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記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

意識とは

2011年11月24日 04時58分12秒 | Weblog
「空海と密教美術」展を機会に「空海の風景」を読んで未だに纏まりがつかず、
「法然と親鸞」展の前に「親鸞」を読んで纏める気にならず、
夜半の目覚にヨシナキことを書き留めてみた。

意識は進行形の記憶。
譬えてみれば、デジカメで情景を撮りながら再生しているよう。
拡がりが有る。
その空間は外に拡がっているわけでない。
画素が沢山あり、沢山の素子から成っているということ。
静止画ではなく、動画。
進行するから流れがある。
再帰的過程だが、時間そのものが有る訳でない。
再生している情景をも再び撮り再生するということ。

もしかしたら、外界の実在する時空も同じことかも知れない。

意識の内容は、直接には自分にしか見えない。
自分に見えれば良い。
それが意識の第一義。
自分の意識が見えれば、同じような状況になったときに、他の人がどのような意識を持つかを想像できる。
あるいは、人の状況について、自分がそうだったらどんな意識になるかを想像できる。

「惻隠の情」とは、そのようなことの一つ。
そうした働きによって、人と人とが繋がりを持つ。
集団を作ることが出来る。
更に言えば、心は集団を作って生きていくための働き。
知能は、その外延。

「助けて」は、最初の集団行動。
子供が母に求める。
「救い」を与えるのは母。

死に直面して最後に求める「救い」が宗教。
そのとき神が、阿弥陀が、救ってくれると信じる。
信じたら、死に直面していないとき、既に救われる、と。

「抑うつ」は、感情の沈滞よりも、意識の機能不全。
人との繋がりが巧く執れない。
それが意識のことなら「自分が悪い」となるのは一般的。

「人が悪い」から自分が「うつ」になったとするケースが増えているとか。
これも意識の機能不全だろうか。



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