プチコミ情報局

生活に直結した新鮮で興味ある情報を発信します。
皆様からも面白く参考になる情報(正しい情報)をお寄せ下さい。

マイナンバー、官庁のためのユアーナンバーにしてはならない! (追補版) (再掲)

2023-01-28 | Weblog
マイナンバー、官庁のためのユアーナンバーにしてはならない! (追補版) (再掲)
 <はじめに>2021年11月10日、新内閣発足に伴い、与党自民党と公明党がマイナンバー普及のため、総額2万円のポイントをそれぞれの段階で付与することで基本合意した。マイナンバーカード実施から6年近くになるが、登録率は未だに40%程度でしかない。
 その普及のため、2万円のポイント付与をこの時点で行うことは、この制度自体への国民の理解が進んでおらず、広範囲の個人情報の国家把握、相続税を含む徴税強化、情報流出と悪用、及び煩雑な操作・行政事務などが危惧されていることを如実に示している。行政当局は、その普及のため更に税金を使うのでは無く、税申告に関係する所得や個人財産を含む広範囲な個人情報を包含するマイナンバーは、制度設計上の誤りであり、国民に理解されていないことをただちに認め、適用範囲を社会福祉関係に限定し、国民の理解を得やすいよう、簡素化することが望ましい。このまま税金を使って奨励・普及することは2重の不効率であると共に、何時起こるかも分からない大災害の時の安否確認や救済・支援には中途半端にしか役だたないこととなるので、早急な対応が必要となっている。大災害は待ってはくれない。
 また各個人を証明するものは複数あった方が安全だ。マイナンバーに一元化すると、紛失や盗難、電波障害・停電、サイバーアッタックなどで使用不能になった際、存在を証明するものが無くなってしまう。
 
 コロナ禍対策のため実施された一律10万円給付が、4月30日の第1次補正予算成立を受けて実施に移されたが、一律給付が最も早く配賦できるとの触れ込みにも拘わらず、日時を費やし、7月になってようやく見通しがついた。この配賦の遅れの原因の1つとしてマイナンバーの普及率の低さ(約16%)に加え、申請システム設計の複雑性などが指摘された。そのため総務省を中心として、銀行口座登録の義務化や個々人の医療関係情報の記載などによる適用分野の拡大などが検討されている。
  1、一律10万円給付の遅れはマイナンバー制自体の問題ではない
マイナンバーの普及率は、実施から4年半以上経過しているのに16%程度の低率に止まっている。従って、仮にマイナンバーの利用により迅速に給付できたとしても、全体の16%程度しかカバーできなかったはずである。残りの84%が問題だったということになるが、実際はマイナンバーも機能しなかったことが、マイナンバーに労力が集中され、それが煩雑で機能しなかったため、郵便等への対応が遅れた事による。マイナンバーが複雑で国民に受け入れられていないことが明るみに出たと言えよう。
 米国は、大統領選挙の年でも有り、日本に先立ち一律給付を実施したが、ソシアルセキュリテイ・ナンバーに基づき、「小切手」が直接各個人に送られている。ソシアルセキュリテイ・ナンバーは、米国民や米国で働く者が誰でも加入できるもので、これがないと将来的な年金と公的機関からの社会保障が得られないのでほとんどの人が所持している。
 恐らく、日本も郵送等により実施していたら、もう少し円滑であった可能性がある。行政が普及率の低いマイナンバーに固執したことが一律給付を阻害した形となった。行政が、マイナンバーの普及率が16%でしかないことへの認識不足とこれに固執するミスジャッジを認識することが必要だろう。

2、国民のためではないマイナンバー!
 政府(総務省)は、一律給付金の配賦のもたつきへの反省から、銀行口座記載の義務化や、医療診療関係情報の記載などの分野の拡大などを検討している。同時に普及促進のため、新加入者がキャッシュレス決済のカード等を登録するとポイント付与(マイナポイント)とテレビなどでの普及を行っている。
 政府の認識が大分ずれているのではないだろうか。実施後4年半以上経って普及率が停滞しているのは、国民側が、メリットを余り感じない一方、機微な個人情報の流出や国家管理の強化を恐れているからであろう。政府側がまずこの点を理解しない限り、改善、改革などと行ってみても、国民の財産把握を含めて国家管理し易くする所詮政府寄りのもので、システムが複雑化し、関係官庁には好都合であろうが、国民にとってはほとんどメリットとはならないものになってしまう恐れがある。関係官庁はまず、国民が不安、不要と感じている諸点をそぎ落とし、国民に不安がないようにすることが求められる。
 マイナンバーには既に、住所や本籍、家族構成、年金、健康保険や一部銀行口座・カード情報、所得、税金関連情報等が入っている。これだけでも外部に流失し、犯罪グループの手に入ったら、大きな被害を受ける可能性がある。マイナンバーは法律上加入「任意」としているが、税の申告に当たっては記入事項とされ、また銀行口座や証券投資の際には執拗にマイナンバーを執拗に照会してくるので、登録した人は納税申告関係や銀行口座、不動産を含む資産情報など、個人にとっては大変重要な情報が記録されることになる。
 現状でも、マイナンバーを日常的な支払いやポイント記録などに使用すると、流失や紛失の恐れが高くなるので、持ち歩くことは大変危険であろう。
 更に総務省は、決済サービスのためキャッシュレス使用を登録するとポイントが付くマイナポイントが9月1日より実施されている。そのためにテレビ広告やポイント付与のため、税金を使うということであり、筋が違う。国民がマイナンバーに利点を感じれば加入するだろう。総務省がポイント付与をしてまで普及を図っている事実こそが、国民がマイナンバーに利点を感じていない証拠である。いずれにしても納税関系では、マイナンバー保持者が亡くなると、銀行口座、証券、不動産等があっというまに凍結され、残された者は一円も自由にならず、銀行口座については少額の引き出しは可能になったが、諸費用捻出に苦労することにもなる。
 また医療・診療情報も入れることが検討されているが、医療・診療情報は非常にプライベートなもので、他人に見られるのは気が進まない。ましてや政治家や入社試験、管理職候補などについては、医療・診療情報が万一にでも外部に流出すると昇格・昇進等にとって致命傷になる恐れがある。

 3、現在のカードは官庁のためのユアーナンバーでしかない!
しかし現在のマイナンバーは、税金関係の役割が強く、投網のごとく税申告者を把握し、確実に徴税するために好都合になっている。5年に1度、国勢調査が実施されているが、国勢調査で記載された個人情報は国税庁、警察・公安には明らかにされず、徴税や犯罪調査には利用されないことになっている。国民の協力を得やすくするためだ。
現在のマイナンバーは、国税庁(税金)を含め全ての行政分野が対象で、対象で所得、年金・医療保険、銀行口座、証券、不動産などが全ての個人情報が記載される。国民には年金掛け金納付、健康保険料納付や納税義務があることは分かっているが、このように網羅的に資産状況が国家に把握され、義務の履行が管理、監視されることになると、国民の国家管理の色彩が強くなる。その上情報流失の危険性がある。少なくても国勢調査同様のものとし、国民の生命、安全を守ること中心とする個人の存在基盤と福祉分野に目的を絞り、抜本的に簡素化することが望ましい。
また情報管理のため各種の防護措置が講じられてはいるが、それは逆に操作を複雑にしている。1つ入力を間違えると前に進められなくなり、複数回誤入力すると凍結されてしまい、解除に時間と労力が掛り、悩まされることになる。結局は、利用者の手間や負担を増やし、行政側を楽にするシステムでしかない。その意味でも現在のマイナンバーは、行政のためのユアーナンバーでしかない。
関係官庁の担当官や専門家が集まり、官庁側に必要な個人情報を網羅し、その上に本人確認やその他のなりすまし排除のための防護措置を掛けるのだから、普通人には理解困難な緻密で複雑な制度設計、システムとなる。それでなくても各種申請書は複雑で、馴れている人でもなければ記載に手間取る。それがインターネットとなると、各種のチェック措置が加わるので、一般人には操作が複雑で難しくなる。書類によるアナログ世代にとってはなおさらのことだ。

4、国民を守るためのマイナンバー制度に限定すべし
 国民の年金・医療保険などの厚生福祉、緊急時の安全確認など、国民の基本的な権利と行政手続きの簡素化など、国民の福利に絞ったナンバーであれば、国民もこぞって加入し易くなろう。それを支えるのが国や地方自治体の業務であり、義務ともなる。またカバーする分野を絞ることにより、利用者側は普段持ち歩く必要も、情報流失の際も影響が限定され、犯罪グループへの露出度を少なく出来る。それでも米国のソシアルセキュリテイ・ナンバーよりも複雑だが、国民の福利にとって心強いものとなる。そのような改革が望まれる。

