徒然雑草

暇をもて余すままに心に浮かんでくるつまらないことを書いてみるブログです

クルセイダーキングス デウスウルト!

2008年03月24日 22時54分54秒 | Paradox
またプレイ記書くとか言った割にまた放置してますが、
新しくPCゲームを買ってないからしょうがないのだ。
お気に入りのパラドックスゲームのプレイ記も
同じゲームばっかりだと新鮮味もないし。
(実はXBOX360の方を一生懸命やってるのは秘密だ)

でも、そんな私に朗報!
来たる3月28日にサイバーフロントから
クルセイダーキングスの拡張版デウスウルトが
完全日本語版として発売されるのです。
公式サイト

てなわけで近々こいつを入手したら
無印版との違いとかに触れつつプレイ記を書いていきたいなー
と思っております。やる国はどこにしようかな。
いまのところフランスとかイタリアの伯領を予定してます。
ワクワク。

EU2 ブランデンブルクの鷲 (30)

2007年12月12日 19時43分33秒 | Paradox
ブランデンブルクの鷲
最終回 ドイツ統一
(1699年 - )

今回でついに18世紀。小ドイツ統一を
成し遂げるためにオーストリアと戦争して、
ヴュルテンベルクを割譲させるつもり。
ついでにズデーテンも頂けるといいな。



1月、ヴュルツブルクへ宣教師を派遣。
またオーストリア攻撃へ向けて
歩兵隊の増産を開始します。ついでに騎兵も少し。

1700年11月にはヨーロッパ諸国で
スペイン継承戦争に関するイベントが発生しましたが
ブランデンブルクには関係なし。
フランスと関係を上げていきます。



1701年1月、プロイセン王国イベント発生。
ブランデンブルクはこれよりプロイセンとなる!
北ドイツ一帯が中核州となり、国旗も変化。





さようなら赤鷲、そしてこんにちは黒鷲。
バグ回避のためセーブ&ロード。

4月、クレーフェでの改宗は失敗。
また、7月には将軍フォン・デッサウが死亡。
使おうと思っていたのに…。



しかも9月にはフリードリヒ1世も使用不能に。
ガガガ…ナンテコッタイ/(^o^)\ こうなると
オーストリアとの戦争は延期せざるを得ません。



と思っていたら1702年1月、
フリードリヒ1世とフォン・デッサウが復活。
国家変更による混乱のひとつだったらしい。
…取り乱した自分が馬鹿みたいなんですが。



4月、ヴュルツブルクで改宗失敗。
オスウェゴに宣教師を派遣します。



1703年1月、バンゴールに宣教師を派遣。
また両方とも失敗しました。
なんだかもう面倒くさいので放置しようかな。



このムカムカした気分をスカッとさせるために
オーストリアへ2月、宣戦布告。



同盟国へ参戦を求めます。
オーストリアの同盟国ポーランドとロシアは
敗戦必至とみて軍事同盟から脱退。
ふふ、いい判断だよ。



一気にかたをつけてやる。

敵軍はほとんど国境にいなかったので
各地で包囲戦が始まりました。
実はオーストリアはスペインや
ウズベキスタン、アストラハンなどと戦争中。
軍はあらかたそっちへ行っていたのです。



4月にはウィーンを包囲。
また、6月にはタスカローラの改宗に成功。
文化もイロコイからドイツへと変化しました。
味を占めてケンタッキーへ宣教師を派遣。



7月、ヴュルテンベルクとプレシュポロク攻略。
ズデーテンとザルツブルクへ兵を向けます。



11月、ザルツブルク攻略!
ええい、ズデーテンはまだ落ちぬのか!



12月、サスケハナの改宗に失敗。
また同月、ティロルを攻略。



1702年2月、ズデーテン攻略。
同盟主フランスが勝手な和平を結ばないうちに
さっさと講和を結びます。



しかしこの提案は拒否されました。
よろしい、ならばウィーンへ突撃だ!





4月、ウィーン攻略。俺TUEEEEEEEEE!!
オーストリアはかなりの痛手を受けました。
戦果ポイントは68%に上昇。





5月、プレシュポロクの会戦でプロイセン軍が勝利。
オーストリア軍の背骨を叩き折り、
戦争の勝敗を決定付けました。(と脳内補完)



かくして7月、オーストリアはヴュルテンベルク、
ズデーテン、オストマルクの割譲要求を受諾し、
ここに小ドイツ統一を達成!
ついでにベーメン全域を領有。




その後、フリードリヒ1世は支配下の諸侯の
推戴を受けてドイツ皇帝を名乗り、
ここに神聖ローマ帝国は崩壊、ドイツ帝国が誕生した。
北米のドイツ植民地は西進を続けて拡大し
本国に莫大な富をもたらしたが、18世紀後半に独立した。
しかし、ドイツの覇権は揺らぐことなく、
その後の帝国主義の時代でもドイツは世界一の列強として
繁栄を極めることになるのであった。



というわけで、最初の目標だった
「ドイツの統一」を成し遂げられたので
まだ100年ほど残っていますが
きりのいいこの辺りでこのプレイ記も
終わりにしたいと思います。
いままでありがとうございました!



