ブランデンブルクの鷲
第27回 大ドイツ同盟 (1669年 - 1678年)
今回は内政一本でいきます。
まず始めに新たに獲得した北米植民地へ
宣教師を派遣。フランス文化なので
成功率は3割以下ですが人口が少ないので
改宗費用もそんなにかかりませんでした。
ただし改宗期間は100ヶ月以上ですが。
文化も宗教も違い、おまけに人口も少ないので
徴兵可能数が0という今の状況は変えねば。
11月、ランダムイベントにより
研究投資1000D分を貿易・インフラで獲得。
今までに失った分は取り戻せたかな。
1670年、新将軍ヘッセン・ホンブルク方伯を獲得。
階級は少将で、白兵戦能力が特に優れています。
もっとも、当分出番はないと思いますが…。
1671年、北米植民地諸州に要塞を建設。
また入植者も派遣しています。
5月にはスウェーデンと婚姻関係を結ぶ。
1672年5月、シャウィニガンを都市化。
徴税所を建設します。
1673年、本国での役人昇格がほぼ終了したので
植民地の市長を知事に昇格し始めます。
1674年3月、イロコイ領アレゲニーの反乱軍が
我が国へ亡命してきました。人口7000の都市を
ただで獲得。( ^ω^)ラッキー
11月、ランダムイベントにより中央集権が-1。
きりが悪いので戻すのは次回の初めに。
1675年12月、ハノーファーとアンスバッハで
要塞規模が上昇。こういうお金のかかることが
イベントで片付くと慈雨にいい気分ですね。
1676年、「アウグスブルク同盟」にて
フランスの主張を拒み、大義名分を獲得。
まあ、もうそんなの必要ないのですが。
むしろ他の4国との関係改善のほうが重要。
4月、オーストリア領ブラバントが亡命。
オランダ文化でカトリックですが、
それでも税額が高く、かなり得をしました。
6月、ポーハタンを都市化。
11月、陸軍技術24を獲得。
さらに12月には海軍技術13を獲得しました。
1677年1月、ルクセンブルクへ宣教師を派遣。
成功率は57%でした。派遣の理由は費用が
およそ270Dと比較的安かったからです。
6、7月にかけて旧フランス植民地の改宗が終了。
スタダコーン以外の2州は失敗し暴動に。
まあ一番費用が高かったスタダコーンを
改宗できたので、まあまあ成功ってことで。
11月、オーストリア・ヴュルテンベルクの
軍事同盟に参加。10年後に失効したら
ブランデンブルクが盟主になってやろうかな。
1678年1月、再び北米へ宣教師を派遣。
2人あわせて100D以下でした。成功率は29%。
11月、ヘッセン・ホンブルク方伯死亡。
結局一度も使わなかった…。寿命短いよ。
その後、旧バイエルンの市長を
知事に昇格し忘れていたのに気づき
国庫にお金を入れて昇格費用を捻出。
知事がいるので、少々国庫にお金を入れても
インフレは数年で解消されるようになりました。
また、北米へ入植者を送ったりしながら終了。
この10年で施設建築、役人昇格を行った結果
北米植民地は大きく発展し、人口は微増しただけですが
年始の収入は500D以上にもなり、まさに
ブランデンブルクは黄金時代を謳歌しています。
イングランドを見ると…
フランスにコテンパンにやられていた。
同盟に参加しなくてよかった。
また、オーストリアがヴュルテンブルクを
併合していました。同盟失効後に
攻め込もうと思っていたのですが…。
またフランスと結んでオーストリアと戦おうかな。
つづく
第27回 大ドイツ同盟 (1669年 - 1678年)
今回は内政一本でいきます。
まず始めに新たに獲得した北米植民地へ
宣教師を派遣。フランス文化なので
成功率は3割以下ですが人口が少ないので
改宗費用もそんなにかかりませんでした。
ただし改宗期間は100ヶ月以上ですが。
文化も宗教も違い、おまけに人口も少ないので
徴兵可能数が0という今の状況は変えねば。
11月、ランダムイベントにより
研究投資1000D分を貿易・インフラで獲得。
今までに失った分は取り戻せたかな。
1670年、新将軍ヘッセン・ホンブルク方伯を獲得。
階級は少将で、白兵戦能力が特に優れています。
もっとも、当分出番はないと思いますが…。
1671年、北米植民地諸州に要塞を建設。
また入植者も派遣しています。
5月にはスウェーデンと婚姻関係を結ぶ。
1672年5月、シャウィニガンを都市化。
徴税所を建設します。
1673年、本国での役人昇格がほぼ終了したので
植民地の市長を知事に昇格し始めます。
1674年3月、イロコイ領アレゲニーの反乱軍が
我が国へ亡命してきました。人口7000の都市を
ただで獲得。( ^ω^)ラッキー
11月、ランダムイベントにより中央集権が-1。
きりが悪いので戻すのは次回の初めに。
1675年12月、ハノーファーとアンスバッハで
要塞規模が上昇。こういうお金のかかることが
イベントで片付くと慈雨にいい気分ですね。
1676年、「アウグスブルク同盟」にて
フランスの主張を拒み、大義名分を獲得。
まあ、もうそんなの必要ないのですが。
むしろ他の4国との関係改善のほうが重要。
4月、オーストリア領ブラバントが亡命。
オランダ文化でカトリックですが、
それでも税額が高く、かなり得をしました。
6月、ポーハタンを都市化。
11月、陸軍技術24を獲得。
さらに12月には海軍技術13を獲得しました。
1677年1月、ルクセンブルクへ宣教師を派遣。
成功率は57%でした。派遣の理由は費用が
およそ270Dと比較的安かったからです。
6、7月にかけて旧フランス植民地の改宗が終了。
スタダコーン以外の2州は失敗し暴動に。
まあ一番費用が高かったスタダコーンを
改宗できたので、まあまあ成功ってことで。
11月、オーストリア・ヴュルテンベルクの
軍事同盟に参加。10年後に失効したら
ブランデンブルクが盟主になってやろうかな。
1678年1月、再び北米へ宣教師を派遣。
2人あわせて100D以下でした。成功率は29%。
11月、ヘッセン・ホンブルク方伯死亡。
結局一度も使わなかった…。寿命短いよ。
その後、旧バイエルンの市長を
知事に昇格し忘れていたのに気づき
国庫にお金を入れて昇格費用を捻出。
知事がいるので、少々国庫にお金を入れても
インフレは数年で解消されるようになりました。
また、北米へ入植者を送ったりしながら終了。
この10年で施設建築、役人昇格を行った結果
北米植民地は大きく発展し、人口は微増しただけですが
年始の収入は500D以上にもなり、まさに
ブランデンブルクは黄金時代を謳歌しています。
イングランドを見ると…
フランスにコテンパンにやられていた。
同盟に参加しなくてよかった。
また、オーストリアがヴュルテンブルクを
併合していました。同盟失効後に
攻め込もうと思っていたのですが…。
またフランスと結んでオーストリアと戦おうかな。
つづく