今年は古事記編纂1300年。
大型書店に古代史のコーナーが設けられたりしている。
立ち読みして興味を持ったのがニギハヤヒ。
別名に「アメノホアカリ」、「クシタマ」など。
『日本書紀』では饒速日命、『古事記』では邇藝速日命と表記。
記紀にはあまり記述がないらしい。
先代旧事本紀によれば、アメノホシオミの子、ニニギの兄。
播磨国風土記ではオオモノヌシ(オオクニヌシ)の子。
スサノオの子とする説もある、とか。
アマテラスから十種の神宝を授かり、「天の磐船」で降臨。
河内や大和を支配。
ナガスネヒコの妹を妻とし、ニギハヤヒ王朝を建てている。
その後、東征してきたカムヤマトイワレヒコに禅譲。
しかしイワレヒコが初代とされ、ニギハヤヒは初代天皇に位置づけられていない。
何故なのか、から考証がはじまって面白い本:
戸矢 学 2011 ニギハヤヒ--先代旧事本紀」から探る物部氏の祖神 河出書房新社
乙巳の変(645年)で蘇我氏本宗家の邸が焼け落ちた時、「天皇記」「国記」などが焼失したが、一部救出された部分が有り、それが「国造本紀」ではないか。
その部分が「先代旧事本紀」の第10巻になったのであろう、と。
神道では人は死ぬと神になる。
全ての神は生前に人であった。
全ての人は神から「命(御言:ミコト)」を受けている。
死後、その名の後に「命」を付して、その時から神になる。
古代の神は「崇り神」として祀られ、名を呼ぶのを怖れ、別名で祀る。
誰が誰だったかを辿るのが難しくなる大きな理由の一つらしい。
ニギハヤヒが降臨した際の従者の数はニニギの場合より多く、従者たちの子孫はそれぞれに著名だから、系譜とその存在感はニニギに劣らない、と。
日本の神道には偶像崇拝が無く、顔や肖像は意味をなさない。
依り代として山や瀧や岩などが祀られた。
剣、鏡、玉などが依り代として用いられるようになると、それを納める社殿が建てられ、社殿に向かって祀るようになった、と。
ニギハヤヒの依り代は磐船。
山中の大きな岩に縁起が書かれていて、この磐船に乗って空から降臨されたと読めば、何と荒唐無稽なことかと思わないでいられないが、・・・。
古語では隕石や地震をフツとかフルとか言い、それが神の名に用いられたりしたらしい。
熊野の「速玉(ハヤタマ)」は隕石。
布留山の石上神宮はニギハヤヒの荒魂を鎮めるために建てられた。
その祭神フルミタマはニギハヤヒの尊称。
前後して「フツミタマ」「フツシミタマ」が祀られており、国土平定に貢献した剣の零位を鎮め、あるいは依り代としている、とか。
最初の問題に戻って、何故ニギハヤヒはカムヤマトイワレヒコに禅譲したのに初代天皇でないのか。
天から降臨した従者の中にアメノカゴヤマの名が有り、ニギハヤヒの長男。
アメノカゴヤマ(天香語山)は尾張連の祖となり、弥彦神社などに祀られている。
ニギハヤヒはアマテラスから10種の神宝を授かり、初めに河内に降臨。
やがてヤマトに遷り、ナガスネヒコの妹ミカシキヤヒメを妻とした。
ニギハヤヒの死後、ウマシマジが生まれる。
ニギハヤヒ王朝を継いだのは、ウマシマジ。
東征してきたイワレヒコとナガスネヒコの戦いはナガスネヒコが常に優勢だった。
戦場で両者はアマテラスから授かった神器を見せ合い、共に天孫だと知ったらしい。
その後、ウマシマジ(まだ乳児だろうか)はナガスネを殺し、イワレヒコに終生臣下になると誓い、物部氏の祖となった。
物部のモノとは古語で鬼神とか武器とかの意味がある、とか。
ウマシマジは伯父と母とを裏切ったのだから、ナガスネヒコの崇りを怖れ、ニギハヤヒの崇りを怖れなければならない。
ニギハヤヒの崇りを怖れるヤマト朝廷は石上神社を建て、ウマシマジに祀りを行わせた。
物部氏はニギハヤヒを裏切って成立したのだからニギハヤヒが祖神の筈はない、とも。
あるいは名を伏して手厚く祀るうちに守護神になった、とも。
曖昧で未解決な部分が少なくないが、ついでに箸墓について。
桃の種が沢山出土したことは、イザナギが黄泉の国から脱出するとき、桃の種をイザナミに投げて黄泉の軍を退散させた古事記の話に附合する、と。
箸墓の被葬者はヒミコでも、アマテラスでもなく、イザナミだ、と。
大型書店に古代史のコーナーが設けられたりしている。
