「空海と密教美術」展を機会に「空海の風景」を読んで未だに纏まりがつかず、
「法然と親鸞」展の前に「親鸞」を読んで纏める気にならず、
夜半の目覚にヨシナキことを書き留めてみた。
意識は進行形の記憶。
譬えてみれば、デジカメで情景を撮りながら再生しているよう。
拡がりが有る。
その空間は外に拡がっているわけでない。
画素が沢山あり、沢山の素子から成っているということ。
静止画ではなく、動画。
進行するから流れがある。
再帰的過程だが、時間そのものが有る訳でない。
再生している情景をも再び撮り再生するということ。
もしかしたら、外界の実在する時空も同じことかも知れない。
意識の内容は、直接には自分にしか見えない。
自分に見えれば良い。
それが意識の第一義。
自分の意識が見えれば、同じような状況になったときに、他の人がどのような意識を持つかを想像できる。
あるいは、人の状況について、自分がそうだったらどんな意識になるかを想像できる。
「惻隠の情」とは、そのようなことの一つ。
そうした働きによって、人と人とが繋がりを持つ。
集団を作ることが出来る。
更に言えば、心は集団を作って生きていくための働き。
知能は、その外延。
「助けて」は、最初の集団行動。
子供が母に求める。
「救い」を与えるのは母。
死に直面して最後に求める「救い」が宗教。
そのとき神が、阿弥陀が、救ってくれると信じる。
信じたら、死に直面していないとき、既に救われる、と。
「抑うつ」は、感情の沈滞よりも、意識の機能不全。
人との繋がりが巧く執れない。
それが意識のことなら「自分が悪い」となるのは一般的。
「人が悪い」から自分が「うつ」になったとするケースが増えているとか。
これも意識の機能不全だろうか。
「法然と親鸞」展の前に「親鸞」を読んで纏める気にならず、
夜半の目覚にヨシナキことを書き留めてみた。
意識は進行形の記憶。
譬えてみれば、デジカメで情景を撮りながら再生しているよう。
拡がりが有る。
その空間は外に拡がっているわけでない。
画素が沢山あり、沢山の素子から成っているということ。
静止画ではなく、動画。
進行するから流れがある。
再帰的過程だが、時間そのものが有る訳でない。
再生している情景をも再び撮り再生するということ。
もしかしたら、外界の実在する時空も同じことかも知れない。
意識の内容は、直接には自分にしか見えない。
自分に見えれば良い。
それが意識の第一義。
自分の意識が見えれば、同じような状況になったときに、他の人がどのような意識を持つかを想像できる。
あるいは、人の状況について、自分がそうだったらどんな意識になるかを想像できる。
「惻隠の情」とは、そのようなことの一つ。
そうした働きによって、人と人とが繋がりを持つ。
集団を作ることが出来る。
更に言えば、心は集団を作って生きていくための働き。
知能は、その外延。
「助けて」は、最初の集団行動。
子供が母に求める。
「救い」を与えるのは母。
死に直面して最後に求める「救い」が宗教。
そのとき神が、阿弥陀が、救ってくれると信じる。
信じたら、死に直面していないとき、既に救われる、と。
「抑うつ」は、感情の沈滞よりも、意識の機能不全。
人との繋がりが巧く執れない。
それが意識のことなら「自分が悪い」となるのは一般的。
「人が悪い」から自分が「うつ」になったとするケースが増えているとか。
これも意識の機能不全だろうか。
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