5、行政のIT化促進は行政の更なる肥大化、複雑化の恐れ
 IT化は、情報を多量に処理できるので、仕事をどんどん増やし、行政の肥大化を呼ぶ恐れが強く、万能ではない。
(1) IT化とともに、旧来事務の廃止、整理を行うことが不可欠であろう。
同時に、制度設計の簡素化、単純化に常に留意しなくてはならない。
 デジタル化は、一見効率的に見えるが、そのためには膨大な情報入力作業に加え、情報の迅速な更新が必要であり、必ずしも省力化には繋がらない。情報が常に更新されないと適正な情報把握も対応も難しい。国民年金については、ペーパーからデジタルに移行が図られた際に膨大な記録ミスやご記載があり、多くの年金が消えた事例や、年金情報の漏出や犯罪への利用なども見られている。
 行政当局は、情報の入力、更新を直接できないので、外部委託し、その業者は国内外の会社に再委託するなどが通例となっている。そのためには追加的な予算が必要となり、国民の負担となる。
(2)ITにより一律のサービスを確保出来るが、プログラムから少しでも外れるとエラーとなり、凍結してしまうなど、融通が利かず、非常に硬直的、事務的となる。
(3)保秘やデジタル攻撃に留意する必要がある。そのためにパスワード等を加えると、更にシステムが複雑になる。セキュリテイを強化すればするほど、煩雑となり、エラー、凍結なども多くなり、利用者の負担が大きくなる。
(4)公文書、公的文書類の保存・管理の問題が深刻だ。森友学園問題での公文書改ざんや自衛隊の日報問題、或いは「桜を見る会」などでは、コンピューターに蓄積された記録でさえ廃棄されたと報告された。そのようなことはほぼあり得ないが、問題が生じた時にすべての関連コンピューターを押さえ、調査できるようにするなど、文書管理が非常に難しくなるので注意が必要だろう。重要な文書は、アナログの紙で保存する必要もあろう。 

6 、ITの脆弱性
 更にIT化により電気と電波への依存が大きくなり、電気や電波という生活インフラがダウンするとITは動かなくなる。大規模災害が起こり、基礎的生活インフラが破壊されると、麻痺状態になることはこれまでも経験している。またシステム管理・維持と共に、サイバーテロ等への備えも必要となり、それに問題が生じるとITは作用しなくなる。どんなにセキュリテイを強化しても、それはいずれ誰かに破られる。これらのITの脆弱性を認識する必要がありそうだ。
 従ってITへの過度の依存は国民生活全般を麻痺させる可能性を高めることを十分認識する必要がある。
 マイナンバーカードの安全と普及のためには、機能を国民の本籍と住所に基づく福利厚生に限定し、機能を分散することが不可欠だ。
 (2020.9.1.&9.19.及び2022.2.15.加筆)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘皇居’を京都御所に戻すべきこれだけの理由!! (再掲)

2023-01-28 | Weblog
‘皇居’を京都御所に戻すべきこれだけの理由!! (再掲)
 2019年4月30日に平成天皇が退位、5月1日の新天皇が即位され、同年10月22日に新天皇の即位を内外に表明する「即位の礼」が実施される。
 新天皇のご即位をお祝いする。しかし戦後の新憲法の下でのあり方には違和感もある。即位の礼についても、詳細は明らかにされていないが、式典に使用される「高御座(たかみくら)」が保管されている京都御所で解体させたうえ東京に輸送された。それだけに掛かる費用が、総重量8トンの解体・輸送経費などで9億円と言われているが、平成天皇同様、新天皇の即位の礼が東京で行われ、江戸城址内にある‘皇居’に住まわれ続けるのであろうか。
 即位の礼は、伝統に基づき、明治天皇はもとより、大正天皇、昭和天皇も京都御所で行われている。天皇は、明治維新後、江戸幕府が無血開城した江戸城内に‘皇居’を新設し、京都御所からそこに移り住まわれている。それは徳川将軍派の再起を封じ込める意味と米欧列強の介入を抑止する上で必要であったと思われる。第2次世界大戦後も、昭和天皇は江戸城址内の皇居に留まった。これは、米国を中心とする連合軍が進駐し、皇居のある江戸城跡内に連合指令本部が置かれることを防ぐためにも止むを得ない措置であったと考えられる。
 昭和天皇崩御後、平成天皇はそれを継承したが、現在は米軍の進駐はもとより考えられず、また国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に留まっている必要はなくなっているのではないだろうか。即位の礼が東京で行われたのは、平成天皇が歴史上唯一の例外となっている。
 むしろ新憲法の下の新時代においては、伝統に沿って天皇は京都御所に復帰され、江戸城址は国民に開放すべきであり、その理由は次の通りである。
 1、歴史上最も平安な現在、天皇が江戸城址に留まる必要はなくなった
 明治維新となり天皇は京都御所から江戸城内に移り住んだが、上記の通り、明治維新直後や戦後直後と異なり、今日国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に陣取っている必要はなくなっていると言えよう。「帝国憲法」が廃止され新憲法となった居る今日でも、江戸城址内に宮内庁が占拠しているのも適切でない。
 新天皇は、歴史に則って京都御所に復帰することが望ましい。天皇が国民統合の象徴であることは認識されているので、京都におられても問題はない。それ以上に関西及び西日本の人々にとっては喜ばしく、誇りにもなることであろう。無論、京都御所には必要な改修等を行った上である。
 天皇のご公務については、憲法上国事行為として10項目掲載されているが、必要な時には東京等、必要な場所に赴くことは交通事情が飛躍的に向上している今日では問題ない。また東京に滞在し、或いは一定の期日東京での公務が必要な時は、赤坂の迎賓館(赤坂離宮)を所定の改築をし、そこで執務、宿泊されればよい。現在赤坂の迎賓館は、年数回しか使用されておらず、著しい無駄になっており、その活用を真剣に考える時期であろう。日本は、少子超高齢化の本格化を迎え、税負担人口が減少する一方、国民総所得の2倍に当たる1,000兆円を超える公的債務を抱え、これが年金支給額の実質削減と並んで国民の将来不安の大きな原因になっている。国家や地方公共団地が無駄な施設や土地を抱えている余裕はなく、無駄を無くしていくことが不可欠になっている。

 2、旧帝国憲法の下での’皇居’の存在は現行憲法の下では時代錯誤
 戦後日本においては、旧帝国憲法に代わり、新憲法が制定され、主権は国民にあり、いわば大政は国民に奉還されているので、国民の偉大な歴史的、文化的遺産である江戸城跡に‘皇居’を置いておく必要性はもはやなく、江戸城址を国民に奉
 3、日本や世界にとっての偉大な歴史遺産、江戸城址は国民に開放すべき
 江戸城を中心とする江戸の人口は、幕府が発足した17世紀初頭には15万人程度と言われているが、18世紀初頭には100万人を超えたと考えられている。
人口はロンドン(1801年約 86万人)、パリ(同約 54万人)と比較しても世界一の大都市であったと推定されている。文化的にも、参勤交代により地方の文化も持ち込まれ還することが望ましい。それ以上に明治維新は過去のものとなり、天皇専制は終わり新憲法になっても江戸城址を‘皇居’により封じ込めて置くことは不適当とも言える。‘皇居’、‘皇居’と言われ、そのような先入観があるようだが、江戸城址なのである。
 そのようにすることが、日本の歴史に沿うことになると共に、東西の文化的、社会的なバランスが回復し、東西のバランスある発展が望めるのではなかろうか。
、多様性があり、また版画や日本画、歌舞伎、相撲そして魚市場など、欧州でも評価される高い文化が華を開いた。
 その中心が江戸城であり、江戸文化は東京だけの歴史、文化遺産ではなく、日本の、そして世界の文化遺産と言えるので、それを再評価し、人々に開放し、可能な範囲で復元、保存して行くことが望まれる。江戸城址は世界有数の観光資源となるであろう。またそれに関連する城外の江戸時代の遺跡を加えると更に豊かな歴史文化遺産となろう。

 4、首都圏直下地震等の大規模災害等に備え、天皇の京都御所復帰が望ましい
 首都圏直下地震等の大規模災害の発生は現実のものとなりつつあり、各種の、緊急対策が検討されているが、それでも自然災害や何らかの不測の事態が想定の範囲を超える可能性も念頭に入れて置く必要があろう。そのような首都圏緊急事態への対応の一環として、伝統に則り天皇の居所を京都御所に戻しておくことが望ましい。そのような緊急事態の際、立法、行政、司法の政府機能が打撃を受けるが、象徴たる天皇をも巻き込むことを避けるため、皇居の京都御所復帰を真剣に検討すべきであろう。天皇が京都御所に復帰される場合の対応については、上記1.の通りであり、十分対応可能であると共に、江戸城址の国民への開放や赤坂御所の有効活用などの可能性が広がり、有益であろう。
 江戸城址が開放されれば、国民の憩いの場、歴史研究の場や格好の観光スポットとして活用できる以上に、大規模災害時の都民の避難場所となると共に、緊急時総合対策センターとして活用できるように整備して置けば、都心の360度対応可能な緊急センターとして活用も出来る。
東京への一極集中を是正し、地方都市の活性化を図るため、従来型の地方への助成金などでは限界的な効果しか期待できず、もっと抜本的なシステムの転換を図らなければ達成できないことは明らかだ。戦後の歴代政権の施策では地方の活性化を実現出来なかったばかりか、逆に東京への集中を招き、地方の人口減や限界集落の増加が加速していることからも明がだ。抜本的な転換が望まれる。
(2019.5.1.改定、同7.4.補足)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓米軍事同盟に日本は参加すべきではないー再掲

2023-01-26 | Weblog
 韓米軍事同盟に日本は参加すべきではないー再掲
<まえがき> 近年、日韓関係は竹島問題のほか、首相の靖国神社参拝や慰安婦/徴用工問題で悪化しているが、尹大統領になって徴用工問題で解決策が模索されるようになり、日・米韓関係の緊密化や日・米韓同盟への動きが水面下であり、一部保守系紙もそれを匂わせている。岸田政権は2023年5月開催予定のG7サミットに韓国を招待することを検討との報道もある。
 韓国は米国軍と共に北朝鮮と休戦状態にあり、米韓は北鮮との紛争当事国であり、紛争当事国との同盟は紛争に手を出すようなものであるので、日本の安全保障を著しく損なうことになる。また韓国であれウクライナであれ、紛争当事国の一方をG7サミットに招待することも対立を煽るのみで、日本国民の安全にはならない。それとも対立を煽り、日本の軍備増強を合理化しようとしているのだろうか。
 韓国に本部がある統一家庭連合=統一教会の勝共思想の影響を色濃く受けている自・公政権の下で、日本は大きな選択をしなくてはならない。そのような観点か本稿を再掲する。(2023.1.7.追記)

 韓国の康京和(カン ギョンファ)外交部長官は2017年10月30日、議会での外交関係の国政監査において、対北朝鮮防衛強化のため配備された米国の迎撃ミサイルTHAADを巡り悪化している中国との関係について、中韓首脳会談開催への期待を表明しつつ、次の3つの立場を明らかにした。
・THAADの追加配備は行わない。
・米国のミサイル防衛(MD)システムに参加しない。
・韓日米安保協力は軍事同盟に発展しない。
 これはTHAADの配備を巡り悪化している中韓関係の‘復元’、正常化を狙った発言と見られており、‘三不’政策とも言われている。
 これに対し中国外務省は、同日午後に報道官が康長官の発言に関連して、「韓国側のこうした3つの立場を重視する」とし、韓国側がこれを実際に行動に移すことを願う旨述べた。しかし中国側が、韓国外交部長官の発言を‘約束’との表現を用いたため、韓国内でも議論となっている。
 中国側は、韓国におけるTHAAD配備と共に、米韓日の軍事同盟化を強く警戒していると見られ、中国が10月の全人代で習体制を固めて以降、日本との関係を改善する姿勢になっているのはこれを阻止するためとも思われる。
 韓国が、米韓日の軍事同盟を望んでいなければそれに参加する必要はない。日本側がそのような意向を表明したこともない。もっとも軍事同盟については、一方の同盟国への北朝鮮を含む第三国からの攻撃は日本への攻撃とみなされ、参戦しなくてはならなくなるので、日本の現行憲法ではそのような軍事同盟に参加することは困難であろう。従って韓国側から言われるまでもない。
 そもそも朝鮮戦争は1953年の休戦協定により軍事対決こそ回避されているが、米韓両国と北朝鮮は現在でも敵対関係にあり、北の核、ミサイル開発は基本的に米韓への対抗措置として進められているものである。日本は、朝鮮戦争の当事国でもない。また第二次世界大戦後、北朝鮮とは平和条約を締結していないが、2002年9月に小泉首相(当時)と金正日総書記(当時)とで調印された日朝ピョンヤン宣言において、拉致家族問題の他、日朝国交正常化交渉の開始などが盛り込まれており、この宣言は自・公連立政権において破棄はされていない。
従って政策論としても、朝鮮半島有事の場合には米軍への必要な後方支援は行うことになろうが、日本及び日本国民の安全のためにも、米韓との軍事同盟に参加しないことが賢明な選択肢と言えよう。
(2017.11.23.、2023.1.7.追記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北朝鮮のミサイル発射テストへの対応に疑問! (その2) (再掲)

2023-01-26 | Weblog
北朝鮮のミサイル発射テストへの対応に疑問! (その2) (再掲)
 <はじめに> 2022年に北朝鮮は短・中距離ミサイル訓練や訓練や長距離ミサイルの発射実験などを頻繁に実施している。国連決議違反であり北東アジアの平和と安全保障ヘの脅威として遺憾で短中距離ミサイルについては日本のEEZの外側に落下しており、長距離については対馬海峡の上空ではあるが大気圏外での通過であり日本を標的にしたものではない。南北朝鮮は休戦状態ではあるが、敵対関係は解消されておらず、韓国も米国との軍事訓練をほぼ定期的に実施しており、ミサイルの開発・実験も行っている。北朝鮮を巡る米・韓と日本とは置かれた立場が異なることを認識し、冷静且つ現実的な対応が望まれる。このような難点から本稿を再掲する(2022/10/28)

 北朝鮮は、8月29日早朝(5時58分頃)、日本の津軽海峡から北海道襟裳岬上空の大気圏外を飛翔する形で太平洋公海上に達する中距離ミサイルの発射実験(飛行距離約2,700㎞)を実施し、朝鮮半島を巡り米・韓両国と北朝鮮の緊張が高まっている。北朝鮮が核兵器とその運搬手段であるミサイル開発を加速させる一方、米国は韓国にミサイル迎撃のためのTHAAD配備し、また3月の米韓合同軍事演習‘首斬り作戦’を実施したのに続き、8月に合同軍事演習を実施する中で、これへの反発と見られている。
 更に北朝鮮は、このような国際的な批判の中で、9月3日、地下核実験(6回目)を実施した。水爆実験とされている。また北朝鮮は、核爆弾を大気圏外の宇宙空間で爆発させ、電磁パルスにより地上に広範囲な被害を与えることも示唆している。電磁パルス攻撃については、宇宙空間の平和的利用の趣旨に反する上、軍事政策的にも、倫理的にも、人道的にも常軌を逸した考えと言えよう。
 このような中で、国連安保理は、石油の部分的輸出制限を含むこれまでで最も厳しい制裁決議を全会一致で採択した。北朝鮮の非人道的で常軌を逸した考え方が明らかになった以上、強い対応が必要になっていることは明らかだ。
しかし北朝鮮のミサイル発射テストへの日本の対応については疑問を残した。
 1、正確を欠く発表と過剰な反応 (その1で掲載)
 2、Jアラートの在り方 (その1で掲載)
 
 3、北朝鮮側に日本へ一定の考慮が 
 今回の長距離ミサイルの発射実験は、日本の上空を超えて行われたことから、‘日本への新たな段階の脅威’として公表、報道され、軍事専門家やコメンテータ―なども同様に日本への脅威を強調している。確かに、北朝鮮の一連の核、ミサイル開発は日本にとっても脅威となる。
 しかし、北朝鮮側も日本に対し一定の考慮をしていると見ることもできる。
(1)長距離ミサイルを北朝鮮から米国本土やハワイの方向に飛翔させる場合、地球は球体であるので北方向へ発射すれば最短距離で到達する。旅客機も類似のルートをとっている。従って、北朝鮮から北海道方面に向け発射することとなるが、具体的に飛翔したのは津軽海峡から北海道襟裳岬の上空の大気圏外であった。津軽海峡は国際海峡ともなっており、陸地を極力避けている。しかもそもそも大気圏外を飛翔するものであり、北朝鮮側には今回日本に直接的な危害を与える意図はなかったと見られる。
北朝鮮が当初表明していた山陰、四国上空を越え、グアム近海に発射すると言っていたが、今回はそれと異なるルートとなっている。
軍事専門家や防衛関係者は、職業上からも脅威を強調し防衛力増強に繋げたいのであろうから、脅威を強調することは仕方がないことであろう。
しかし脅威を強調するだけで総合的な安全保障や安全な国家関係の構築に繋がるものでもないので、総合的な観点から北朝鮮側も一定の考慮をしていることは認識して置くことが必要だ。
武器そのものは、攻撃的にも防御的にも使用可能であるので、その存在もさることながら、北朝鮮の敵意の対象や意図、ターゲットをどこに向けているかを判断することが重要であろう。
日本が、休戦中の米・韓と北朝鮮との朝鮮戦争に首を突っ込むことは極力避けることが望ましい。
(2)また、日本には約50万人の在日朝鮮人が暮らしている。大阪など関西地域に多いが、東京には朝鮮総連が存在し、良しにつけ悪しきにつけ、日朝交流の中心的役割とともに、日朝間には国交がないものの、事実上の朝鮮代表部或いは大使館的役割と、情報収集や諜報・工作活動の拠点となっていると見られている。
従って、北朝鮮側もこれら同胞の存在を多少なりとも考慮するであろう。逆に、日本側とすれば、朝総連の幹部、職員の動向をこれまで以上に注視する必要があろう。


