「神田の生まれ」「五月の鯉の吹流し」ばかりが江戸っ子ではない。最近の性格学に「タイプA」があって、その他が無い単極論の考え方があるが、分かり難い。
古典的で単純に過ぎるが「外向型」-「内向型」のように2つのタイプがあるとする類型をとって軸を導入すれば、どっちの極に注目するにしても理解を深め広げるのを助ける。
チャキチャキの江戸っ子をタイプAとすれば、別にタイプBがあり、むしろこの方に注目したい。
タイプAは元々少数派で、既に絶滅に瀕しているが、タイプBは江戸の多数派である。当たり前過ぎて目立たず、言及されることが少なかった。
タイプAが「吹流し」なのは、貧乏長屋に住み、全て隣に筒抜けでプライバシーがなく、腹に一物を持ったら隠しようが無いと覚悟し開き直っているからである。
その隣に住んでいるタイプBをAと比較すれば、その暮し方が見えてくる。目立たないのは、自らそれを恐れるからでもあり、細々と隠れるように暮らし、短命である。
何がしかの技術を身につけても、特に抜き出ることなく、多くは人に使われる職人として生計を立てる。「偏屈」「変人」「奇人」などと呼ばれた人もあるが、特徴のない多数派だからこそ目立てばそのように言われ、それが職人気質の典型だとされる。
タイプAが「粋」で「威勢」が良く、タイプBはそれを羨ましいとしながら「意気」が揚がらず内にこもりやすい。
今日、「フリーター」や「ニート」と呼ばれ、定職に就けないでいる若い人たち、いつまでも「自分探し」をしていて「これが自分の職業だ」という選択決定が出来ない人たちは、江戸っ子のタイプBの気質を受け継いでいるのではないだろうか。
職業の有無では異なるが、校教育依存が進む余りに叩上げの職能を身につけるという社会習慣が消えたからである。
学校教育を終える段になって就職先が見つからなくても、職人として自立する考え方を受け入れられない。
「フリーター」たちがタイプBの子孫なら、その親も当然タイプBの子孫である。親の世代は、サラリーマンとして職に就き、あるいはサラリーマンと結婚して生活してきた人たちであって、タイプBのもっと近い子孫である。
多くは特に偏屈でなく、変人・奇人と言われることもない。
江戸のタイプBは老いるまで生きられなかったが、今日のタイプBには老いに気づき鬱々として人生を振り返る機会が与えられる。
さらにその親たちの恵まれなかった気性を自分たちが受け継いだと考え、不幸な社会変動で抑えつけられてばかりだったと考えている大勢の人たちは、江戸のタイプBに通じるところに想いを馳せることができるのではなかろうか。
しかしもし、自分の憂鬱の源を祖先に求めて遡れば、祖父たちもそうだったと思い当たり、辿れる限り「抑うつ」の気性が受け継がれていると思い当たることが出来たりする。
それは諺にのせられて、遠い祖先の誰かが坊主を殺し、その祟りが今に続いていると信じるようなものであろう。
実のところ、タイプA-Bの軸は、外向-内向の2極的特性を江戸-東京の文脈で解釈してみただけである。
「外向型」は心的エネルギーが自己の外に向いているのであり、「内向型」はそれが内に向いているのであるとか。
ニュートンの力学に倣って心理学を開拓してきた時代にはそれでよかったが、物理学や生理学が古典時代を脱して1世紀有余を経ても「心的エネルギー」と言うのはどんなものだろうか。
こんな風にブログを書いてみると、徒然に書いているようでブログは落書きとも日記とも違い、心理学者たちが言う「作業記憶」そのもののように思えてくる。
下書きの段階で少し推敲するのをコントロールと看做せば作業仮説のようだ。
あるいは偶々目に留めてくれる人があればだが、帰無仮説のようなものだと思われる。
古典的で単純に過ぎるが「外向型」-「内向型」のように2つのタイプがあるとする類型をとって軸を導入すれば、どっちの極に注目するにしても理解を深め広げるのを助ける。
チャキチャキの江戸っ子をタイプAとすれば、別にタイプBがあり、むしろこの方に注目したい。
タイプAは元々少数派で、既に絶滅に瀕しているが、タイプBは江戸の多数派である。当たり前過ぎて目立たず、言及されることが少なかった。
タイプAが「吹流し」なのは、貧乏長屋に住み、全て隣に筒抜けでプライバシーがなく、腹に一物を持ったら隠しようが無いと覚悟し開き直っているからである。
その隣に住んでいるタイプBをAと比較すれば、その暮し方が見えてくる。目立たないのは、自らそれを恐れるからでもあり、細々と隠れるように暮らし、短命である。
何がしかの技術を身につけても、特に抜き出ることなく、多くは人に使われる職人として生計を立てる。「偏屈」「変人」「奇人」などと呼ばれた人もあるが、特徴のない多数派だからこそ目立てばそのように言われ、それが職人気質の典型だとされる。
タイプAが「粋」で「威勢」が良く、タイプBはそれを羨ましいとしながら「意気」が揚がらず内にこもりやすい。
今日、「フリーター」や「ニート」と呼ばれ、定職に就けないでいる若い人たち、いつまでも「自分探し」をしていて「これが自分の職業だ」という選択決定が出来ない人たちは、江戸っ子のタイプBの気質を受け継いでいるのではないだろうか。
職業の有無では異なるが、校教育依存が進む余りに叩上げの職能を身につけるという社会習慣が消えたからである。
学校教育を終える段になって就職先が見つからなくても、職人として自立する考え方を受け入れられない。
「フリーター」たちがタイプBの子孫なら、その親も当然タイプBの子孫である。親の世代は、サラリーマンとして職に就き、あるいはサラリーマンと結婚して生活してきた人たちであって、タイプBのもっと近い子孫である。
多くは特に偏屈でなく、変人・奇人と言われることもない。
江戸のタイプBは老いるまで生きられなかったが、今日のタイプBには老いに気づき鬱々として人生を振り返る機会が与えられる。
さらにその親たちの恵まれなかった気性を自分たちが受け継いだと考え、不幸な社会変動で抑えつけられてばかりだったと考えている大勢の人たちは、江戸のタイプBに通じるところに想いを馳せることができるのではなかろうか。
しかしもし、自分の憂鬱の源を祖先に求めて遡れば、祖父たちもそうだったと思い当たり、辿れる限り「抑うつ」の気性が受け継がれていると思い当たることが出来たりする。
それは諺にのせられて、遠い祖先の誰かが坊主を殺し、その祟りが今に続いていると信じるようなものであろう。
実のところ、タイプA-Bの軸は、外向-内向の2極的特性を江戸-東京の文脈で解釈してみただけである。
「外向型」は心的エネルギーが自己の外に向いているのであり、「内向型」はそれが内に向いているのであるとか。
ニュートンの力学に倣って心理学を開拓してきた時代にはそれでよかったが、物理学や生理学が古典時代を脱して1世紀有余を経ても「心的エネルギー」と言うのはどんなものだろうか。
こんな風にブログを書いてみると、徒然に書いているようでブログは落書きとも日記とも違い、心理学者たちが言う「作業記憶」そのもののように思えてくる。
下書きの段階で少し推敲するのをコントロールと看做せば作業仮説のようだ。
あるいは偶々目に留めてくれる人があればだが、帰無仮説のようなものだと思われる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます