ブランデンブルクの鷲
第25回 北米探検 (1649年 - 1658年)
史実では三十年戦争が起きたドイツも
ブランデンブルクの統合によって
たいした内乱も起こらず、平和に時が過ぎています。
内政改革では海軍主義へ1つ変更。
入植者を得るためです。
これで年毎に1.8人へ増加。
ベーメンとダンツィヒで市長を昇格。
8月、ザクセンで征服者と入植者を獲得。
もう探検する場所ないのにな…。
カナダにでも派遣しようか。
1650年5月、カタウバを都市化。都市名リンチバーグ。
こういう都市名は国ごとに用意されているのですが
ドイツはこの時代、海外に進出しなかったので
あまりバリエーションがありません。
「フォールグロッサークルフュルスト」の名が
いくつもの都市につけられているのに違和感…。
9月、陸軍技術20を獲得。また、征服者ガートウを
イングランド領カナダへ派遣し、カナダ探検の旅へ。
1651年1月、エルザスへ宣教師を派遣。
今度こそ成功して欲しい。
6月、セバゴで反乱が発生し、
1000人の歩兵隊を派遣して鎮圧。
1652年2月、安定度を優先して「輸出を許可」。
結果75Dを支払い、財政難に。
国庫へ入れる金を増やして乗り切らないと。
収入・支出ともに増えたのであんまり
金持ちって気がしない…。ちなみに現在、
年始の収入は350Dくらい。
1653年2月、その埋め合わせだろうか
「国への贈り物」で300Dを獲得。
これで要塞を建設し、入植者を派遣。
11月、ガートウ率いるカナダ探検隊が
ダルースを領するダコタを発見、外交関係を結ぶ。
1654年1月、陸軍大将フォン・デアフリンガー登場。
能力値は…左から3・5・4・1。超優秀じゃないか。
その代わりシャウィニガンを発見した
征服者フランソワがこの年に死亡。
6月、「寛容令」発生。トルデシリャス条約が失効し、
宗教改革による対立は解消され、
カトリック国との婚姻関係締結や併合も行えるように。
というわけで早速バイエルンを併合。
100年以上にわたる属国支配をしていたので
成功確率はかなり高かったはず。
バイエルンの軍隊をそのままゲット。
1655年4月、ガートウの探検隊が北米を縦断して
フランス領モビールへ到着。
はじめ1500人いた部隊は21人に減っていました。
騎兵隊1000人を新たに加えてまた探検へ。
1656年1月、将軍フォン・シュパール死亡。
ああ、勿体無い…一回ぐらい使っておけば。
4月、エルザスの改宗はまたも失敗。
はあ…。もういいか、カトリックのままでも。
9月、メガンティックを都市化。
各種施設を建てるのは来年度に回します。
また12月、フランスから得ていた
軍隊通行許可を返却し、安定度が低下。
1657年10月、人口が急増し入植希望者が続出。
植民地設立の勅許状を与えると入植者が+3。
すでに上限の6人までいるので勅許状は与えず。
結果首都の人口が5000人増加。
1658年7月、皇帝フェルディナント3世死去。
ブランデンブルクのフリードリヒ・ヴィルヘルムが
新皇帝に選ばれました。ハイル・カイザー!