 この問題は、これまで以上に機微で厳しい警戒が必要になっているが、いたずらに脅威を強調することなく、総合的な熟慮としたたかな対応が必要になっていると言えよう。
(2017.9.10.)(Copy Rights Reserved.)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北朝鮮のミサイル発射テストへの対応に疑問! (その2) (再掲)

2023-01-26 | Weblog
北朝鮮のミサイル発射テストへの対応に疑問! (その2) (再掲)
 <はじめに> 2022年に北朝鮮は短・中距離ミサイル訓練や訓練や長距離ミサイルの発射実験などを頻繁に実施している。国連決議違反であり北東アジアの平和と安全保障ヘの脅威として遺憾で短中距離ミサイルについては日本のEEZの外側に落下しており、長距離については対馬海峡の上空ではあるが大気圏外での通過であり日本を標的にしたものではない。南北朝鮮は休戦状態ではあるが、敵対関係は解消されておらず、韓国も米国との軍事訓練をほぼ定期的に実施しており、ミサイルの開発・実験も行っている。北朝鮮を巡る米・韓と日本とは置かれた立場が異なることを認識し、冷静且つ現実的な対応が望まれる。このような難点から本稿を再掲する(2022/10/28)

 北朝鮮は、8月29日早朝(5時58分頃)、日本の津軽海峡から北海道襟裳岬上空の大気圏外を飛翔する形で太平洋公海上に達する中距離ミサイルの発射実験(飛行距離約2,700㎞)を実施し、朝鮮半島を巡り米・韓両国と北朝鮮の緊張が高まっている。北朝鮮が核兵器とその運搬手段であるミサイル開発を加速させる一方、米国は韓国にミサイル迎撃のためのTHAAD配備し、また3月の米韓合同軍事演習‘首斬り作戦’を実施したのに続き、8月に合同軍事演習を実施する中で、これへの反発と見られている。
 更に北朝鮮は、このような国際的な批判の中で、9月3日、地下核実験(6回目)を実施した。水爆実験とされている。また北朝鮮は、核爆弾を大気圏外の宇宙空間で爆発させ、電磁パルスにより地上に広範囲な被害を与えることも示唆している。電磁パルス攻撃については、宇宙空間の平和的利用の趣旨に反する上、軍事政策的にも、倫理的にも、人道的にも常軌を逸した考えと言えよう。
 このような中で、国連安保理は、石油の部分的輸出制限を含むこれまでで最も厳しい制裁決議を全会一致で採択した。北朝鮮の非人道的で常軌を逸した考え方が明らかになった以上、強い対応が必要になっていることは明らかだ。
しかし北朝鮮のミサイル発射テストへの日本の対応については疑問を残した。
 1、正確を欠く発表と過剰な反応 (その1で掲載)
 2、Jアラートの在り方 (その1で掲載)
 
 3、北朝鮮側に日本へ一定の考慮が 
 今回の長距離ミサイルの発射実験は、日本の上空を超えて行われたことから、‘日本への新たな段階の脅威’として公表、報道され、軍事専門家やコメンテータ―なども同様に日本への脅威を強調している。確かに、北朝鮮の一連の核、ミサイル開発は日本にとっても脅威となる。
 しかし、北朝鮮側も日本に対し一定の考慮をしていると見ることもできる。
(1)長距離ミサイルを北朝鮮から米国本土やハワイの方向に飛翔させる場合、地球は球体であるので北方向へ発射すれば最短距離で到達する。旅客機も類似のルートをとっている。従って、北朝鮮から北海道方面に向け発射することとなるが、具体的に飛翔したのは津軽海峡から北海道襟裳岬の上空の大気圏外であった。津軽海峡は国際海峡ともなっており、陸地を極力避けている。しかもそもそも大気圏外を飛翔するものであり、北朝鮮側には今回日本に直接的な危害を与える意図はなかったと見られる。
北朝鮮が当初表明していた山陰、四国上空を越え、グアム近海に発射すると言っていたが、今回はそれと異なるルートとなっている。
軍事専門家や防衛関係者は、職業上からも脅威を強調し防衛力増強に繋げたいのであろうから、脅威を強調することは仕方がないことであろう。
しかし脅威を強調するだけで総合的な安全保障や安全な国家関係の構築に繋がるものでもないので、総合的な観点から北朝鮮側も一定の考慮をしていることは認識して置くことが必要だ。
武器そのものは、攻撃的にも防御的にも使用可能であるので、その存在もさることながら、北朝鮮の敵意の対象や意図、ターゲットをどこに向けているかを判断することが重要であろう。
日本が、休戦中の米・韓と北朝鮮との朝鮮戦争に首を突っ込むことは極力避けることが望ましい。
(2)また、日本には約50万人の在日朝鮮人が暮らしている。大阪など関西地域に多いが、東京には朝鮮総連が存在し、良しにつけ悪しきにつけ、日朝交流の中心的役割とともに、日朝間には国交がないものの、事実上の朝鮮代表部或いは大使館的役割と、情報収集や諜報・工作活動の拠点となっていると見られている。
従って、北朝鮮側もこれら同胞の存在を多少なりとも考慮するであろう。逆に、日本側とすれば、朝総連の幹部、職員の動向をこれまで以上に注視する必要があろう。


 この問題は、これまで以上に機微で厳しい警戒が必要になっているが、いたずらに脅威を強調することなく、総合的な熟慮としたたかな対応が必要になっていると言えよう。
(2017.9.10.)(Copy Rights Reserved.)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北朝鮮のミサイル発射テストへの対応に疑問! (その1)(再掲)

2023-01-26 | Weblog
北朝鮮のミサイル発射テストへの対応に疑問! (その1)(再掲)
<はじめに> 2022年に北朝鮮は短・中距離ミサイル訓練や訓練や長距離ミサイルの発射実験などを頻繁に実施している。国連決議違反であり北東アジアの平和と安全保障ヘの脅威として遺憾で短中距離ミサイルについては日本のEEZの外側に落下しており、長距離については対馬海峡の上空ではあるが大気圏外での通過であり日本を標的にしたものではない。南北朝鮮は休戦状態ではあるが、敵対関係は解消されておらず、韓国も米国との軍事訓練をほぼ定期的に実施しており、ミサイルの開発・実験も行っている。北朝鮮を巡る米・韓と日本とは置かれた立場が異なることを認識し、冷静且つ現実的な対応が望まれる。このような観点から本稿を再掲する。(2022/10/28)

