学校で日本史を学んで以来、古代史については断片的に僅かな新知識が入ってきただけでしたが、最近は急展開で新しい理解が進んでいるようです。
大型書店を覗くと色々な立場から新しい本が沢山出版されているのに驚きます。
ようやく行われるようになった古墳の発掘と考古学的研究によって人々の関心が大きくなっているのかもしれません。
偶々1冊、何気なく借りたのが切掛けで、立て続けに何冊かの本を拾い読みしました。
女王アマテラス
伝承が語る古代史III
小椋一葉(オグラカズハ)河出書房新社 1990
アマテラスとカタカナで書き、女王と呼んでいるのが気を引きました。
著者がどんな人か見当もつかなかったのですが、ネットで調べたら、
熱烈に尊敬しているという人がありました。
日本中の神社を観光して周り、伝承をそのまま受け入れているだけだと批評する人もありました。
アマテラスとスサノオは姉弟ではなく、夫婦だったのではないか、という説まで紹介してあります。
著者は、この本の前後に、
消された覇王
伝承が語るスサノオとニギハヤヒ
小椋一葉 河出書房新社 1988
箸墓の歌
邪馬台国と倭国の物語・完
小椋一葉 河出書房新社 2004
を出していることを知りました。
スサノオ→ニギハヤヒ→サルタヒコ→トヨウケ
という系譜の王家があったが、日本書紀を編纂した歴史の中で消されたということでした。
まだ読みこなしていないうちに
逆説の日本史1:古代黎明期 封印された「倭」の謎
井沢元彦 小学館 1993
と言う本が目につき、飛ばし読みをしていたら何故か小椋一葉の本も分かったような気になりました。
帯に、『卑弥呼は天照大神だった!』
とありました。
古代人の行動原理に「怨霊信仰」があることを伝承分析の切り口にしているのが特徴的です。
オオクニヌシが最初で最大の怨霊だと言っています。
出雲大社は「国譲り」の名で知られる部族間の戦いに勝った天孫族が、敗れた出雲族の長であるオオクニヌシを殺し、その怨霊が祟ることを懼れて祀っているのだ、と。
古代史の論争はどれも面白そうですが、容易に決着が付くと思えません。
触りの部分だけ分かれば好いのですが、文庫本や新書版もいろいろあり、どれを選べばいいか分かりません。
手ごろと値ごろな感じで
消された王権・物部氏の謎
オニの系譜から解く古代史
関 祐二 PHP文庫 2002
天孫降臨の謎
「日本書紀が封印した真実の歴史
関 祐二 PHP文庫 2007
天皇家はなぜ続いたのか
日本書紀に隠された王権成立の謎
梅沢恵美子 ベスト新書 2001
を読んでみました。
「日本書紀」は壬申の乱に勝利した天武が自らの正統性を主張するために編纂したというのが学界の通説だった、とか。
しかし、天武の亡き後、編纂事業を継承した持統と藤原不比等は、蘇我系の豪族が大きく貢献した壬申の乱の影を消し、書紀の性格を著しく変更したようです。
道教の「天皇大帝」を地上に降ろし、現人神として天皇を祭り上げることによって、それを支える藤原家が権力を一手に掌握し繁栄するというシステムを創ったのだ、と。
神武と崇神がハツクニシラスという同じ名前なのは同一人物だからだ、という解釈が有ることを知りました。
同じ人が幾つも名前を持っていたり、同じ名前だが違う人だとすべき場合も少なくなかったりするから複雑です。
天皇とか大王とかが、それぞれの年代ごとに違う人を指しているように、アマテラスやヒミコも、特定のひとりを指しているとは限らないと思われます。
最も過激な仮説は、アマテラスとヒミコが同一で、トヨウケとトヨと神功が同一だとするものでしょうか。
神功(=トヨ)が武内宿禰(=コトシロノヌシ)を従えて、ヒミコ(=アマテラス)を討った、という話になったのだ、と。
日本書紀は7世紀の女帝たちをモデルにして神功皇后を立て、遠征という筋書きの中に当世の政変を投影したと理解する向きが多いようです。
日本書紀の編纂者たちは邪馬台国のことなども良く知っていたようです。
今日ではヒミコが死んだ日まで分かっている、とか。
248年9月5日、皆既日食の日。
この日、スサノオから逃れてアマテラスは岩戸に隠れ、女官が女陰を突かれて死んだとされるが、死んだのはアマテラスで、その墓が箸墓だ、と。
邪馬台国が狗奴国との戦争に敗れたとき、ヒミコは殺された、と考えられます。
その死後、男の王が立ったが混乱は止まず、ヒミコの宗女として13歳のトヨが女王になり鎮まった、とか。
この辺になると、邪馬台国はどこにあったのか、神武東征の実際はどうだったのか、喧々諤々になり、記述の錯綜に手を焼きます。
本を何冊積んでも足らず、積めば積むほど、分かり難くなります。
研究者(?)たちは、自説と違うことを主張する人がいると、喧嘩腰になったり、クソミソに貶したりしているようです。
彼らの間には色々な系譜があり、どこにも組さない素人としては好みで我流のストーリーを探すしかなさそうです。
そんなとき、Wikipediaは探索のために重宝でしたが、その他にもネットで検索すると面白いサイトが幾つも見つかります。
たとえば
http://www.din.or.jp/~washi/yamataikoku/paper/index.html
は勉強になりました。
「国譲り」とか、邪馬台国東遷とか、他の文化圏への征伐とかでは、兵やその他の人々はどれくらいの規模で動いていたのか。
そんなことが気になったりしたのですが、どこにも、誰も触れていないらしく、そうすると愈々気になりました。
大型書店を覗くと色々な立場から新しい本が沢山出版されているのに驚きます。
ようやく行われるようになった古墳の発掘と考古学的研究によって人々の関心が大きくなっているのかもしれません。
偶々1冊、何気なく借りたのが切掛けで、立て続けに何冊かの本を拾い読みしました。
女王アマテラス
伝承が語る古代史III
小椋一葉(オグラカズハ)河出書房新社 1990
アマテラスとカタカナで書き、女王と呼んでいるのが気を引きました。
著者がどんな人か見当もつかなかったのですが、ネットで調べたら、
熱烈に尊敬しているという人がありました。
日本中の神社を観光して周り、伝承をそのまま受け入れているだけだと批評する人もありました。
アマテラスとスサノオは姉弟ではなく、夫婦だったのではないか、という説まで紹介してあります。
著者は、この本の前後に、
消された覇王
伝承が語るスサノオとニギハヤヒ
小椋一葉 河出書房新社 1988
箸墓の歌
邪馬台国と倭国の物語・完
小椋一葉 河出書房新社 2004
を出していることを知りました。
スサノオ→ニギハヤヒ→サルタヒコ→トヨウケ
という系譜の王家があったが、日本書紀を編纂した歴史の中で消されたということでした。
まだ読みこなしていないうちに
逆説の日本史1:古代黎明期 封印された「倭」の謎
井沢元彦 小学館 1993
と言う本が目につき、飛ばし読みをしていたら何故か小椋一葉の本も分かったような気になりました。
帯に、『卑弥呼は天照大神だった!』
とありました。
古代人の行動原理に「怨霊信仰」があることを伝承分析の切り口にしているのが特徴的です。
オオクニヌシが最初で最大の怨霊だと言っています。
出雲大社は「国譲り」の名で知られる部族間の戦いに勝った天孫族が、敗れた出雲族の長であるオオクニヌシを殺し、その怨霊が祟ることを懼れて祀っているのだ、と。
古代史の論争はどれも面白そうですが、容易に決着が付くと思えません。
触りの部分だけ分かれば好いのですが、文庫本や新書版もいろいろあり、どれを選べばいいか分かりません。
手ごろと値ごろな感じで
消された王権・物部氏の謎
オニの系譜から解く古代史
関 祐二 PHP文庫 2002
天孫降臨の謎
「日本書紀が封印した真実の歴史
関 祐二 PHP文庫 2007
天皇家はなぜ続いたのか
日本書紀に隠された王権成立の謎
梅沢恵美子 ベスト新書 2001
を読んでみました。
「日本書紀」は壬申の乱に勝利した天武が自らの正統性を主張するために編纂したというのが学界の通説だった、とか。
しかし、天武の亡き後、編纂事業を継承した持統と藤原不比等は、蘇我系の豪族が大きく貢献した壬申の乱の影を消し、書紀の性格を著しく変更したようです。
道教の「天皇大帝」を地上に降ろし、現人神として天皇を祭り上げることによって、それを支える藤原家が権力を一手に掌握し繁栄するというシステムを創ったのだ、と。
神武と崇神がハツクニシラスという同じ名前なのは同一人物だからだ、という解釈が有ることを知りました。
同じ人が幾つも名前を持っていたり、同じ名前だが違う人だとすべき場合も少なくなかったりするから複雑です。
天皇とか大王とかが、それぞれの年代ごとに違う人を指しているように、アマテラスやヒミコも、特定のひとりを指しているとは限らないと思われます。
最も過激な仮説は、アマテラスとヒミコが同一で、トヨウケとトヨと神功が同一だとするものでしょうか。
神功(=トヨ)が武内宿禰(=コトシロノヌシ)を従えて、ヒミコ(=アマテラス)を討った、という話になったのだ、と。
日本書紀は7世紀の女帝たちをモデルにして神功皇后を立て、遠征という筋書きの中に当世の政変を投影したと理解する向きが多いようです。
日本書紀の編纂者たちは邪馬台国のことなども良く知っていたようです。
今日ではヒミコが死んだ日まで分かっている、とか。
248年9月5日、皆既日食の日。
この日、スサノオから逃れてアマテラスは岩戸に隠れ、女官が女陰を突かれて死んだとされるが、死んだのはアマテラスで、その墓が箸墓だ、と。
邪馬台国が狗奴国との戦争に敗れたとき、ヒミコは殺された、と考えられます。
その死後、男の王が立ったが混乱は止まず、ヒミコの宗女として13歳のトヨが女王になり鎮まった、とか。
この辺になると、邪馬台国はどこにあったのか、神武東征の実際はどうだったのか、喧々諤々になり、記述の錯綜に手を焼きます。
本を何冊積んでも足らず、積めば積むほど、分かり難くなります。
研究者(?)たちは、自説と違うことを主張する人がいると、喧嘩腰になったり、クソミソに貶したりしているようです。
彼らの間には色々な系譜があり、どこにも組さない素人としては好みで我流のストーリーを探すしかなさそうです。
そんなとき、Wikipediaは探索のために重宝でしたが、その他にもネットで検索すると面白いサイトが幾つも見つかります。
たとえば
http://www.din.or.jp/~washi/yamataikoku/paper/index.html
は勉強になりました。
「国譲り」とか、邪馬台国東遷とか、他の文化圏への征伐とかでは、兵やその他の人々はどれくらいの規模で動いていたのか。
そんなことが気になったりしたのですが、どこにも、誰も触れていないらしく、そうすると愈々気になりました。