ピュア・クリスタル

歌とピアノと料理が好きな私。広汎性発達障害という言葉を知ってからの日々の事を、思いつくままに綴っています。

千の風

2008年01月15日 | Weblog

になって とは続かない。

父からお正月に実家に行った時に、塩谷靖子(しおのやのぶこ)さんという方の事を調べて欲しいと頼まれました。

聞けば、昨年12月の半ばにラジオをつけたら
【もうひとつの千の風になって】ということで彼女の事を取り上げていたのですが、
親戚の行っていた学校の卒業生かも知れないということでした。
そして、盲目のソプラノ歌手だという事でした。
大ヒットした「千の風になって」の歌詞をご自分で翻訳し、中学生の男の子が作った曲にのせ歌っていらっしゃるそう。
それもメジャーな「千の風~」が世に出る前に録音して歌っていらしたとか。

私自身も、ソプラノ歌手という事も気になり調べてみると、凄い方だった。

彼女のホームページがありました。http://www.nobuko-soprano.jp/index.htm

ご自分の事をサラッと書かれているのですが、物凄い努力家だと思います。
高校を卒業されて、鍼やマッサージの勉強を3年間されて免許も取ったので、
ご両親も一応安心されたのか「しばらく好きにしていい」と言われ、
普通なら小さな頃から「音大に行きたい」と言っていたのですからそちらに進むと思いきや、
大学には行きたいとは思われたのですが、高校1年まで嫌いだった数学が高校2・3年で興味深くなった事もあって東京女子大学文理学部数理学科に入られました。
卒業後は、日本初の全盲コンピューター・プログラマーとして、視覚障がいプログラマーの先駈けとなりました。
コンピューターからのデータを点字で紙に打ち出すソフトを日本で初めて開発されました。

会社に入る前からご結婚はされていたのですが、主婦業に専念するために2年目で退社。それでも家事や2人のお子さんの育児のかたわら、盲学校の非常勤講師や、大学受験の添削などもされたそうです。

42歳の時にアマチュアの人たちが行ったサロンコンサートで、
たまたま彼女が歌ったのを音大の先生が聴かれて、「歌をやってはどうか」ということで、
年に1回、門下生の発表会に出られればいいなという気持ちで
はじめて先生について歌のレッスンを受けられるようになり、
そのうちに「コンクールに出ないか」と言われるまでになられたそうです。

「奏楽堂日本歌曲コンクール」にも出られたのですが、
このコンクールは2006年現在で17回目を迎え、これまでに延べ3258人が受け、
2度の予選を経て入選した人は、わずか182人。
この182人のうち、88名は東京芸術大学出身者。ほとんどが音楽大学出身者で占められ、音楽大学出身者以外の入選者は、17回のうちで塩谷さんとほかの1名のみだったそうです。
第3回の時がはじめての挑戦でしたが、2次予選まで行く事が出来たそう。
その後、4度目の挑戦で入選を果たされました。51歳の時だったそうです。
そのときの審査員の一人が畑中良輔先生。暖かいお言葉を頂いたそうです。
その年に初めてのリサイタル。
53歳の時には、東京文化会館の使用申し込みの審査にも通り、
700人の聴衆の前でのリサイタル。
55歳には、友人からの勧めで参加したカンツォーネのコンクールで1位になられました。
そして、昨年ご自分で詩に忠実に訳され、当時中学生だった男の子の曲での「千の風」を収録したCDをリリース。

凄い・・・凄すぎる。

私は今42歳。
そんな時に彼女の事を知ることが出来たのは何か意味があることなのかもね。


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