 北朝鮮は、2017年8月29日早朝(5時58分頃)、日本の津軽海峡から北海道襟裳岬上空の大気圏外を飛翔する形で太平洋公海上に達する中距離ミサイルの発射実験(飛行距離約2,700㎞)を実施し、朝鮮半島を巡り米・韓両国と北朝鮮の緊張が高まっている。北朝鮮が核兵器とその運搬手段であるミサイル開発を加速させる一方、米国は韓国にミサイル迎撃のためのTHAAD配備し、また3月の米韓合同軍事演習‘首斬り作戦’を実施したのに続き、8月に合同軍事演習を実施する中で、これへの反発と見られている。
 更に北朝鮮は、このような国際的な批判の中で、9月3日、地下核実験(6回目)を実施した。水爆実験とされている。また北朝鮮は、核爆弾を大気圏外の宇宙空間で爆発させ、電磁パルスにより地上に広範囲な被害を与えることも示唆している。電磁パルス攻撃については、宇宙空間の平和的利用の趣旨に反する上、軍事政策的にも、倫理的にも、人道的にも常軌を逸した考えと言えよう。
 このような中で、国連安保理は、石油の部分的輸出制限を含むこれまでで最も厳しい制裁決議を全会一致で採択した。北朝鮮の非人道的で常軌を逸した考え方が明らかになった以上、強い対応が必要になっていることは明らかだ。
しかし北朝鮮のミサイル発射テストへの日本の対応については疑問を残した。
 1、正確を欠く発表と過剰な反応
 日本は、8月29日午前6時2分頃Jアラートで警報を鳴らし、北海道、北陸を中心に広範囲で避難を呼び掛け、同6時7分頃北海道襟裳岬の上空大気圏外を通過した。首相は、‘ミサイルの発射直後から、その動きについては完全に掌握していた’としている。しかし、もしそうであるなら領空を含む日本の領域にはミサイル本体は向かって来ず、大気圏外(最高550㎞上)を飛翔することも分かっていたはずであるのに、何故‘これまでにない深刻かつ重大な脅威’として脅威を強調し、いたずらにJアラートを出したのか。過剰反応として疑問視される向きもある。
発表の仕方も‘日本(又は北海道)の上空を通過’等としているが、‘上空’と言っても、大気圏県外を飛翔したものである。多くの国民は、航空機のように地表に近いところを飛翔したのではないかと恐怖心を抱いたのではないだろうか。
 上空ということであれば、北朝鮮の上空には、米国他の軍事、非軍事の衛星が多数飛翔している。
 更に、日本政府当局は、‘ミサイルの破壊措置はとらなかった’としているが、ミサイル本体については大気圏外を越えて行くのだから迎撃などあり得ない。そもそも届かない。各地に配備されている迎撃ミサイルPAC3は、射程15㎞から20㎞の範囲であるので、ミサイル本体が日本を直撃するのであれば迎撃自体は可能であろう。しかし今回のような発射実験であればよいとしても、万一核や化学兵器などの弾頭が付いていたら、破壊すれば周辺地域への被害は甚大となろうし、目標となっている地域にも大きな影響があろう。切り離したブースター部分その他のミサイルの破片などの落下物にしても、それを正確に探知し、迎撃するのは至難の業であろうし、その破片が広範囲に飛び散る危険性は残る。
 日本海上のイージス艦の迎撃ミサイルにしても、射程は150km前後であり、中・長距離ミサイルとなれば発射直後の数分の間でない限り届かないであろう。それ以上に、日本が直接の目標となっていない限り、太平洋方面に向かっている発射実験のミサイルを撃ち落とすことは過剰防衛となろう。
 いずれにしても、落下してくる破片の場合は別として、ミサイルの弾頭部分を含む本体については、‘国民の生命と財産の防護に万全を期す’というのであれば、日本海上で落とすことが必要と言えよう。他方、領土、領空上で本体を迎撃する場合、命中しても甚大な被害があることを想定しなくてはならないであろう。
 米国防省相は、この時点で‘北朝鮮のミサイルは米国の脅威にはならない’としている。それを日本が撃ち落とす必要があるのだろうか。北朝鮮から米国の方向となる太平洋に向けて実験発射されたミサイルを日本が撃ち落とす云々の議論は、過剰な反応であり必要とは思われない。日本側が日米同盟を引き合いに出し、良く言って米国への‘忖度’なのであろうか。それともへつらいか。
 今回の北朝鮮のミサイル発射実験について、マスコミの報道や軍事評論家、コメンテータ等の‘ミサイル、日本上空を通過’との発言を耳にした多くの国民は、恐らく北朝鮮が日本に向けミサイルを発射したと受け止めたのではないだろうか。

 2、Jアラートの在り方
 訓練のため必要としても、次のような問題点があり、課題が多い。
 ・弾頭をつけていない‘発射実験’の段階と、実際の攻撃の目標となっている場合との区別を明確にすること。そのため、正確な表現での情報発表が不可欠。そうでないと、狼男になる恐れがある。
 ・アラートがかなり広範囲に出され、不必要な不安感を与える。
 ・アラートからミサイルが到達するまでの時間が4~5分前後と短く、且つ郊外や地方には‘強固な建物’が近隣にない場合が多いとの感想がほとんどだ。
 ・迎撃ミサイルPAC3については、事前の北朝鮮側の情報が‘山陰、四国の上空を超え、グアム近海に向けて’ということであったため、PAC3を沖縄のほか、島根、高知などに展開していたが、実際は‘北海道上空(大気圏外)’であったため、迎撃態勢が飛翔地域においては手薄になる結果となった。北の情報にかく乱された形となったが、実践においては更に巧妙な情報かく乱や無警告の攻撃も想定されるので、防御態勢において抜本的な課題を残したと言えよう。
北朝鮮等の攻撃は、基本的には日本海方面からと考えると、日本海側に防御網を設けて行く必要があろう。
 そのために自衛隊員と防御兵器を増やし続けることは困難なことは明らかであるので、新たに隊員数や兵器の増加を図るのではなく、隊員総数や予算の増加を最小限に留め、既存の隊員や武器の抜本的な再配転を図るのど、効率的で効果的な防衛体制を整えていくことが望まれる。増員、増額であれば誰でも出来る上、日報問題で露呈した内部統制への不信の中で、利権が更に拡大し、管理、実施能力面での問題が高まる恐れがある。従って、無制限に防衛能力を拡大することは望ましくないのではなく、節度ある予算が必要だろう。

 3、北朝鮮側に日本へ一定の考慮が (その2に掲載)

  この問題は、これまで以上に機微で厳しい警戒が必要になっているが、いたずらに脅威を強調することなく、総合的な熟慮としたたかな対応が必要になっていると言えよう。
(2017.9.10.)(Copy Rights Reserved.)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本は安全保障音痴か? (再掲)

2023-01-26 | Weblog
日本は安全保障音痴か? (再掲)
<はじめに> 現在臨時国会での2次補正予算の審議と並行して、2023年度予算の政府原案の詰めが行われている。その中で政権与党から声高に要請されているのが、北朝鮮の核・ミサイル開発など北東アジアの緊張が高まっていることを背景として、「反撃能力」の保持とミサイル増強を含め、5年間で安全保障関連費をNATO水準のGDP2%(現行防衛予算の2倍)達成目標だ。現下の情勢を考慮すると防衛力強化は必要だろう。しかし、現在日本は何処の国とも武力紛争はもとより軍事的敵対関係にはない。またNATO(米国、欧州諸国の対ロシア軍事同盟)は欧州や世界の安全保障に一定の役割を果たしているが、日本はNATOの同盟国ではなく、NATO基準に縛られる必要はない。NATOの急速な東方拡大と攻撃的、硬直的対ロ姿勢については直ちに賛同できるものでもない。
 更に現在日本は統一教会(国際平和統一家庭連合)が自民党に広範に浸透し、攻撃的な勝共思想など政策面でも影響を与えてきたと見られている。同教団は北朝鮮と軍事的に対決している韓国に本部があり、多くの日本国民に被害を与え、いわば日本国民の財産・精神・生活の安全保障上の現実的脅威となっている現実があるので、まず国内にある国民への脅威を除去する必要がある。 
 日本は日本として、国民の最大の将来不安である家計所得の安定的向上と年金の安定給付が最大の関心事であることを認識し、国民に負担や不安を掛けない健全な財政運営が望まれる。
 このような観点から、本稿を再掲する。(2022.11.29.追記)

 南北間の休戦協定を破棄した北朝鮮は、4月9日、韓国への攻撃もありうるとしてソウルに在住或いは滞在中の外国人に対し、退避準備をするよう呼び掛けるなど、威嚇姿勢を強めている。
 この中にあって、北朝鮮労働党の機関紙である労働新聞は、4月10日、日本に米軍基地があることを背景として、“東京、大阪、横浜、名古屋、京都”の5都市に人口が集中しているとしつつ、“日本は北朝鮮の近くに位置し、報復の対象から逃れることは出来ない”、“日本が戦争に火をつければ、日本全体が戦場と化す”などとして強く威嚇する記事を掲げた。
 何故だ。そもそも日本は朝鮮戦争に直接関与したことはなく、南北間の軍事衝突があっても直接に関係、介入することはない。ましてや“日本が戦争に火をつける”ことは現行憲法においては決してないであろう。それなのに何故このような威嚇を日本に向けるのだろうか。不可解であるし、大変迷惑だ。
 北朝鮮による国際世論に反する核、ミサイル開発には強く反対するところであり、また過剰に好戦的な姿勢に自制を求めるところではあるが、どうも日本側の姿勢が誘因になっている恐れがある。
 1、“日米韓が警戒を強める”って何のことか?
 4月10日付の本の保守系新聞は、“北ミサイル準備終了か 日米韓 警戒強める”と題し、日本地図を掲載して日本、韓国、米国のミサイルや艦船の配備状況を示して一面トップで報じている。日本国民としても気が高ぶる報道だ。
 休戦協定は南北朝鮮間の軍事衝突を避けるためのもので、それが破棄されて 北朝鮮のミサイル発射テストへの対応に疑問! (その2) (再掲)も南北朝鮮間の問題であるので、韓国とそれを支援する米国、及び休戦協定の監視を行う国連の問題であり、日本は直接関係はない。
 ミサイルの発射実験により、とばっちりが掛かる恐れがあるので、それへの対応は不可欠であるが、戦争状態に突入している韓国や米国と同列に扱うのは迷惑である。日韓には安保取り決めなどもない。
 どうも日本の保守層を中心とする安保族に日米同盟強化に対する思惑があるので、日本国内で十分議論が尽くされないままに、日米同盟強化、集団的安全保障論が前のめりに先行し、報道されているからではないか。
そのような姿勢が、10日付の労働新聞のような誤った威嚇につながっているのではなかろうか。配慮に欠ける。
 2、迎撃ミサイル(PAC3)の防衛省構内配備をプレイアップする愚
 11日のテレビ報道や新聞は、ミサイルが万一日本方向に飛来することに備え、
防衛省構内に迎撃ミサイルを2基配備していることなどを何度も報じている。日本の安全確保を強調するためであり、それは十分理解できる。
 しかし迎撃ミサイルの具体的な配備地点などの詳細を何故映像で映し、報じるのか。北朝鮮は戦争準備をしている時に、日本の対応を詳細、具体的に知らせることになるので、日本の安全保障には百害あって1益もない。
 極めつけは、防衛相が配備現場でミサイル担当の自衛官を激励する姿まで放映している。まるで戦争ごっこだ。
 日本国民への安全措置をアッピールするためのパーフォーマンスであろうが、相手を刺激し、威嚇の口実を与えるだけだ。
 北朝鮮は、南北休戦協定を破棄し、戦争状態に既に突入している。戦争ごっこでは適切ではないし、日本は紛争を好まないし、直接の紛争の当事者ではないことを念頭に置き、適切、適正な対応することを望みたい。(13.4.11.)(All Rights Reserved.)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本学術会議会員拒否、国のあり方に重大な問題提起!(再掲)

2023-01-24 | Weblog
日本学術会議会員拒否、国のあり方に重大な問題提起!(再掲)
 政府は、日本学術会議により推薦された会員候補105名の内、6名を拒否した。同会議は首相が所管する独立の諮問機関で、210名(任期6年)で構成され、3年ごとに半数が改選される。今回は、8月に安倍首相(当時)に推薦されていたが、同首相辞任表明のため、管新首相に引き継がれたものである。
 日本学術会議としては、6名の任命拒否の理由説明と任命要請を内閣府の事務局に提出しており、前例のないこと、学問の自由を制約するなど各方面で問題視されている。
 1、 日本学術会議会員の任命権は首相にある
日本学術会議会は同会議法に基づき設置されており、会員は「同会議の推薦により、首相が任命」と規定されているので、任命権は首相にあり、任命拒否は可能である。因みに、会員の任期は6年、70歳までとなっており、罷免については特段の規定はない。
 管首相も、法律に基づき判断したとしている。また前例がないとの指摘に対しては、研究者の世界は閉鎖的でメンバーシップが既得権化する面があり、前例を踏襲しないこともあっても良いのではないか等とし、「学問の自由」には関係が無いとしている。
  確かに、日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、手当も受けているので、政府の政策や立場に反対する者や野党支持をするなど政治信条の異なる者などを任命しないことはあり得るだろう。特に拒否された6名の内3名が国立大学の教授であり、もともと国家公務員であるので、政府の政策、立場に従うことは当然であり、国会その他の公の場や授業、或いは論文などにおいて政府の立場に反する立場を表明することは好ましくないと判断されるであろう。また拒否された6人とも、歴史や宗教、行政法、憲法など人文科学に属するグループであり、政府の政策や立場との関係が生じやすい。
  この点は、日本学術会議会に限らず、全ての政府の審議会、委員会の委員についても同様で、そもそも政府の政策や立場に反する者は委員に選ばれることはまず無く、また委員会などで反対の立場を述べる者は体良くお引き取り頂くことになり、再任されることはないようだ。

 2、日本学術会議のあり方が課題
  このような政府の解釈、対応となると、日本学術会議の今後のあり方自体が問題となり、岐路に立っていると言えよう。
 日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、政府の政策や立場に従うことが期待される。これが常態化すると、いわば政府の御用学者の様相を呈することになる。またその下部グループとして連携会員が多数存在するが、将来会員となりたい者は御用化すること傾向となろう。
 (1)日本学術会議は独立性を保てるのか、御用機関化するのか
 こうなるとやはり「学問の自由」にも影響を与える。会員は、3部構成となっており、1部が人文科学、2部、3部が生命科学、理学及び工学を中心とする科学となっているが、人文科学に属する会員、連携会員が影響を受けやすい。まさに人文科学に属する6人だけが任命を拒否されている。「学問の自由」は、信条の自由や表現の自由と表裏の関係があるが、国会で野党推薦の証人として、例えば安保法制や共謀罪関係法について政府と異なる立場は取り得なくなり、会員、連携会員である限り、自由な研究は抑制されると共に、授業や論文なども影響を受けることになる。政府側は学問の自由に影響はないとしているが、当事者である教授が影響ありとしているので、影響があると考えるべきであろう。会員から外されれば「学問の自由」は確保されるので、影響はないとする考え方もあろうが、それでは著名で業績のある210名の会員と多数の連携会員は「学問の自由」は現実的には制約されることになる。これでは少なくても人文科学の分野では、自由な研究が出来なくなるであろう。
 また政府は研究助成として約4兆円の研究助成を行っているが、助成を受けるためには政府の政策や立場を忖度しなくてはならないので、自由な研究を助成し、研究を活性化させるという趣旨が損なわれ、また助成を検討する日本学術会議も自由な研究を促進する機関ではなく、変質する可能性がある。
 本来であれば、政府機関であるとしても、政府は、憲法で保障される信条の自由、表現の自由、学問の自由を尊重すべきであり、それを任命権や政府権限で制約することには疑問が残る。自民党は、現行憲法は日本になじまない点があるとして、憲法改正を「党是」としており、国家権限の強化や一定の自由の制限などを改正案に入れているようであるが、それを憲法解釈で実態を確保することは適正ではないであろう。
 日本学術会議が、独立性、学問の自由を重視するのか、政府機関として残るため人文科学を切り離すかなど、選択を迫られているようだ。
 (2)国家公務員である国立大学の教授の今後
 国家公務員と言えば、国立大学の教授等は国家公務員である。従って日本学術会議会員以上に、研究費の助成や研究内容、論文、授業内容、国会など公の場での発言には政府の政策、立場に反しないことが求められるのであろう。今回の問題が表面化したことにより、国立大教授等も国家公務員として一層の自覚が求められそうだ。
 しかし、そのようなことでは学問の自由や自由な研究や教育は望めそうにない。特に人文科学の分野がそうであり、日本は経済大国や技術大国等と言われ久しいが、経済学、経済政策等などの人文科学分野で日本人はノーベル賞を受賞していない。こんなことでは、いつまで経っても日本の学問は政府依存になり、御用学問の府となる恐れがある。政府の立場や政策に縛られ、或いは忖度しているようでは真の学問の自由はないのではなかろうか。
 もともと国立大学は行政分野での人材を確保することを大きな目的の1つとしているが、現在、これ程多数の国立大学が必要とも思われない。学生への無利子の奨学金や家賃を含む修学支援を充実させれば、国立大学はもはや必要とせず、より自由に学問を追究できるように私学化する時代ではなかろうか。それは私学と国立の教育費の負担衡平にもなろう。

