行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

プロヴァンスを巡ろう 10 <14世紀を通して 全欧の文化と経済の拠点となったアヴィニヨン>

2020-11-09 00:13:09 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
「アヴィニヨンの」ローマ法王庁


最高権力者が居を構えると
町は栄える

中世においてヨーロッパの最高権威といわれたのは
世俗の『神聖ローマ皇帝』
聖職の『ローマ教皇』

ローマ帝国滅亡の後
全欧の秩序の維持のために世俗権力に頼る必要があって
ローマ教会が再興した「神聖ローマ皇帝」と言う位は
名目だけの権威に過ぎず

方や
ローマン・カトリックが全欧に広がったことで
『ローマ教皇(法王)』が
最高権威者となった

その教皇が
14世紀の75年間『アヴィニヨン』に教皇座を置いたために
アヴィニヨンに
あらゆる芸術家や技術者が集い
商人が集まって
アヴィニヨンを絶頂期を与えた

なぜ教皇がアヴィニヨンに居たかは
以前スペインのカタルーニアのシリーズで
少しだけ触れたが
複雑怪奇で100ページ程も必要となるので割愛させて頂く


旧市街は完全に城壁で囲まれている

いくつもある城門の中で
正面に当たる門だけ門がなくなっている


そこを入ると唯一の目抜き通り
一直線の奥まで1kmくらいなものか
付き当たりから右斜めに入ると
ちょうどこの角度で『法王庁』が姿を表す


当時はいわゆる戦国の世
法王庁は法王の「宮殿」であると同時に防衛拠点の「城」でもあった

斜めにスロープを登って門まで行くと
教皇の紋章が
我々を見下ろしている


天国の門の鍵と三重冠
紋章

14世紀の終わりに教皇がローマに去って以後
維持管理が行き届かず
革命で傷んだり
19世紀に大火災にあったり
内部は教皇在位の時代のものは多くない

広場に面した正面はやや高台になっており
反対側の奥は外壁が30m以上屹立している



その奥の位置にある一番広い部屋は
枢機卿会議を行った

写真の左に部分を支えるために
外側に四角い塔が二つくっついており
そのうちの一つの中が「礼拝室」

その内装のフレスコが残っている

『聖マーシアルの礼拝室』

このフレスコは
建設に当たって教皇がシエナから招いた
大家『シモーネ・マルティーニ』の作と伝わっている


その塔の礼拝堂の下
つまり
同じ位置の下の階も
同じく礼拝室となっている

『聖ヨハネの礼拝室』

法王庁の外部から見ると
この聳り立つ壁面を支える塔は三つある

大広間の
外に向かって最も左の隅にある塔の中は
教皇の厨房


その厨房の塔は
天井全体が煙突になっている

大広間を先に進むと
騎士の控えの間
そして
教皇の日常の部屋がふた部屋

一つ目は壁のフレスコにより
『狩りの間』と呼ばれる

『鷹匠』

壁3面に
「鷹狩り」「鳥呼び」「鹿狩り」「魚釣り」
が描かれている

そして
教皇の寝室

ただし寝台などは当然ながら無い


壁の唐草紋様が目を奪う


『Cathédra  教皇聖座』

カトリック聖職者の最高位は
『司教』

大司教も教皇も
括りで言えば司教なのです

首相も閣僚も
国会議員
みたいに

その「司教」の椅子をカテドラ(聖座)と言います
司教のいる町が司教座の町と呼ばれ
「カテドラ」が置かれた教会が
『Cathedrale  カテドラル(司教座聖堂=大聖堂)』
と呼ばれます


床のタイルも部屋によくあっている



その先に
衣装部屋だったところを抜けて
教皇専用の法王庁大聖堂


各所にある礼拝室や礼拝堂で
日々
何度もミサが執り行われたが
教皇が司祭するミサは
この大礼拝堂で執り行われた

天井のほんの一箇所
壁の一部分にだけ
当時のフレスコが残っている



教皇聖堂に入る扉口は
横についていて
そこを出るとその外が


こうなる
この反対側は
横に大階段がある囲まれたテラスのような「ロッジア」
になっており
ミサを執り行った教皇が
下の中庭に集う寄衆たちに
右手で十字を切って祝福を与えた




法王庁の外に出ると
法王庁を背に右手の先がもっと小高くなっていて
『ドームの丘』
という見晴らし台のよう場所に至る

頂上から
真下にローヌ河が流れ
アヴィニヨンの橋という名と童謡で名高い
『サン・ベネゼ橋』が見下ろせます


この橋は
写真右側の中洲の上を通り
その先に流れるローヌの残り半分をわたって
1300mばかり
向こう岸の『フィリップ1世の塔』につながっていた

度重なる洪水で何度も流され
再建を繰り返したが
19世に再建をあきらめこの形で残っている

敵の進撃を不可能にするため
地上より高いところから渡るように作られており
両岸には
橋の防御と入り口を兼ねた塔がある






船に乗って
川の中から見るとこうなります

五百メートルほど離れた
対岸の塔
『フィリップ1世の塔』


この王様は
フランス王フイリップ1世なのですが
同時に「ナヴァーラ王フィリップ1世」でもあり
現地でな『フィリップ1世』と呼ばれる


ちなみに
橋の渡る上部の幅は4mほどしかなく
「踊ろよ 踊ろよ 輪になって おどろ」
というわけにはいきません

本当は
町の祭りの日に中洲に集まって
橋桁の下で踊っていたのだそうです

その
フィリップの塔から法王庁を見てみると


もちろん
望遠レンズの写真です


この対岸は
すでにアヴィニヨンではなく
『Villeneuve-lès-Avinion ヴィルヌーヴ・レ・ザヴィニヨン』
という隣町

そこにも大規模な要塞のような城が
残っている



アヴィニヨン自体
旧市街が完全に城壁に囲まれていて

外側でも
内側でも
一周できます



城門も数多く残っている


これは
すでに塞がれてしまった城門

背が低く感じるのは
上部の胸壁(凸凹の隠れて反撃する部分)がなくなり
真下に彫ってあった空堀を
埋めてしまったから

要所要所の防御の塔も残っている



このアヴィニヨンは1947年に始まって
毎年7月
ほぼ1ヶ月間にわたって
正式招待劇団
(例えばロイヤル・シェークスピア・カンパニーなど)
を中心に正式エントリー組が行う法王庁中庭特設ステージでの公演が
『IN』とよばれ

招待ではない公認参加組が法王庁特設小ステージ及び
町の劇場で行われる
『OFF』

さらに
町に広場や路上で行うパフォーマンスが
『OFF OFF』

 2020年は
コロナ禍で53年目にして初めての中止となった

現在21年7月のフェスティヴァルのエントリーを
受付中

なんとか
人類の英知を絞って
新型コロナ・ウイルスに打ち勝たねがなりません






= = = = = = = = = = = = = =
【お願い】
皆様の「ご意見」「ご感想」その他「なんでも」受付中
です
コメント欄から是非どうぞ


旅行の具体的な事柄は以下のサイトを御覧ください
https://veritas21.ccom 『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅にプランナー』



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« プロヴァンスを巡ろう 9 ... | トップ | プロヴァンスを巡ろう 11... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス」カテゴリの最新記事