あなたが好きです( I still do. )

写真付きで大好きなミュージシャンのライブや音楽を紹介するならgooブログ

君が戦争を欲しないならば

2022-05-03 13:31:14 | 日記
ウクライナ戦争はまったく不必要な戦争で、
ただ戦争を長引かせることでプーチン大統領を失脚させ、
ロシア文明を崩壊させることを狙っている。

いま世界は大きな歴史的な転換点にある。
良いほうにブレイクスルーするのか❔悪いほうにブレイクダウンするのか⁉️
嘘つきと言われるメディアだって、メディア全員がノーと言えば、社長は退陣するか、考えを転換させるしかない。それでも、メディアは「ディープステート」を選ぶのか⁉️
(日本の)みんなの中にいわゆる進歩、グローバリゼーションに対する疑いがあって、
世界はこのまま進んでいいのだろうか❔という疑問を持っている。
きっとこの数日の間にグローバル時代は終わった。
悪とわかってしまいイメージダウンした以上「グローバル」という言葉はもう使えない。また何か新しい呼び名を充てるだろう。

彼のメンツを重んじながら習●平氏のことをディープステートが失脚させたようだ。
ディープステートが共産党を作ったのになぜだろう❔習氏がプーチン大統領に協力するからだろうか❔習氏失脚でウイグル・チベットの行方は⁉️
中ごくとロシアは精神性がロシアのほうが上。

👩世界をディープステート・ネオコンが牛耳っていることなど、知らないのは私だけだった。知っている人、学会の人、メディアの人は、真実を言えば学会を追われるし、会社で仕事できなくなる。日々の暮らしがたちゆかなくなる。黙っていればお給料来るしな。背に腹はかえられない。

補佐官や秘書官が自分のところに上がってきた情報を選別してしまえば、
情報は大統領(日本なら首相)のところに上がらない。
誰が情報をコントロール、握っているか❔ということなんですね。
その人が大統領(首相)を操(あやつ)れる。

(👩世の中(世界)って、こんなに映画のまんまなんだな。
100年前からディープステートによる洗脳と支配が行われてきたけれども、
第二次世界大戦や、そういう戦争のところに重なった一般の人々は、戦争や飢餓で命を奪われ、たまったもんじゃない‼️
👧電車に乗る際は、馬渕睦夫さんの本を2冊ほど携帯していきます。
おもむろにバンドバッグから本を出し、表紙が他の人たちによく見えるように本を読みます。
その点SB新書もWACも、本の帯が下の本のタイトルに重ならず、
きちんと下までタイトルが読めて非常に良いです。
きょう車内で読んだ本は、
📖『日本人が知らない
世界の黒幕
メディアが報じない真実』(SB新書)
📖『馬渕睦夫が読み解く
2022年 世界の真実
静かなる第三次世界大戦が始まった』(WAC)です。

西洋的価値と、伝統的価値の融合に成功したのが日本。
だからプーチン大統領は親日家。(馬渕睦夫さんが言う。)
(👩私が観ているウクライナ戦争は、全部録画でしょ。
世の中にディープステートが居るならロシアは本当はどのくらい
ウクライナは本当はどのくらい人間を殺してしまったのかと思う。
私が観ているものは本当に真実なのか❔
国民の洗脳なんて簡単なのかもしれません。)

コ●ナ→不況→戦争へ。
DS(ディープステート)が、コ●ナを世界征服の手段として使おうとしている。

ディープステート、中ごくの目的は世界制覇。

プーチン大統領とゼレンスキー大統領の間には、はじめから密約があったと考えるほうが、ロシアのウクライナへの侵攻も自然に思えるように思えます。
「結局、ネオナチですね。ネオナチを一層ロシア寄りにして、winwinの結果になる」。
ひとことで言えば、その通りだと思います。
ですから、プーチン大統領は、ゼレンスキー大統領自身を攻撃していません。
ゼレンスキー大統領を倒したいのならば、首都キエフにミサイルを打ち込めばそれで終わる話です。
ゼレンスキー大統領は世界各国で講演。「演技」の(で)演説をしているわけです。あのような演説を本気で聴いている人はいません。ゼレンスキー大統領は、壮大なる演技がばれないようにやっておられるのではないか思わざるを得ません。

このご質問をされたかたは、相当世の中をよく見ていらっしゃる。このようなレベルの高い、
私(馬渕睦夫さん)も瞬間には答えられない、深いご質問が最近目立つようになりました。
この『馬渕睦夫のひとりがたり』も、やった意味があったのかなと思います。皆さんとの間の(真実の歴史理解の)距離がせばまって(近づいて)きたんだな、という気がしております。(馬渕)

物事の本質を極めれば、他の部分もわかる。
(👨仕事を極めた社長さんが、今までいた会社と違う分野の会社の社長になっても社長業ができるのと同じ。松下幸之助さんなど、絶対にできると思う。
👩社長業こそ『社長派遣』にすべきだ。
👧それじゃ、会社の秘密が派遣社長(たとえば松下幸之助さん)にバレバレじゃないの❗
👩それでいいのだ(バカボンのパパ)。松下幸之助さんのような社長が、日本の、世界の企業の派遣社長になって800日間世界一周すれば、世界のグローバル企業はどんどん覚醒していく。自分たちは間違っていたんだと。松下幸之助さんは、『悪いのはやはり社長本人。社長の意識(私欲)だ』と述べている。
それはつまりアメリカ大統領とその周辺を支配する私利私欲のディープステート・ネオコンということになります。京セラの社長さんが行くべきだと思う。
👧だあれ❔👨稲森和夫さん。

愚かだなあ、中ごくもロシアも。自分の国の国民のために、良かれと思うことを自分の命を賭けて言ってくれる偉人たちを、全員殺してしまった。アメリカもそういう人たちを、ジョン・F・ケネディのようにやっぱり暗殺する。民主主義も共産主義も実は独裁だな。民主主義が独裁とは驚いたな。私たちは『愚民』なの❔
👨違うさ❗
👩中ごくには魯迅の子孫も劉暁波さんの子孫もいない❔だからダメな政府なんだ。
魯迅に子孫はいるの❔
👨いたね。魯迅は最後は中ごく人にがっかりしてしまったんだ。
劉暁波夫妻に子どもさんはいない。
👧ヤバッ。真実の議論・発言をする私たち家族を
gooブログは命を賭けて守らねばならない。
gooブログもやはりメディア❔
gooブログ:「私はロボットです」
そうね、あなたは私によく「私はロボットではありません」の項目にチェックさせてるよね。)

それはそうと、(馬渕睦夫さん)
[馬渕睦夫]プーチンとゼレンスキーは密約していた?(YouTube)

(👧ロシアモウクライナも、もう、無駄な死人を出すのはやめて、
明日にでも停戦してください❗ウクライナ市民も兵士もロシア市民も可哀想だよ。
ゼレンスキー大統領、よく聴いてください。あなたはウクライナ兵を使って直接的にロシアの兵士を殺しているだけでなく、間接的に自分の国の国民とウクライナ兵を殺しているのですよ。密約をしているということはそういうことです。人間として大統領としてそんなことをしてはならないのです。

馬渕睦夫さんはディープステート一味から狙われないの❔
👨馬渕睦夫さんは、本当の事を言うのをおそれない偉人。真の意味で立派な人。
本当の事を僕らに伝えることがご自分の命より大切だと思っている。
もし、馬渕睦夫さんに何かあったら、それこそディープステートに命を狙われたり、ワインに毒を盛られたりしたら、ディープステート自身が自分のしていることは事実だと言っているのと同じだ。
👩ここのところ、馬渕睦夫さん、河添恵子さん、馬渕睦夫さん×河添恵子さんのYouTubeは、
大きな字が下に出て非常にわかりやすいです。私が聴きたい人の講義(サイードや加藤周一さん)は、その方々自体がもうかなりの高齢で言葉が聞き取れなかったのです。すべてのYouTubeの下に語られた文字を入れて。日本の覚醒が早まると思います。)

ディープステートの起源は、最高裁判所判事にユダヤ系のユダヤ人弁護士を送り込んだことが始まりでした。ディープステートのバックグラウンドはマイノリティなリベラル(ユダヤ人)。アメリカはユダヤ人に支配されている。
(👨だからって、僕はどうすればいいの❔)
安易な解決法はありません。勉強して自分の価値観が「良い」と思うことを実績していくしかないのです。(馬渕)
馬渕睦夫さんのYouTube参照。
「ディープステートの原点 アメリカのディープステートについて」

