「絵を描く」と言うことは、人にとってどんな意味があるのでしょうか?
「表現」という大きな分野で考えてみても、そこにはなんらかな「喜び」のようなものが見れます。
「歌をうたう」ことや、「ダンスを踊る」ことと同じように、「創作活動」の中には人が持って生まれた大きな「衝動」のようなものがあります。
ある人にとっては、「癒し」となり、ある人にとっては「生きがい」となり、いろいろなパターンが考えられますが、どうも「創作」という分野は、人の生活の中にあって、「大きな喜びをあたえてくれるもの」に違いありません。
ただ、それがいつの間にか他の人から見た「美の基準」を作ってしまい、いつの間にかそうした「創作の世界」から遠のく人が多いのが現実です。
今日も、「中学生」を相手に、「美術」の時間を共有しましたが、彼らはとても「表現」することが好きです。
しかし、いつの間にか指導者やまわりが「基準」を子供に押し付けてしまって、この世界から遠ざかっていくように思われます。
その子なりの、「個の基準」を育てていけば、きっと「創作の喜び」を一生涯持ち続ける人になると思います。
こういう話をなぜ、ここでするかというと、実は友員さんは「西兼さん」の元生徒であり、その頃から絵がすきだったようです。
それが、時間にゆとりができるようになった昨年からパステル画を始めて、まだ1年もしないのにこんな作品を描いています。
きっと、学生のころの「いい思い出」がもう一度、「美術」へ目を向けさせたのだと思います。
その友員さんが行っていた、昨年の「いろ・色・パステル画」展の「体験コーナー」での様子は、そうしたことを私に教えてくれました。
「中学生」の女の子が、何の違和感もなく、友員さんの助言に耳を傾けて、自然にパステル画を描いている光景には、一瞬目を疑いました。
プロの「美術教師」でさえ、こうした多感な中学生の指導にあくせくしているのに、ずぶの素人である友員さんの指導に、何十年も一緒に勉強を習っているような雰囲気が出たのは、ある意味では友員さんが、「美術」というものを心のどこかにいつも温めていたことと、彼の「素直な気持ち」が中学生の心をとらえたのではないかと思っています。
私は、日頃からこうした「人への共感」の大切さと、その「あり方」を常に考えていますが、形だけではだめで、そのなかに溢れてくる「気持ち」の大切さに気づきます。
しかし、口では間単にいえますが、「人を教える」ことはとても難しく、とても奥深いものがあることが、やればやるほどわかります。
そうした心のなかに存在する「創作意欲」をどれほど維持しているかを考えながら、友員さんの作品を見て欲しいと思います。
「友員純生さんの作品」
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