おまけ



勝利ポイント順位。プロイセンが1位!

EU2 ブランデンブルクの鷲 (29)

2007年12月10日 22時39分16秒 | Paradox
ブランデンブルクの鷲
第29回 イロコイ征服
(1689年 - 1698年)



1689年1月、ミュンスターとバスローランサンへ
宣教師を派遣。これで年始の収入は消えた…。
研究スライダーをいじって収入を得ます。



5月、陸軍技術26を獲得。
レベル5の要塞が建設可能になり、戦闘能力が上昇。



6月、タイコンデローガを都市化。
これで新たに都市化できる植民地はなくなりました。
さらに拡大するにはイロコイなど
隣接する現地国家を殴らないと。



1690年1月、新司令官フォン・デッサウ登場。
能力は4/5/5/2と超がつくほど優秀。
こいつを使わないのは損って物だ。
オーストリアと戦う時に使わせてもらいます。



10月、エルザスの改宗にやっと成功。
何回目で成功したんだっけ?4回かな。
翌月にはアレゲニーへ宣教師を派遣。



1691年1月、イロコイとイングランドが戦争状態に。
ちょうどいいので来年ぐらいにイロコイが
弱まったら宣戦布告することにします。



2月、870Dの巨費を投じ、アンスバッハへ宣教師を派遣。
約2年分の国家予算なので成功して欲しい…。



1692年3月、フランスと軍事同盟締結。
他の参加国はスウェーデン、フランドル、クリーク。
ゴトランドと戦争状態になりましたが、
これは別に放置しといていいでしょう。



4月、ミュンスターの改宗に成功。
フリードリヒ1世の統治スキルが役に立っています。



6月、イロコイに対して宣戦布告。
イロコイの属国ヒューロンとも戦争状態に。
開戦理由が無いので安定度が-2。
同盟国への参戦は求めませんでした。



長い戦線。6万の軍勢を投入します。



まあヨーロッパの鉄砲と原住民の槍では
どちらが強いかは明らか。
2倍の敵軍を前にしてこの余裕。
敵は火器を前にパニック状態に陥ってます。

10月末にはヒューロンへ賠償金を払わせて和平。
もともとの狙いはイロコイの領地ですので、
さっさともぎ取ってしまうことにします。



突撃すれば必ず落とせる敵要塞。
原住民いじめは楽しいなあ(ぉ



1693年6月。敵の州を8つほど攻略したところ。
次は首都モホークを落として、
4、5州の割譲を要求するつもりです。



1694年1月、モホークを落とし、未知の土地であった
アイロンデコイトを発見しこれも攻略。
しかしイロコイは5州割譲要求に応じませんでした。
仕方が無いのでもうすこし戦争を継続。



4月、アンスバッハでの改宗が失敗。
嗚呼、870Dが無駄に。諦めずに再派遣します。



7月、マイアミを占領しイロコイの領土は
全て占領…したはずなのですが戦果ポイントが
100%になっていません。まだどこかに未占領州が?



12月、フリーセンが我が国へ亡命。
こういう反乱軍なら大歓迎、大歓迎。
ただ、たまに隣国の反乱軍が自国に
流れてくることがあるので油断は禁物。



1695年4月、イロコイ軍の残党を追い掛け回して
戦果ポイントを稼いだおかげで、オスウェゴ、
サスケハナ、タスカローラ、シェナンドア、
ケンタッキーの5州割譲と賠償金50Dの要求を
イロコイが受諾。かくしてブランデンブルクの
北米南北植民地が地続きとなりました。



さっそく徴税所を建設開始。
ちなみに開戦時6万だった軍は
この時1万ほどになっていました。

9月、バスローランサンでの改宗はまたも失敗。
人口が増えて都市の格が上がったため、
改宗費用は5倍くらい増えていましたが、
また宣教師を派遣します。

1696年5月、バンゴールでも改宗は失敗。
まあこっちは人口が少なくてよかった…
ん?