次期のアメリカ大統領として選挙に出馬する2、3名は、ビルダーバーグ会議で予め決定されている。
いまやディープステート・ネオコンは秘密の会議があることさえ隠さない。未来予想の本も出す。(馬渕睦夫さん)
ディープステートとは、訳して国家内国家・深層国家。それでは何を言っているのかわかりづらいから『アメリカの真の支配者』。ディープステートとかネオコンとか、アメリカの真の支配者のニックネームはまだ統一されていない。
(👧だって、秘密だから。)
ディープステートとは、今のアメリカだけでなく、事実上、世界全体を動かしている真の支配者のことです。昨今は、今まで隠されていたことを堂々と議論することができるようになりました。これは人間の意識の進化とSNSによる大きな進歩です。
ディープステート、真の支配者という勢力があるということを理解していないと、
今後、米朝関係がどうなるのか❔米中の貿易戦争がどうなるのか❔などを理解することができません。プーチン大統領の運命いかに❔と、そういうことをどんなに議論しても真の支配者のことを知らない限り、到底分からないのです。歴史を振り返って今のこの世界状況を正確に解説できる人がなかなかいません。歴史の『背景(黒幕)』、時事問題を理解していないとなかなか解りません。
[馬渕睦夫]ディープステートの原点 アメリカの真の支配者について(YouTube)
(👨なになに❔昨日の朝刊第1面。(新聞は読めるプロパガンダだからね。)
「だが、ウクライナ侵攻でフィンランドの危機感は高まった。
マリン氏(フィンランド首相)は、「ウクライナの主権を尊重せず国際法に違反するロシアの振る舞いに今までのような(良好な)関係を続けることはできない」と語り、今までの方針を変えることにした。
フィンランドがNATOに加盟すれば、フィンランドが(NATO同盟国以外(ロシア)から)仮に攻撃を受けても、アメリカなどのNATO加盟国がフィンランドを防衛する(アメリカが戦争に加担する)
こと(ができるように)なる。(現在はまだフィンランドと)同じNATO非加盟国のスウェーデンでも(スウェーデンが攻撃を受けてもアメリカなどのNATO加盟国がスウェーデンを防衛することになるように)NATO加盟の議論がすすんでいる。ロシアはフィンランドとスウェーデンのNATO加盟の動きに反発しており、軍事圧力が強まる可能性がある。(日本経済新聞2022.5.7)

(主語・世界の真の支配者アメリカのディープステート勢力)が「戦争で共産国に攻められたら  
ウクライナの国民のようになるぞ」とウクライナの惨状を世界中の人々にこれでもかと戦争プロパガンダ(テレビ・メディア)で見せつけ、(アメリカが)世界の国々の人々を怖がらせ、(アメリカが)世界の国々を、まずは北欧のフィンランドとスウェーデンから次々とNATOに加入させて、
アメリカなどのNATO加盟国が加入国を防衛することができるようにし、つまり戦争に加担する(いまウクライナにしているように最新兵器を送って使用させる)ことができるように準備している。
つまり、アメリカ:「戦争を始めても大丈夫❗アメリカがあなたの国フィンランドやスウェーデンを応援するから大丈夫。フィンランドとスウェーデンにもアメリカの、航空・宇宙 軍需産業企業から絶え間なく最新兵器を送って使用させるから大丈夫」と約束して安心させている。
(👨うわ、北欧はテロ組織の温床。)
アメリカさえよければという利己的な考え方の典型。
戦争ほど人間の叡知(魂)から程遠い刹那的なものはない。
戦争を始めて自国民と兵士が1人も命を落とさないのか⁉️
ウクライナのように負けてはいず、ロシアに1、2週間で負けることはないが、いつまで待っても戦争は終わらないじゃないか‼️
👩だって戦争を終わらせるのはロシアでもウクライナでもない。
アメリカのディープステート。戦争をして戦争をする両国から儲ける。
だからアメリカのディープステートの発信する戦争プロパガンダにだまされない。
戦争などして地球全体をボロボロにして、結果、世界の人口を作為的に減らして、
そうして地球環境はいったいどうなる⁉️間違って大統領が核のボタンでも押したら⁉️
アメリカは、まったくアフターケアのない国。たとえば、大学構内で、発砲事件があったら、
すぐにその犯人に発砲して殺してしまう。きちんと彼がどうして撃つことになったが調べないうちに。
どうせ彼が撃った理由はアメリカの暗黒にあるからです。
僕の家族の意見は以上です。

👧戦争に話を戻すと、武器・核兵器を持つのはいけないことは百も承知。
だけど、すぐ隣の家の人がピストルを持って自分の家に押し入ってきたら自分も武器になる物を持って自己防衛するでしょう。いまそれが問題の核の保有。
👩それがディープステートの『やり口・方法』。本当に狡(ずる)い。戦争プロパガンダで核を持つしかない状況を作り出すやり方‼️そんなにずるいことを考え出す頭脳を持っているのになぜそれを悪事(戦争)などにではなく、もっと世界の人々のためになることに使わないのか‼️

📖『プロパガンダ』[新版]
エドワード・バーネイズ 著
中田安彦 訳・解説 (成甲書房)
エドワード・バーネイズ(1891~1995)

アメリカのウィルソン大統領の時代にディープステート(真の支配者)の原型ができた。
メディアというものは世論を誘導し洗脳する機関、アメリカで有名な『広報委員会』が、
アメリカ大統領の直属の機関としてウィルソン大統領のときに開設された。
この『広報委員会』のもとで働いていたのが有名なウォーター・リップマンというジャーナリストと、
エドワード・バーネイズだ。ウォーター・リップマンは、ジャーナリストである前に工作員・諜報部員(スパイ)だ。
(👩ジャーナリストの理念って何❔自分のやっている恐ろしい仕事に嘔吐したりしないの❔「人知れず国民を誘導」だよ❗ウィルソン大統領も大統領としての資質はあるの❔
👧脂質はあった。)

エドワード・バーネイズが著した📖『プロパガンダ』。
この本『プロパガンダ』の中でバーネイズは以下のように述べている。
「アメリカのような民主主義社会においては、国民が何を考えるのか❔(国民に何を考えさせるのか❔)
それを国民に知られずに(国民を)誘導する=洗脳することのできる人が真の支配者だ」
「そういう(真の支配者)勢力が目に見えない統治機構を構成している。今から100年前に既にアメリカの支配者はアメリカ大統領ではない」。
真の支配者は目に見えない。アメリカだけでなく世界は、知らず知らずのうちにメディアに洗脳されている。これは、長い間言われてきた『陰謀論』でもなんでもない。直近のジャーナリストがディープステートはこの世に存在して、メディアによる世論誘導・世論洗脳を繰り返していると明確に述べている。
[馬渕睦夫]ひとり語り DSとは(YouTube)



『戦争プロパガンダ』もあり、
それは戦争への世論誘導・世論洗脳だ。
だから、自分の国も武器を買うお金を増額しなければとか、
武器・核兵器を持って防衛しなければと、
知らず知らずのうちに自分が思ってしまうのは
たとえば、ウクライナの市民の惨状の報道を見たり聞いたりしたためだ。
メディアが発信する戦争プロパガンダを見たり聞いたり感じたりしたせいだから
戦争プロパガンダの誘導・洗脳に安易に乗せられて
自分の国も軍事費を増額するべきだとか、
抑止力として核兵器を保有するべきだとか、
安易に思ってはならない。
戦争に一度たりとも足を踏み入れたなら、
戦争には人間の基本的人権は一切ない。
ウクライナ市民の惨状を見れば分かるだろう。
戦争は戦う両国からお金を儲けるための手段の隠れ蓑。
だいたい、栄えある21世紀のこの2022年に、
いまだに戦争を起こすこと自体がナンセンス(時代錯誤)。

(👧なぜ政治家はみな死んだ魚のような目をしているの❔
👩自分で考えないから。
👨いや、工作に忙しいよ。

👧たとえばジョン・レノンとボブ・ディランさんは、
あんなにお金持ちなのになぜ幸せそうな顔をしていないの❔
苦虫を噛み潰したような不機嫌な顔をしているの❔
👩🎵『イマジン』とか🎵『風に吹かれて』とか、
どんなに平和の歌を歌っても何十年も世界は平和にならない。
歌に力がなくなって、というか、権力者にもう平和の歌を歌ってはダメと禁止されて、がっかりしちゃったのではないかな❔僕は魂を売ったとか言ってるものね。
でも、彼らだけに平和を託しては責任転嫁で可哀想だよ。

ちなみに、日本政府にも『広報委員会』はあるの❔ 
あるとして、メディアの何人の人が、自分たちが(戦争)プロパガンダを報道していることを知っているの❔せっかく正確な報道をして、よい国をつくりたいと思って入社してもメディアの実体は❔
👧どのくらい働いたら新入社員にそろそろ「我々メディアの仕事は世論誘導と世論洗脳だ」と伝えるのだろう❔
👩体育館での入社式ではまだ言わない。
あっ、今は入社式もテレワークか。社内の空気を読むんじゃない❔
人間らしい精神を持つ人が鬱になるのは当然だな。
👨人間ってのは本当に同調しやすい動物だな。

👩空気は鳩も読む。周囲の鳩が危険に気付いたら
他の鳩も一斉に飛び立つ。
鳩も雀も群れを成して飛んでいる。
トンビや鷹などの猛禽類に補職されないために。
飛び立つときに鳩はなんにも考えない。
ただ周囲と同じ行動をとるだけ。

『カモメのジョナサン』のように一瞬でも
「自分が今からしようとしている行動は、
やって善いことなのか、悪いことなのか」の二者択一を考えていたら
あっという間に相手に食われてしまう。
これが弱い動物の集団的(集合的)無意識、つまり本能。
本能とは動物が生きるために生まれながらに持っている能力。

👨ヒトラーや毛沢東などの演説を大衆のなかで聞いてしまったら
日本人も洗脳されやすいということだ。
👩人間にも集合的無意識がある。
👧人類を征服したい人々は、
このユングの学説を永遠に「トンデモ説」にしておきたい。
世界にノーベル平和賞を受賞すべき偉人はもっとたくさんいるはずだ。

👩だから、加藤周一さんは、
「みんなが戦争の方向を向いても
自分(だけ)は反対の方向を向け。
戦争には何らかの企みがある」と。
👧「戦争の反対側を向く自分(だけ)が多数集まったら
戦争は起こせない。」
👩ヒトラーも「大衆(国民)の同意がなければ、
ホロコースト(アウシュビッツなどの最終処分場での民族浄化)は
実行することはできなかった」
と述べている。
👧どの本で述べている❔
👩後で探しとく。本当に読むべき本は、売らないか、
一般が買えないほど高価だ。
大学生とかは高価な専門的教科書で読んでいるはずだけれどな。
興味がないんだろうな。そのページがあることに気付かない。

集合的無意識。
ルワンダの悲劇の、
ツチ族とフチ族の殺し合いも、
集合的無意識ゆえの行動だったのではないか❔
📽️『ルワンダ・ホテル』📽️『ルワンダの涙』を観た。
人間は鉈(ナタ)で、
あんなに人間を一刀両断できるものなのか❔
それができてしまったのだ。
人間を善悪の判断なく一瞬で殺した彼らには、
集合的無意識しかなかったのではあるまいか❔
👨新しい学説だね、ママ、(笑)。
👩パパ、笑ってる場合じゃない。
彼らにはほとんど高い教育がなく、
「憎むべき相手を殺せ」というプロパガンダ(集団的誘導・集団的洗脳・集団的命令)に乗せられやすかったのではないかな❔
教育の行き届いた日本の関西人が鉈(ナタ)で、
教育の行き届いた日本の関東人を殺戮しますか❔
👧しません。それに日本人には世界でいちばん卑怯なことが嫌い。
👨でも、そんな意識の高い日本人でさえ、
巧みな戦争プロパガンダにはまんまと騙されてしまう。
👩教育が行き届かない発展途上国の国民の世論誘導・世論洗脳などお手の物(簡単)。
👧それは、パキスタンのノーベル平和賞受賞者のマララさんが述べている。「だからこそ、教育が一番重要だ」と述べている。
👩プロパガンダにまんまと騙されないためには、
戦争プロパガンダに誘導・洗脳されないためには、
きちんと考えられた教育の普及が一番大切なのだ。
👨家族会議の結論がまとまりました。
👧おかあさん、なんで今日はそんなに言うの❔
👩もう、核の使用などで世界の寿命はあまり長くないかもしれないと感じて。
人間はみな魂(たましい・良心)を持って生まれてくる。
曇りやすいこの魂をいつも磨き続けよう。自分の子どもに人間は魂を持つことを必ず伝えて。
こんな偽りばかりのダメな世の中だけど怖がってばかりではいけない。諦めてもいけない。怖がらせ諦めさせ考えさせなくすることがディープステートの洗脳の1つでもあるから。いつも冷静かつ楽観的にと自分に言い聞かせ、馬渕睦夫さんのYouTubeを聴いてメモを取り、出てきた人名なり書籍なり名称なりを自分でもう一度調べてみる。中ごくの国民などは最近やっとウクライナ侵攻という言葉を政府が使い国民はそれを知ったという。日本国民はその点は恵まれている。勉強して真実を知る人が多くなれば日本、ひいては世界は変わる。(獣道(けものみち)の中からを道徳的な細道歩く人が多くなれば大きな舗装された道(道徳=徳道(徳の道)ができると魯迅も高村光太郎も自国の国民に伝えたかったのだと思うう。悩むより試行錯誤するのよ。そして間違っていたら『王さまは裸だ』とみんなで言うの。
高畑 勲監督が、こんな素晴らしいブックレットを出しているのを知らなかった。いいと思ったら自分のところでとめちゃダメ。SNSのこの驚異的な速さをご覧なさい。やる気になればすぐよ。お金のために善悪を見失っちゃダメ。日本のためを願うの。
👧大丈夫。その点では私は一生貧乏よ。
👨アハハ。やたらに富を持ちたがる者こそ貧乏なのだ。レオナルド・ダ・ヴィンチ。
👧モナリザの人がそんなこと言った❔
👩馬渕睦夫さんがそう言ってる。


覚書
グローバル市場というのは、
一握り(1%)の大富豪が世界中の市場を支配すること。
彼らの目的は『世界政府』をつくること、
『1つの通貨』をつくること。もっともっと儲けるために。
欲には際限がないから、戦争を懲りずに起こす。
一握りの大富豪を仮に『ディープステート』と呼ぶ。

ウクライナ侵攻は、ウクライナ天然ガス利権をウクライナ、ロシアのオリガルヒと政治家が組んで奪い合い。そこへアメリカのバイデン大統領が。戦争は利権の隠れ蓑。
戦争している土地の上には家があり、家庭があり、家族が住んでいるということをまったく気にしない人々。戦争屋。
日本も気をつける。戦争プロパガンダに騙されて軽率に戦争に足を踏み入れないこと‼️
戦争はディープステート・ネオコンなどが儲けるための世界一狡くて巧妙な1つの手段。
メディアのジャーナリストはディープステート・ネオコンの支配下の工作員・諜報部員。
(『戦争プロパガンダ10の法則』参照。)
(👧👦日本のメディア、ジャーナリストの皆さん、洗脳するあなた方自身もプロパガンダに洗脳されているの❔

👩話はずれるが、たとえば中ごくなどは、本当に自国の国民の未来を思って「人間には生まれながらに人権があること」や「人間として持つべき倫理・道徳」「人間としての使命」などを教えてくれようとする人々を抹殺する→そういう素晴らしい人間のDNAがなくなる→善いことを教わらないで生活を送る→精神的に劣性の人間のDNAばかりが引き継がれてしまう。

👨ディープステート・ネオコンも、どんなに頭脳は明晰でも、精神的にサイコパスだといえる。間接的にだが戦争でこれだけたくさんの(♾️)人間を殺しても罪悪感に苛まれる者がほとんどいないディープステート・ネオコン。悪いDNAを持つ人々。彼らを取り巻く人々も、メディアの社長さんもジャーナリストらも。


日本国憲法は、総理大臣など為政者たちが勝手な政策(たとえば戦争など)を始めようとしても
そうは日本国憲法が許さない。憲法とは、よりはるか遠くまで見張るかすための最も頑丈な石垣であり、見張り塔である。核を持つことは…(考え中)。

ここまでわかっていても、ウクライナ市民が可哀想と心の底から戦争に反対しながら、
僕は戦争をやめてもらう方法を知らない。
世の中に戦争を始めさせる方法はあるのに、戦争をやめさせる方法はない。
この栄えある21世紀になっているというのに戦争をやめさせる方法がない⁉️
それはおかしいんじゃないの❔
戦争が停戦するのは、大富豪(ディープステート)がお互いの国から充分儲け終わったときだろう。

なぜ戦争をするならやめるときの約束も一緒に考えておかなかったのか⁉️
まったくナンセンス‼️また、原爆でも落としてやめろっていうの‼️
それじゃ、ヒロシマ・ナガサキのときの二の舞じゃない‼️21世紀の核兵器の威力を知っているの⁉️まったくもってナンセンス‼️

👨ディープステートが自分たちのためにわざと作らないでおいたのだろう、というのが僕の家族の見解です。)

憲法記念日に因(ちな)み、
日本国憲法の改正・改憲に反対のデモがあったことをきちんと新聞の第1面に載せたの、
❇️『東京新聞』だけ。

ナンセンスなことに対して「ナンセンス」と言うのです。(高畑 勲監督)

(👧たとえば❔
👩自国の国民のことを思い、正しいことを言う人(たとえばノーベル章受賞者の劉暁波さん)のこと「危険思想(分子)」と言う中ごく共産党、ナンセンス。
危険な分母は共産党自身でしょう。自分自身が大切だから自分の地位を危うくする人の発言を畏れる。
巨大な新興宗教のくに中ごく。
👧ナンセンスって、時代錯誤。
ナンセンスなドンたちが世界各国から集まって世界で重要なことを決める会議をしている。よい方向に決まるわけがない。
👩だってナンセンスだから。
なんでそんな人たち(上にも下にも掛かります)が、
地球上の国々のドン(頭領)なんだろう⁉️
人間は生まれる国も、生まれる家がお金持ちか貧乏かも選べない。
地球上の国々のドンたちを総取り替えしたら世界は平和になるのに。
自分たちで勝手に自分たちに都合のいい法律をつくるから。
大統領や首相の選出も、世襲制禁止🈲、
選挙だけでなく、『平和や戦争・武器や核兵器についての考え方を述べよ』
という試験を通過しなければなれないようにする。
(このblogは『壁の落書き(いま、怒っていることや希望)』の場合もあります。)

👨日本は憲法9条・99条で
戦争と、為政者の不審な行動を監視。
『平和の999』❗(日本の平和の登録商標)
👧誰が考えたの❔
👩日本国憲法の文言を配分した方々。
👨9番のところばかりに最重要の文言をわざわざ持ってきている❗
👴👦すごい⤴️⤴️)

❇️日本国憲法第九十九条【憲法尊重擁護の義務】
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、
裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

「もう一度言いますが、戦争末期の負け戦の果てに、自分たちが受けた悲惨な体験を語っても、
これから突入していくかもしれない戦争を防止することにはならないだろう、と私は思います。
やはり、もっと学ばなければならないのは、そうなる(戦争になる)前のこと、どうして戦争を始めてしまったのか❔であり、どうしたら(戦争を二度と再び)始めないで済むのか❔
そしていったん(戦争が)始まってしまったあと、為政者は、国民は、いったいどうふるまったのか❔なのではないでしょうか❔
そんなことを考えているものですから、
どうしても空襲体験を語ることには積極的になれなかったのです。

しかし、6月29日、この日付は一度も忘れたことはありません。

その日に岡山で、平和の思いを語らせていただくことになったときに、やはり、70年前の今日、自分が体験した空襲の話からまず始めるべきだろうと考えました。
(高畑 勲監督のスピーチは続く👆️👇️)


正しい情報を国民に伝えない政府

ここでお話ししておきますと、日本の政府がいかにひどいかということです。
これは当時のことですが、じつは今でも同じです。東日本大震災の
福島第一原発事故のときも、政府から正確な情報を知らされなかったことによって、福島飯舘村(いいだてむら)などの人々の避難が遅れたりしたのはご存知の通りです。
(日本政府は)国民に知らせるべきことを知らせない。戦時中、たとえばこういう焼夷弾空襲(しょういだんくうしゅう)に対してどう対処すればよいか、(日本政府は)もう十分わかっていたのにそれを(日本国民に)教えなかった。

だから、爆弾を避けるつもりで防空壕(ぼうくうごう)へ入って亡くなった人がたくさんいるのです。私たちがおそわった、爆弾が降ってきたら目と鼻と耳を押さえて伏せろ❗というのは、爆発や爆風による被害を避けるためであって、そういうことは焼夷弾には何の役にも立ちません。
焼夷弾は町を焼き尽くすために開発されたのです。断面が六角形の鉄の筒で、長さが50センチくらいでしょうか、中に油脂が詰まっていて、B29という爆撃機から投下されると、親爆弾が開いてその鉄の筒、要するに焼夷弾がバラけながら大量に落ちてきます。そして着地したとたんに発火、油脂に火が着いて噴出し、あたりに飛び散るんです。筒は縦に落ちてくるので、屋根や地面に突き刺さったりすることもありますが、基本は飛び跳(は)ねて転がり、あとは油脂が燃えるだけ。ですから、空からの直撃わを避けるためにまず、物陰(ものかげ)に隠れるべきです。そして焼夷弾が落ち切ったら、 あとはとにかく燃え上がる火を避けながらできるだけ逃げた方がいいんです。
ところが、焼夷弾攻撃に対して出されていた唯一の命令は👿逃げずに🧯消化しろ、なのです。ですから、消化活動をした人々がたくさん亡くなりました。
岡山よりもっと小さな町だった富山では、岡山での空襲より1,000人も多い死者が出ています。それは、富山の人は非常に律儀(りちぎ)な気質で有名ですが、消化活動に精を出せと言われて、そのとおり精を出してしまった。そうして逃げ遅れて、焼け死んだ人が大勢いた。そこまで律儀でなかった岡山の人はたくさん逃げて、比較すると、富山の死者や負傷者がずっと多くなってしまったわけです。
つまり、焼夷弾攻撃というのは、とても消し切れないほどの火種(ひだね)を空からばらまいて、木と紙でできた日本の都市を焼き尽くそうということですから、対抗のしようがなかった。だから、逃げるのが当然だったのに、国(日本政府)は逃げさせたくなかったのです。まあ、できる限り家屋(かおく)や資材を守るには、空襲に雄々(おお)しく立ち向かわせ、
消化活動をぎりぎまで頑張らせるしかないと考えたんでしょうね。それで、どの家も、焼夷弾による火災に備えて、火たたきとか防火用水(コンクリートで作られた四角い水槽に水を張ったもの)を戸口の前に置き、砂袋なども用意していました。どれも火を消すためのものです。しかし、大量に落ちてくる焼夷弾をどうやって消せばいいのでしょう⁉️当時、燃える油を消すには水ではダメと信じられていましたから、おそらく、この焼夷弾を火たたきでたたいて消せとか、砂をかけて消せということだったのだと思います。
みなさんご存知でしょうか❔以前はどこの家でも石油ストーブを使っていました。その石油ストーブが倒れて引火したときにどうするかというと、消防庁は、ストーブに毛布を掛けて消せ❗水は危険だ、と言っていたのです。でも『暮らしの手帖(てちょう)』という雑誌が、バケツ1杯の水をバァーとかけてみたら消えた、だからそうするべきだ、ということを実験で確かめて(『暮らしの手帖』に)載せました。要するに、急激に冷やせば火は消えるんです。じつはそれを私(高畑 勲監督)は空襲で目の当たりにしたのですが、お役所というのはそんなことも確かめず、公式には認めないまま戦後を迎えるんでね。

❇️戦争を欲しないならば、
何をなすべきか
 
沖縄、70年間の平和の裏に
 
話を空襲の年までに戻しますと、その年(1945年)の8月15日に日本は無条件降伏をし、
戦争が終わりました。それから今日までの70年間、平和憲法のもと、いまなお「戦後」と呼べる幸せな国です。(=70年間、戦争を始めていません。)
ただし、私たちが決して忘れてはならないのは、常に犠牲になり続けた沖縄のことです。
沖縄はいまとくに辺野古の問題が注目されていますね。1945年6月23日が一応、公式的に沖縄戦が終わった日とされています。そしてつい先日、毎年その日に行われる追悼の式がありました。翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事と安倍晋三首相の式典挨拶は、その内容(=沖縄に対する考え方・受けとめ方)のギャップが歴然としていましたね。
沖縄と日本について振り返ってみますと、戦争が終わって、
日本全体がアメリカを中心とする連合軍に占領されました。それが1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約発効によって日本本土がアメリカから独立します。沖縄はアメリカ軍施政下のまま本土と断絶されました。
そしてそのとたんにどうなったかと言いますと、日本国中にあった米軍基地が縮小されました。その代わりに沖縄が基地だらけになったんです。
そんな状況ですから、沖縄の人びとはそのあとずっと、日本に復帰さえすれば、本土と同じように基地がなくなるだろうという期待もあって、1972年に本土復帰を果たします。

しかし、沖縄の人びとのその悲願はまた裏切られました。復帰しても相変わらずアメリカの軍事基地があり続けて、そのままとうとう今に至っているわけです。この問題を、私たち本土にいる連中が無視していっていいんでしょうか⁉️
沖縄の問題で非常に大きいことは、70年続いている日本の平和というものは、沖縄を犠牲にすることによって可能だったのではないか、ということです。
もちろん、日本国民全体が平和憲法を支持したことは間違いないです。それ(平和憲法)で、この平和がある。それに当時は、(日本の)共産党や社会党の勢力を合わせれば、自民党は一強(いっきょう)ということではなかったですし、自民党内部にも、あの戦争(第二次世界大戦)がどんなにひどかったかということを、目に染みて経験している政治家もかなりいて、党是としている憲法改正にもきちんとブレーキを利(き)かせることができていました。
警察予備隊や自衛隊はできたけれども、朝鮮戦争やヴェトナム戦争があっても、この(平和)憲法への絶大な国民の支持があって、アメリカの戦争に日本を加担させるようなことは強く反対されたし、避けられてきました。

それだけではありません。平和憲法があって日本の平和が保たれることは確かなのですが、アメリカは朝鮮戦争もヴェトナム戦争も、日本の特に沖縄を基地にして戦争をしました。アメリカは日本人に米の肩代わりをさせたくて仕方がなかったはずです。でもそれはできなかった。日本政府は憲法九条を盾(たて)に取って自衛隊をアメリカの戦争に参加させなかったからですが、その代わり、沖縄でアメリカを手厚くもてなしたんです。世界でこれ以上ないほど(日本は沖縄でアメリカをもてなしたん)です。沖縄はその犠牲になったんです。


「頭で食う人」の時代へ

(第二次世界)戦争が終わったあと、いろいろと反省が起こりました。
戦争中を生きた人たちの中で、たとえば、詩人や芸術家などもほとんどが戦争に協力していたのです。
(👴ワシも戦争プロパガンダにやられた。)
一番有名なのは高村光太郎という詩人です。

(👧おかあさんが日本の詩人の中でいちばん好きな高村光太郎じゃないか‼️
「僕の前に道はない」、あの📖『道程』(日本近代文学全集)という詩の作者。
👩そうと知ったときは驚きました。戦争プロパガンダは、国のことを思う人こそが
引っかかってしまうのではないの❔)

しかし、そうした人びとは、なぜ戦争に協力したのでしょうか❔

岡山出身の永瀬清子という詩人をご存知でしょうか。県のいろいろな大事な仕事もなさっていた方です。(永瀬清子さんは)多くの詩人からも尊敬されていて、私(高畑 勲監督)も大好きな詩人です。女性の精神的自由や日常の機微(きび)をみずみずしく分かりやすい言葉で見事に捉(とら)えた詩がすばらしいのですが、やや政治的なことも詩にされました。
永瀬清子さんの最後の詩集『春になればうぐいすと同じに』から、その一節を読んでみます。

いつのまにか一番近い相手を
喜ばせたいのが日本人です(中略)
だから、何で食うかが大切です(中略)
頭で食うのはとても危険です
なぜならもし世の中が変わったら
自分が自分にたよって云(い)うことがついできず
云えば食えず
いつかもすぐれた詩人も詩で食っていたために
(👩ここだね👉️)政府やまわりをついつい喜ばせそれで戦争に組みしたのです

「自分が自分にたよって云う」とは❔
詩をよく読まれるかたは、亡くなられた、やはり詩人の茨木のり子さんの📖「寄りかからず」(👩「寄」は、本当は人偏(にんべん)が付きます。)という詩を思い出されるかもしれません。

もはや
できあい(既製品)の思想には寄りかかりたくない
(中略)
もはや
できあい(既製品)の学問には寄りかかりたくない
もはや
できあい(既製品)の権威には寄りかかりたくない
ながく生きて
心底(しんそこ・ほんとうに)学んだのはそれくらい


素晴らしい詩です。でも、人間はついつい寄りかかってしまう。
(👩自分自身で学び、自分自身で考え、自分自身で到達した思想、学びではなく、
他人がつくりあげた既製品の思想、学問、そして権威に寄りかかってしまう。)

茨木さんも、これを書いたのは、この覚悟を厳しく問われた戦中ではなく、必ずしも問われないで済んだ戦後でした。

(👩高畠 勲監督、「この覚悟」って何❔「覚悟を厳しく問われた戦中」とは❔
ねぇ、お父さん、どういう意味❔
👴…………)

永瀬さんは農業もおやりになって、子供も育てて、
詩を書く時間は非常に少なかったけれども、地道な生活をなさっておられました。こうした人びとが多くいたと思うんですが、それがいまでは「頭で食う人」だらけですね。そうした「頭で食う人」が増えて、危険な世の中になってしまったと感じます。
(👩監督、なぜ「頭で食う人」が増えると危険な世の中になるのですか❔)

たとえば、有名人がテレビの番組の司会をやる、レポーターになる。番組は人に快いものを提供しようという狙いがはっきしている。そんなとき、その有名人は出て来た料理を一口味わって、
「うーん、僕の口に合わないなあ」とか、話題にする美術品について、
「僕はこの人の作品は嫌いなんですよね」などとは決して言いませんよね。
そんなことを言う人は局からも視聴者からも嫌われてすぐに降板させられるでしょう。
こんな時代でも、有名人はすでに「和気藹々(わきあいあい)」の「いいね!」の世界を壊してはならないんです。

大事なのは世間様

金子光晴という詩人がいました。
この人は、戦時中、自分の息子を戦地にやりたくないがために、
徴兵検査(ちょうへいけんさ)の前に雨に息子を当たらせて肺炎に罹(かか)らせました。
それで徴兵を逃(のが)れさせた。
このことは戦後、少し英雄的に語られたことがあります。

しかし、どうでしょうか、みなさん。
自分の隣(となり)にそういう人がいたら、平気ですか❔
自分の夫や息子が戦争に取られているのに、
そうやって利己主義でズルをするヤツがいる。
これが許せますか❔これが英雄ですか❔
だけど戦後には金子光晴は一種、英雄扱いもされた。そういう風に変わるんです。
戦争が終わったばかりで、(もう)戦争はこりごりだし、
またすぐ戦争があると思っていないから、
戦争中に勇気があった人(、これは一種のスゴイ勇気ですから、)を讃(たた)えるようになる。
光晴はまさに「寄りかからず」の人です。非常に個人主義的な人です。見上げたものです。

しかし、日本人は個人主義ではない。
ほとんどの日本人はキリスト教徒ではない。神との関係で自分を規定していないんです。
神への畏れ(おそれ)によって自己の行動を律するのではない。大事なのは世間様とご先祖様です。
つまり、周(まわ)りの人たちに合わせることが大事、
世間様やご先祖様に見られていて、
世間様やご先祖様に恥ずかしくないことをしたいと日本人は思っているんです。

そして、👆️こういうのはとても危険なんです。
たとえば、アメリカと戦争に入ろうとしているころに、
日本にはジャズファンなんかがいっぱいいたんです。
アメリカ映画が大好きな人がいっぱいいたんです。
そのちょっと前は、「モボ」「モガ」とか言われる「モダンボーイ」「モダンガール」が都会にいっぱいいたんです。

それは、欧米の文化の高さを見て、
みんな憧れているという意味です。
憧れて実力を感じているから「アメリカと戦争しても勝てっこないよ」と、
そうした人びとはもちろん、言っていたわけです。
しかし、いったん戦争が始まったら、その人たちはどうしたでしょうか❔

まずいことになった、と一瞬思ったかもしれませんが、
映画などで取り上げられるような立派で自立した人を例外として、
結局ほとんどの人が戦争に賛成して、🏮提灯行列(ちょうちんぎょうれつ)にも行く、
🇯🇵🇯🇵🇯🇵旗行列(はたぎょうれつ)にも行くん
👴👵👩です。



空気を読む日本人 

跡取り息子の弟には「君死にたまふことなかれ」と歌った与謝野晶子も、
1942年には軍国の母となって、自分の息子に「大尉となりて わが四郎 み軍にゆく
たけく戦へ」と励ますのです。

なぜでしょう❔「心ならずも」なのでしょうか。そうではないんですよ。国に強制されたからだといまの人は思うかもしれませんけれど、それは違います。
そのときどきの「世間様」が大事だからです。

いったん戦争が始まってしまった以上、
負けたら悲惨なことになるのは当然で、
そうなると、あとは勝ってもらうしかないじゃないか、と思いはじめるんです。
どんなに憧れていても、
日本は間違っているから祖国を捨てて欧米に亡命しよう、なんて思わない。
異国の人の中で不自由をしのぐより、
周りの日本人といっしょになんとか仲良くやっていきたい、そう思うんです。

⚠️💀⚠️💀⚠️💀⚠️💀⚠️💀⚠️💀⚠️💀⚠️💀
日本の大勢が戦争を進めていく側にまわったら、
自分もそれに『同調』して、
もうこうなったら勝ってもらうしかないじゃないか、
というようになるわけです。
こんな戦争をやったって無駄だし、ダメだし、
やるべきではないと言っていた人でも、
いったん国が(👨👩国が国が国が、)
いったん国が戦争に踏み切ってしまったら、
それまでの主張は無になるんです。
無になって「もう勝ってもらうしかない」に
なってしまうんです。
私(高畑 勲監督)にとっては、これが一番怖いことなんです。↙️

(👩ほぼ加藤周一さんと述べていることが同じ。
戦争が始まれば、人権なんてものは一切ない。だから、戦争プロパガンダに知らず知らずのうちに誘導されて、周囲の人びとと同じ戦争への方向を向いてはダメ。自分だけは、その人たちと正反対の平和の方向を向かなくてはいけないのです。)

↘️このことはこれからもおこるだろうということは、
たとえば「空気を読む」という言葉がありますね。
(空気を読むとは、)いま若い人がよく使いますが、
それが私(高畑 勲監督)には驚きというか、がっかりというか。

(👩「空気を読む」とは結局、
その場(忙しい職場とか会議などの席)で
多数決で人数の多いほうや、
権力の強い人(社長とか、重役とか、町内会の会長とか、自分の強い親とか夫とか……)が発する強い「気」のよう圧力=空気に負けて、
物事の善悪を考えず、それが日常となったらどういう結果になるのかまでは考えず、
『周囲の人と一瞬で同調』してしまうような、)
昔と何にも変わっていないじゃないか、と思いました。

(「空気を読む」とは、)新しい言葉でもなんでもない。
この(👨暗黙の)空気を読め❗」ということは、
「場違いなことをするな、言うな❗」ということです。
だからたとえば、みんなが戦争に流されているときに、
「これはおかしいんじゃないか」と言わない、ということなんですよ。
(中略)
「和をもって貴(とうと)しとなす」というのは素晴らしいし、
うまく機能する場合には機能します。
だけど、(「和をもって貴しとなす」というのは)ものすごく危険なんです。大勢が(💀和やかに仲良く誰もみな同じに)こうなっているんだから言わないほうがいいと。

(中略)

私も、あなたも、そうなる恐ろしさ

まどみちおさんという非常にすぐれた詩人の方が(もうなくなられましたが、まどさんの)「ぞうさん」などの童謡はみんなが愛しています。この人も戦争中にいくつかの『戦争協力詩』を書いています。

(まどさんが)全詩集を出版したとき、
自分(まどさん)が恥ずべきことをしたということで、
その戦争協力詩も収録しているんです。
そして(全詩集の)あとがきに、
「(自分の全詩集の)読者であった子供たちにお詫び(おわび)を言おうにも(=言いたくても)、もう50年も経っています。(中略)私のインチキぶりを世にさらすことで私をゆるして(まどさんは「ゆる」の漢字に如の下に心という漢字をあてています。)私をゆるしていただこうと考えました」と書いたんです。

こういうこと(間違ったと思ったらきちんと謝ること)をちゃんとやる人は良心的で見上げた人ですし、
実に素晴らしい詩人だし、
私(高畑 勲監督)も(まどみちおさんのことが)大好きで、偉い人だと尊敬しています。

しかし実際に、その戦争中に書かれた詩を読む限りではあきらかに、当局(日本政府
(👧何だか「中ごく政府」とそっくり。
👨こら、郷美、言葉を慎みなさい。)

当局から圧力がかかって、
(まどさんは)良心的に振る舞おうと思ったけど振る舞えなかった、
というようなことでは……↙️

↘️……なかったことが分かります。

(👩えっ⁉️当局から圧力がかかったからではなかった⁉️)

しかし、実際に、その戦争中に書かれた詩を読む限りではあきらかに、
当局(日本政府から)圧力がかかって良心的に振る舞おうと思ったけど振る舞えまえなかった、
というようなことではなかったことが分かります。
どういう詩か❔「はるかな こだま」という詩の一節では、「今こそ君らも/君らの敵に迎え/石にかじりついても/その敵をうちたおせ」と子どもたちに向かって呼びかけています。

そのあと(まどさんが)ご存命のときにまた2編、戦争協力詩が見つかったんです。そのひとつを読んでみます。「妻」という詩です。

この戦争は
石に齧(かじ)りついても勝たなければならないのだよといへば
お前は静かに
私のかほを見まもり
ふかい信頼のまなざしで
うなづきかへす

(詩の)途中を省(はぶ)きますが、締めくくりは次のようです。
 
お前はうなづきかへす--
夫婦よりも
夫婦よりも
更(さら)に高い血のふるさとにおいての
ああ
味方を 味方を得たように

「更に高い血のふるさと」というのが何を意味するのか、お分かりと思います。
そしてこの詩とセットの散文で、台湾在住のまどさんは「子供(こども)たちを放っておいて、なんの皇民化であらうか」と書いています。大事なのは、こういう詩が強制的に書かされたのだとか、心ならずも書いたのだとか、そういうことではまったくなくて、
やっぱりそのときは、まどさんも心で思っていたそのとおりのことを詩に書いたに違いないんです。これが恐ろしさなんです。

まどさんは朝日新聞の記者に、
「私は臆病な人間です。また戦争が起こったら、
同じ失敗を繰り返す気がします。
決して大きなこと(=失敗は繰り返さないと言い切ること)など言えぬ、弱い人間なんだという目で、
自分をいつも見ていたい」と語っています。

この会場にいるほとんどの方も、私も、
いったん戦争が始まってしまったならば、
「始めた以上は勝たなくては話にならんだろう」と言って、
おそらく政府の戦争に協力するようになるんです。
そういう人が圧倒的多数となるのではないかという、この恐ろしさ……。
戦争や政治の方向性が間違っていようが何だろうが、
そんなことは関係なくなるんです。

日本人は「撃って一丸」ということが大好きですね。
日の丸を立てて何かやるのが大好き。
たとえばオリンピックなんて大好きで、
アナウンスなどもまったく客観性を欠いていますね。
みんな一斉にガンガン、日本を応援し始めるんです。

一番印象的だったのは、北京オリンピックで野球の決勝戦のとき、
もう負けが明らかな情勢なんです。だけどそれでも、
「ここで絶対負けるわけにはいきません❗」とアナウンサーが絶叫しました。
これ、アナウンスではないでしょう、単なる心意気の表明です。
そして「負けるわけにはいきません」と言ったとたんに負けが決まりました。
こういうことを繰り返しています。

戦争中もまったく同じでした。
「撃ちてし止(や)まん」
「本土決戦」
「進め一億火の玉だ」
「神風が吹く」
「最後の一兵(いっぺい)まで戦い抜く」
「一億玉砕」……。
みんな死んでしまっても、
大日本帝国は残るのでしょうか。
まったくナンセンスだと感じる若い人はいっぱいいるとう思いますけれど、
若い人たちだろうが、
歳をとっていようが、
こういったたぐいのことは、ナンセンスをナンセンスと判断するかどうかの次元ではなくなるんです。
一大ファンタジーにのめりこむかどうかなのです。
冷静でないことが必要とされるのです。

「もう勝ってもらうしか仕方がない」
「一億総けっ起してこれを乗り越えるしかない」
「負けるにしても玉砕(ぎょくさい)するしかない」といった心情になってしまう。
たしかに、あの「生きて捕虜の辱(はずかしめ)を受けず」の戦陣訓が持っていた、すごく大きな拘束力といったものはありました。

だけど怖いのは、自らそこに飛び込んでいく、
入り込んでいくというその心情、
そういったもの(=気質)を日本人は、私たちは持っているんです。
たとえ愚劣な戦略、愚劣な戦術によって戦争が遂行(すいこう)されていたとしても、そこは見ない。何がなんでも勝たねばならない、負けるわけにはいかない。