 3、前例、既得権打破とはそういうことだったのか
 管首相は、就任に際し、「縦割り、既得権、前例主義の打破」を表明し改革を進める仕事師内閣とすることを打ち出した。保守党政権としては今までに無い斬新な姿勢として、一本調子の政府支出・国の借金の拡大と規制・既得権益擁護の屋上屋が重ねられ、いわば閉塞状況の日本において各方面で期待されていた。
 ところが今回の日本学術会議の会員任命拒否問題で、自民党参議院議員が、前例にとらわれない姿勢で、これが正に管首相の姿勢だと擁護する始末だ。
 安倍前首相は、党是である憲法改正を推進しようとしたが、与党内でも公明党が慎重な上、野党はじめ憲法学者などがその内容に懐疑的で実現することは出来なかった。国民の多くは改正に理解を示しているが、問題は改正内容だ。安倍前首相は、本格的な防衛活動が出来るように9条を改正する他、自民党の改正案に沿って政府権限の強化、一定の自由の制限などを望んでいた。その思想的背後には、任意団体の‘日本会議’があり、旧帝国憲法に沿った天皇権能の明確化、政府権限の強化、「教育勅語」の復活を含む一定の自由の制限などを支持し、そのような体制の下での「美しい日本」の建設を標榜しており、多くの保守系議員が賛同している。安倍前首相時代の森友学園問題は、「教育勅語」を教育に取り入れ、規律正しい教育を目指した森友学園に安倍夫妻が共鳴し、学園建設の促進課程で生じた問題である。恐らく、教育方針に賛同したことをきちんと国民に説明し、理解を求めていたらあのような公文書の書き換えなど、戦後最悪の行政失態には発展しなかったであろう。
 このような思想を支持する国民も少なくないが、国民平等に基づく民主主義、自由という基本的な価値に立脚した現行憲法を支持する国民層も多く、旧帝国憲法への回帰、専制主義的な政府、自由の制限などを懸念されている。従って憲法改正は内容、方向性の問題でなかなか進まないため、安倍政権は憲法解釈の変更、手直しで安保法制などの実現を図ったのであろう。それは1つの選択肢である。
 現在、日本学術会議任命拒否問題については、内閣委等で閉会中審査が行われ、野党を中心に内閣府事務方の追求が行われているが、首相は出席しておらず、事務方が木で鼻をくくるような一辺倒の答弁をしているが、一向に政策的意図が国民には分からない。事務方は、官邸首脳の主導で行われ、「それに従わなければ配転等を強いられる」ことになるので、必死に忖度し防戦している。官僚も人事の強権で震え上がっているから仕方ないのであろうが、大変気の毒である。森友学園問題や「桜を見る会」などで、文書を書き換えやデータを廃棄したのも、このような人事強権の下で起こったのであろう。官僚にここまでさせるのか。強権人事は行きすぎると、権力の乱用、恐怖政治化、専制政治化するおそれがある。が、一向に政策的意図が国民には分からない。事務方は、官邸首脳の主導で行われ、「それに従わなければ配転等を強いられる」ことになるので、必死に忖度し防戦している。官僚も人事の強権で震え上がっているから仕方ないのであろうが、大変気の毒である。森友学園問題や「桜を見る会」などで、文書を書き換えやデータを廃棄したのも、このような人事強権の下で起こったのであろう。官僚にここまでさせるのか。強権人事は行きすぎると、権力の乱用、恐怖政治化、専制政治化するおそれがある。
 しかし本来、官邸主導、政治主導で進める施策を、官僚に代理戦争させるのは筋違いであり、首相他が国会の論戦に応じ、きちんと対応すべきではなかろうか。
今日、日本は将来を左右する岐路にあり、どのような選択肢を選ぶか、国民が決めなくてはならない。(2020/10/08)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!(再掲)

2023-01-24 | Weblog
男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!(再掲)
  2021年2月3日に開催されたJOC臨時評議会におけるオリンピック組織委森会長の発言が、女性蔑視的発言としてマスコミ等に報道されたことを端に発し、日本国内での批判が多方面に及んだため、森会長(当時)が釈明会見を行った。しかし謝罪はメモを読むような形で行われ、また記者との質疑応答も高圧的とも見られるやりとりがあったため、批判は更に広がった。国際オリンピック委員会(IOC)も、当初は「謝罪したからよい」との姿勢であったが、米国はじめ国際世論が厳しさを増したため、同会長の発言はオリンピック規定に沿わないとの見解が出されるに至り、辞任に追い込まれた。
 更にその後森会長側が特定者を後任候補に指名、推薦したことが報道され、不透明な指名等として批判されるに至り、2月12日、オリンピック・パラリンピック組織委・評議会合同会議が急遽開催され、森会長が正式に辞任を表明する一方、後任候補については検討委員会において行われることになった。
ここまでの経緯についても、同組織委の右往左往振りは拙劣であり、事務局の事務的トップであり、また森会長慰留に奔走した事務総長の責任が問われている。また同組織委についてが、事務局職員は月収20万程度から200万円となっているようだが、多数のボランテイアが無報酬或いは少額の手当で募集されているにも拘わらず、事務総長はトップとして月200万円、年額2,400円という高額の報酬を得ているのではないかとの疑問の中、事務局幹部の報酬も不公表となっている上、オリ・パラ大会が2020年7月から1年間延期されたにも拘わらず、その後も同じ報酬を得ているのではないかとの疑問も聞かれる。
 新会長については、政府、与党自民党幹部筋やから「女性か若い人」などとして具体的な名前が報道され、これがかえって女性や年長者に対する「逆差別」などとの批判が出るなど、迷走振りは日本だけでなく世界の目からも醜態と映っているようだ。
 1、男女平等が身についていない日本の社会
 このように男女平等への意識が低いという国際世論を背景として、新会長は女性からなどという意見が出ることは、一見理解ある対応と見えるが、要するに国際社会の目を配慮しての対応であり、それで男女平等が確保されるわけでもなく、そのような発想自体、男女平等意識が身についていないことを示している。また、もっと若い人をと言う発想も、新卒優先の定年制や制度を年齢で区別する行政や社会慣行をベースとした、過剰な年齢差別の意識と言えよう。80歳以上の年長者が時代遅れの不適切な発言をしたからと言って、「若い人」を会長とすれば問題が解決するわけでもない。
 他方、森会長(当時)の「女性理事が多いと会議の時間が掛る」との発言については、辞任するほどの発言ではないとの見方もある。しかし今回の批判は、その発言だけではなく、与党自民党の幹部を務め、党内最大の派閥を率い、自ら首相となり、安倍内閣を誕生させた有力な政治家ではあるが、政治活動の中での心ない言動やオリンピック・パラリンピック組織委の会長に就任してからも新国立競技場建設に当初予算の2倍以上の3,500億―5,000億円内外を掛けようとしたり、エンブレムでは盗作疑惑を掛けられたり、数々の不祥事起し、また小池東京都知事との確執など、とかくの風評があったから今回の問題に発展したとのであろう。国際的スポーツの祭典に国レベルにせよ世界レベルにせよ政治を持ち込むのはなじまないのかもしれない。
 その会長を武藤事務総長が組織のために慰留したとされ、事務総長自体も森発言の問題を理解していない。更に同事務総長は森会長が辞任した後も、新会長候補の指名に関与したり、新候補選びでは「候補者検討委員会」のメンバー選びが不明瞭な上、氏名を不公表とするなど、迷走に迷走を重ねている。同事務総長は、組織委の事務方トップとして森会長が引っ張った元財務官僚であり、組織委発足以来、上記の一連の不祥事を重ねて来ており、事務処理上も拙劣に映る。その事務総長が、「候補者検討委員会」の進行役を務めているようだが、一体この「候補者検討委員会」は何なのであろう。