また、ガートウの探検隊は北米を可能な限り
歩きつくし、アラスカ付近まで到達しました。
これ以上は進めません。しかし、フランスに
通行許可を返してしまったので帰還できず。
結局現地で探検隊は解散。
-ガートウは-
2度とドイツへは戻れなかった…。
白人と原住民の中間の生命体となり
永遠にアメリカ大陸をさまようのだ。
そして帰りたいと思っても帰れないので
―そのうちガートウは考えるのをやめた。
最近「ジョジョの奇妙な冒険」を読んだのですが、
面白かったです。はい。ガートウは現地で
ポカホンタスと一緒に暮らしてるんだよ、多分。
12月、ミュンスターを併合。
これで属国どもを全て処分できましたね。
ドイツ系国家はブランデンブルクと
オーストリア、そしてヴュルテンベルクの3つに。
次回はフランスと戦争してルクセンブルクと
ブレーメンをぶん取る予定です。
つづく。
第25回 北米探検 (1649年 - 1658年)
史実では三十年戦争が起きたドイツも
ブランデンブルクの統合によって
たいした内乱も起こらず、平和に時が過ぎています。
内政改革では海軍主義へ1つ変更。
入植者を得るためです。
これで年毎に1.8人へ増加。
ベーメンとダンツィヒで市長を昇格。
8月、ザクセンで征服者と入植者を獲得。
もう探検する場所ないのにな…。
カナダにでも派遣しようか。
1650年5月、カタウバを都市化。都市名リンチバーグ。
こういう都市名は国ごとに用意されているのですが
ドイツはこの時代、海外に進出しなかったので
あまりバリエーションがありません。
「フォールグロッサークルフュルスト」の名が
いくつもの都市につけられているのに違和感…。
9月、陸軍技術20を獲得。また、征服者ガートウを
イングランド領カナダへ派遣し、カナダ探検の旅へ。
1651年1月、エルザスへ宣教師を派遣。
今度こそ成功して欲しい。
6月、セバゴで反乱が発生し、
1000人の歩兵隊を派遣して鎮圧。
1652年2月、安定度を優先して「輸出を許可」。
結果75Dを支払い、財政難に。
国庫へ入れる金を増やして乗り切らないと。
収入・支出ともに増えたのであんまり
金持ちって気がしない…。ちなみに現在、
年始の収入は350Dくらい。
1653年2月、その埋め合わせだろうか
「国への贈り物」で300Dを獲得。
これで要塞を建設し、入植者を派遣。
11月、ガートウ率いるカナダ探検隊が
ダルースを領するダコタを発見、外交関係を結ぶ。
1654年1月、陸軍大将フォン・デアフリンガー登場。
能力値は…左から3・5・4・1。超優秀じゃないか。
その代わりシャウィニガンを発見した
征服者フランソワがこの年に死亡。
6月、「寛容令」発生。トルデシリャス条約が失効し、
宗教改革による対立は解消され、
カトリック国との婚姻関係締結や併合も行えるように。
というわけで早速バイエルンを併合。
100年以上にわたる属国支配をしていたので
成功確率はかなり高かったはず。
バイエルンの軍隊をそのままゲット。
1655年4月、ガートウの探検隊が北米を縦断して
フランス領モビールへ到着。
はじめ1500人いた部隊は21人に減っていました。
騎兵隊1000人を新たに加えてまた探検へ。
1656年1月、将軍フォン・シュパール死亡。
ああ、勿体無い…一回ぐらい使っておけば。
4月、エルザスの改宗はまたも失敗。
はあ…。もういいか、カトリックのままでも。
9月、メガンティックを都市化。
各種施設を建てるのは来年度に回します。
また12月、フランスから得ていた
軍隊通行許可を返却し、安定度が低下。
1657年10月、人口が急増し入植希望者が続出。
植民地設立の勅許状を与えると入植者が+3。
すでに上限の6人までいるので勅許状は与えず。
結果首都の人口が5000人増加。
1658年7月、皇帝フェルディナント3世死去。
ブランデンブルクのフリードリヒ・ヴィルヘルムが
新皇帝に選ばれました。ハイル・カイザー!
また、ガートウの探検隊は北米を可能な限り
歩きつくし、アラスカ付近まで到達しました。
これ以上は進めません。しかし、フランスに
通行許可を返してしまったので帰還できず。
結局現地で探検隊は解散。
-ガートウは-
2度とドイツへは戻れなかった…。
白人と原住民の中間の生命体となり
永遠にアメリカ大陸をさまようのだ。
そして帰りたいと思っても帰れないので
―そのうちガートウは考えるのをやめた。
最近「ジョジョの奇妙な冒険」を読んだのですが、
面白かったです。はい。ガートウは現地で
ポカホンタスと一緒に暮らしてるんだよ、多分。
12月、ミュンスターを併合。
これで属国どもを全て処分できましたね。
ドイツ系国家はブランデンブルクと
オーストリア、そしてヴュルテンベルクの3つに。
次回はフランスと戦争してルクセンブルクと
ブレーメンをぶん取る予定です。
つづく。