文化がフランスからドイツになってる。
よく分かりませんが成功率が上がったので期待。



また同月、タスカローラへも宣教師を派遣。
異教は他の宗教に比べて改宗成功率が高く、
60%超の成功率。うまくいきますように><



1697年1月、サスケハナへ宣教師派遣。
人口が多く改宗費用も高いので
年に1度が限度…。他の獲得州には
施設でも建てて時間を潰します。



9月、アンスバッハの改宗に成功!
これで消えた1700Dも浮かばれる。



1698年1月、クレーフェへ宣教師を派遣。
費用の高いところから順に潰していく計画です。
今回は870Dで成功率48%。うう…。
翌月、アレゲニーでの改宗に失敗。
国庫から費用を捻出してまた派遣。

その後は部隊を生産したりしながら終了。
ふう、改宗がいつまでたっても終わらない…。
ちなみにゴトランドとの戦争は
フランスが彼の国を併合して終結していました。

つづく

EU2 ブランデンブルクの鷲 (28)

2007年12月08日 23時07分29秒 | Paradox
ブランデンブルクの鷲
第28回 ドイツ西方植民
(1679年 - 1688年)

内政改革で中央集権化へ1つ動かし、
再びスライダーを振り切りました。



1月、アレゲニーへ宣教師を派遣。
カトリックからプロテスタントへ改宗させます。
またアパラシェへ入植者を派遣し、
シャウィニガンの弁護士を裁判長に。



1680年1月、エルザスへまたまた宣教師を派遣。
カトリックを殲滅セヨ!殲滅セヨ!




同月、オーストリアより軍事同盟履行要求。
オーストリアに付き合ってる暇は無いので拒否。
安定度が低下し、オーストリアが大義名分を得ました。



12月にはイル・ド・フランスの交易地独占権を獲得。



1681年1月、ルイ14世の新教徒弾圧政策により
フランスからドイツへ亡命者が流入。
その多くは新大陸へ。人口と税額が増えました。



5月、セバゴを都市化。植民地のままの州も
残すところあと2つとなりました。徴税所を建設。

10月、フランスから貿易禁止を受けました。
ちょっと独占しすぎたかな。大義名分を獲得。




1682年1月、アフリカ貿易会社設立。
ホルシュタインでブランデンブルク初の探検家を獲得。
世界一周の旅に出てもらうことにします。



5月、ルクセンブルクの改宗に成功。



1683年1月、スヴェアランドの交易中心地が消滅し、
ダンツィヒを中心とする交易圏が拡大。
独占国ブランデンブルクの利益も増えました。



7月、アパラシェの都市化を完了し、
徴税所を建設開始。残る植民地は1つとなり、
入植者を派遣します。また北米植民地拡大のために
現地国家と戦うつもりですので、
数年をかけて植民地軍を倍増させます。



翌月、探検家が航海中に死亡。
長旅による消耗で船が沈没したのです。
ブランデンブルクの東方探検はこれでストップ。
いくつかの海域を発見しただけでした。
まあ、新大陸があるからいいや。



1685年1月、新将軍としてフリードリヒ1世登場。
指揮能力は3で、攻城戦向きタイプ。
まあ出番はまだまだ先でしょうね。



5月、エルザスの改宗にまたまた失敗。
しぶといなあ。こうなりゃ意地でも改宗させてやる。
すぐに次の宣教師を派遣します。



9月には陸軍技術25を獲得。



1686年8月、バンゴール、バスローランサンでの
改宗は失敗し、暴動が発生。めげずにまた派遣…
する前に施設を建てておくことにします。



12月、貿易レベル6を獲得。
実はブランデンブルクの技術は
世界最先端レベルだったりします。
海軍はぜんぜん研究してませんが。



1687年、バンゴールへ宣教師を派遣。
また、フランスに贈り物を送って関係を改善。



1688年4月、アレゲニーの改宗は失敗。
暴動を鎮圧し、施設を建設…。



5月、新君主フリードリヒ1世即位。
皇帝位はオーストリアのレオポルト1世が獲得。
スキルは外交、統治、軍事、全てが緑色。
名君が続くのは素晴らしいですね。



11月にはさらに能力+3補正が。
統治スキルが上がったので改宗成功率も上昇。
来年に送り込むことにします。

その後はとくに何もせずにこの10年も終了。
植民地タイコンデローガもレベル9となり、
次回はイロコイとかに攻め込む予定。

つづく

EU2 ブランデンブルクの鷲 (27)

2007年12月05日 23時53分48秒 | Paradox
ブランデンブルクの鷲
第27回 大ドイツ同盟
(1669年 - 1678年)

今回は内政一本でいきます。
まず始めに新たに獲得した北米植民地へ
宣教師を派遣。フランス文化なので
成功率は3割以下ですが人口が少ないので
改宗費用もそんなにかかりませんでした。



ただし改宗期間は100ヶ月以上ですが。
文化も宗教も違い、おまけに人口も少ないので
徴兵可能数が0という今の状況は変えねば。



11月、ランダムイベントにより
研究投資1000D分を貿易・インフラで獲得。
今までに失った分は取り戻せたかな。



1670年、新将軍ヘッセン・ホンブルク方伯を獲得。
階級は少将で、白兵戦能力が特に優れています。
もっとも、当分出番はないと思いますが…。



1671年、北米植民地諸州に要塞を建設。
また入植者も派遣しています。
5月にはスウェーデンと婚姻関係を結ぶ。



1672年5月、シャウィニガンを都市化。
徴税所を建設します。



1673年、本国での役人昇格がほぼ終了したので
植民地の市長を知事に昇格し始めます。



1674年3月、イロコイ領アレゲニーの反乱軍が
我が国へ亡命してきました。人口7000の都市を
ただで獲得。( ^ω^)ラッキー



11月、ランダムイベントにより中央集権が-1。
きりが悪いので戻すのは次回の初めに。



1675年12月、ハノーファーとアンスバッハで
要塞規模が上昇。こういうお金のかかることが
イベントで片付くと慈雨にいい気分ですね。



1676年、「アウグスブルク同盟」にて
フランスの主張を拒み、大義名分を獲得。
まあ、もうそんなの必要ないのですが。
むしろ他の4国との関係改善のほうが重要。



4月、オーストリア領ブラバントが亡命。
オランダ文化でカトリックですが、
それでも税額が高く、かなり得をしました。
6月、ポーハタンを都市化。



11月、陸軍技術24を獲得。
さらに12月には海軍技術13を獲得しました。



1677年1月、ルクセンブルクへ宣教師を派遣。
成功率は57%でした。派遣の理由は費用が
およそ270Dと比較的安かったからです。



6、7月にかけて旧フランス植民地の改宗が終了。
スタダコーン以外の2州は失敗し暴動に。
まあ一番費用が高かったスタダコーンを
改宗できたので、まあまあ成功ってことで。



11月、オーストリア・ヴュルテンベルクの
軍事同盟に参加。10年後に失効したら
ブランデンブルクが盟主になってやろうかな。



1678年1月、再び北米へ宣教師を派遣。
2人あわせて100D以下でした。成功率は29%。



11月、ヘッセン・ホンブルク方伯死亡。
結局一度も使わなかった…。寿命短いよ。

その後、旧バイエルンの市長を
知事に昇格し忘れていたのに気づき
国庫にお金を入れて昇格費用を捻出。
知事がいるので、少々国庫にお金を入れても
インフレは数年で解消されるようになりました。



また、北米へ入植者を送ったりしながら終了。
この10年で施設建築、役人昇格を行った結果
北米植民地は大きく発展し、人口は微増しただけですが
年始の収入は500D以上にもなり、まさに
ブランデンブルクは黄金時代を謳歌しています。



イングランドを見ると…
フランスにコテンパンにやられていた。
同盟に参加しなくてよかった。



また、オーストリアがヴュルテンブルクを
併合していました。同盟失効後に
攻め込もうと思っていたのですが…。
またフランスと結んでオーストリアと戦おうかな。

つづく

EU2 ブランデンブルクの鷲 (26)

2007年12月03日 21時55分40秒 | Paradox
ブランデンブルクの鷲
第26回 三年戦争
(1659年 - 1668年)

内政スライダーを海軍主義へ。
これで年毎の入植者獲得は2人となりました。
これ以上は動かさなくてもいいでしょう。

今回は対フランス戦を行う予定。
ブランデンブルク単独では厳しいので
オーストリアと組みたいところ。
併合で下がった関係を上げていきます。



1660年1月、陸軍技術21を獲得。
レベル4の要塞を建設可能に。
陸軍技術へ最大投資して、フランスの
レベル22へ追いついたら開戦することにしよう。



12月、そんなことを考えていたら
将軍フリードリヒ・ヴィルヘルムが
使えなくなってしまった…orz
優秀な将軍を失うのは痛いなあ。
なに、まだデアフリンガーがいるさ。

同月、デンマークより軍事同盟提案。
イングランドも参加していましたが拒否。
英国陸軍の使えなさは知ってるから…。



1661年、オーストリアとの関係改善を
行おうとすると、なんとオスマン帝国と戦争状態に。
これでオーストリアの属する教皇領が盟主の同盟が
失効するのは10年後に延びてしまいました。
対仏同盟戦略もこれまでか…。



1662年2月、陸軍技術22を獲得。
この時期は軍隊の発展期なのかな。
ともあれ、フランスに技術で追いついたので
陸軍維持費を最大に引き上げます。



1663年3月、フランスに対して宣戦布告。
大義名分は得ているので安定度低下は無し。
スウェーデンやフランドルなどが敵として参戦。



目標はルクセンブルクとブレーメン。
国境がなぜかがら空きなので遠慮せずに領内へ進軍。



戦場はヨーロッパだけではありません。
北米でもフランスへ攻撃を仕掛けます。



開戦2ヶ月。国境の都市を包囲中。
メクレンブルクではスウェーデン軍に敗れ、
街を包囲されています。この後
突撃によってブレーメンを落とし、
その軍をホルシュタイン包囲へ向かわせます。



