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パリで美術三昧 < シニャック展 後編 > ジャックマール・アンドレ美術館 2021年 初夏

2021-07-21 00:02:34 | 素晴らしき世界/パリ/美術
巻頭写真 : 『ジャックマール・アンドレ美術館』


前回に続いて
「シニャック展」後編をお届けします

「ポール・シニャック」は常に気心の知れた信頼する友人たちに
取り囲まれていた
まず「マキシミリアン・リュス」との出会いは1887年
「独立画家展」で彼がリュスの作品を一枚購入したことに始まった
彼は描く画家だけではなく
他の画家の優れた作品を集める収集家でもあった
シニャックは初期のリュスを色調の分割の技術で深く影響を与えた
リュスは人々の日常の着眼し
ベルギー旅行の際に「カフェにて」や
フランドルの製鉄所を訪れて「製鉄工」などの作品を仕上げた

そのベルギー滞在中に
ベルギー人画家「ジョルジュ・レマン」と出会い
アヴァンギャルド派であった彼は「独立画家協会展」に出品するようになり
スーラやシニャックと交流が始まった
パリで「ナビ派」の画家たちと出会い
「ジョルジュ・ラコンブ」は新印象主義に影響されるようになる
いずれも
「色彩」の捉え方とその表現の道筋を作っていった

「エドモン・クロス」は以外と遅く
1891年になって新印象主義に傾き
しかし一度その道を踏み出すと生涯変わることなくその道を求め続けた
シニャックにとって非常に気心の知れたごく日常的な友人であり
スーラ亡き後はシニャックにとって片方の空間を埋めてくれる
欠かせない存在であった

「テオ・ヴァン・リッセルベルグ」はブリュッセルにおけるシニャック
とでもいうべき存在で
かの国のアヴァンギャルド集団の展示会などに
シニャックが行っていたように参加を続け
本来肖像画家であった彼が風景画にも色彩の構成の主張を持ち込んだことで
ベルギーはフランスに次いで第二の「新印象主義絵画」の祖国となっていった

その後のシニャックの歩みに戻ろう


『Couché de Soleil (Evantail)』1905 紙 水彩・墨・鉛
「夕陽(扇画」」

『Avignon. Soir (Le Palais des Papes)』1909 紙 水彩+墨・ペン
「アヴィニヨン 夕刻(教皇庁)」

シニャックは友人たちをサントロペに誘い
制作中に彼らに薫陶を与えた
その滞在中
彼は水彩画の魅力に目覚める

『Antibes』1910 紙 水彩+墨・ペン
「アンチーブ」

油彩とは異なる存在価値としての水彩を
好んで戸外制作に用い
それがその後のアトリエでの油彩の制作にも影響を与えることとなる
この「アンチーブ」匂いて
水彩の色彩の繊細さの極地に到達していると言われている

『Les Cyprès de sainte-Anne (Saint-Tropez)』1905 紙 水彩+墨・ペン
「サント・アンヌ(墓地)の糸杉(サン・トロペ)」

『Venise. La Dogana』1906 紙 水彩+鉛筆

『Venise. San Giorgio (Éventail)』1905 絹貼り厚紙 水彩
「ヴェニス サン・ジオルジオ(扇)」

1900年代に入り
1902年
1904年
1906年
と数次に渡って繰り返された
『Salon des Artistes Independants (独立芸術家協会展)』への意欲的出品で
彼はパリのみならず
ベルギー・オーストリア・ドイツに置いても名声を確立してゆく

ヴェネチア滞在によって「光と水」の表現に磨きがかかり
1907年以降中国の水墨を用いる事も
白と黒のコントラストの表現の上で極めて有用であった

『Séte』2 Avril 1929 シボ紙 水彩+鉛筆
「セート」

『La rade de Toulon ou Toulon. Ciel d'Orage』Avril 1931 しぼ紙 水彩+鉛筆
「トゥーロン波止場 または トゥーロン、夕立空」


『La Ciota』1930 シボ紙 水彩+鉛筆
「ラ・シオタ」(南仏)

『Paimpol』13 Août 1929 シボ紙 水彩+鉛筆
「パンポル」(ブルターニュ)

『Villefranche-sur-Mer』1931 シボ紙 水彩+鉛筆
「ヴィルフランシュ=シュー=メール」(コート・ダジュール)

『Morlaix』21 juin 1929 シボ紙 水彩+鉛筆
「モッレー」(ブルターニュ)

『Saint-Nazaire』23 juillet 1929 シボ紙 水彩+鉛筆
「サン・ナゼール」(ブルターニュ)


『Douarnenez』13 juin 1929 シボ紙 水彩+鉛筆
「ドゥアルルネーズ」(ブルターニュ)

『Nice』2 mai 1931 シボ紙 水彩+鉛筆
「ニース」

『Le Bono』31 mai 1929 シボ紙 水彩+鉛筆
「ル・ボノ」(ブルターニュ)

『Concarneau』7 juin 1929 シボ紙 水彩+鉛筆
「コンカルノー」(ブルターニュ)

『Menton』1931 シボ紙 水彩+鉛筆
「マントン」(コート・ダジュール)

 『saint-Malo. Les Voiles jaunes』29 octobre 1929 シボ紙 水彩+鉛筆
「サン・マロー 黄色い帆」

『Dankerque』5 juin 1930 シボ紙 水彩+鉛筆
「ダンケルク」(ノルマンディ)

これだけの水彩を一堂に並べると
シニャック=点描派
という固定観念が一挙にひっくり返ってしまう
それにしても
シニャックも「水と空」を光と色で表現する「印象主義」の第一歩から
全く変わっていない同一線上にあることが理解できる
『Néo-Impressioniste 新印象派』
という仲間とスタートしたのだから

水彩なので色を「タッチ(点)」で置いて行くわけにはいかないけれど
水彩画の可能性を深く認識したシニャックの面目躍如といったところでしょうか

また油彩に戻ろう

『Arc-en-ciel, Venise』1905 カンバス 油彩
「虹 ヴェネチア」

この作品で
自分のパレットの反響である虹の七色を
彼は大気の効果を再現すべく実に繊細に利用している

20世紀になると
「色彩の役割」が
芸術活動と論争の中心的位置を活気付けて行くのです
そして
シニャックの作品と政策理論とは
新たな若い県政のうねるである『フォービスム』に受け入れられて行くことになった

「色彩と線とを 感じ取り 伝えたいという情熱の元に従わせてゆく 
つまり
描くという行為の結果は詩人の作品ということになるだろう」
(ポール・シニャック)

『Le Port Royal, Inondation』1926 紙 墨絵
「ポール・ロワイヤル 洪水」

彼は
最初から「色彩の解放」を推し進めていき
観察するモチーフから
カンバスの中でどんどん解き放たれて行くようになる

1898年ロンドン滞在中に『ターナー』の作品に出会い
対象を「模倣し」「コピーする」という概念から
離れる必要を痛感した
「色合いを創り出さねばならない」と書き残している通り
彼は「自然主義」から離れて行く

「サン・トロペ」やその周辺の鄙びた海岸の村に足を運び
中央で知られていない土地の趣を
表現してゆく中で
地中海の海と太陽とは
色彩の理解と分析とその解放とに大いに役割を果たしたはずで
最初の頃訪れていたブルターニュの光の少ない海辺との対比も
シニャックの形成に一役買っている

『Antibe. Matin』1903 布張り厚紙 油彩
「アンチーブ 朝」

『sainte-Anne (Saint-Tropez)』1905 カンバス 油彩
「サント・アンヌ地区(サン・トロペ)」

『Juan-les-pins. soir ( Première version』1914 カンバス 油彩
「ジュアン・レ・パン 夕刻」(ヴァージョン 1)


『Juan-les-pins. Soir』1914 デッサン用紙 水墨
「ジュアン・レ・パン 夕刻」

彼は芸術特に絵画の黄金の世紀と言われる
17世紀「古典主義」に精通しており
その根底にあるデッサンの重要性も理解しており
その時代の巨匠たちが作品に取り組む前にやったような
「カートン(画用紙)」を使用して
さらに中国の墨を使う水墨画を研究して
自分の求める色彩の解放への手がかりともしていった

『Avignon, Matin』1909 カンバス 油彩
アヴィニヨン 朝」

『Marseille, Le Vieux-Port』1906 カンバス 油彩

最後に
この特別展の冒頭に展示されていたものをご紹介しておく


『Application du Cercle chromatique de M. Charles Henry』1888 リトグラフ

これは
当時の「アンドレ・アントワーヌ』が率いた劇団『自由劇場』の
公演プログラムのための図版で石版画
この図版政策で
シニャックは「色彩と線」の化学的デモンストレーションを行っている
一人描かれている観客の首が
オレンジ色という明るい緞帳からの逆光の中にうきあがり
ブルーがオレンジのコントラストを成し
影が光に対立している
『Theatre-Libre 自由劇場』のイニシャルが
当初の色とその変性色の多様性の精緻な組み合わせが
将来の彼の予兆を成している
ここで彼は
色彩の調和と対比との化学的分析は
ポスターやイラストにも有効であることを示している

最後の最後に

『Palette, Aux Tuileries』1882 〜 83 板 油彩

彼が
自分のパレットに描いた「チュイルリー公園」です

ここ『ジャックマール・アンドレ美術館』は特別展と常設展と
両方を楽しむことができます
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