「ひとこと」
昨日から、軽いつわりが戻ってきました
でも、食事はモリモリ食べているので大丈夫です
この度は、たくさんのお祝いコメントを頂きまして、本当にありがとうございます
そして、今回また新しい出会いもあって嬉しく思いました。
今回の妊娠は本当にビックリなことでした。
なぜ、自然妊娠ができたのかは誰もわかりません・・・。
でも、もし何かのヒントになるのならば・・・と思い、これまでの治療を「あしあと」として、記しておこうかなと思いました
この記事で気分を害される方もいらっしゃるかもしれません・・・申し訳ございません。
でも、自分の感じた気持ちや今までの私・・・ということで、許してやって下さい。
・2002年11月結婚。
もともと生理不順だった私。不順といってもダラダラと出血が続き、月に2回来ることも・・・。日常的にお腹が重たい感じで憂鬱でした。
近所の産婦人科に相談する。→出血を止める薬(ピルだったのかな?)をもらう。
しかし、治療はそれのみ。3回くらい通ったが意味がないと思い通院やめる。
・2003年11月。
結婚して1年が経ち、妊娠を考える。不妊治療の専門病院をネットで探し、名古屋で一番といわれていたKクリニックに通い始める。
色々と検査をし、原因は「ホルモン調節の不具合による無排卵」とわかる。その他は問題なし。
「すぐに妊娠できるでしょう」と言われる。
・漢方薬で治療するが一向に排卵なし。
・2004年2月
クロミッド(排卵誘発剤)を服用開始。排卵が始まる。
・2004年5月
尿検査で妊娠判定プラス。予定日まで告げられ有頂天に♪
→しかし、5日後に出血。
→「本当の妊娠じゃありませんでした。化学的妊娠といい、流産でもありません」と先生に告げられる・・・。
・2005年2月
人工授精開始。5回挑戦するが全て失敗。
早く子供が欲しかった私は3回目失敗後、確率の高い「体外受精」を望むが先生に「先を急ぎすぎと怒られる・・・」
・2005年9月
体外受精開始。たくさんの卵(10個位)を作るためクロミッドではなく注射で卵を育てる。
1日おきに注射をしてたが、主治医不在の日が2回あり内診なしで注射をする。
→妊婦のようにお腹が腫れる。歩くのもやっと・・・。主治医が内診したときには大量の卵ができていた。
採卵・・・28個!!(その内正常のもの凍結15個)
吐き気と腹痛に襲われ、歩くことも出来ない。自宅療養するよう言われ急遽会社を2週間休む診断書をもらう。
・凍結していた卵を5回に渡り移植するが全て失敗。(戻す胚は全て初期でした)
毎回「歳も若いし、卵の状態もいいのに何でだろうねー」と主治医に言われ、不信感を持つ。(何か違う方法がないのか!と思う)
全ての卵がなくなり、また大量の卵を作るのは恐かったため転院を考える。
「転院を考えた疑問に思っていたポイント」
①過剰に卵が出来てしまったこと。
②注射の排卵誘発剤は微量でも私の体には効きすぎた。
移植のみで排卵が必要なくても注射で卵を作っており、毎回お腹が腫れ歩行困難になる。
主治医に相談するが「こうしないと着床が悪くなる」と言い、治療は変更しなかった。
③初期の段階で胚を移植するため、少ない分裂でも全て移植していた。
「妊娠するために試したこと」
①鍼灸院へ通う。
②1時間のウォーキング
③カイロプラティックへ通う。
④ダンベル体操
⑤生姜紅茶
⑥ザクロのサプリメント
⑦子宝神社へのお参り
⑧カラー風水
⑨トイレ掃除
⑩ストレスをなくすためにも会社を辞める。
・2007年11月
体に優しい治療を行っているOクリニックへ転院。
(きっかけ。年上の会社の先輩がOクリニックへ通い、半年後2回目の体外受精で妊娠したため)
先生の治療方針を聞き夫婦で納得。先生の自信に満ちた話に「期待出来そうだね」と夫婦で語り合う。
・2008年1月
クロミッド1錠と注射で卵を育てる。副作用全くなし
→採卵2個。そのうち1つだけ胚盤胞になり凍結。
・2008年2月
内服で子宮内膜のみを育てる。副作用全くなし
→移植。(ランクB(-)C)
ランクが悪く期待していなかったが妊娠成立。胎のう確認まで出来るがその後胎芽の確認出来ないまま流産。
「流産はとても辛かったが、妊娠出来る体だったことを実感!転院して初めての体外受精で妊娠でき、先生を信頼する。前向きにとらえることにした。」
・2008年8月
採卵2個。しかし、2つとも胚盤胞に至らず移植出来ずに終了。
受精した卵は、2分割、4分割、8分割、桑実胚、胚盤胞と分裂していくのです。
Oクリニックでは最終段階の胚盤胞まで到達したもののみ移植してくれます
・2008年10月
採卵1個。胚盤胞になり凍結。
・2008年11月
移植。妊娠反応なし。
不妊治療のために貯めていたお金が底をつきる。
国と市からの補助金は年2回しか出ないため、治療を休みたいと主治医に伝える。
これからの事を夫婦で話し合い、「子供が居なくて2人だけの生活でも大丈夫・・・?」と旦那さんに聞き、快諾してくれてフッと気持ちが楽になった
・2008年12月
様子を見たが自然排卵しないため、カウフマン療法を行う。
これは、卵は育てず高温期、低温期を作り子宮を休ませる。治療再開したときにベストな状態を作るためと言われる。
短期の仕事依頼(3~5月)が入り、4月から治療再開したかったが6月にやむを得ず延期することにする。
「転院後、妊娠するために試したこと」
①トイレ掃除
②エアロビ
③水、塩を供え、子宝グッズにお祈り
その他はやめました。
妊娠を左右した運命
・2009年4月
いつも通り、カウフマン療法の薬をもらいにきたつもりだったが、「今回は薬を飲まず様子を見ましょう。次回高温期になったか見せて」と言われる。
薬を使わないと卵が出来ない体だと自分でわかっているため意外な判断に面食らう・・・。
しかも、カウフマン療法なら月1回の通院で良いが、そうでないとまた仕事を休まないといけないため困る
・・・が、受け入れました。
・2009年5月
やはり高温期にならず「私の予想は当たった」と思いながら病院へ。
内診すると「1つ卵が大きく育ってますよ。確実に排卵させましょう」と言われ点鼻薬を処方される。
薬を使わず自然に卵が出来ていたことに驚く!!
「これは妊娠できる力がある卵ちゃんかもしれない
」と期待する♪
「卵が育っていることを知ってからやめたこと」
①旦那さんに付き合い、夕食時にコップ1杯のビールを飲んでいたが一切辞めた。
②エアロビを続けていたが、着床しやすくなるように
と運動を辞めた。
・2009年5月(点鼻薬処方から5日後)
無事に排卵したことを確認し、高温期の内服薬(後で調べたら卵を子宮に留まりやすくする薬でした)を処方。
「○日に生理が来るので、3日目の○日に次来て下さいね」と言われる。
・生理予定日
少量の出血(こげ茶色のおりもの)
お腹が重たい・・・。夜、腹痛に襲われる。
「生理が来た」と旦那さんに報告
・生理予定日から3日目
相変わらずの出血とお腹の重さ。体温は高温のまま。
「出血が少ないので念のため妊娠の検査をしておきますか」と看護士さんに言われる。
内診の際「p_dさん、妊娠してますよぉ!これ、赤ちゃんが入っている袋ね」と主治医。
・いつも冷静で、卒業するまで「おめでとう」と言わない先生なのに「よかったね~!奇跡が起こったね~!」と言い、出産予定日まで伝えられる。
「でも・・・出血しているんですけど・・・
」と前回の流産を思い、喜べない私・・・(その時も出血してました)
しかし主治医は「それは妊娠初期の出血だから気にしなくていいよ」と太鼓判。
・流産のことを心配し、看護士さんへ相談にのってもらう。
→体外受精で妊娠した場合と自然妊娠した場合のホルモン値の違いを教わる。(実際に今回20倍の高さでした)
看護士さんに励まされる。
・その後、薬は一切使わず妊娠の経過のみ確認で通院し、Oクリニック卒業。
出血は2週間ほど続きました。
こんな感じで、辛い思いもたくさん味わった治療記でした。
大きな分岐点は「転院」だったと思います。
自然妊娠と言っても、先生のチカラをすごく与えてもらっています。
今回、薬を使っていたら「この子」とは会えなかったのですから・・・
そして、今回の妊娠に繋がったのかも?と感じる変化を記しておきます。
①二人だけで生活していくのもいいよね
と夫婦で将来仲良くすることを誓った。
②今後、治療は年2回にし、無理をするのは辞めようと話し合う。
③カウフマン療法で子宮を休ませた。
④短期でストレスのない仕事を始めた。(友達もでき毎日楽しい
)
⑤通勤は毎日徒歩(片道10分ちょっと)。食堂2階、更衣室3階、事務所4階だったが、1度もエレベーターは使わず階段で往復していた。
⑥手作り弁当を持参し、バランスのよいお昼を食べていた。
⑦排卵後の禁酒、安静。
⑧旦那さんが運動と食事療法で1年ほどかけて7キロ痩せ、高かったコレステロールや血圧が全て正常値になった。
こういった色んな要素が良い方向にタイミングよく重なったのかな・・・と思っています。
長い長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。
赤ちゃんが欲しいと待っていらっしゃるご夫婦へ、一日でも早く嬉しい報告が舞い降りますように
そして、治療が辛く悩んでいらっしゃるご夫婦・・・まわり道と思わず、ふと立ち止まり足元に咲いている小さな花に心癒されるのも良いかもしれません。
立ち止まっても、また一歩を踏み出せば道は繋がっていると思います
色んな事が偉そうに聞こえてしまったらゴメンナサイ。
でもね、本当に本当に祈っています