こうした精神がこれからも、
またあらためて戦争の時代が来たときに、
もっとも恐ろしい効果を発揮することになると思うんです。
それは、私らは民主主義の第一期生でしたが、
第65期生くらいのいまの人たちについても全然変わっていないのではないのでしょうか❔

私が与謝野晶子さんや永瀬さんや茨木さんやまどさんの詩を引用して言いたかったのは、
そこに挙(あ)げられた晶子や光太郎やまどさんを批判するためではなくて、
私たちもおそらく彼らと同じではないか、
という恐れをみなさんと共有したいからなのです。

(👨高畑 勲監督、そういう理由でしたか。)

いったん戦争などの事態に突入したら、
「自分が自分にたよ」ることができず、
つい大勢に従い、「寄りかか」って流されてしまうのではないか、という恐怖。それを深く自覚・自戒(自分が何をしでかそうとしているかわかる・そんな自分を戒(いまし)める)
自覚・自戒したいからなのです。


日本の民主主義のありさま 

民主主義教育を受けたはずなのに、
私たち日本人は、
西洋流の個人主義的な、周(まわ)りが反対であろうと、
一人ひとりが自立して考え、
ちゃんと意見を述べたうえで、議論をして深めていく、
ということは全然できていません。

戦後これだけの時間(約70年)が経っても、
民主主義が身についていない。

アメリカより悪いと思います。
戦争ばっかりやっているアメリカは
最低の本当にひどい国だと私は思いますけれど、
しかし、にもかかわらず、
🗽❇️🗽❇️🗽❇️🗽❇️🗽❇️🗽❇️🗽❇️🗽
あの国(アメリカ)は立ち直る可能性があるかもしれない。
なぜなら(アメリカは)、反対勢力というものが常に存在していますから。↙️
(👩でも、民主党も共和党も実は同じ、アメリカ大統領は、
ディープステートの思惑(おもわく)にかなった人物が
によって事前に選ばれているということだ。

👨中ごくは、中ごく共産党の一党独裁。)↙️
↙️
だけど日本の場合、反対勢力というものを一掃しようとするんですね。

(👩一掃しようとするのは日本政府もそうだが、
日本人・日本の国民自身。)

これは江戸時代の村八分がそうです。
日本の民主主義は一種の村の寄合(よりあい)に過ぎません。

(👨言われてますね。監督に。

👧パパ(日本人)もだよ❗
あと、日本人って、
言ったことの内容が肝心なのに、
寄って集(たか)って誰が言った❔誰が言った❔って、
犯人探しみたいになる。)

寄合というのは全員一致主義です。
ですが、(道)理を尽くした説得をするわけでも、
本当の議論をするわけでもありません。
最終的に「空気を読」ませて全員一致に持ち込むんです。

どうしてもダメな場合は、村八分です。
反対派を追い出して、いないことにするわけです。
(反対派が)いなければ全員一致になる。

こういう日本人の体質がいま、
多数決による議会でもあらわになっています。
理を尽くした説得も本当の議論もないまま、
見かけの審議だけで、反対派は「いないことに」して議決してしまう。

私たちは本当の民主主義、
本当の議会というものを身につけるように頑張らなくてはいけないと思いますし、
難民問題への対応など、
国際社会の一員として、
自分たち以外の人々、
異質な宗教や習慣で生きている人々と
うまく付き合っていくためにも、
私たち(日本人)の体質改善が絶対必要の急務です。
しかしそれは(私たち日本人の)体質の問題だからこそ、
簡単ではない。



転換期にあるいま


私が生きてきた限り、
日本はいま、戦後70年にして
大きな転換期を迎えています。
それは、(日本)政府が言うように、
「世界の状況が厳しくなって安全保障環境が
根本的に変わった」からではありません。

それに関して言えば、アフガニスタンやイラク戦争でアメリカがパンドラの箱を開けてしまった中東はいざ知らず、
極東では基本の情勢は変わっていないと思うんです。
中ごくが何をしようが、
戦争はそんなに簡単にできることではありましせん。
それはみんなよくご存知だと思います。

たとえば、尖閣諸島が不安定要因に挙げられていますけれども、
しかし尖閣諸島は人が住んでいないところです。
ですから、もし最悪、偶発的な衝突が起こるとしても、
それは一種の国境紛争に過ぎません。
国境紛争というのはこれまでにも中ごく・ソ連・インド・パキスタンあるいは中ごく・ヴェトナムとか、いろんなところでたくさんありました。
それで必ず、小競り合い(こぜりあい)で終わる。
それを口実に始めようとするのでない限り、
絶対に全面戦争にはなりません。

それで、その小競り合いのために原爆が必要でしょうか❔い(要)りませんね。
すごい大きなミサイルが必要でしょうか❔いらないですね。
だから、そういうものは脅しにもならないし、
抑止力にもならないと思います。

要するに、小競り合いをやっているうちに、
どこかで妥協点を見つけざるを得ないような、
局地戦に過ぎないんです。
そうした局地戦であってももちろん、
起こらないようにしなければなりませんけれど、
たとえ起こったとしても、すごい軍備だとか、
すごい同盟だとかが必要といった、
そんな類(たぐい)の問題ではない、
というのが私の見解です。

尖閣諸島とか南沙諸島とか不安定要素だといって煽(あお)り立てるようなことがいろいろ言われていますけれども、でも、
中ごくも大きな国内問題を抱えて、
経済的にもアメリカや日本との大きな貿易をやっているわけで、
そういった関係にあるものが簡単に理性を失うとは思えません。

むしろ、一般論として、
もし理性を失うきけんせいがあるとするならば、
それはわれわれ日本人である可能性が高い。
ある時点で日本が理性を失って突っ走り始めるということは歴史上、実証済みですが、
そういう意味で日本が大きな転換点を迎えているのではないか❔



「ずるずる体質」の問題

いまの(日本)政府は、
安全保障環境が根本的に変わったからということで、
解釈改憲を行い、
憲法九条とその精神を投げ捨てて、
普通の国なり戦争(👩人殺し)のできる国になって、
切れ目なく防衛ができるようにしたいらしい。
まわりが変わったからと言って脅し、
これだけ限定をつけてるんだからと安心させ、
しかも柔軟に臨機応変に対処するんだから心配ないと言っています。
そんなことは為政者は誰でも言うんですよ。

けれどもそれは日本の場合、大抵成功していない。
それを「ずるずる体質」と僕(高畑 勲監督)は言っているんですけれども、
反対勢力がないし、決断をもって次に移る、
あるいは局面を正しいほうに変える、ということができない。
それをどれだけ見てきたか。
いわゆる『大東亜戦争』を始めるときもそうだった。
そのあと負け始めてからもそうだった。

追い詰められて追い詰められて、
それでもまだ、まったく読み違えてソ連に仲介を頼んだり、
バカなことをして、とにかくずるずる、ずるずる、岡山を含め日本の都市という都市が焦土と化し、
どうしていいかわからないうちに結局、
原爆投下・ソ連参戦という最悪の事態になってあの戦争は終わるんです。
驚くべき惨禍を国民にもたらして。
(中略)


責任を取らない体質

(日本)政府が日本を戦争できる国にしたとして、
その「ずるずる体質」があったら、
抜き差しならないところへ行ってしまう気がするんです。
この「ずるずる体質」と表裏一体なのは「責任を取らない体質」です。
(中略)
そして戦争責任者の一人、岸信介--いまの安倍首相(この本出版当時)の母方の祖父ですね。
その岸さんが出獄(戦争責任者)し、公職追放が解除され、あっという間に首相になったんですから。
それでも誰も文句を言わない。
大体、日本人はそうやって責任を取らないんです。
戦争中もそうだったみたいですね。
大本営であろうが、参謀本部であろうが、
失敗した偉い人は、和をもって貴しとなすとばかりに
偉い人同士でかばい合って責任を取らせなかった。
下の人に責任を取らせたりしました。

歴史を見てもそんなことになっているから、
日本が「戦争のできる国」になったとして、
戦略・戦術で失敗しても責任を取らないとなると、
悪い方へとずるする行ってしまう危険性が大変高いと私は思うんです。

たとえいまの偉い人が、昔のようにバカではないからそんなことにはならないと偉そうな顔でおっしゃったとしても、何の保証もありませんよね。
それに、その人もある時点で引退するんですから、
次々と出てくる首相なり政府なりが、戦前の為政者とはくらべものにならないほど聡明で機敏に臨機応変にですね、いろいろ対処してくれるんでしょうか❔

(👨アメリカも日本の政府もどこの国の政府も
どこも政権交代すると
今まで重要な役に就いてなかなかいい仕事をしていた人のことも
全員引き連れて退陣してしまう。
前政府の㊙️を知っている人を置いていけないということ。
政権が変わると国の方針が今までと180度正反対の政策になってしまうことがあるし、あり得る。
ヒットラーの台頭などがこれに当てはまるのではないか❔
ヒットラーは見るからに悪魔でわかりやすいが、
それを国民に隠した政権が出ればそれは国民にわかりにくい。

新しい政権・政策が次々に出て、
自分たちの政権の失敗の責任を取る政権などない。
また、前の政府がせっかくうまく進めていた政策も
何らかの圧力がかかったのか、
はたまたその政策はやる気はないのに
ちゃんとやっていますよという一定期間の国民への見せかけだったのか、
最後までやりきらないで交代するから、
めぐみさんも生きているか亡くなっているかも不明で、
いまだに帰ってこさせられないのではあるまいか❔
政府とはもともと責任を取らないで済むように巧妙につくられているのではないかと僕に思わせる。
国と国との思わくばかりで、ほんとうに国民のことを考えているのか❔ひいては世界中の人々のことを心配しているのか❔
世界の国全部で地球の問題に取り組もう❗ということに決めれば
自然に、拉致していた人のことは本国に返すだろうし、
地球を破壊していく戦争などするばずがない。
もう、各国の大統領と権力者の本質自体が、国民の持つ崇高なレベルより格段下なのではないか。
👩パパ。)



能力のない人も出てくるに決まっているし、
そうした場合にどうなるかというと、
日本がずーっとやってきた「ずるずる体質」や
「責任を取らない体質」が続いていく危険性がある。
そうしたらもう歯止めがかかりません。

❇️だから日本は絶対的な歯止めが必要なんです。
絶対的な歯止めは何か❔
もちろん憲法九条しかありません。

 

「平和を繕(つくろ)う」ために

ここで少し気恥ずかしいですが、
フランス語の言葉をご紹介します。
''Si tu veux la paix,
prepare la guerre.''
英語にすると、
''If you want pease,
prepare for war.''--
「君が平和を欲するならば、
備えよ戦争に」
あるいは、
「準備せよ、戦争を」
という(👨古くさい)警句です。古代ローマ時代にできて、
ずっと伝わってきた言葉のようです。この思想に基づいて、西洋近代では列強(の国々が)軍備を増強していくわけです。

日本のいまの首相がやろうとしているのは、
憲法九条の精神に代えて、
この古くさい警句を相変わらず、国民に信じ込ませようとすることです。
👆️『積極的平和主義』と言っていますね。=『平和のためにこそ、戦争に備えましょう、準備しましょう』と。
(👨古代ローマ時代から
戦争プロパガンダはあったんだね。
『積極的平和主義』なんて命名して、ふざけんな❗)

ところが、いまから60年以上前、
第二次世界大戦以後の世界がこの警句どおり、
再び戦争に向かって動き出していたとき、
一種の言葉遊び、ダジャレで警句を見事にひっくり返した人がいたのです。
『天井桟敷の人々』(てんじょうさじきのひとびと)という映画の脚本や、
「枯葉」というシャンソンを書いた、
20世紀フランス最大の民衆詩人=
ジャック・プレヴェールです。
''Si tu ne veux pas la guerre,
repare la paix.'' 英語にすると、
''If you don't want war repair peace.''--
「君が戦争を欲しないならば、
修繕せよ、平和を」あるいは
「繕(つくろ)え、平和を」。
フランス語でも英語でも、
プリペアとリペア、
元の警句と新たな警句はきちんと韻(いん)を踏んでいます。

プレヴェールがこう呼びかけたのは、
南仏での大きな反戦集会に集まった若者たちでした。
当時フランスはヴェトナムなどの独立を阻止しようと
インドシナで戦争をしていました。
東西の冷戦は激化し、
米ソ(アメリカとソ連)の核兵器開発競争(👨愚かだなあ)が進み、
西ドイツの再軍備が日程にのぼっていました。

プレヴェールは言います。
「踊れ、すべての若者よ。
踊れ、踊れ、平和とともに。
平和はとても美しく、とても脆(もろ)い(=こわれやすい)。
奴らは彼女(平和のこと。フランス語で平和は女性名詞だから。)を背中から撃つ。
だが平和の腰はしゃんとする、君らが彼女を腕に抱いてやれば」。

そして詩の最後をこう締めくくります。--
「もしもきみらが戦後を欲しないならば、
繕(つくろ)え、平和を」

どうやって綻(ほころ)びかけた平和を繕うことができるでしょうか❔
平和を保つこと、
戦争をしないことのためには、
一にも二にも国際親善の発展と外交努力が必要です。
アメリカに追従してばかりでは外交能力は向上しません。 
日本は、自前の外交をやる能力をもっともっとつけなくてはなりません。

 

言っておきたいこと


最後に、今日お話しいたしましたことを、
事前にまとめておきましたので、
それをここで読み上げさせていただきます。

憲法九条を基盤にした賢明でしたたかな外交努力、
平和的国際貢献こそが、
最大の抑止力であり、
世界の全ての国との
相互理解を前進させるのが
日本の唯一の道です。
70年間、戦闘で1人も殺さず、殺されず、
いまもなお戦後といえることが
どんなに幸せなことか❗
この平和をさらに強固なものにするために、
私たちは改めて日本国は、
憲法によって戦争をしない国、
戦争することの出来ない国であることを
誇り高く内外に宣言すべきです。
(👧他の国に攻められたらどうするの❔
👨それは、戦争プロパガンダで、
日本は絶対に応戦してはならない。
戦争は、両国に戦争をさせて儲けたい人々が、
両国に仕掛ける悪魔のささやきだ。
👧武器を持たず非暴力・非服従のチベットのように中ごくにやられっぱなしになってもいいの⁉️

👨だからと言って、
「世界中の国々が軍備を増強し、核を保有するから自分の国も真似して戦争に備えよう」という考えに、なってしまったら、戦争を始めさせたい者たちによる巧妙な戦争プロパガンダにみすみす引っ掛かるということだ。)



抽象的であいまいな言葉で
どんなまやかしの限定をつけようつとも、
いったん戦争のできる国になれば、
どういう運命をたどることになるのか⁉️
私たちは歴史に学ばなければなりません。
戦争をできるのにしないのは非常に難しく、
できる(👩=平和憲法を持たず、軍備も持っている)と、
つい(戦争を)してしまう危険性が極めて高いのです。

アジア太平洋戦争の開戦や敗戦へのいきさつから、
延々たる対米従属、
そして、悲惨な原発災害に至るまで、
責任を決して明かにせず、追及せず、
ただ、ずるずると押し流されていく、
私たちのずるずる体質と
空気をすぐ読む驚くべき同調気質とは
残念ながらいまも70余年前も
ちっとも変わっていないのではないでしょうか❔

私は自分も含めこの体質と気質が本当に怖いのです。
だから憲法九条は最後の歯止めとして絶対に変えてはならないと思います。
九条は、戦後日本国の所信であり、理想であり、
それに縛られることこそが、
近隣諸国との友好の基礎であり、
国際的に日本の地位を安定させる力だからです。

こうした集まりでは、
もっと抽象的な意味での平和の尊さとかを
述べるべきであったかもしれません。
しかし、私は今年(2015年)の10月で80歳になります。
そうしますとやっぱり、たとえば
野中広務さんなど、自民党の長老たちも心配しているように、
本当に日本がこのまま行ってもいいのだろうかと考えるんです。
だから、平和の重さを語ろうとするときに、
具体的な政治についてなんにも言わずに済ますわけにはいかないのです。

そうかんがえて、まことに僭越(せんえつ)ながら、
私は私の意見としてこんにちの話を述べさせていただきました。
どうもありがとうございました。
(👴👨👩👧👦どうもありがとうございました。)

出典:📖『君が戦争を欲しないならば』
(岩波ブックレットNo.942)¥520+税
高畑 勲 著

👴👨👩👧👦学んで、自分の価値観が「良い」と思うことを実践するしかありません。
今はグローバルな私利私欲のために世界は間違った方向に大河が流れ、間違った方向に道が作られてしまった。僕たちは『大河の一滴』。小さな一滴がたくさん集まれば大河になる。歩く人が増えれば大きく広い道になる。失敗したら恥と思わず、貝のように口を閉ざさず、失敗体験を共有しよう。意見の相違につけ込まれて他者に分断されず、秘書や参謀の経歴をきちんと調べて諜報部員でないかしっかり確かめよう。)