記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

空想

2018年10月25日 06時13分14秒 | Weblog
齢の所為か、深夜に目覚め、半睡半眠で僅かばかりをグズグズ反芻。
起きてパソコンにメモってみる:

「神は人間の脳が作った」と誰かが言っている。
誰かとは高名な特定の誰かではない。
無名なたくさんの人々がそう考えているだろうということ。
実は自分がそう考えたということでしかないかも。

「神」の起源は古代人が部族長の霊を祭ったことに発するようだ。
人間は群れをつくる動物で、リーダーを特別視し従う。
リーダーが死んでも、その魂が霊として存在し続けると感じ、霊に従う。
部族が戦うなどして次第に大きな集団を作るとき、霊が導いたと考える。
勝ち抜き支配する範囲を広げたとされる霊が神の起源。

脳が作った概念としてなら神は存在するとして問題がないわけでない。
痛みの感覚が意識されていても、痛みが実在するとは限らない。
治療して痛みの原因を除いた後にも痛みの記憶が戻り、それがそこにあるように感じられたりする。

脳の働きはようやく解明されてきたが、最近になって基本的なことが分かっていないと知られてきた。グリアの働きがそれ。
人間とは何かについても問題がある。人間を成り立たせている細胞の9割は微生物だという。
「人間の脳が作った」とはどういうことか、実はよく分からない。

「作った」のはよしとしても、「存在する」とはどういうことか。
これも改めてよく分からない。
われわれは成長するにつれて時間と空間の概念を得てきた。
時間と空間が存在することを日常は疑わないでいるが、宇宙の果てを考えるとその区別すら分からなくなる。
時間・空間は仮想現実だ、と。
限りなく現実に近いが、現実ではないのではないか、と。
その中に存在すると感じられている「われわれ自身」も仮想現実。

これが仮想現実だと言える技術がまだ無いままに、仮想現実と言う概念を定義しただけで時空や存在についての疑問を棚上げにさせるのは何を根拠としているのだろうか。
意識や心像と言う、ずっと以前に壊れた筈の概念を日常に復活させ、疑いを入れないでいるということでしかない。

日常にわれわれが持っているつもりの自分の意識は、自分の脳が生み出して自分の行動をコントロールする働きをしているように見做しているようだが、反省してみれば容易に疑える。
意識は自分の「心」を理解するために機能しているかのように思えるが、役に立っている機能は他人の意識も同じだろうとして、他人の「心」を理解しているつもりにさせることだ。
果たして意識は誰がどうやって作っているのだろうか。

今、自分がここで、こうして考えているつもりのことが、実はどこかに誰か考えている人があって、それがここに波及してきているということかも知れない。


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