 2、個人の平等も達成されていない日本
  男女平等は勿論支持するところだが、実は日本において国民の「個人の平等」が未だに実現されていないのが現状だ。
 民主主義の基本は、男女を含めて「個人の平等」であり、憲法にも規定されている。個人の平等を最も基本的に体現できるのは、国民の代表を国会に送る選挙であろう。しかし戦後国民1人1人の投票の重み、価値が1対1に近い形で平等な選挙が行われたことは1度もない。都道府県毎に選挙区が区割りされ、定数が割り振られているが、人口の少ない選挙区と多い選挙区では、1票の重みが衆議院では最大で3倍以上、参議院では5倍以上の状態が続き、選挙のたびに弁護士グループが憲法違反訴訟を提起して来ている。裁判においては、地裁レベルでは「憲法違反」とする場合もあったが、地裁レベルでも、最高裁においても「違憲状態」とされる場合が多く、国会の対応に委ねられて来た。しかし国会では時に微調整は行われたものの、長期に亘り抜本的な検討はなされなかった。そこで裁判所も国会へ対応を促すため、最近では衆議院で2倍以内、参議院で3倍以内なら違憲ではないと裁定するようになっている。それでも、都市圏の人口の多い選挙区では少ない県に比し、個々人の1票の価値は衆議院で2分の1以下、参議院で3分の1以下となっており、とても「平等」とは言えない状態が長期に続いている。男女平等どころではない。男女を問わず国民の平等は未だに確保されていない。
 最高裁の「平等」に関する考えは、「単なる1対1の関係が基準ではなく、地域など他の要素を考慮する」ということに尽きるようだ。この並びから言うと、男女平等も「単なる1対1の関係が基準ではなく、他の要素を考慮する」という解釈となり、女性への待遇等が男性の2分の1か3分の1以下でも許容されることになる。そうなのですよ。憲法の番人であるべき最高裁でさえも、建前では国民、男女の「平等」と言っていますが、「他の要素を考慮する」という恣意的な判断を加えることを容認しているということ。平等は原則1対1の関係という初歩的な算術も理解されていないようだ。これが現実なのでしょう。
 最高裁のこのような恣意的な「平等」が容認されると、男女平等についても、女性が男性の2分の1、3分の1でも容認されることになる。それが最高裁の本音なのかもしれないが、速やかな是正が望まし。
 最高裁の判事も、内閣により任命される公務員、時の内閣に不利になる判断を出せば、人事で不利にもなりかねないので、わきまえるしかないのは誰も同じと言えそうだ。しかし、そんなことでは3権分立の意味は薄れるばかりでなく、社会も、全体的な民主主義も進まない。
 国会は真に平等な国民の代表ではない。その国会で指名された首相も真の意味で国民の代表ではなく、その内閣に任命された裁判官も同様という負の連鎖が続いているように見える。これに意見が言えるのは、マスコミや学者を含む知識人なのであろう。
 しかし従来、マスコミや学者、有識者などもこの状況を許してきたと言える。マスコミやコメンテーター等もビジネスであるのでスポンサーや雇い主等を考慮しなくてはならないことは当然だろう。学者については、著名で国の各種委員会等で委員を務めている国立大学の多くの教授、研究者は国家公務員であり、言動には国家公務員としてわきまえなくてはならない。余計なことを言えば外される。全国には国立大学が86校(2020年4月現在)もあり、これ程多くの最高学府の学者、研究者が国家公務員であり、発言は自粛、制限される。自由な発信は望めない。いわば御用学者が多過ぎると言える。特に政治・社会・経済・歴史を含む人文科学、社会科学の分野では自由な発想、研究や表現は望めない。日本は、政治に縛られない生物化学、物理、及び文学の分野ではノーベル賞受賞者を出しており、喜ばしい限りだが、政治と密接に関係する社会科学の分野では1人も受賞していないことは、教育制度に国家色の強い偏りがあるからであろう。学問や表現の自由を確保する意味からも、国立大学の民営化と、学生の経済的負担を軽減し、平等の教育機会を与えるとの観点から、その予算を、将来負担を軽減した奨学金制度の拡充及び研究助成に振り向けることを検討すべき時期ではないだろうか。
 また最近情報系バラエテイ番組でお笑い系のタレントが重用されているが、お笑いの人からコメントなど聞きたくないという辛口の意見や、わきまえて話すお笑い芸人は面白くも可笑しくもないとの声がある。
 従って現実問題として、残念ながら日本は中から政治・社会・経済制度の改善、改革の動きは出にくく、今回のように国際社会からの批判や圧力、良く言われる「外圧」がないとなかなか動かないのかもしれない。それで良いわけがない。(2021.2.17.2021./2.20.一部加筆)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元号強要は国民への追加的負担ー低労働生産性の象徴的要因ー!!

2023-01-24 | Weblog
元号強要は国民への追加的負担ー低労働生産性の象徴的要因ー!!
 4月1日、政府は新元号が「令和」となる旨発表した。4月末で「平成」は終了し、5月1日に新天皇となるに伴い新元号となる。これをビジネスチャンスと捉え各種の商品やサービスが提案されており、経済効果が期待される。もっとも5月2日の早朝のスポーツニュースで、令和初のホームラン、令和初のヒット、令和初の盗塁などなど、何かにつけて´令和初’を付けて報じていたが、野球と元号は関係はないので耳障りでチャンネルを変えた。ニュースにしたいのだろうが、無節操な報道姿勢の体質は変わっていない。
 新元号のネーミングについての評価はいろいろあると見られるが、元号で物事が変わるものではなく、その後為政者がどのような時代にしていくかに掛かっている。
一般国民にとっては、新元号になろうとなるまいと、増え続ける規則や慣例、慣行に縛られることなく、出来るだけシンプルで、ストレスが少なく、豊かで希望の持てる社会となることを待望している。
新たな時代に取り組むためには、新元号に期待を持たせるだけでなく、「平成」がどのような時代であったかも謙虚に評価することが必要だろう。その評価無くして進歩も改革も期待できない。
 新元号への変更については、政府、政府関係機関で各種申請書、文書、許認可証等の年号が円滑に進められるよう膨大な作業が行われている。地方公共団体や民間企業、団体でも元号使用に関連し各種の対応策が行われている。
 政府は、4月1日に新元号を公表し、混乱なく改元が進むよう対応が進んでいるとしているが、元号の決定プロセスの不明瞭性と共に、改元や元号使用に伴う国民生活や経済活動に追加的な負担となり、また犯罪の種ともなっている側面を見落としてはならない。
 改元に伴いキャシュ・カードなどの交換が必要として巧みにカードを盗む‘元号詐欺’が横行している。元号が使われる限り、今後もあの手この手で‘元号詐欺’は続くことが懸念されている。
 国民生活にとっては、元号が変わること時代計算や各種の申請書、履歴書類の作成などで作業を複雑にし、追加的な負担となっている。特に超高齢化している現在、明治、大正、昭和、平成、新元号と5元号を経ることになり、何年前だったかなど分からなくなってきている。NHKなどでも、元号でニュースを伝えることが多いが、何年前だったかなどが直ちには分からない場合がある。
多くの国民にとっては複数の年号を経るので元号表記は煩雑で、そのために費やす手間暇は可なりのもので、超高齢化の時代では更に煩雑な計算が必要となる。時間の喪失感は無視できないほどで、社会的な損失も大きい。
 元号は、一般国民の生活、各種活動において使用が強制されるものではないので、国民、企業、諸団体自らが西暦年号表記の使用を促進することが望ましい。
 日本にはこの種の伝統や慣習や時代と共に旧弊が多なる上、法律、規則、更には‘通達’などで公的機関への提出文書を細部まで定めていることが多い。一方日本人は良く働き、残業も多く、夏季休暇が以上に短い上休暇も返上して働くのに、労働生産性は欧米諸国が加盟するOECD 35カ国中20位(37年連続という醜態)、先進7カ国中では40日程度は夏季休暇を取るイタリア、フランスよりも低く最下位だ。
 要するに日本人は労働時間が長いのに反して賃金、役員報酬がおしなべて低いということに尽きる。では何故そんなに労働時間が長いのか。その大きな原因の一つが、元号の換算や箸の上げ下げまで規定する規則、‘通達’ずくめの制度にある。米国はじめ多くの国が、日本は市場参入が難かしい、投資が難しい、非関税障壁があるのではないかなど、市場の開放性に疑問に思っている。確かに日本人でありながら新規に何かをしようとすると制度や申請書類などが細かく複雑で大変だ。その上元号記載となることが多い。行政書士や代行業が流行るのもうなずける。  
古い慣習や制度、規則、通達類を、例えば10年ごと、20年毎など、一定期間で廃止することを義務付けるなど、簡素化して行かないと、労働生産性も上がらないし、市場参入などへの阻害要因がアルバム式に増えることになる。
 古い制度や規則を時代の変化に伴い漸次廃止していく意識と努力が必要だ。元号はその一つで、西暦年号の使用を一般化すべきだ。少なくても、地方公共団体を含め、行政への申請書類は西暦年号記載を認めるべきであろう。
 新元号の選定についても不明朗だ。政府は‘新元号選定委員会’を設け、数名の委員を任命しているが、明治天皇時代への復古的思想の強い日本会議のメンバーである女性作家はじめ財界の長老格やなどが中心で、偏向が強く、これが日本国民を代表しているとも思えない。
 元号の使用(その場合必ず西暦年を併記)は、宮中行事の他、憲法に規定されている天皇の「国事行為」に限定すべきではないか。それ以外については、元号使用は任意とし、西暦年号を認めるべきであろう。元号は日本独自の文化であり、伝統であるので、それを保存して行くことは大切であるが、世界がグローバル化し、各種の度量衡、基準、標準などが国際基準で統一されている今日、日本だけが「元号」表記を強要することは、ジャパン・オンリーの独りよがりであり、日本を更に‘ガラパゴス化’して行く恐れがある。現在、世界の人々は、日本の文化や伝統的な技能、技術、建築、日本食などを個々の目で評価しており、ジャパン・オンリーをことさらに強要する必要はなくなって来ていると言えよう。
(2019.5.2.再改定 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする