昨日の続きです。
唐の玄奘法師がインドから法典を持ち帰った
後に、経典を訳す際にインドから同行してきた
僧侶と弟子の中国僧の間で、サンスクリット語
と中国語の訳を、何回か相互に翻訳した経本を
互いに往復させて議論し、教本(漢文)を完成
させた、という話があります。今の般若心経も
そうやって出来た、とあります。そこで疑問。
昔、大唐西域記を題材にした小説が文藝春秋
に載っていて、それには、往路で困難に合う際
に、玄奘が何度も般若心経を唱えたとの記述が
ありました。このときの般若心経は、今のとは
違うのではないか、との疑問を、ここ数十年間
抱いたままなのですがね。^^;
この小説の著者がどなただったのか、は失念
しました。^^; もう一度読みたいのですがね。
「文藝春秋」で検索しても見つかりませんから
他の出版社からなのかも知れません。^^;
また、「解体新書」は、オランダ語の医学書
を、蘭方医の杉田玄白・前野良沢・中川淳庵ら
が翻訳した際も、大変苦労したとの話を中学生
の頃に学んだ記憶があります。
中学生の私には、まだ「概念」というものも
ない状態でした。「どうやって言葉を理解した
のだろうか。それぞれの言語の言葉が 1対1
で対応しているわけではなく、同じ意味の言葉
(概念)が日本語にはなかったのではないか」
と、中学生ながらも疑問に思ったものです。
AI翻訳と「らせん訳」の「源氏物語」の比較
がされるとより面白いかも。その違い判断もAI
にさせるとか・・・話が広がりますね。(^_^)
それに、なんか遺伝子のDNA のらせん構造を
連想してしまいます。一周回って来ても、同じ
ものではない。交わたっとしても決して一本化
するものではないことが連想されます。数学の
世界では、螺旋状の形の「リーマン面」という
のもありますね。
それはさておき、翻訳作業とは本来こういう
作業をすべきで、大変なことなのでしょうね。
今はAI翻訳のシステムがある時代ですが、さて
AI翻訳ではどうなるのでしょうかね?時代ごと
の言葉データベースを用意する必要があるそう
ですね。言葉遣いでデータベースを切り替える
ことも可能でしょうね。たとえば「駅」という
言葉の意味は、江戸時代と今とでは異なります
からね。「衣」も、現在の日常生活では天ぷら
の「ころも」を指すことが多いですよね。
prairie@mbh.nifty.com
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます