記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

竹取物語

2013年08月07日 09時38分36秒 | Weblog
ひょんなことから古文が苦手だという高校生の勉強に付き合うことになり、先日は竹取物語の項を読みました。
書店で参考書を適当に選んで2冊買い求め、予習してきてもらっています。カラー印刷で詳細な書き込みがあり、至れり尽くせりの学習・受験兼用の参考書です。

良く出来ていて、ゆっくり声を出して読むだけで理解できるような気になります。
本来の古文は句読点もなく古風な平仮名ばかりでしょうから、昔の人の読解とは全く異なることでしょう。
適当に漢字に置き換えてあって、しかもルビやら解釈用の補足まで行間に示してあります。

竹取物語は大概のことは知っているつもりでしたし、文章も大して難しくありません。
最古の物語で万葉集などにも出てくることは高校の授業か大学の教養課程かで習った記憶があります。
作者は紀貫之だという説や弘法大師・空海だという説があるとか。
ルーツはチベットにあり、似た話が中国にもあるようです。
もしかしたら仏教と一緒に伝来したのかも知れません。
古いのに易しいと訝りながらもサッと読んだのですが、後でいろいろ気になりネットで検索したりして少し調べてみました。

翁は田畑を持たない貧しく賤しい身分の男なので、野山に分け入って竹を採り、細工をして生計を立てていたが、3寸の子を育てるようになってから黄金を度々みつけて次第に豊かになった、とあります。
名は「さぬきのみやつこ」。
讃岐なら空海の名が挙がるのも分かる気がします。しかし写本の過程で「さぬき」となったが、元は「さぬき」でなかったという解釈もあるようです。
それは別として「みやつこ(造)」は“み”をとれば“奴”ですが、一応の位がある人に付けられる尊称ではないのだろうか。
身分卑しいことを強調した直後にそのような名があるとするのは矛盾でないのだろうか。

未読の部分に解説があり、竹細工は農業の大切な道具なので神聖視され、それを作る人は貧困ながら神人として尊敬されていた、とありました。
3寸の幼子にも敬語が多用されていて、もしかしたら物語する人々自身の平素の言葉遣いがそのまま現れたのでしょうか。

現存する写本は仮名文だが、元は漢文だった、とか。
漢字表記があるから読めたが、昔の人々も漢字を想起しないと読めなかったのではないかと思われる語もあります。

また「節を隔てて“よ”ごとに黄金ある竹を見つくること重なりぬ」とありますが、"よ“の語に”節“の字を当てていました。
そこは節と節の間の筒の部分だそうで、漢字で該当する語は正しくは何だったのだろうか。

かぐや姫にプロポーズした5人の貴公子には姓名があり、どこかで見かけたような気がします。実際、いずれも実在の名で、壬申の乱の勝ち組として知られた人たちばかりで、かぐや姫に難題を課されてインチキをして破滅します。
そんなことから、竹取物語には体制批判という趣旨があったようです。

姫は帝にもなびかなかったのですが、それでも3年の間、歌の遣り取りを続けたのは老夫婦への気遣いということでしょうか。

月の都の王が戻れと命じたとき、かぐや姫は躊躇うので、天の羽衣を着せて穢れた地上での記憶一切を消し去ったとあります。
羽衣伝説でも、羽衣を盗られた天女が昇天できなくなったのは、宙を飛ぶ道具を失ったからでなく、現世への執着ができてその記憶あるいは心を消せなかったためだったかも知れません。

月の都の人たちはかぐや姫に「いつまで穢い所にいるのか」と責め、翁たちをあからさまに「賤しい」と言っていますが、当時の仏教の考え方がそうした言明をさせたのでしょうか。

かぐや姫が遺した不老長寿の薬は、それによって姫のいないこの世で生き存えていられないと、天に最も近い山の頂上で煙にしたとありますが、その場所は現在の京田辺市だと言う議論があるようです。
時は正に富士山の延暦大噴火・貞観大噴火の時代。
富士山という解釈の方が良いのではないでしょうか。

東日本大震災は1000年に1回しか起きない大地震で、貞観年間に生じたことがあると古文書の記録に残っていても、特別な国文学者でなければ知る由もないというのが原発事故に関連して行われてきた一般の認識でした。
しかし1000年前、当時の富士山が煙を絶やさなかったことは物語の種になるほど広く知られていたことが覗えます。
延暦大噴火(800年~802年)は最近言われている南海トラフの地震と連動するものだったらしく、貞観大噴火(864年)を含めて平安時代に10数回の大噴火・大地震があったようです。

あまりにポピュラーな物語ですが、不作為かどうか、歪曲することで多くの有意な知識が無視されてきたように思われます。

最新の画像もっと見る