9月、シャンパーニュ攻略。
イル・ド・フランスへ進軍し、パリを包囲します。



11月、フランシュコンテ攻略。
ニエーヴルの包囲へ部隊を参加させます。



順調なヨーロッパ戦線とは違って植民地では
ブランデンブルク軍は少し劣勢。
アパラシェの交易所を焼かれ、
北東アメリカでは逆に攻め込まれつつあります。
植民地は人口が少ないので徴兵も少しずつしか
行えないのでどうもやりにくいです。



1663年6月、オルレアン、ルクセンブルク攻略。
パリの包囲は失敗し、ブレーメンを奪い返されました。
この時点でブランデンブルク軍の占領はストップ。
占領地の維持に奔走することになります。



北米ではフランス軍をスタダコーンへ追い詰め、
その間に別働隊が要塞の無いフランス植民地を占領。
あと少しで北東アメリカを制圧できそうです。



11月、スタダコーンのフランス軍を撃破。
これで北米における戦局は決定的に。



1664年2月、ファルツがプロテスタントに改宗。
ブレーメン・パリを再び包囲します。



5月、ブレーメンの攻略に成功。
すぐにホルシュタイを包囲しに向かいます。
一方、パリの包囲はまたも失敗しました。



1665年9月、ホルシュタインを攻略。
ユトランドへと進軍します。
フランスでは占領中の都市を
フランスに落とされないように
士気の落ちた敵軍を狙って野戦で撃破。



1666年2月、デンマークより通行許可を得、
またズンド海にて海戦に勝利し、
海峡の通行権を奪取しスウェーデン本土へ進軍。

10月、スコーネへ進軍したブランデンブルク軍
1万7千はスウェーデン軍4万以上に対して
果敢に戦うも最後に敗れ、全滅。
これ以上スウェーデンと戦うのは不可能。
ホルシュタインの割譲を提案し、
スウェーデンはこれを受諾。



そしてフランスにも和平を提案。
ブレーメン、ルクセンブルクに加えて
北米植民地スタダコーン、バスサンローラン、
バンゴールの割譲を要求し、フランスは受諾。







かくして3年にわたった戦争は終結。
ホルシュタインの攻略に手間取ったので
これだけかかりましたが、もしホルシュタインが
独立していたら年かそこらで終わったでしょうね。
北ドイツ州の回収に成功し、北米での勢力も拡大。

実は、フランスでも軍を深入りさせすぎて
全滅させてしまっています(;^ω^)
それでも1ヶ月もあれば再建できるのが
ブランデンブルククオリティ。
全滅した部隊の司令官は帰ってこないけどね…。

1667年、軍隊の再建と各種施設を建設。
また、アパラシェを再び植民地にすべく
入植者を派遣。本当は交易所をまず立てる気
だったのですが、間違ってクリックしてしまったorz



1668年には陸軍技術23を獲得しました。

その後、陸軍部隊を生産しながら終了。
残りは南ドイツの平定とドイツ統一の達成だけですね。

つづく

EU2 ブランデンブルクの鷲 (25)

2007年12月01日 22時18分01秒 | Paradox
ブランデンブルクの鷲
第25回 北米探検
(1649年 - 1658年)

史実では三十年戦争が起きたドイツも
ブランデンブルクの統合によって
たいした内乱も起こらず、平和に時が過ぎています。



内政改革では海軍主義へ1つ変更。
入植者を得るためです。
これで年毎に1.8人へ増加。
ベーメンとダンツィヒで市長を昇格。



8月、ザクセンで征服者と入植者を獲得。
もう探検する場所ないのにな…。
カナダにでも派遣しようか。



1650年5月、カタウバを都市化。都市名リンチバーグ。
こういう都市名は国ごとに用意されているのですが
ドイツはこの時代、海外に進出しなかったので
あまりバリエーションがありません。
「フォールグロッサークルフュルスト」の名が
いくつもの都市につけられているのに違和感…。





9月、陸軍技術20を獲得。また、征服者ガートウを
イングランド領カナダへ派遣し、カナダ探検の旅へ。



1651年1月、エルザスへ宣教師を派遣。
今度こそ成功して欲しい。



6月、セバゴで反乱が発生し、
1000人の歩兵隊を派遣して鎮圧。



1652年2月、安定度を優先して「輸出を許可」。
結果75Dを支払い、財政難に。
国庫へ入れる金を増やして乗り切らないと。
収入・支出ともに増えたのであんまり
金持ちって気がしない…。ちなみに現在、
年始の収入は350Dくらい。



1653年2月、その埋め合わせだろうか
「国への贈り物」で300Dを獲得。
これで要塞を建設し、入植者を派遣。



11月、ガートウ率いるカナダ探検隊が
ダルースを領するダコタを発見、外交関係を結ぶ。



1654年1月、陸軍大将フォン・デアフリンガー登場。
能力値は…左から3・5・4・1。超優秀じゃないか。
その代わりシャウィニガンを発見した
征服者フランソワがこの年に死亡。



6月、「寛容令」発生。トルデシリャス条約が失効し、
宗教改革による対立は解消され、
カトリック国との婚姻関係締結や併合も行えるように。



というわけで早速バイエルンを併合。
100年以上にわたる属国支配をしていたので
成功確率はかなり高かったはず。
バイエルンの軍隊をそのままゲット。



1655年4月、ガートウの探検隊が北米を縦断して
フランス領モビールへ到着。
はじめ1500人いた部隊は21人に減っていました。
騎兵隊1000人を新たに加えてまた探検へ。

1656年1月、将軍フォン・シュパール死亡。
ああ、勿体無い…一回ぐらい使っておけば。



4月、エルザスの改宗はまたも失敗。
はあ…。もういいか、カトリックのままでも。



9月、メガンティックを都市化。
各種施設を建てるのは来年度に回します。
また12月、フランスから得ていた
軍隊通行許可を返却し、安定度が低下。



1657年10月、人口が急増し入植希望者が続出。
植民地設立の勅許状を与えると入植者が+3。
すでに上限の6人までいるので勅許状は与えず。
結果首都の人口が5000人増加。



1658年7月、皇帝フェルディナント3世死去。
ブランデンブルクのフリードリヒ・ヴィルヘルムが
新皇帝に選ばれました。ハイル・カイザー!



また、ガートウの探検隊は北米を可能な限り
歩きつくし、アラスカ付近まで到達しました。
これ以上は進めません。しかし、フランスに
通行許可を返してしまったので帰還できず。
結局現地で探検隊は解散。

-ガートウは-
2度とドイツへは戻れなかった…。
白人と原住民の中間の生命体となり
永遠にアメリカ大陸をさまようのだ。
そして帰りたいと思っても帰れないので
―そのうちガートウは考えるのをやめた。


最近「ジョジョの奇妙な冒険」を読んだのですが、
面白かったです。はい。ガートウは現地で
ポカホンタスと一緒に暮らしてるんだよ、多分。



12月、ミュンスターを併合。
これで属国どもを全て処分できましたね。
ドイツ系国家はブランデンブルクと
オーストリア、そしてヴュルテンベルクの3つに。
次回はフランスと戦争してルクセンブルクと
ブレーメンをぶん取る予定です。

つづく。

EU2 ブランデンブルクの鷲 (24)

2007年11月30日 22時36分31秒 | Paradox
ブランデンブルクの鷲
第24回 世界へ羽ばたけ
(1639年 - 1648年)

国内政策はほぼ完成しましたので
今回はスライダーを動かしません。



開始後早速オルデンブルクを併合。
何十年も属国化していたので簡単に成功。
歩兵1万3千と砲兵70を獲得しました。
徴税所を建設します。



1640年2月、「ブランデンブルク軍の改革」発生。
攻撃的な陸軍改革を実施し、
陸軍主義+2、攻撃主義+2、質重視+3
さらに陸軍投資+800Dに人的資源上昇。
エルツで大規模な陸軍部隊を獲得…。
なんというか、あんまり嬉しくもないイベントです。
スライダーはすでに完成してるし
陸軍はサポート上限まで配備されてるし。
結局新規陸軍部隊はほとんど解散。



もっとも、人的資源と陸軍投資は役に立ちます。
研究が終了して陸軍技術19を獲得しました。

1640年12月、ゲオルグ・ヴィルヘルムが死亡し、
息子フリードリヒ・ヴィルヘルム即位。



大選帝侯と言われるだけあって優秀。
神聖ローマ皇帝位はオーストリアへ奪われました。
オルデンブルク併合の影響で他のドイツ諸邦との
関係が下がっていたからかな?



1642年2月、征服者を獲得!
…いまさら探検する場所もないけど。
むしろ入植者のほうが役に立ちそうです。



8月、シャウィニガン発見。
未知の土地はもうないので、原住民を滅ぼして
都市へ征服者を引き返させます。



1643年1月、異端撲滅に資金提供。
シャウィニガンへ貿易商を派遣します。



5月、ペノブスコットを都市化。
シャウィニガンの交易所設立も成功。
次に都市化する予定なのはカウタバです。
南を見るとレナペをイロコイが併合していました。



1644年1月、ザクセンに兵器工場建設開始。
完成すれば陸軍投資と収入が上昇します。



1645年、新将軍フォン・シュパール登場。
階級は中将。攻城戦能力が優れています。



1646年1月、ザクセンの兵器工場が完成。
税額は51Dに上昇しました。



1647年4月、海軍技術12を獲得。



1648年5月、インフラ技術5を獲得。
これで市長を知事に昇格できるようになります。



早速3州で昇格を開始。
費用は100Dで期間は24ヶ月。

こんな感じでこの10年も終了。

北米植民地では、カウタバがレベル8に到達。
メガンティック、セバゴ、アディロンダックの
交易所を植民地に昇格したりして、
着々と勢力を伸ばしつつあります。



フランスはスウェーデン、フランドル、
ルクセンブルク、そして北米のクリークと
同盟を結んでおり、君主はルイ14世。
叩くには少し厳しいかな。
オーストリアと同盟を結ぼうとしたのですが
拒否されたので他の手段を考えるしかなさそう。

つづく

EU2 ブランデンブルクの鷲 (23)

2007年11月29日 22時08分05秒 | Paradox
ブランデンブルクの鷲
第23回 ドイツルネッサンス
(1629年 - 1638年)



内政改革で自由貿易へひとつ振り、
年毎の入植者獲得が2人に。
今のところ年に2回で十分なので
これ以上振るつもりは無し。


旧オーストリア領は当然ながらカトリック

エルザスへ宣教師派遣。
人口が少ないうちに改宗させておかないと
コストは上がる、成功率は下がるで
全く良いことが無いので改宗はお早めに…。
成功率は57%。



6月、ルクセンブルク独立。
ルクセンブルクの民衆は独立志向が高いですね。
今度こそは生き延びることを切に願う。



1630年1月、新司令官フリードリヒ・ヴィルヘルム登場。
後の君主である。能力はゲオルク・ヴィルヘルムより
少しだけ下ですが優秀なことに変わりはありません。



1631年2月、ポズナンがプロテスタントへ改宗。
結構なことですが、どうせならバーデンとか
ファルツで起きて欲しかった…。



10月、貿易レベル5を獲得。
次はインフラ技術へ投資します。

11月、レベルが上がったので
ホラントとイル・ド・フランスの交易中心地へ
商人を3人ずつ派遣。それぞれ1人がシェアを獲得。
しかし…



12月、フランスとオランダから貿易禁止通達。
あの…まだ1人しか入ってないんですが…
フランスさん…僕達…友達じゃなかったの…?
両国への大義名分を獲得。



1632年1月、首都ブランデンブルクへ
再び芸術院を建設開始。費用は700D。
前に作った芸術院は120年前にベーメンによって
破壊されましたね。…まあこれからは
首都を荒らされることもないでしょう。
同月、ランダムイベントにより200D獲得。
これを使い入植者を植民地へ派遣。



1633年3月、バーデンがプロテスタントへ改宗!
イヤッホウゥゥ!!いいイベントが続いてラッキー。
その代わり5月、エルザスの改宗は失敗し、暴動に。



11月、軍事同盟が失効。再締結しようとするも
フランスは同盟締結を拒否。盟友関係もこれまでか。
外交的孤立状態に陥ってしまいました。



また、サンティーとキャッツキルを都市化。
徴税所の建設は財政難により来年度に持ち越し。



1634年1月、芸術院が完成!
ブランデンブルクの税額は44Dに上昇。
さあ市民の皆さん、前の芸術院のことは忘れて、
今日からドイツルネッサンスです。



1635年4月、将軍ゲオルク・ヴィルヘルム死亡。
君主としてはまだ健在です。
重病でも患ったということかな?



「陸軍ブーム」により騎兵10000を植民地で獲得。
サポート兵力と維持費の問題でうち5000を解散。
まあ何かの役には立つでしょう。



1636年1月、サンティー、キャッツキルで要塞の
建設を開始。またペノブスコットへ入植者を派遣。



1637年9月、イングランドとの婚姻関係が失効。
2ヵ月後の11月には再び婚姻関係を結びます。



1638年1月、我が国の外交政策は大きく変化しました。
フランスとの同盟解消から5年、オーストリアとの
関係改善に資金をつぎ込み、濃緑にまで回復。
今度はフランス領ブレーメンを奪取すべく
オーストリアとの同盟締結を画策しております。

その後、植民地で400人規模の反乱が起き、
それに5000の騎兵が苦戦するという事態が発生。
いったん退いてからまた戦うと鎮圧できましたが。
やっぱり騎兵は使えない、と確信しつつ終了。

あ、オルデンブルクの併合忘れてた。

つづく

EU2 ブランデンブルクの鷲 (22)

2007年11月28日 16時39分39秒 | Paradox
ブランデンブルクの鷲
第22回 第2次対墺戦争
(1619年 - 1628年)



ゲーム開始から200年が経過。やっと半分かよっ!
内政改革では質重視を選択。
精強なブランデンブルク陸軍の前に敵は無し!(多分)
コネティカットへ入植者を派遣。



オーストリアを見ると、君主が交代していました。
マティアス?聞いたこと無い名前…。
スキルもかなり低いし、暗君のようです。
よし、今回はオーストリアに攻め込もう。
というわけで軍隊を整備。



5月、コネティカットの都市化に成功。
人口は1000人なのに税収はなぜか高いのが謎。
よほどひどい搾取をしてるのでしょうか?



