようなもにくだった。
(👩オリンピック期間に気象兵器を使用して雨を降らせないのはOKなの❔私のまわりの人は気象兵器というものがあること自体誰も知らないし、興味もない。)

気象兵器は日本も持っている。世界中の政府が戦前から持っていたと言われているのですが、政府が気象兵器を持つということが、『兵器として』いつ頃から問題になったか❔ということを(私、河添恵子さんが)探しました。
当時は米ソ冷戦時代のさなか、975年頃、読売新聞や朝日新聞には、「恐るべき環境破壊、気象兵器」といった記事がたくさん出ていました。
という事は、当然ですが、『気象兵器をロシアも持っている。アメリカも持っている。なぜなら気象兵器を発明したのはアメリカ人だから。』それは(初めは)兵器というか、農作物が順調に育つようにとか、そういった、いろいろな良い意味で気象兵器を作ったわけなんですけれども。
『ロシア、中ごくも持っている』だろうと考えていいわけです。
今起きた大雨とか、産業ダムの決壊とかいうのは、これは天災なのか❔人災なのか❔非常に微妙です。その先にあるのはハーベスト実り(収穫)がなくなってしまう、
(👨気象兵器を作った時の目的と全く逆じゃないか❗)
物価上昇などの問題があります。以上が、数日前の産経のニュースからでした。
(👩ああ、読みんでみたかったな。)