そういう粒子があることを
村上斉 2010 宇宙は何でできているか 幻冬舎新書
で、初めて知りました。
誰でも知っているようなことをクドクド述べていて、衝動買いしたことを後悔しながらも記憶の整理になるかと読んでいて、オヤと思ったのでした。
電磁力は粒子が光子を吸ったり吐いたりして伝わる。
その光子は目に見えるわけでなく、仮想光子と呼ばれる、と。
Googleで検索すると2003年頃のサイトで解説しているのが有ったりし、何故今まで気づかなかったのか。
あるいは物理学者は「仮想virtual」という言葉が嫌いで滅多に使わないのかも、とか。自分の不明を棚に上げた邪推でしょうか。
光子といえば横波だが、仮想光子には横波成分のほかに縦波とスカラの成分があり、それらが相殺されている光子の方こそ特殊なのだ、と言っているサイトもありました。
荷電粒子が周りに電場をつくり、任意の電子と作用するという考え方では、その荷電粒子は電場を作るために「無限大」のエネルギーを持っているとしなければならない。
しかし量子場の考え方なら、電磁力の作用は「仮想光子」の交換によって行われているとするので「無限大」を回避できる、とか。
電磁場とは仮想光子が存在する空間だ、とも。
荷電粒子が吐き出した仮想光子は短時間で他の荷電粒子に吸収される。
仮想光子を作るにはエネルギーが必要だが、それは周囲の何も無い空間から借りてきて、仮想光子の交換が短時間内に終了した時点で、収支が相殺される。
短時間ではあるが、その間はエネルギー保存則が成立していない。
不確定性原理によって、短時間であれば大きなエネルギーを持つことも許される、と。
絶対0度でエネルギー水準0という何も無い筈の真空で、あたかも沸騰しているかのようにランダムにエネルギー(あるいは物質)が現われ、そして短時間で消える、とか。
これも同じ原理で許容されるのでしょう。
今まで、解説を読んでも呑み込めなかった話の多くが仮想光子とか仮想粒子とかによって理解し易くなるのか、どうか。
認知科学では「仮想現実virtual reality」の議論や技法が一般的です。
virtualとは「限りなく真実に近い」という意味だと言いながら、本物ではないことは強調しているようです。
しかし「仮想でない、本物」はほとんど議論の対象になりません。
心理学にも「仮現運動apparent motion」というのがあります。
この研究を核としてゲシタルト心理学が興り、知覚研究が行われてきました。
人が知覚する運動現象は、実のところ全て「仮現運動」です。
「仮現」でない「運動」は無いのに、わざわざ「仮現運動」と言うのもややこしいのですが、「仮想光子」もある意味で似た事情なのでしょうか。
村上斉 2010 宇宙は何でできているか 幻冬舎新書
で、初めて知りました。
誰でも知っているようなことをクドクド述べていて、衝動買いしたことを後悔しながらも記憶の整理になるかと読んでいて、オヤと思ったのでした。
電磁力は粒子が光子を吸ったり吐いたりして伝わる。
その光子は目に見えるわけでなく、仮想光子と呼ばれる、と。
Googleで検索すると2003年頃のサイトで解説しているのが有ったりし、何故今まで気づかなかったのか。
あるいは物理学者は「仮想virtual」という言葉が嫌いで滅多に使わないのかも、とか。自分の不明を棚に上げた邪推でしょうか。
光子といえば横波だが、仮想光子には横波成分のほかに縦波とスカラの成分があり、それらが相殺されている光子の方こそ特殊なのだ、と言っているサイトもありました。
荷電粒子が周りに電場をつくり、任意の電子と作用するという考え方では、その荷電粒子は電場を作るために「無限大」のエネルギーを持っているとしなければならない。
しかし量子場の考え方なら、電磁力の作用は「仮想光子」の交換によって行われているとするので「無限大」を回避できる、とか。
電磁場とは仮想光子が存在する空間だ、とも。
荷電粒子が吐き出した仮想光子は短時間で他の荷電粒子に吸収される。
仮想光子を作るにはエネルギーが必要だが、それは周囲の何も無い空間から借りてきて、仮想光子の交換が短時間内に終了した時点で、収支が相殺される。
短時間ではあるが、その間はエネルギー保存則が成立していない。
不確定性原理によって、短時間であれば大きなエネルギーを持つことも許される、と。
絶対0度でエネルギー水準0という何も無い筈の真空で、あたかも沸騰しているかのようにランダムにエネルギー(あるいは物質)が現われ、そして短時間で消える、とか。
これも同じ原理で許容されるのでしょう。
今まで、解説を読んでも呑み込めなかった話の多くが仮想光子とか仮想粒子とかによって理解し易くなるのか、どうか。
認知科学では「仮想現実virtual reality」の議論や技法が一般的です。
virtualとは「限りなく真実に近い」という意味だと言いながら、本物ではないことは強調しているようです。
しかし「仮想でない、本物」はほとんど議論の対象になりません。
心理学にも「仮現運動apparent motion」というのがあります。
この研究を核としてゲシタルト心理学が興り、知覚研究が行われてきました。
人が知覚する運動現象は、実のところ全て「仮現運動」です。
「仮現」でない「運動」は無いのに、わざわざ「仮現運動」と言うのもややこしいのですが、「仮想光子」もある意味で似た事情なのでしょうか。
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