9月、皇帝の錯乱。1年のみとはいえ辛い。
オーストリアのマティアス以下の能力に…。
まじで早く死んでくれませんかね。

と思っていたら12月に本当に死んでしまった。
息子ゲオルク・ヴィルヘルム即位。
神聖ローマ皇帝位も世襲します。



なんという名君…。
能力値を見ただけでワクワクしてしまった。
この国は間違いなく勝てる。





将軍としても有能。イイヨイイヨー。
早速フランスとの同盟関係を強化。
オーストリアとの戦争準備を固めます。





1620年6月、アパラシェに交易所開設。
これで発見した空白地を全て占有。
8月にはアンハルトの要塞レベルが3に。



1621年4月、戦争準備が完了。
オーストリアの君主はフェルディナント2世に
代わっていましたが、やはり雑魚。
軍事スキルたったの丸3か…ゴミめ



目標はこれら3州。ベーメン、エルザス
そしてルクセンブルクであります。
ベーメンとエルザスだけは確保したい。



そして、宣戦布告。
大義名分?そんなものありませんよ。
難癖つけるのも面倒くさくなってきた。
同盟各国に参戦要請をしておきます。



オーストリア領へ進軍。



緒戦で勝利を収め、都市を次々と包囲。
ここまではいつも通り。
エルザスを突撃で1ヶ月で占領。
その後はじわじわと包囲戦を進めます。



1622年1月の戦況。オーストリアは
ヴュルツブルクが大好きなんでしょうか?
大軍を終結させて、他がスカスカです。



2月、オーストリアの属国ヴュルテンベルクが
賠償金71Dを差し出してきたので和平。
同月、ベーメンを攻略。



4月、ブラバント攻略。
また、ファルツでの改宗が失敗し
暴動が発生しましたがフランス軍により鎮圧。



5月、モラヴァを攻略。
ベーメン地域を平定したので、
オーストリア本土へ軍を進めます。



6月、突撃によりロレーヌ攻略。
数が防衛側の2倍くらいあると上手くいくっぽい。



1623年1月、「最高の年」発生により200Dを獲得。
確かに最高の年になりそうだ。



6月、オストマルクを攻略し、
オーストリアの首都ウィーンへ進軍。



8月、ルクセンブルクを攻略。
またウィーンの包囲が開始されました。
目標州全てを攻略しましたので
ここで和平を提案します。



ベーメン、エルザス、ルクセンブルクを
割譲するよう要求しましたが、
オーストリアはこれを拒否。
さすがに戦果ポイントと要求ポイントが
10%くらいしか違わないのは厳しいかな。

しかし10月、さらなる攻撃を続けた結果
オーストリアから和平を提案してきました。



その内容はベーメン、モラヴァ、
エルザス、ロートリンゲンの割譲。
ウホッ、いい条件。これを受諾して和平。
南西ドイツ州の回収に成功し、
ルクセンブルク、ブラバントは飛び地化。



高収入の州をいくつも得て、
ブランデンブルクは大きく成長しました。
交易中心地ベーメンはチェコ文化なので
収入は3割減ですが、それでも税額62D!
サポート兵力も16万に増加( ^ω^)
さっそく徴税所を建設。

1624年1月、サンティーとキャッツキルへ
入植者を派遣。税収が上がったので
植民のペースも少しは上がるでしょう。

5月、バーデンの改宗は失敗。
暴動が発生しましたが、すぐに鎮圧。



12月、海軍技術11を獲得。
造船所の建設が可能になりました。
造船所を建てると、従来艦船を1隻ずつしか
建造できなかったのが10隻まで造れるようになります。
造船所の建築費用は…1000D。だめぽ。



1625年12月、ベーメンが発展し、人口、税額が上昇。
ベーメンはプロテスタント州なので、
改宗の必要が無く、従って反乱も起こりにくい州です。



1627年、ベーメンの交易中心地を独占。
また、獲得した新4州の弁護士を昇格。
コネティカットで要塞を建設開始。



1628年2月、メクレンブルクの交易中心地が消滅。
スウェーデンのスヴェアランドに移ってしまいました。
商業圏の形もかなり変化することに。
ま、まだダンツィヒとベーメンがあるもん(´・ω・`)



5月、陸軍技術18を獲得。
兵器工場を建てられるようになり、
戦闘時の能力が向上しました。

その後、周辺国と関係を上げながらこの10年は終了。
サンティーとキャッツキルの植民地レベルは5に。
次回はオルデンブルクを外交併合するつもりです。

つづく