立ち読みして興味を持ったのがニギハヤヒ。
別名に「アメノホアカリ」、「クシタマ」など。
『日本書紀』では饒速日命、『古事記』では邇藝速日命と表記。
記紀にはあまり記述がないらしい。
先代旧事本紀によれば、アメノホシオミの子、ニニギの兄。
播磨国風土記ではオオモノヌシ(オオクニヌシ)の子。
スサノオの子とする説もある、とか。
アマテラスから十種の神宝を授かり、「天の磐船」で降臨。
河内や大和を支配。
ナガスネヒコの妹を妻とし、ニギハヤヒ王朝を建てている。
その後、東征してきたカムヤマトイワレヒコに禅譲。
しかしイワレヒコが初代とされ、ニギハヤヒは初代天皇に位置づけられていない。
何故なのか、から考証がはじまって面白い本:
戸矢 学 2011 ニギハヤヒ--先代旧事本紀」から探る物部氏の祖神 河出書房新社
乙巳の変(645年)で蘇我氏本宗家の邸が焼け落ちた時、「天皇記」「国記」などが焼失したが、一部救出された部分が有り、それが「国造本紀」ではないか。
その部分が「先代旧事本紀」の第10巻になったのであろう、と。
神道では人は死ぬと神になる。
全ての神は生前に人であった。
全ての人は神から「命(御言:ミコト)」を受けている。
死後、その名の後に「命」を付して、その時から神になる。
古代の神は「崇り神」として祀られ、名を呼ぶのを怖れ、別名で祀る。
誰が誰だったかを辿るのが難しくなる大きな理由の一つらしい。
ニギハヤヒが降臨した際の従者の数はニニギの場合より多く、従者たちの子孫はそれぞれに著名だから、系譜とその存在感はニニギに劣らない、と。
日本の神道には偶像崇拝が無く、顔や肖像は意味をなさない。
依り代として山や瀧や岩などが祀られた。
剣、鏡、玉などが依り代として用いられるようになると、それを納める社殿が建てられ、社殿に向かって祀るようになった、と。
ニギハヤヒの依り代は磐船。
山中の大きな岩に縁起が書かれていて、この磐船に乗って空から降臨されたと読めば、何と荒唐無稽なことかと思わないでいられないが、・・・。
古語では隕石や地震をフツとかフルとか言い、それが神の名に用いられたりしたらしい。
熊野の「速玉(ハヤタマ)」は隕石。
布留山の石上神宮はニギハヤヒの荒魂を鎮めるために建てられた。
その祭神フルミタマはニギハヤヒの尊称。
前後して「フツミタマ」「フツシミタマ」が祀られており、国土平定に貢献した剣の零位を鎮め、あるいは依り代としている、とか。
最初の問題に戻って、何故ニギハヤヒはカムヤマトイワレヒコに禅譲したのに初代天皇でないのか。
天から降臨した従者の中にアメノカゴヤマの名が有り、ニギハヤヒの長男。
アメノカゴヤマ(天香語山)は尾張連の祖となり、弥彦神社などに祀られている。
ニギハヤヒはアマテラスから10種の神宝を授かり、初めに河内に降臨。
やがてヤマトに遷り、ナガスネヒコの妹ミカシキヤヒメを妻とした。
ニギハヤヒの死後、ウマシマジが生まれる。
ニギハヤヒ王朝を継いだのは、ウマシマジ。
東征してきたイワレヒコとナガスネヒコの戦いはナガスネヒコが常に優勢だった。
戦場で両者はアマテラスから授かった神器を見せ合い、共に天孫だと知ったらしい。
その後、ウマシマジ(まだ乳児だろうか)はナガスネを殺し、イワレヒコに終生臣下になると誓い、物部氏の祖となった。
物部のモノとは古語で鬼神とか武器とかの意味がある、とか。
ウマシマジは伯父と母とを裏切ったのだから、ナガスネヒコの崇りを怖れ、ニギハヤヒの崇りを怖れなければならない。
ニギハヤヒの崇りを怖れるヤマト朝廷は石上神社を建て、ウマシマジに祀りを行わせた。
物部氏はニギハヤヒを裏切って成立したのだからニギハヤヒが祖神の筈はない、とも。
あるいは名を伏して手厚く祀るうちに守護神になった、とも。
曖昧で未解決な部分が少なくないが、ついでに箸墓について。
桃の種が沢山出土したことは、イザナギが黄泉の国から脱出するとき、桃の種をイザナミに投げて黄泉の軍を退散させた古事記の話に附合する、と。
箸墓の被葬者はヒミコでも、アマテラスでもなく、イザナミだ、と。
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