私の父は「織田信長」が大好きだった。本能寺で明智光秀にシバかれたオッサンである。織田信長が好きという日本人男性は多い。嫌いな人のほうが少ない気がする。
織田信長。まあ普通、日本人が持つ印象と言えば、型破りな事を好み、実力主義で日本統一を成し遂げようとした傑物。まあこんなところか。まあ色々と、その歴史には諸説あって、その記録も眉唾な部分の多い人物のひとりでもある。
例えば長篠の戦いでは、信長は華々しく鉄砲を大胆に用いた戦略で大勝利した。これが40年前の真実であったワケだが、最近の研究では鉄砲が使用された形跡が殆ど発見できないとの事。
そして、当時、日本で鉄砲はさほど珍しい武器でも何でもなく、割とポピュラーな武器で認知度も高かった。じゃあ何で積極的に武将は戦争で使用しなかったかと言えば、当時の鉄砲の性能は、とても戦略兵器と呼べないオモチャでしかなかった。
雨が降ればもう使えないという部分でもアウト。しかも弾丸のクォリティが低く、撃ってもまっすぐに弾が飛ばないばかりか、弾のサイズですら均一に作る技術が無かった為、弾が飛ばない事もあった。また弾の強度が足らず、発射の瞬間に砕けて、敵に砂粒を浴びせた程度に終わる事すらあった。そんなもん、実戦で誰も使うワケがない。武将が使わないのには、それなりの理由があったのである。
じゃあ織田さん何やってたん?それを調べるのは学者の仕事。俺の仕事ではないので、それは断定しない。
まあとりあえず、やればやれるよ日本統一、って事を実行しようとした人なので、男の子の憧れの的なのだ。父もそのひとりだった。
だから若い時分は羽振りが良かった。何もかも上手くいっていたかも知れない。織田さんに憬れる人って、もう若くてフェロモンがドッバドバの時に、上手く歯車が回る人が多い。もう俺、なんか無敵みたいな。
だけどさ。
全員とは言わないけれど、40歳ころから、ポッキリと何かが折れたように何もかも上手く行かなくなる。理由は様々だ。まあ共通すると言えば「計画がない」のだ。
未来設計が変に現実味が無かったり、もしくは存在すらしていない。何でだろう?と考えた。
親父はバカじゃない。職人としては一流だ。棟梁としても優秀だったと思う。建前の段取りも計画の立て方も抜きん出ていた。しかし。
未来設計となると、てんでダメだった。貯蓄だとか貯金だとか、当然やれない人。未来が常に白紙。何とかなるさ、で、何ともならなかった人。
んで、よくよく考えると40歳って、曲がり角でもあるんだよね。まだまだ働き盛りではあるんだけど、無茶がきかなくなってくる、その初期の頃合いだ。
そして、今までやってきた事の清算が出る時期でもある。そういう事もあるが・・・。
やっぱり。織田さんそのものが、野望半ばで潰えた人だからってのも、大きい理由だと思う。それが織田さん人気の原動力でもあるんだけど。明智のハゲにシバかれにゃ、天下統一を成し遂げた人だったろう、そんな夢を見れる人なんだ。
だけど現実はシバかれて野望は挫けた。俺はね。思うんだよ。
織田さん、生き残っても、やっぱ天下統一は無理だったんじゃないかって。
そんで、もっと惨めな終わり方をした人なんじゃないかな?天下統一どころか、領地も全て失って哀れ野垂れ死にという結末が待っていたかも知れない。
明智にシバかれて伝説の人になりはしたけど、もし、明智が血迷わなかったなら、歴史に残らない人で終わったかもね。秀吉や家康にかき消された可能性もある。家康や秀吉に倒された場合、きっと悪人として記録には残されるから。
だって、元々の上司を討つんだもの。正当な理由は作らないと、庶民が納得できないから。倒すべき理由のあった人として、歴史に残されただろう。
そんな人なんだよ。どうあっても、たぶん、家康には勝てなかった。根回し工作巧いし、智略も立てられる、何より、未来のビジョンが家康にはあった。天下統一して、じゃあ、幕府をどう作っていきましょうかねっていう計画も、ちゃんとあった。
明智がシバいた事で、秀吉、家康は仇を討ち、信長を美談として残しはしたけど。もし、明智が倒さなければ、このふたりのどっちかが、いずれ倒さなければっていう風になったはず。
その時、織田さんがやれたか?と考えるが、どう考えても「秀吉に丸裸にされて、家康にバッサリやられる」構図しか思いつかない。
だから、そんな人に憬れる人も、そんな結末をたどるんじゃないかって。つまり、人に憬れた時点で、その人のような人生にする事はあるかもだけど、その人を越える事もまた、出来ないんじゃないかって。
今の世の中、憧れの人って多いよね。大勢の人が誰かに憬れている。ビル・ゲイツだったり、エジソンだったり。現代人は偉人に憬れる。
だからなんだ。
偉人が現代に、生まれないのはそれが理由だと思うんだよ。
目標が人間だから。目線が人並みなんで、人を越える結果が出せない。優秀にはなれるけど、傑物にはなれない。
過去の偉人ってさ。
それぞれの理想はあったけれど「この人のようになりたい」と考えた人は少ないんだよね。
ライト兄弟なんて「鳥のように空を飛びたい!」てんで人間じゃねえし!
だから野望のある人は、人間に憬れている程度では、所詮、その程度で終わるよって事だ。その憧れの人を越える事は、絶対とまで言わないが、殆どの人がその手前で心が折れる。
特に野望が尻切れトンボで終わった人に憬れると、残り半生の記録がないんで、追従しようにもできず、路頭に願いが迷うだけだ。
人を越えたいっていうのに、人を見ていてどうする。
きっとそれが、今の世界には足りないんじゃないかな。
人に憬れていては、いつまでも人でしか居られない。人を越えたいのなら、せめて偉人たちが見つめていたものを凝視しよう。偉人を見る必要はないし、憧れる意味もない。
偉人への憧れは、人並みの人生を送れればそれでいいという人が見る、夢みたいなものだ。最初から偉人を越えるつもりがないので、それだけで凡人確定である。
だから、偉人の残した言葉や考え方を真似ても無意味なんだ。その思考や生き様をトレースしても、ただの猿真似で終わってしまう。
偉人の立ったところに立ちたい人は、偉人の業績や偉人伝など読んでいてはだめだ。
偉人の見ていたものを見るべきだ。
鳥、宇宙、世界の果て、次元の彼方、夢のまた更に夢の向こう側。
今はそれを教えるものが少なすぎるんじゃないかなって思った。
織田信長。まあ普通、日本人が持つ印象と言えば、型破りな事を好み、実力主義で日本統一を成し遂げようとした傑物。まあこんなところか。まあ色々と、その歴史には諸説あって、その記録も眉唾な部分の多い人物のひとりでもある。
例えば長篠の戦いでは、信長は華々しく鉄砲を大胆に用いた戦略で大勝利した。これが40年前の真実であったワケだが、最近の研究では鉄砲が使用された形跡が殆ど発見できないとの事。
そして、当時、日本で鉄砲はさほど珍しい武器でも何でもなく、割とポピュラーな武器で認知度も高かった。じゃあ何で積極的に武将は戦争で使用しなかったかと言えば、当時の鉄砲の性能は、とても戦略兵器と呼べないオモチャでしかなかった。
雨が降ればもう使えないという部分でもアウト。しかも弾丸のクォリティが低く、撃ってもまっすぐに弾が飛ばないばかりか、弾のサイズですら均一に作る技術が無かった為、弾が飛ばない事もあった。また弾の強度が足らず、発射の瞬間に砕けて、敵に砂粒を浴びせた程度に終わる事すらあった。そんなもん、実戦で誰も使うワケがない。武将が使わないのには、それなりの理由があったのである。
じゃあ織田さん何やってたん?それを調べるのは学者の仕事。俺の仕事ではないので、それは断定しない。
まあとりあえず、やればやれるよ日本統一、って事を実行しようとした人なので、男の子の憧れの的なのだ。父もそのひとりだった。
だから若い時分は羽振りが良かった。何もかも上手くいっていたかも知れない。織田さんに憬れる人って、もう若くてフェロモンがドッバドバの時に、上手く歯車が回る人が多い。もう俺、なんか無敵みたいな。
だけどさ。
全員とは言わないけれど、40歳ころから、ポッキリと何かが折れたように何もかも上手く行かなくなる。理由は様々だ。まあ共通すると言えば「計画がない」のだ。
未来設計が変に現実味が無かったり、もしくは存在すらしていない。何でだろう?と考えた。
親父はバカじゃない。職人としては一流だ。棟梁としても優秀だったと思う。建前の段取りも計画の立て方も抜きん出ていた。しかし。
未来設計となると、てんでダメだった。貯蓄だとか貯金だとか、当然やれない人。未来が常に白紙。何とかなるさ、で、何ともならなかった人。
んで、よくよく考えると40歳って、曲がり角でもあるんだよね。まだまだ働き盛りではあるんだけど、無茶がきかなくなってくる、その初期の頃合いだ。
そして、今までやってきた事の清算が出る時期でもある。そういう事もあるが・・・。
やっぱり。織田さんそのものが、野望半ばで潰えた人だからってのも、大きい理由だと思う。それが織田さん人気の原動力でもあるんだけど。明智のハゲにシバかれにゃ、天下統一を成し遂げた人だったろう、そんな夢を見れる人なんだ。
だけど現実はシバかれて野望は挫けた。俺はね。思うんだよ。
織田さん、生き残っても、やっぱ天下統一は無理だったんじゃないかって。
そんで、もっと惨めな終わり方をした人なんじゃないかな?天下統一どころか、領地も全て失って哀れ野垂れ死にという結末が待っていたかも知れない。
明智にシバかれて伝説の人になりはしたけど、もし、明智が血迷わなかったなら、歴史に残らない人で終わったかもね。秀吉や家康にかき消された可能性もある。家康や秀吉に倒された場合、きっと悪人として記録には残されるから。
だって、元々の上司を討つんだもの。正当な理由は作らないと、庶民が納得できないから。倒すべき理由のあった人として、歴史に残されただろう。
そんな人なんだよ。どうあっても、たぶん、家康には勝てなかった。根回し工作巧いし、智略も立てられる、何より、未来のビジョンが家康にはあった。天下統一して、じゃあ、幕府をどう作っていきましょうかねっていう計画も、ちゃんとあった。
明智がシバいた事で、秀吉、家康は仇を討ち、信長を美談として残しはしたけど。もし、明智が倒さなければ、このふたりのどっちかが、いずれ倒さなければっていう風になったはず。
その時、織田さんがやれたか?と考えるが、どう考えても「秀吉に丸裸にされて、家康にバッサリやられる」構図しか思いつかない。
だから、そんな人に憬れる人も、そんな結末をたどるんじゃないかって。つまり、人に憬れた時点で、その人のような人生にする事はあるかもだけど、その人を越える事もまた、出来ないんじゃないかって。
今の世の中、憧れの人って多いよね。大勢の人が誰かに憬れている。ビル・ゲイツだったり、エジソンだったり。現代人は偉人に憬れる。
だからなんだ。
偉人が現代に、生まれないのはそれが理由だと思うんだよ。
目標が人間だから。目線が人並みなんで、人を越える結果が出せない。優秀にはなれるけど、傑物にはなれない。
過去の偉人ってさ。
それぞれの理想はあったけれど「この人のようになりたい」と考えた人は少ないんだよね。
ライト兄弟なんて「鳥のように空を飛びたい!」てんで人間じゃねえし!
だから野望のある人は、人間に憬れている程度では、所詮、その程度で終わるよって事だ。その憧れの人を越える事は、絶対とまで言わないが、殆どの人がその手前で心が折れる。
特に野望が尻切れトンボで終わった人に憬れると、残り半生の記録がないんで、追従しようにもできず、路頭に願いが迷うだけだ。
人を越えたいっていうのに、人を見ていてどうする。
きっとそれが、今の世界には足りないんじゃないかな。
人に憬れていては、いつまでも人でしか居られない。人を越えたいのなら、せめて偉人たちが見つめていたものを凝視しよう。偉人を見る必要はないし、憧れる意味もない。
偉人への憧れは、人並みの人生を送れればそれでいいという人が見る、夢みたいなものだ。最初から偉人を越えるつもりがないので、それだけで凡人確定である。
だから、偉人の残した言葉や考え方を真似ても無意味なんだ。その思考や生き様をトレースしても、ただの猿真似で終わってしまう。
偉人の立ったところに立ちたい人は、偉人の業績や偉人伝など読んでいてはだめだ。
偉人の見ていたものを見るべきだ。
鳥、宇宙、世界の果て、次元の彼方、夢のまた更に夢の向こう側。
今はそれを教えるものが少なすぎるんじゃないかなって思った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます