「美」を愛する人へのメッセージ

岩国市を中心に「いろ・色・パステル画」展を開催しています。また、「美」という大きなテーマに向かって発信していきます。

「クロッキー・人物編」・・クロッキーのすすめ

2011-01-30 08:06:47 | 「楽しい人物画」講座

絵を描く人だけでなく、絵を見る人にとっても「クロッキー」はとても重要な訓練だと思っています。

 

それは、人というのは「見る」ことを通してほぼ80パーセント以上のことを認識していることと、そこから新たな「視点」を開発することができるというメリットを備えているからです。

 

人は日頃「当然」と思っていたことが、もう一度違う角度から見ると、全く「異質」なものに見えてくることがよくあります。

 

それは「人物」だけではないのですが、人は「人物」を通してだけが一番の近道であり、とても理解しやすい媒体だと思っています。

 

そういう意味で、是非「クロッキー」を描く手段だけでなく、「ものの見方」の一助にして欲しいと思っています。

3月に「岩国市中央図書館」でささやかな「クロッキー」展を行います。

 

近くに来られたら、是非」お立ち寄りください。その時の一部が画像で紹介しています。ご覧ください。

「クロッキー・人物編」

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「タヒチでのクロッキー」

2011-01-29 08:00:57 | 「私」酒井治の作品

私は、絵を描く人に「クロッキー」をすすめています。と言うのも、瞬時に見たものを描いていくこの作業は、「画像の記憶」「感覚による線」が生まれてくるからです。

 

30年以上「クロッキー」を続けている私にとって、この作業はとても魅力あるものになっています。

 

2009年の12月に「タヒチ」に行き、その目的が「クロッキー」を描いてくることだったのですが、ある程度思ったように描け、今振り返ってみても、そのおもしろさは忘れられません。

この画像は「タヒチ島」近くにある「モーレア島」という島の「水上ホテル」です。

その海はこんなにも澄み切っていて、この世のものとは思えませんでした。

「無人島」では、このよううな風景が見られ、その美しさは目を見張るものがあります。

「タヒチ島」から飛行機で、40分ぐらいのところに「ボラボラ島」という島があり、「世界一美しい島」と言われていますが、あいにく天候が悪く、景色も少し暗くなっています。

このあたりから「クロッキー」を描いたのですが、今でもその美しさは鮮明に覚えていて、もう一度いってみたいような気がします。

 

その一連の「タヒチ」での「クロッキー」をまとめていますので、見てください。

「タヒチでのクロッキー」

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「音学とパステル画の融合」

2011-01-28 08:50:49 | 「いろ・色・パステル画」展

昨年、9月岩国市「シンフォニア岩国」「音とパステルの融合」という「コラボレーション」を行いました。

 

「パステル画」「音楽」をまじえての「コンサート」と言うことで、とても新鮮な気分で試みることができました。

 

藤井さん、島崎陽子さん、そして私の作品を音楽の間にまじえて、そのパステル画の作者との「トーク」もあり、とてもユニークな企画だったと思います。

 

パステル画の作者の「ねらいや思い」「音楽」が一体となって、会場に訪れた人の感性を別の角度から刺激したのではないかと思います。

 

そのひとコマを楽しんでください。

「音とパステル画の融合」

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「目からうろこ」・・Nさんの作品から

2011-01-26 17:45:36 | 「パステル画」講座

先日、「目からうろこ」という話題を出しましたが、「チャレンジ・パステル画」講座にお邪魔して、そこでも同じような体験をしました。

 

この作品を最初に見た時、思わず心の中で「えつ」という言葉が出たのを今でもよく覚えています。

 

「なぜ、足の裏」という疑問の声とともに、違う「美」の視点が伝わってきて、「人の目」の多様性とそのおもしろさを改めて教えてもらいました。

 

この「赤ん坊の足」を見てください。この方は「対象物」を描いているのではなく、その奥に潜む「人のぬくもり」「体温」のようなものを描いています。

「描いているもの」を媒体にして、わたしたちに「人の温かさ」「命の尊さ」「命に対する慈しみ」と言うものを我々になげかけているようで、なんともいえない感覚が生まれてきます。

 

この「手」にしても、「手」の周りに感じられる「あたたかな空気」が伝わり、その「手」から「人の優しさ」まで伝わってきます。

「赤ん坊」というものに対して、とてつもない「愛情」を感じているようなこの画像からも、Nさんの「目」が人の持つ「優しさ」へと導いてくれるような錯覚に陥ります。 

「授乳」の場面ですが、「赤ん坊」と「母」との関係がとても親密で、信頼の置ける一つの大きなパイプでつながれており、その関係から「安心感」や「命のふれあい」のようなものが感じられ、見る人にとてもあたたかい気持ちを植え付けていくような作品になっています。

 

こうした「違う視点」での作品を見るにつけ、その作品が私たちに大きな感動を与えてくれるものがあることに気づくのではないでしょうか。

 

「表現」の中に、「人それぞれの視点や色合い」があり、それが私たちに大きな「喜び」をもたらしてくれることに気づいた1日でした。

 

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「グローバルな目」

2011-01-25 20:15:45 | 視点を変えて

「目からうろこ」という言葉がありますが、今日私はそれにピッタシな場面に出会いました。

 

私は、火曜日は毎週「岩国市中央公民館」で行われている「英会話中級」に参加しています。

 

そこでの話題の中で、「最近の子供は漫画を描かなくなったので、漫画が思うように描けない」という私の言葉に、「スコットランド」出身で「スペイン」や「アメリカ」に長く住んでいた英語教師が「とんでもない」と言うようなことを言い、「日本の子供たちの漫画を描く能力のすばらしさ」を語ってくれました。

 

「外国の子供たちは日本人の子供のように漫画がかけない」と言うことをしばしば言うので、そういえば外国のクラスの「美術授業」の参観をした時、「描写力」がとても低いように見えたことを思い出しました。

 

そして彼女がその理由らしきことを言ったのを聞いて、「なるほど」と思うところがあり、とても参考になる学習ができました。

 

それはどんなことかと言えば、我々日本人は小さい時から、日本語を書く時、「筆順」を学んで、それをたびたび練習するので、そういう「コピー」のようなことはとても得意であるようなことを言っていました。

 

確かに書く手順を「漢字」という題材で日夜書いているわけですから、そうした真似をして描くことは得意になるのかも知れません。

 

と言うことは、絵画の中でもこれはあてはまることですが、「見えるとおりに描く」のは決して「オリジナリティ」がある作品ではないことになります。

 

「日本人は真似をするのがとても上手である」と言う言葉は、戦後よく使われていた言葉ですが、ここにも大きな落とし穴があり、いつしか「発想」や「違う視点」というものがおろそかになっているのではないかと思いました。

 

外国の人は「文字」を書く時、我流で書くので、日本人に教える時には理解できないらしく、わかりやすく書き換ええるようなこともいっていました。

 

こうした会話の中で、私は中学生を教えている生徒たちの作品から思い当たることがたくさんあり、しばし納得してしまいました。

 

ようは、「日本人の目」だけでなく「グローバルな目」で見ると、物事は当然違って見えるということです。

 

毎日の生活の中で「当然」と思っていたものが、実は大きな「偽り」であることがしばしばあります。

 

絵を描く時に必要なことは、「あまり常識や周りの目ににしばられず、自分の感性を信じて描いていく」ということが一番大事なことのように思います。

 

「自然な感覚」「違う視点」こそが、人に訴える力を持っているものだと今日改めて理解できたような気がします。

 

 ここにあげている2点の作品は岩国市の小学生が描いた作品ですが、これらの作品からどういう風なことを感じるでしょうか?

 

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