三月末に、赤羽台つぼみ保育園を卒園した。
この保育園には丸二年通った。
園長先生を始め、先生や用務員の方全てがちゃんと健太郎の名前を知ってて声をかけてくれ、虚弱な私の体調も気遣ってくれ、廃校になった小学校が校舎だったから敷地も保育園ではあり得ない広さで、雰囲気のよい素晴らしい保育園だった。
健太郎の二歳児クラスは10人強の人数で、子供たち、ママたちもよく知り合っていて、アットホームだった。
こんな素晴らしい保育園で幼少期の大事な二年間を過ごせて、健太郎も私も幸せだ。
お別れはさみしいけど、こうして一歩一歩成長していくんだね。
終わりのほうは、ママたちも子供たちも別れが惜しくて、毎日お迎えの後校庭でじゃれあって遊んだ。
この景色をずっと憶えていたいね。
次なるステージ、みんなで頑張ろう。
ママはいつでも健太郎の味方。
最後の日は、泣いてしまった、ママたちと先生が。
子供たちは、わかってるのかわかってないのか、わかってるんだろうね。
健太郎は、平気な顔してたけど、夜眠れず久しぶりに添い寝した。
幼稚園で言えば、次は年少さんだもんね、新しい環境でも楽しんでほしい。
色々乗り越えられる、強くて優しい男の子に育ってね。
写真は園長先生と。
この保育園には丸二年通った。
園長先生を始め、先生や用務員の方全てがちゃんと健太郎の名前を知ってて声をかけてくれ、虚弱な私の体調も気遣ってくれ、廃校になった小学校が校舎だったから敷地も保育園ではあり得ない広さで、雰囲気のよい素晴らしい保育園だった。
健太郎の二歳児クラスは10人強の人数で、子供たち、ママたちもよく知り合っていて、アットホームだった。
こんな素晴らしい保育園で幼少期の大事な二年間を過ごせて、健太郎も私も幸せだ。
お別れはさみしいけど、こうして一歩一歩成長していくんだね。
終わりのほうは、ママたちも子供たちも別れが惜しくて、毎日お迎えの後校庭でじゃれあって遊んだ。
この景色をずっと憶えていたいね。
次なるステージ、みんなで頑張ろう。
ママはいつでも健太郎の味方。
最後の日は、泣いてしまった、ママたちと先生が。
子供たちは、わかってるのかわかってないのか、わかってるんだろうね。
健太郎は、平気な顔してたけど、夜眠れず久しぶりに添い寝した。
幼稚園で言えば、次は年少さんだもんね、新しい環境でも楽しんでほしい。
色々乗り越えられる、強くて優しい男の子に育ってね。
写真は園長先生と。
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